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人生は映画だ

大阪のマンションの一室で母と子の遺体が見つかったという記事を見ました。28歳の母親と3歳の小さな息子の胃袋には、何も無かったとのことです。室内にはメモがあり、「子供にもっといいものを食べさせたかった」とありました。この飽食の時代の都会の片隅で、食べるものが無く死にゆく人がいる。この厳しい現実と向き合いながら、人間の本当の幸せとは何かをまた考えます。
最近、川北義則氏の「孤独が一流の男をつくる」という本を読みました。「孤独死」とは言うが、全ての人間の死は「孤独死」である。死ぬ時は皆ひとりである。一流の男は孤独である。「私は仲間を持っている」とは、極めて陳腐な言葉である。若者よ、「ひとり」を恐れるな・・・このような内容の本で、なかなか面白かった。確かに人は「ひとり」で死んで行きます。この母親も(もしかしたら)死ぬ瞬間まで子供を思いながら、(ひとり)幸福な気持ちで亡くなったのかもしれません。
「孤独」とは、単なる「ひとり」のことではなく、実は自分自身の「良心」と向き合った状態のことではないかと思います。まわりに仲間がいることで心が満たされたとしても、それは半分の充足です。まだ半分があるのです。それは自分自身の「良心」と共に生きる時間です。それが「ひとり」の時間です。今、ひとりの状態を恐れる若者が多いそうです。いつも誰かといないと不安になったり、一人でいるところを見られるのを恐れたり、スマホやネットに依存したり・・・。でもそれは、一番大切なものを喪失しているのです。人間はそもそも「ひとり」であることと、「ひとり」とは「良心(最強の友)」と一緒であるということを知らないのです。
川北氏の本では、他にも面白いエピソードがありました。ロック歌手の矢沢永吉さんが事業に失敗して多額の負債を背負った時、「ひとり」に成った。その時、「人生は映画だ。人間は何度も生まれ変わる。ならば、今回のキャスティングを楽しく演じてやろう」と思い直したそうです。そして負債を完済しました。さて、実は私も全く同じ考え方をしていました。人生は(自分が主役の)映画です。だから今回与えられた役を思う存分、演じて、味わってみよう。これからどのようなストーリーに成って、どのようなラストに成るのかは皆目見当が付かないけれど、脚本を書いたのは自分自身なんだから、ただ安心して行けば良い。懸命に演じれば、アカデミー賞も夢ではないぞ!と。
人それぞれの人生は、人それぞれにとって必要な物語になっているはずです。だから、他人から「良い映画だった」とか「ダメな映画だった」と言われる筋合いのものではありません。どういう物語を生きたかというよりも、どう演じたかの方が大切だと思います。だからアカデミー賞をもらえるくらい、その役を演じ切れば良いと思います。大阪の母子にとっての映画がどのような物語だったかは分かりませんが、でももし懸命に生きたのであれば、きっとアカデミー賞を取ったのだと思います。
ところでこの本では、今後の「ひとり」人生を楽しむために、「シェアハウス」と「コーポラティブハウス」に住むことを推奨していました。「ひとり」として人生を楽しみながら、オリジナルのコミュニティに参加することで、お互いの「ひとり」を尊重し合って行く社会です。結局、「ひとり」を大切にするということは、相手の「ひとり」を尊重することであり、それこそが真のコミュニティではないかと思います。丸二が、13年前から取り組んでいる「コーポラティブハウス」が、このような形で評価されて来たのであれば、とても嬉しい限りです。建築も人生の中でとても大きな位置を占めるものですので、これからも良き建築を造って行きたいと思います。それも私の映画の物語です。