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ロンドンオリンピックが終わり・・・

ロンドンオリンピックが終わりました。文明の中心が「西洋」から「東洋」へ移行する最後の年(2012年)に、西洋文明の中心地だった英国ロンドンに、聖火が灯り、そして消えました。
次の(文明の)中心地と成る(はずの)日本は、メダルをたくさん取るか、まったく取らないかのどちらかだと思っていましたが、結局メダル数は史上最多で、金メダルが少ないという結果と成り、当たったような、外れたような、いかにも日本らしい終わり方でした。
でもメダル数が最多という意味では、日本に大きな流れが来ているということだと思います。メダル数が増えれば、おのずと(今後は)金メダルも増えていくでしょう。たぶん基礎力ができてきたのだと思います。あとは、男性陣の問題ですね。日本男子の精神的弱体化は、スポーツのみならず、すでに政治や経済にも影響が出ていると思います。おそらくこの流れは変わらないと感じます。
別の見方をすると、勝負事への執着心が減少して来たという面もあるかもしれません。それは良いことなのか、悪いことなのか、分かりませんが、「金」は少ないけど、そこそこの成績は出せるぞという具合で、その辺に落ち着いたのかもしれません。日本をめぐる国際問題がいろいろとある中で、目立たず、突出せず、でも力はあるという存在感を、日本らしく表現しているようで、そう思えばなかなか面白い結果だったと思います。
もう血眼に成って、金メダルを取ろうとは思わない。結果よりも精神性。取ろうと思えば取れるけど、それより大事なものがある。何かそのような(目に見えない)意志があるようにも感じます。男子柔道の選手たちは、残念ながら金メダルを取れませんでしたが、日本発祥の武道がこれだけ世界的スポーツに成った証拠だと思えば、良き事のようにも感じます。人口の少ない日本がこれだけの結果を出していること自体、素晴らしいことです。今回の<メダル(実力)は多いが、「金」(名誉)が少ない>と言う特異な現象は、次の東洋的な文明社会へのヒントに成ると思います。
私は、(実は)オリンピックをそんなには見ていませんでした。大体は、ニュースで結果を知りました。オリンピックに賭ける自国の選手を応援する気持ちはもちろんありますが、それは特別な思いではなく、毎日の日常の中で一生懸命に働いている(生きている)世界中の普通の人々への思いと何ら変わりません。人よりも0.001秒早く走ることと同様に、(一人のある職人が)今日の仕事を昨日より丁寧にやることは、とても尊いことです。実際に他者の生活(衣食住)を助けているのであれば、比較しがたい程の尊さです。
オリンピックは、(逆に)大切な事を忘れさせます。そこで走ったり、泳いだりしている人たちだけが素晴らしいのではなく、「今」の「自分自身」こそが最高に素晴らしいということを、忘れさせてしまいます。オリンピックの恐さは、そこにあります。自分の外側に凄い人がいる。自分はダメだ。あの人のようにがんばらなきゃいけない。束の間の感動の後にやってくるこの無力感は、自分自身の素晴らしさを封印してしまいます。それは、「素晴らしいものは外側にある」という幻想(錯覚)に過ぎません。
本当に素晴らしいのは、「今」「ここで」、懸命に生きている「自分自身」ではないでしょうか。それは他の誰とも比較しようの無い、完全な尊さです。オリンピック中継も高校野球中継も大事ですが、でも同様に素晴らしいものが世の中にはたくさんあります。例えば、日々の日常の生活(衣食住)をより良くすることを懸命にしている人がいます。東北の復興に努力している人がいます。二度と戦争が起きないように戦争体験を語っている人がいます。暑い中、現場で働いている人がいます。生きるためにセールスをしている人がいます。頭を下げて、謝罪している人がいます。新しいアイデアを考えている人がいます。道端の空き缶を拾っている人がいます。仏壇に線香を立てている人がいます。みんな、みんな、毎日が金メダルです。
西洋文明は名誉依存。東洋文明は精神自立、実際に人の役に立つ実力があれば良い。そこには比較や競争の文字は無い。多分きっと(何となくですが)そんな風にして、時代が流れて行きそうな気がします。今現在の世界中の国々の防衛予算をまとめて現金にして、世界中の人々全員に配ったら、一人当たり数億円に成ると聞きました。考え方さえ変えれば、みんなが豊かに成れる時代が必ずやって来るのです。みんなが人の役に立つ仕事をして、そして分け合えば、世の中はきっと良く成って、全員に金メダル!!