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イーハトーブを目指して

ある週刊誌の対談の中で、堺屋太一氏が、宮澤賢治の小説『グスコーブドリの伝記』の話をしていました。その物語では、理想郷イーハトーブの海岸に潮汐発電所を二百、設置しています。世界初の潮汐発電所は、1967年にフランス北西部・ブルターニュ地方のランス川河口で完成されましたが、この小説はそれよりもずっと前に書かれています。
潮汐発電には、平均潮位差5m以上が必要なので、実際に日本ではまだ実現できていないそうです(潮汐発電とは、干潮時と満潮時の時に、海面と河口との水位の差を利用して、海水の流れをつくり、その水流によって水車を駆動し発電するものです)。
宮澤賢治の故郷であり、理想郷イーハトーブのモデルとなった岩手(東海岸)が、今回の震災で被災しました。そして原子力発電所の事故によって、美しい東北が被害を受けています。ここには何か意味があるように思います。だからこそ・・・今からでも、理想郷イーハトーブの実現を目指して、動き出す時ではないでしょうか。
宮澤賢治の理想は、当時の人々には夢物語(非現実)だったのかもしれません。でも、今まさに時空を超えて、重要な啓示となって降りてきました。仮に潮汐発電でなくても、現代の技術で可能な自然エネルギー発電を進めていくべきだと思います。
同様に、死の直前に書いた「雨ニモマケズ」からも、今回の震災に対する心構えを読み取ることができます。「雨ニモマケズ、風ニモマケズ、雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ、丈夫ナカラダヲモチ」は、今の私たちの現状そのものです。放射線を防ぐため、雨と風に注意しています。被災地では雪が降り、寒さと戦っています。また電力不足の影響で、夏の猛暑も覚悟です。いずれにしても自分自身が強い体(精神)を持つことしかありません。
「慾ハナク、決シテ瞋ラズ、イツモシヅカニワラッテヰル」は、これで資本主義的な競争、欲望、エゴから早く卒業し、みんながニコニコと、おだやかで、あたたかい生活をしなさいというメッセージのようです。「一日ニ玄米四合ト、味噌ト少シノ野菜ヲタベ」は、放射線対策のためのレシピかもしれませんし、これから始まる食糧難の時代に向けての心構えのようです。
「アラユルコトヲ、ジブンヲカンジョウニ入レズニ、ヨクミキキシワカリ、ソシテワスレズ」は、今回被災された東北の方々の姿を見れば、もう説明は入りません。世界が驚愕と共に賛辞したその美しい人間性、助け合いの精神は、きっとこれから始まる世界的な大変革の中で、大いなる規範・目標となり、結果的に世界を救うことになると思います。「自分のことを勘定に入れない人たち」を、人類は初めて現実に目にしたのだと思います。
「野原ノ松ノ林ノ 陰ノ、小サナ萓ブキノ小屋ニヰテ」は、質素、節約の大切さで、住む場所(衣食住)があること(日常)のありがたさです。あたりまえのことに感謝できる心を、私たちは思い出さなくてはなりません。
「東ニ病気ノコドモアレバ、行ッテ看病シテヤリ、西ニツカレタ母アレバ、行ッテソノ稲ノ朿ヲ負ヒ、南ニ死ニサウナ人アレバ、行ッテコハガラナクテモイヽトイヒ、北ニケンクヮヤソショウガアレバ、ツマラナイカラヤメロトイヒ」は、大和の国、和の精神の日本人が持つ本質的な優しさ、共生の心、ボランティア精神を表していると思います。現代の若い世代においても、このDNAは強く流れていると確信します。
「ヒドリノトキハナミダヲナガシ、サムサノナツハオロオロアルキ」は、もう自然と戦うのではなく、自然と共に生きること、自然の驚異と素直に向き合うことで、すべてに対し正直に生きていくこと。そういう姿を恥ずかしながら出してしまう強さ、受け入れる強さです。
「ミンナニデクノボートヨバレ、ホメラレモセズ、クニモサレズ、サウイフモノニ、ワタシハナリタイ」・・・デクノボーとは「木偶の坊」であり、一般的には「役に立たない者、気の利かない人」の意味ですが、ここではむしろ「愚直さ」ではないかと思います。人からどのように思われても、褒められなくても、自分の存在すら忘れられても、正しいと思うことを愚直に、素直に、感謝の心で続けて行くこと。それが、最終的に生きる意味であり、真の幸福なのだと。
岩手は、私の祖父が製材所を建てた場所です。また山形は、曽祖父の故郷です。祖父は山形から北海道の滝川へ行き、そこで農業を始め、その後岩手の松尾村で製材所を建て、同時に父が東京・吉祥寺にて建設業を興しました。そして私が生まれました。丸二には、東北~北海道の血が流れていると感じます。これからも、愚直に、前向きに、元気に、感謝の心で生きて行いこうと思います。