MARUNIの社長ブログ

2018年5月のバックナンバー

今年は4月の後半からゴールデンウィークに掛けて、山城歩きと美術展に行って来ました。山城歩きは、我が経営と人生の先生(師)のお供をさせていただき、群馬の名胡桃城~中山城~岩櫃城をゆっくりと歩きました。山城歩きは、昨年11月の埼玉比企郡(菅谷城~杉山城~武州松山城)が初めてで、まだまだ知識はありません。「城」というと姫路城や小田原城のような建物(天守)のことだとばかり思っていたのですが、本当は、武家や城主などを守る防衛施設のことを言い、天守とはその一部のものと初めて知ったくらいです。

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山城歩きをしながら、かつての堀や土塁を見ると、なるほど山自体が城(防衛施設)だったのだと分かります。歴史には疎いものの、山城歩きをしながら先生の解説を聞くと、悠久の時代への興味が湧いて来ます。同時に、山城に対する考察が現代の経営に役立つことも理解できるような気がしました。日々が死と隣り合わせだった時代の中で、兎にも角にも懸命に生き延びようとした人間たちの智慧と生き様の中にこそ、未来を拓くヒントがあるのではないかと思います。ところでこの山城歩きですが、かなりの運動量です。健康維持と自然との触れ合いと知的好奇心を満たす為、またどこかへ行ってみたいと思います。


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さて美術展の方は、『生誕150年:横山大観展』(東京国立近代美術館)に妻と行って来ました。横山大観の富士山の絵が好きで、いつか本物を見たいと思っていたので、今回はラッキーでした。ぜひ観たかった「群青富士」は大変見事で大いに圧倒されました。「朦朧体」と呼ばれる大観の独特な画法(明瞭な輪郭をもたない)は、まるで現代のCGを遥かに超える程の精妙さと美しさを感じました。この「朦朧体」ですが、当時は大いに批判されたそうです。けれども大観は、自らが描きたいものを只々淡々と描き続けたのです。

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長さ40mに及ぶ水墨画の大作「生々流転」(=深山幽谷から水の滴が生じて集まり川となり、次第に広さを増して雄大な大海に注ぎ、最後には竜となって昇天していくという水の一生を描いた絵)は、まさに一本の一大叙事詩的映画を観たかの様で、そこには人の一生(生き死に)、輪廻転生、無常観、大自然の摂理を感じることが出来ました。墨と筆だけでこれほどの世界観が表現できるとは・・・。展示室の長い壁に沿って、時間を掛けて歩きながら、全てを観を終えることが出来ました。

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横山大観は大変な苦労を経験しながら、多くの素晴らしい画を残しましたが、そこには国を愛する強烈な思いが根底にあった様です。「生々流転」あるいは「或る日の太平洋」に描かれていた「昇龍」の姿には、大いなる優しさと、天に対する深い畏敬の念を感じました。美術館を出て、天気が良かったので、そのまま皇居東御苑を散歩して帰りました。


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ゴールデンウィークの後、NHK「日曜美術館」で、「東京の原風景~夭折(ようせつ)の絵師・井上安治が描いた明治」を観ました。井上安治という名は全く聞いたことが無かったので気楽に見ていたところ、彼の描いた昔(明治)の東京の原風景の版画がとても良く、静かで情緒があって、何とも言えない郷愁を感じたのです。井上井安治は、結婚が決まっていながら脚気衝心のため26歳で死去しました。

私は、東京(江戸)を描いた芸術家の中で、歌川広重、森鴎外、夏目漱石、永井荷風などが好きです。彼らは、当時の東京(江戸)を、歩いて、歩いて、歩きながら、考え、考え、考え続けたのでしょう。同じく東京を愛した井上安治という絵師の版画もぜひ実際に観てみたいと思いました。昔の東京(江戸)には何か特別な情緒と憧れを感じます。井上安治の画からも静かな空気感を感じました。


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さて先月、スタジオ・ジブリの映画監督、高畑勲氏が亡くなりました。2013年公開の「かぐや姫の物語」に大変な感銘を受けたこともあり、とても残念です。昨日行われた「お別れの会」にて、盟友の宮崎駿監督が涙を流していましたが、高畑勲監督は(光の当たる)宮崎駿監督とは全く対照的な存在で、常に日陰で静かに、けれども極めて独自の本質(映像世界)のみを追求していました。その根底には「人間と自然(宇宙)の一体化」に対する強烈な美意識(理想)が在ったのだろうと想像します。

遺作となった「かぐや姫の物語」は、アニメーションの常識を無視し、人物と背景との境界線をもたない作画(手作業)に徹し切り、大変な時間と労力を投入し(遂に)完成させたものです。「造りたいものを造る」という真の芸術家でなければ、この様な異色な作品は世に出なかったでしょう。上記の横山大観の「朦朧体」に通じる思想哲学を感じました。この時代、理想郷を夢見る高畑勲氏にとっては、とても生きにくい世の中だったと思います。だからこそ、氏は未来の人類の為に必要な遺産を残してくれたのだと思います。

映画「かぐや姫の物語」の解説の中で、高畑勲監督は、「最後にかぐや姫が月に帰るのは、あれは(人間にとっての)死なんです」と話されていました。此処に氏の死生観があります。人間は生きるために生まれて来た。だからこの世では(思い切って)様々な苦労や経験をしてやろう。何でも味わってやろう。そして「生きる歓び」を実感しよう。

映画「かぐや姫の物語」のラストで、かぐや姫は、我が(地球上での)人生に対する後悔を残したまま、天へ旅立って行った様に見えました。「私は私の人生を生きなかった」と・・・。今、生きている(生かされている)ことへの感謝と歓びを持つこと。それが、今を生きる私たちへのメッセージだったと思います。

山城、絵画、映画等に触れながら・・・自らに与えられた時代、与えられた(厳しい)条件の中で、兎にも角にも只々懸命に生き抜いた人間、理想を追求し続けた人間たちが残した遺産の偉大さを感じました。

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