MARUNIの社長ブログ

趣味が映画とは言いながら、最近は映画館に足を運ぶ機会はそれほど多くは無く、時々スカパーやWOWOW等で録画したものを見たり、お気に入り映画のDVDを繰り替えし見たりが多いです。それでも「これは」と思う作品があれば、映画館に行き、幸いにして「良き映画」と出会えたら、その上映期間中に何度も見に行くことがあります。それでも大抵は多くて3回までですが、たまに4回以上という作品も出てきます。4回目でも「素晴らしい」とか「もう1回見たい」と感じられれば、それは自分自身にとって特別な映画なのだろうと思います。もちろん個人的な趣味嗜好なので、多くの方が共感する映画とは限りません。むしろヒットしていないものの方が多いでしょう。でも確かに、自分自身にとって特別な映画がこの世界には存在しているのです。

DVDを含めて4回以上見た映画の共通項を考えて見ると、「音と映像」に鍵があるように思いました。ストーリー性もしくはテーマ性よりも、そこに流るる感情や風景や自然音等の世界観が、私自身の意識と感応したかどうか。つまり理屈では説明が出来ない感覚的な面の方が優位に在るのです。例えば、「主人公の生き方に共感できなかったから、ダメだった」とか、「先が読めてしまったので、つまらなかった」とか、「とても考えさせられた」という感想は皆無で、むしろ「音楽」に浸る感覚に近いのかもしれません。音楽に理屈や説明は不要であり、そこに流るる音響世界の中で、なぜか涙が流れたたり、なぜかワクワクしたり、なぜか元気に成ったりするものです。

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最近、ロシアのタルコフスキー監督の代表作「ノスタルジア」をブルーレイで鑑賞しました。それまでの通常DVD版よりも当然画像が鮮明で、見事な映像美でした。とはいえ、今までの古く霞んだ映像の中にも幻想性と郷愁性(ノスタルジー)が在り、共に価値があると感じました。映画「ノスタルジア」は、まさに静寂なる異次元世界の中に生息する音と映像の流れに身を委ねるしか方法は無く、一般的な意味での面白い映画では(決して)無いでしょう。そこに流るる音とは、水や空気の悲しき和音であり、虫の音や風鈴の音、あるいは夕暮れ時の草原を渡り行く風の音に、「郷愁」や「情緒」を感じられる日本人の感性に近いものが在ります。そう思うと、今の日本はなぜにこれ程まで騒々しく成ってしまったのだろうと、ふと考えさせられます。

ここ最近、外国の方々が日本の田舎や農村を訪れるように成って来たと聞きます。私たち日本人が忘れてしまった、日本の美の本質がそこにあるのかも知れません。イタリアの巨匠、ルキノ・ヴィスコンティ監督の「山猫」や「イノセント」もブルーレイで観ましたが、そこに映し出される言葉では言い尽くせない程の「退廃的な美」の世界も、日本の夕暮れ時に聞こえる虫の声には(永遠に)敵わないのかも知れません。遠いロシアに生きた映画作家の心象風景の中に(日本の黒澤映画からさえも感じられない)日本的な美の極致を見出すとは、何か不思議な感覚がします。映画「ノスタルジア」の冒頭のファーストカットを観れば、他の名作映画が束に成っても敵わない程の高次のエネルギーを感じます。そこには、母国ロシアに生きる家族への郷愁の祈りが映し出されていると思うのですが、とても一人の人間が意図的に造ったものとは思えません。何か別の高次の力が画面全体を覆い尽くしている様にも感じ、そこに畏怖の念すら感じるのです。

夏目漱石などの日本の文学作品を読んでいる際にも、そのような畏怖の念を感じることがあります。最近は、森鴎外の「青年」という地味な文学小説を読みましたが、そこにも特別な力を感じました。日本語という、世界で最も高次なる「言語の海」を最大限に駆使し、この世の森羅万象の一切合財を表現することの出来た明治の文豪達の作品には、外国文学の表現領域とは別格の世界観が内在されており、それと同時に、日本語の存在(そのもの)への畏怖の念へと結ばれている様に感じます。世界の中で、日本語を理解し得る人々の数は、決して多くは無いでしょう。真に正しく日本を理解するには、日本語を理解することが条件と思うのですが、そう成ると、日本を本当に理解できるのは、私たち日本人しか居ないのかも知れません。そのような中で、今や日本人から日本的な世界観が失われ、外国の映画や作品の中に、日本的な美意識への憧れを感じることが、時にあります。私たちは、今一度、この騒々しい日々の生活から、静寂さと美しい心を取り戻さなければ成らないと思います。

例えば、和歌や俳句の世界とは、(きっと)このような日本の美意識の全てを凝縮し、未来の日本人へ向けて送信されたある種の信号だったのではないかと感じます。国語や古文が嫌いだった自分自身にとって、それらを正しく理解する為の術は無いのですが、今に成ってみると、そこに内在する静寂さと情緒を感じることは出来ます。この遺伝子は現代の日本人の全てに受け継がれていると思います。今の厳しい世界情勢や経済情勢の中で、あるいは危機的な地球環境の中で、私たち日本人が果たす役割とは、科学と非科学の融合を実現することの様な気がします。日本とは不思議な国で、東洋的な神秘性と西洋的な優れた科学技術の両面を持ち合わせています。戦後60年の資本主義社会においては、特に西洋的な面が強化されたと思いますが、神秘性(精神性)が衰えた訳では無いと思います。東日本大震災を経由して、新たなる精神性の目覚めが始まり、優れた技術と美しい精神によって、これからの世界へ貢献できると思います。確かに部分だけを見ると、いろいろな嫌な事件や問題も起きていますが、それでも全体を観れば、日本は今でも非常に「良き国」だと思います。

この今の日本の中で、「古き良き日本」を思い出す土壌を造ることが大事だと思います。それは、決して回顧主義的な逆戻りでは無く、日本人の本質的な遺伝子(精神性)を再認識する為のものです。先日のTVでは、ある地方の過疎化した町が、人通りの全く無い商店街を、昭和初期の頃の懐かしい街並みに変えたことで、多くの観光客で賑わうように成ったと報じていました。そこには懐かしさと同時に、新しさも内在している様に感じました。「ノスタルジー」と言うと、やや後ろ向きの印象がありますが、今の日本にとっては実は大きな気づきへと繋がる道に成ると思います。映画「ノスタルジア」を観ながら、日本の美について、日本の未来について、そして映画全体を支配していた水の音について、心静かに、あれこれと考えてみました。

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