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NHKスペシャル「亡き人との再会」

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数日前の夜、NHKスペシャル「シリーズ東日本大震災:亡き人との”再会”~被災地3度目の夏に~」を見ました。そして少なからず驚きました。NHKがこのような番組を制作したことにです。あの東日本大震災以降、多くの人々が亡くなった家族と「再会」をしていると言うのです。「目の前で水の中に沈んでいった義母が、ある晩、先に亡くなっていた義父と仲良く一緒に、庭の窓から部屋に入って来ました」。「幼稚園で死んだ子どもが、仏壇の前に座っていて、私(母親)の方を見ていたのです」。「妻と息子2人が死んだのですが、ある日、不思議な少女に手を繋がれて、長男と二男が部屋の中に立っていました」。あくまで体験者の声をそのまま伝える形の内容でしたが、そこに必要なのは解釈ではなく、(先ずは)ありのままを受け入れることだと思いました。
その中で、とても大切な共通点を見つけました。姿を現した人々は(みんなみんな)とても素晴らしい「笑顔」だったという事です。「助けられなかった私を、許してくれているのだろうか・・・」と悩んでいる人々の前に現れて、「大丈夫。心配しないで。私は元気。だからもう悲しまないで。ありがとう」と伝える為に天上から降りて来たのでしょうか。子どもを失った親が、その時の様子を絵に描いたものを見ましたが、(その子どもたちの笑顔が)何て素敵でかわいいことか。それに穏やかで、温かい。ある晩の夕食時、亡くなった小さな息子の仏壇に向かって、「一緒に食べようね」と声を掛けた瞬間、(その子が大好きだった)アンパンマンの自動車のおもちゃの音が鳴って、ライトが点いたそうです。「お母さん、いつまでも一緒だよ・・・」。母親の目にはもう涙はなく、笑顔が戻りました。
2011年3月11日の東日本大震災で生命を失った方々は、みんな何かしら大きな約束の下に生まれて、その使命を果たし、みんなで一緒に去って行ったのではないかと感じます。本当の日本を再生する為に、世界の平和を実現するために、真実の愛を教えるために。だからみんな「笑顔」だった。けれども私たちは、その意志を受け止めることが出来たのでしょうか。日本の再生に向けて、歩み始めたのでしょうか。あれから2年と半年が過ぎました。今こそ、直接の被災を受けなかった私たちこそが、震災で大切な人を失った人々を見習って、笑顔と共に前へ進む時です。NHKが(勇気を持って)このような世界を扱ったのには、それなりの理由があると思います。1つは、確かにそのような事実が相当数存在していること。もう1つは、(解釈自体よりも)そこに含まれている「意味自体」を提起するためだったのではないでしょうか。
最近買った本の中に、「人は死なない-ある臨床医による摂理と霊性をめぐる思索」という一冊があります。これは東京大学医学部救急医学分野教授の矢作直樹氏が書いたもので、現役の東大のお医者さんが霊や魂の実在について語った内容の様です。まだ読み始めていないので、詳しくはまた別のブログで書こうと思いますが、この先生は医療の道に麻酔科から入ったようです。実は以前読んだ本で、麻酔がなぜ効くのか未だに不明である事を知りました。私たちは、全ての物事は科学的に解明されているものと信じ込んでいますが、実際は、「解らないこと」ばかりなのが実体の様です。麻酔が科学的に解明されていないからと言って、麻酔無しで手術を受ける人はいないでしょう。理由は解らないけど、実在する力に(実際は)私たちは頼って生きているのです。今の科学で解明できなくても、在るものは在る。「亡き人との再会」も、(もしかしたら)その中に含まれるのかもしれません。
死者の霊を追悼する音楽「レクイエム」は、多くの作曲家によって残されました。有名なのは、モーツァルト、ヴェルディ、フォーレの3大レクイエムですが、最近聴いたのはブラームスの「ドイツ・レクイエム」です。レクイエムは通常ラテン語で歌われますが、プロテスタントであったブラームスは、ルターの訳したドイツ語版聖書を基に、ドイツ語で書きました。ブラームスとしては初期の作品なので、あまり有名ではありませんが、とても美しい音楽です。レクイエムと言うと、何か恐くて悲しいと言うイメージがありますが、この曲は全くそのような事はなく、とても穏やかで優しいエネルギーを感じます。こちら側だけでなく、(もし)向こう側も在るとしたら、その両方を認識することで、本当の全体世界が見えて来る。本当の全体世界が見えて来ると、不安や恐れも無くなる。その1つのブリッジ役としての「レクイエム」が在るとしたら、そこに「穏やかな音」が聴こえるのも必然でしょう。
さて、昨夜のNHK「プロフェッショナル~仕事の流儀」は、「宮崎駿スペシャル:風立ちぬ~1000日の記録」でした。すでに映画を見終えていたので、とても興味深く面白かったです。「面倒くさい、面倒くさい」と言いながらも、必死で絵や台詞を書き続ける宮崎駿氏と、零戦を開発した堀越二郎氏とがここで重なります。零戦開発者の物語を作ることで、戦争美化と言われないだろうか。でもそれに対する答えが見つからない。「作りたいから作る」としか言いようが無い。けれども絵コンテを作成中に、何かが閃き、突然(指揮者の様に)体が動き出し、(堀越二郎氏が本当に作りたかった)美しい飛行機の姿が空を舞うシーンが加わりました。言葉には表せないけど、それが答えだったのでしょう。東日本大震災発生時、スタジオジブリは数日間を休業としました。けれども宮崎駿氏は、通常通りにオフィスに出て来て、そこに居る社員たちに、「なぜ休業にするんだ!出て来られるじゃないか!向こうの方が大変なんだ!(甘えるな!)」と激しく叱責していました。その気持ち、とても良く分かります。あの日起きたことは、私たち全員の出来事。だから自分たちも一緒に乗り越えないと行けない。戦争、地震、津波、原発。全部(元は)自分たちの問題。その矛盾や葛藤と向き合え。悩め。苦しめ。
あれほどのヒット作を造り続けている人であれば、もっとのんびりと豊かな生活を送っても良いはずです。それなのに自分を追い詰め、苦しみ、もがく。カップラーメンを食べながら、「食べるのも面倒くさい」とか言って、机から離れ無い。けれども、「今こうして映画を造れるのは、本当に幸せなこと」と言う。戦争や地震で、生きたいように生きられなかった人々がいた。だから懸命に生きられる幸せを感じたい。「懸命に生きよ」・・・やはりこの言葉こそが、震災で亡くなられた方々からの(私たちへの)メッセージではないでしょうか。「亡き人との再会」をどう解釈するかでは無く、亡くなられた方々の笑顔や温かい思いを(今、自分自身が)感じられるかどうかの問題だと思います。そのような美しい感性を持てる人間に成長したい・・・。このようにして2013年の8月が終わろうとしています。