MARUNIの社長ブログ

2014年6月のバックナンバー

創造の原点

2014年6月23日

梅雨に入り、大雨と蒸し暑さの季節に成りました。今年の夏は冷夏らしいとのお話をお聞きしましたが、日本固有の四季のリズムに乱れが生じて来ているのは確かに事実だと思います。先日は関東でも竜巻が起きました。この自然界は常に移ろい変化していくものですから、私たち人間も、その変化の本流に気づいて、生き方や考え方をより良く進化向上させていかなければ成らないのでしょう。本当に地球全体で物事を考えて行かないと、間に合わない状況に来ていると感じます。

今、サッカーのワールドカップがブラジルで開催されており、日本代表は2戦を終えた段階で(残念ながら)良い結果を出せていない状況です。普段はサッカーに全く興味の無い私でも、この時ばかりはTVやニュースを見て、日本を応援します。今回の日本代表の苦戦については、いろいろな方々の評論や評価がありますが、やはり勝利(=結果)というゴールを目指して、みんなで全力を出し切る姿勢や意識の中に、一点の曇り(影)も在っては成らぬという物事の道理を、俯瞰的に感じ入ることが出来ます。

「ゴールを決める」という共通の目標に向かって、チーム全員の意識が一体と成って、清浄な心の総和の状態に在る時、そのチームは実力以上の力を生み出すのでしょう。諸外国のチームの試合を見ていると、(そこには)なりふり構わない程の強烈な目的志向を感じます。もちろん、その結果としての勝利もあれば敗戦もあります。ただ、その敗戦には悔いや悲壮感は感じません。今回の日本代表の戦いが(もし)このまま終わってしまうと、きっと何か悔いや不自然さが残りそうな気がします。目的志向ではなく、手段志向になってはいないか。本当に全員の心(意識)がひとつに成っているのか。これは、私たち自身の仕事や人生に対する共通の問いでもあります。

私たち日本人は、(要するに)余りにも満たされている世界に生きています。ほとんどの国民が毎日水が飲め、ご飯が食べられて、寝る場所があります。いつ銃弾が飛んでくるかという不安もありません。世界中には、それすらも約束されていない国々がたくさん在るのに・・・。今回の開催地であるブラジルも非常に治安が悪いそうです。それでも国家の威信のために、無理を承知で、ワールドカップを実現させてしまった力があります。なりふり構ってなんかいられない。そういう背水の陣の強さがあるのでしょう。

かつてブラジルで本場のサッカーを学び、日本のサッカー界に大きく貢献した三浦カズ選手は、残念ながらワールドカップへの出場という夢を(事実上)叶えることが出来ませんでした。私は、カズ選手の実力や人柄については全く無知ですが、ただ、何か(他国の選手が持っている様な)強烈なスピリットを感じます。サッカーに奉仕するという命がけの姿勢。未だに選手として、ストイックに全力を出し続ける男。なぜ彼がワールドカップに出場できなかったのか、本当の真実は分かりません。けれども、彼のスピリッツこそが、今の日本代表に必要なもののような気がします。結果はお天道様が出してくれるのだから、自分たちは(結果を恐れずに)ただ最善を尽くすのみ。そういう境地こそが、きっと第3戦に奇跡を生み出すのでしょう。本当に「全員」がその境地に成れば、奇跡は起こる。

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さて先日、大林宣彦監督の最新作「野のなななのか」を観ました。2年前の「この空の花~長岡花火物語」の衝撃を受け、次回作に対する期待値は(コアな映画ファンの間でも)大変なものに成っていましたが、その中での「野のなななのか」の公開です。この映画は、北海道の芦別を舞台にした「古里映画」という装いをしていますが、実際は、極めて異質で特異な作品で、人間の「生き死に」と「輪廻転生」を描いた新たな表現芸術でした。実は(正直言って)「この空の花」で受けた衝撃感、圧倒感、爆発感は皆無だったので、そのような意味では裏切られた感がありました。けれども同時に、「この空の花」とは真反対へ向おうとする極めて異質で特異な世界観がそこに在ることに気づきました。「この空の花」を陽とするならば、「野のなななのか」は陰の世界。私は多くの人に「この空の花」を見るように勧めましたが、「野のなななのか」ではそうはいかない。人には勧められない(苦すぎる)。でも自分だけはクセになる。そのような摩訶不思議な映画でした。

タイトルにある「なななのか」とは四十九日のことです(7×7=49日)。一人の老人の死を通じて、生者と死者が共に生きながら(輪廻転生の中で)命を繋いでいく。その物語は、決して重苦しくなく、悲壮感もなく、けれども(ある種の)異常な表現方法によって、芦別の美しい自然と混然一体と成ったワンダーランドと化して浮かび上がります。その背景には、(前作同様に)戦争、震災、原発という悲惨な現実が同居しつつ、中原中也の詩と「野の楽師」による死と生の匂いが全編に漂い続けるのです。

大林監督は、前作「この空の花」と「野のなななのか」を「シネマ・ゲルニカ」と表現しています。「ゲルニカ」とは、画家ピカソがスペインのゲルニカの里の戦渦の様を描いた作品ですが、その凄まじいばかりの様相を直接的に描くのではなく、あえて抽象的な表現に昇華させた傑作です。目を背けたいものをそのまま描いては、人は実際に目を背け、記憶の彼方へと消え去ってしまう。よって、この現実を未来永劫、人類の記憶に残す為には、まったく違う姿・形(虚像)として描き、けれども見る人の心の中に真実(本質)の記憶を刻み込むしか方法はない。まさにピカソの絵は、そのような役割を果たし、同時に2つの大林作品、「この空の花」と「野のなななのか」も、美しき「作り物」としての「虚像体験」という姿・形を取りつつ、後世(=子どもたちの未来)へ向けて、戦争や震災の悲惨さ(本質)の記憶を遺そうとする挑戦なのです。

この映画は(実は)自主映画であり、自主配給・自主上映によって運営されています。よって、公開する映画館も極めて少なく、しかも独立系の小さなシアターしかありません。けれども東京では、今回も(「この空の花」と同様に)「有楽町スバル座」という(古き良き)由緒あるロードショー館にて公開されました。これはスバル座の支配人と大林監督の個人的な友情関係があってのことらしいです。そのようにして、大手メジャー映画とは全く違う苦難の道を歩みながらも、(確かに)多くの人々への大きな影響を与え続けている創造活動というものに、私は大きな共感を覚えるのです。サッカーも映画製作も経営も、共に思いを共有し、ゴールへ向かって突き進む過程に中で、何か特別な力が与えられるのでしょう。だからこそ、最後まで諦めず、今できる事への全力投球しかありません。その為にも、心を1つにすること。それが全ての創造の原点だと思います。


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