MARUNIの社長ブログ

生きよう!

2014年4月22日

135153558182413131716_PDVD_008_20121030033301.jpg
(映画「心」)

韓国船の沈没事故では多くの犠牲者が出ています(早期の救出を心からお祈りいたします)。先のマレーシア航空機の行方不明事件もそうでしたが、海の上の事故への対応はなかなか思うように進みません。だからこそ、常に事故への防止対策や事故を想定した訓練が必要なのでしょう。今回の韓国船においては、(事故当時)操舵室に船長がいなかったらしく、そのような「過信」が今回の事故の根底にある様な気がします。日本から購入した船に増築をしていたとのことで、乗客の事を心から考えていたならば、そのような危険な行為はしなかったと思うのです。

前のブログで紹介した映画「この空の花~長岡花火物語」の中で、「想像力」という言葉が多く出て来ました。想像力とは、相手の気持ちを考えて、思いやること。想像力が無ければ、相手の立場に立つことはできないからです。「もし自分だったら・・・」と想像する力を失ってしまうから、きっとこのような事故や事件が多発するのでしょう。想像力を奪われることが、人間にとって、一番の不幸なのだと思います。沈みゆく船から逸早く逃げ出したのが船長だったという事実を知ると、まさに「想像力」の問題ではないかと思います。

みんなが相手の立場になって考えられる社会になれば、きっと世の中はもっと良く成るでしょう。けれども、だんだんと物事が分かるようになって来て、慣れて来ると、なぜかこの「過信」が心の中で増長してしまい、遂には傲慢と成り、初心や謙虚さを失って行きます。成功者なのに(なぜか)良い晩年を迎えられない人たちが(確かに)いるのも、(無意識の内に)傲慢になり、謙虚さを失っている自分自身に(最後まで)気が付かないからではないでしょうか。もちろん、謙虚さと自己卑下とは違います。自己卑下は自分自身へのイジメですが、謙虚さは森羅万象への感謝です。生きて行く過程の中で、あらゆるものへの感謝の心を大きく持って、他者への想像力(思いやり)を高めて行くこと。これが(人類共通の)人生の目的の1つではないかと感じます。

最近、DVDで映画「心」(1973年)を鑑賞しました。これは夏目漱石の小説「こころ」の中の(主に)「先生の遺書」の部分を映画化したもので、新藤兼人監督の作品です。他に「こころ」の映画化は、市川崑監督による名作がありますが、新藤監督の「心」は、原作をベースにしながらも、独自のイメージと映像で脚色したものです。けれども、夏目漱石の描く原点から外れてはいないと思います。人間の持つ根源的なエゴと欲と葛藤を、美しい自然美を背景に表現していました。

結局、人間の成功や幸福とは何かを追求していくと、自分自身の「心」、つまり「良心」との対峙を乗り越えて行かなければならないことに気づきます。何よりも恐ろしい存在は、他の「誰か」では無く、(実は)自分自身の「良心」ではないのかと。宮澤賢治の「雨ニモマケズ」は、「そういう者に私は成りたい」と結ばれていますが、「そういう者」とは「デクノボウ」であり、「無欲」で、「自分を勘定に入れない」人のことです。夏目漱石の「こころ」の「先生」は、「そういう者」に成れなかった自分自身を、最後に(自ら)罰したのではないでしょうか。

それでも人間は「生きて行くべき」だと思います。良心の呵責に苛まれること自体が、自分自身の「良心」の存在を「肯定」していると思うからです。今回の韓国船沈没事故で、多くの学生が被害に遭った高校の(引率をしていた)教頭先生が、自殺したそうです。良心の呵責、あるいは責任の重み。でも、そのような「生身の体験」を通じて、自分自身の「良心」と対峙(格闘)することこそが(もし)「生きる」ことだとしたら、あるいは(もし)そのように捉えることが出来たならば、今を生きて、今出来ることを精一杯、懸命にやっていく道が在ったのではないか。そのような経験を乗り越えたからこそ、他人の痛みを感じられる「想像力」を持つことが出来るのではないか。

起きた事や終わった事に(いつまでも)クヨクヨしたり、自身や他者の失敗を(いつまでも)責めたりしても、そこには何一つ人間らしい「想像力」は生まれません。「今」という現実を直視し、ありのままを受け入れて、その上で自分自身の「良心」の声を聞きながら、前へ向かって歩いて行こう。そういう自分自身を見出すことが出来れば、胸を張って歩いて行ける。自分を評価するのは(決して)他人ではなく、自身の「良心」だと思うからです。人間は自分の良心から(永遠に)逃げられないと思います。死んでも逃げられない。ならば今、ここで、「良心」と仲良くすれば良い。「良心」はいつも、懸命に生き続けようとする「私」を(誰よりも)愛し、応援してくれていると思います。

宮崎駿監督の映画「風立ちぬ」も、高畑勲監督の映画「かぐや姫の物語」も、「生きろ!」を主題にしていたと思います。夏目漱石の「こころ」も、(逆説的に)きっとそうなのでしょう。「かぐや姫の物語」の中に、「生きる為に生まれて来たのに」という(かぐや姫の)台詞がありました。私たちは(みんな、みんな)生きる為に生まれて来た。だったら、素直に生きれば良い。生きて、生きて、幸せを感じること。幸せとは、相手の幸せを祈ること。喜びとは、相手の喜びを願うこと。これが「想像力」です。「未来の子ども達が安心して暮らして行ける世の中を遺して行こう」が、映画「この空の花~長岡花火物語」の主題でした。未来の子ども達の人生を想像すると、今たくさんの心配事が在るからです。だから、今こそ、大人達が正しい人生観を示し、「生きる喜びと幸せを」伝えて行く時なのでしょう。


最良の建築をプロデュースします。

Copyright © 2010 MARUNI Co.,Ltd. All rights reserved.