MARUNIの社長ブログ

長岡花火2013

2013年8月 5日

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8月3日の土曜日に念願の<長岡花火>に行って来ました。昨年、大林宣彦監督の「この空の花~長岡花火物語」を観て以来、ずっと思い続けていたのですが、ちょうど3日のスケジュールが空き、前日に(急に)思い立って(妻を誘って)長岡へ・・・。長岡花火は年々観客数が増加しており、今年も過去最高のようです。きっと土曜日に当たったこともあるのでしょう。長岡花火は、観光用ではなく、あの長岡空襲で亡くなった方々への追悼と復興への祈りの祭事なので、毎年(空襲を受けた日の)8月1日から3日と決まっており、曜日は関係ありません。また私のように映画「この空の花」を観て、足を運び始めた人も多いでしょう。東日本大震災の復興への祈りも重なって、日本全体の復興のシンボルに成長しています。

花火が始まる前に、長岡市長さんからのご挨拶がありましたが、そのお話のほとんどが・・・戦争、長岡空襲、中越地震、東日本大震災、そして映画「この空の花」についてで、所謂普通のイベントの開会挨拶とは随分趣きが異なりました。ちょうど当日は(東日本大震災のガレキの受け入れにより深い絆が生まれた)岩手県大槌町の小学生16人も来ており、一緒に長岡花火を鑑賞したそうです。このようにして、復興への思いはつながっています。

また花火を観る前に、長岡駅の近くにある「長岡戦災記念館」に行きました。映画の中で、松雪泰子が訪れた場所です。昭和20年8月1日の午後10時30分、B29による焼夷弾爆撃が始まりました。この空襲により1,480人の尊い生命が失われました。映画では、母親の背中で亡くなった、1歳半の女の子が主人公でしたが、それも実話です。その子は、B29の音が聞こえると「ブン、ブン」と言っていたそうです。記念館には、長岡空襲に関わるものが多数展示されていました。決して大きな資料館ではありませんが、「長岡空襲を忘れない」という市民の思いがいっぱい詰まっている場所でした。

でもなぜ新潟でなく、長岡だったのか。それは新潟が「原爆投下予定地」だったからだそうです。そのため、新潟より小さい長岡の方に、先ず焼夷弾爆撃を行い、その後新潟へ原爆を落とす予定でした。もし広島、長崎の後も戦争が続いていたら、新潟にも原爆が落とされていたのです。歴史の事実の重さを感じました。

それから信濃川まで歩く途中、「平和の森公園」にも寄りました。ここも映画の舞台になった場所です。そこにある「平和像」は、長岡空襲で亡くなった1,480名の中にいた280名あまりの学童の霊を慰めるために設置されたものです。これを見た時、先日行った沖縄の「ひめゆりの塔」を思い出しました。子どもたちはなぜ死ななければならなかったのか。なぜ大人たちが起こした戦争の犠牲に成らなければならなかったのか。「平和の森公園」は、多くの人が亡くなった柿川に面しています。柿川は、今は小さくて穏やかな川です。でもあの日の柿川は、真っ赤に燃えていたそうです。私たちは、今の「穏やかな川」しか知りません・・・。沖縄、長岡、戦火に見舞われた土地を見ながら、もう一度、戦争と平和について真剣に考えてみようと思いました。

花火会場となる信濃川の土手に向かいました。もう大変多くの人々が歩いていました。土手に上がって誘導のままに歩いて、うまい具合に芝生の良い場所に座れました。途中で(芝生に敷く)シートを買うために、土手に近い場所のスーパーに寄ったら、もう怒涛の込み具合で、20列くらいあるレジに長蛇の列で、シート1枚買うのに30分以上も掛かりました。それくらいの混雑なのに、何となく人々の動きは整然としていて、静かで、落ち着いていました。

花火大会は、毎年2発の「白菊」から始まります。1発目は、長岡空襲の犠牲者への追悼。2発目は、真珠湾攻撃の犠牲者への追悼。いろいろな理由があるにせよ、両者に対する追悼ができる国が日本です。そして今年は、もう1発(計3発)の「白菊」が上がりました。今年の夏の豪雨により、長岡をはじめとする日本各地の水害で命を落とされた方々への追悼の為です。この「白菊」打ち上げの前、(花火会場では)今回の水害で亡くなった方々への「黙祷」を行いました。単なる観光用のイベントじゃない・・・。本当にそうでした。

花火の素晴らしさは言葉では表せません。観ている瞬間も素晴らしかったですが、むしろ終わってからの方が、感動の波が押し寄せて来ます。確か映画でも「花火がキレイなのは、夜が暗いから。花火が消えた後の夜には、心の明かりが燈る」という様な言葉がありました。その意味がやっと分かりました。関東地域では打ち上げが禁止されているという直径90cm、重さ300kgの「正三尺玉」も上がり、その巨大な大きさと音には驚きました。私たち人間は、この技術を戦争に使ったのですね。これを戦争に使ったら、どういうことに成るのか。私たち人間は、そのような「想像力」を奪われてしまったのでしょう。「長岡花火」を描いた山下清の言葉「みんなが爆弾なんかつくらないで、きれいな花火ばかりつくっていたら、きっと戦争なんておきなかったんだな」は、世界中の人々への戒めと成りました。

長岡花火のクライマックスは「フェニックス花火」です。これは2004年に起きた新潟県中越大地震からの復興のために、市民が一丸と成って打ち上げた壮大な花火で、おそらく世界でも類を見ない規模と美しさを誇ります。私たちの観覧ポイントがちょうど「フェニックス」の正面でしたので、ビデオの撮影も大変でした。つまり、この「フェニックス」は、横一列に並んだ約10カ所くらいの地点から、同時に同じ花火が打ち上げられるもので、目の前の空がすべて花火で埋め尽くされてしまったのです。しかも同じタイミングで同じ花火が、きれいに横一列で同時に咲くので、本当に圧巻。タイミングがズレないだけでも素晴らしく、まるでシンクロナイズトスイミングの演技の様な「美」がありました。音楽は平原綾香の「ジュピター」で、花火で感動して涙が出る経験は初めてでした。この「フェニックス」の力で、中越地震からの復興は進み、今や東日本大震災の復興のシンボルにも成りました。

そして、その後の花火「この空の花」もとても良かった。映画の公開を機に、昨年から打ち上げられることに成ったものです。久石譲作曲のテーマ音楽に乗って、たくさんのキレイな花火が上がりました。小さな可愛い花火がたくさんたくさん重なり合って、まるで小さな花々が次々と咲いているようで、とても美しかったなぁ。きっと、あの空襲で亡くなったたくさんの子どもたちへの祈りと「また生まれて来てね」という願いの様な気がしました。

花火の技術も時代と共に進化しているようで、今や打ち上げ装置はIT技術が駆使されています。すでにプログラミングされた通りに打ち上がる仕組みなので、先程の「フェニックス」等も数秒の狂いも無く、見事な一致ができるのでしょう。日本の花火技術は、花火師とITテクノロジーの融合によって、世界でNO1です。この技術を「花火」に使える幸せを、私たちは心の底からかみしめなければなりません。そして子どもたちの未来のために、それを守り続けて行こう。大人たちの大切な使命として。

そして花火大会(約2時間)が終り、駅まで歩きました。本当に多くの人々が、あちらこちらから出て来て、駅に向かいます。花火会場はもちろん、途中の道でも、きちんと誘導員さんがいて、親切に整理してくれました。長岡駅の手前からは、駅へ入るための誘導(順路)もあり、数万人(?)の行列を、多くの警察官や駅員さんが穏やかに誘導し、みんなもゆっくりとですが、何事もなく、静かに駅へ吸い込まれて行きました。毎年の事とは言え、このような誘導管理の素晴らしさには驚きましたし、花火見物客のマナーの良さと落ち着きは、先の東日本大震災で見せた日本人と驚くべき資質と重なって、とても嬉しく誇りに感じました。多分きっと<長岡花火>の願いと祈りが、みんな心の中のどこかで生きているのではないかと想像しました。もう戦争はやめよう。平和を築いて行こう。戦争や地震で亡くなった方々への追悼と感謝の思いを持ち続けよう。絶対にいつまでも忘れない。みんなで仲良くして行くから・・・。終わってから、心の明かりが燈る花火。これからの日本と世界について、また考えてみようと思いました。

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