interview お客様インタビュー

人を想い、まちを想って、つくる住まい。

コーポラティブハウス
ー こはす ー
  • 工法 RC造
  • RC造コーポラティブハウス
  • 東京都千代田区
  • 敷地面積:253.35㎡
  • 延床面積:1432.14㎡
  • 住宅16戸店舗1区画

まちづくり系NPO「としまち研」

今回お話をお伺いしたのは、神田の町づくり系NPO「都市住宅とまちづくり研究会」(以下:としまち研)理事長、杉山昇さん。長年建設会社で培った開発等のノウハウをもとに、平成7年すばる株式会社建設企画を設立。
事務所を神田に構えたのがきっかけで地域に関わるようになり、高齢・過疎の実態に直面。「子育て世代が住める住宅をつくろう」というテーマで始めた研究 会が発展し、としまち研がNPO 法人化。コミュニティ 再生・構築を目指す活動を開始し、神田東松下町においては、人口が100人以上増えるまでに。
地権者=地元地域と居住者=まちに住む人とをつなぐコーディネートのスタイルは、「人」と「人」の関係をフォーカスさせます。

【職人の町、神田】
神田はもともと職人のまちでした。江戸時代に江戸城を中心とした巨大な城郭都市が建設されたことを起に、商業都市として巨大化していきました。膨れ上がる人々の需要とともに、物づくりの職人が集まるようになり、職人町が形成されたのです。
大工町、塗師( ぬし) 町なんて言うのもあり、その多くは表示変更によって失われましたが鍛冶町、乗物町、紺屋町など今でも町名として残っている所もあります。
実は以前、紺屋町に住んでいたことがあるんですが、今では住む人も減り中学校も他校との合併で廃校になって過疎が進んでいますね。

「ひと」がいなければ、「まちではない」。
「ひと」のつながりがあって、「まち」になる。
「ひと」と「まち」がひとつになって、「とし」になる。

神田の町は、高度成長期・バブル期を通してデベロッパーが土地を買ってオフィスビルを建てる時代が続いて、高齢化・過疎化が進みました。時代の流れはそうだけれども、そこで生まれて育ってきた人にとって、「昼間だけ働きにくる」町になるのはすごく寂しいことなんですね。地元の交流を深めていく中で、それがひしひしと伝わってくるんですよ。
もう少し人が住まないと町じゃなくなる、人がいなければ町じゃない、もっと人を増やすにはどうしたら良いだろうか、という発想から「『みらい』都心居住促進研究会」が設立されました。そしてその組織が母体となって平成12年8月4日に「としまち研」が誕生したんです。

【人の気持ちに添う】
「家族を包む住まい」を核とした、コミュニティづくり・まちづくりの取組みが我々の基調です。
高齢者や障がいのある人にとっても、安全で快適、かつ個性ある都市住宅の供給と、暮らしやすい地域コミュニティの構築と再生をめざす」活動を積極的に実践しています。住宅の形式は違えど、つくる人の気持ちになって、つくる人と一緒にいろんなことを決めていくというスタンスは、どんなプロジェクトでも変わりません。

地域コミュニティ再生型コーポラティブハウス

子育て世代が住める住宅を

土地の負担を軽くするために定期借地権で建てるという手もありますが、コーポラティブハウスの場合、地権者の土地の権利を抑えなくてもデベロッパーのリスクマネー利益分を乗せなくても良いので、マンション屋さんの売値より15% 安くても事業が組み立てられるんです。
さらに、若い人々に住んでもらいたいという我々の運動に、地元地権者の人々も理解を示してくれ、共同立て替えでのコーポラティブハウスという、としまち研のスタイルが出来上がりました。

地権者参加型のコーポラティブハウス

地権者は地元の町会の役員であったりとか、その地で育った人で、地元に深い。新しく来た人は、地権者を通じてお祭りにも参加しやすいですし、地域行事にも参加しやすいので、地域社会とのつながりが出来るんです。

まちへのインパクト

拡大するコミュニティ

としまち研のコーディネートの8割以上は、こういった地権者参加型の共同立て替え・コーポラティブハウスなんです。
神田東松下町という町内だけでコーポラティブハウスが3 棟。神田というまちですと5棟あり、人工が110 人、子どもが30人以上増えたことになります。

解放される校庭

今回見て頂く神田東松下町内3棟目のコーポラティブハウス「こはす」には、子どもが19人います。それだけ子どもの数がいますから、安全に遊べる場所をつくろうという意見が集まり、日曜日に空いている小学校の校庭が開放されたりするようにもなりました。町にとってコポラティブハウスというのはすごくインパクトがありますよ。

としまち研のオフィスには、感謝状など、いろいろな賞状が壁面一杯に飾られている。

地域・人のつながり

他にはない地域づくりの取組み

やはり人が住むというのは生活ですから、つくって売るのとは逆の発想、売ってからつくるというスタイルでニーズにあわせたものがつくれるようにしたいんです。
そして、町づくり系NPOとして地域社会との関わりをいかにつくっていくかという所で、イベント委員会でバーベキュー大会を開いたり、植栽委員会で緑の手入れをやったり、他にはない取組みを行っています。実は私自身も町会の会報誌をつくったりしているんですよ。

丸二との長年の付き合い

完成してからがおつきあい

引っ越しが落ち着いてから入居パーティーを行いますが、丸二の渡辺社長には毎回ご出席頂いています。「完成して終わりではなく、これからがおつきあい。改築や手を入れたい所が出てくると思いますが、一生懸命建物を守ります。」という趣旨のお話は印象的です。
コーポラティブ方式というのは造る側からすると個別対応が大変ですから、大手ゼネコンはやらないんですよ。時代も新築ばかりではありませんし、丸二さんが小さい所も丁寧に対応してくれるのはすごく良いですね。

もともとコーポラティブハウスの施工ノウハウをお持ちだった丸二さんにお話を伺ったことがおつきあいの始まりでしたが、その後鈴木専務に勉強会へご参加頂くようになり、N P O 設立の発起人会のお手伝いも頂き、もう長年のお付き合いになりますね。
今では現場で新しい所長さんが見えても気軽に文句もいえるようになりましたよ(笑)

建築とまちづくり

「こはす」を担当した、丸二の鈴木専務。「としまち研」前組織、「みらい」都市居住促進研究会の頃から同研究会に参加し、建築という視点からまちづくりにつながる方法を模索。自身も一級建築士の資格を持ち、持ち前の話術で社員をまとめながら現場の鏡として一際輝きを放っています。ビジネス的な厳しい目を持ちつつも、昔ながらの人情がにじみでる人柄で、有機的にプロジェクトを遂行する建築のスペシャリストです。

建てるだけが建築じゃない

施工中は缶コーヒー一つ買うことにまで気を使いましたね。まちに住む人々がそれぞれいろんな機能を担っていて、トータルでまちが成り立っているわけです。建築会社として少なくとも施工している間はダイレクトにそのコミュニティで活動する訳ですから、ただ建てていれば言い訳じゃない。まちとそこに住む人々をケアするということも十分建築の一部なんですよ。

「コ」の字型の建物

2つの棟と、それらを結ぶ“ブリッジ”で構成し、昔の町並みを垂直方向に起こしたような現代版の長屋というのが「こはす」のコンセプトでした。しかし何と言ってもこの「コ」の字型の建物には苦労しました。今までで一番と言っても過言ではありません。
足場を組むのも大変ですし、移動も行ったり来たりで効率が悪い。特殊な形状ゆえに、クレーンも2台必要でしたし、落下防止ネットを3重に張るなど、リスクヘッジも非常に慎重にこなしました

「こはす」ご自宅訪問

「コーポラティブハウスに住む」の略で「こはす」。
皆で案を出し合って決めたネーミングです

加子母ひのきをふんだんに使用したナチュラルな空間

向上した「生活の質」

はじめは自分たちで住もうと思ったんですが、娘が住みたいということになり、今は娘一家が住んでいます。つまり孫が住んでいるんですよ。もう4歳ですが、夕方になるとオフィスに遊びに来るんですよ。会議の時にきたりもするんですが(汗) これはもう祖父冥利に尽きますね。なかなか孫の近くに住むというチャンスもないので、我々の生活の質はぐっと上がりましたね。

子どもの成長を考えた設計

リビングの部分は、今はまだ孫は小さいのでオープンに使っておいて、子どもが増えたり大きくなったら子ども部屋にしようという発想で設計しました。

コミュニケーションのとれる
対面キッチン。

「加子母ひのき」の内装

加子母森林ツアーに参加して

第一回の加子母森林ツアーに参加しました。実際に現地に足を運んでみて、一定の面積に対する林道の面積がすごく広いなど、森づくりへの取組み・内木組合長の取組みを肌で感じました。もう素晴らしいですね。これは顔の見える木材。後で知りましたが、この「こはす」が加子母ひのきを導入した最初の案件だったみたいですね。現在九段の施行中の案件もあるので、また行ってみたいです。

「健康志向」孫の体を考えて

漆喰にしたのは、娘が前に住んでいたマンションが、カビだらけだったからなんですよ。分譲マンションの所有者からの賃貸だったんですが、孫が喘息のような症状になってお医者さんに通っていたんですね。そんなこともあって、ここは24時間換気だから昔に比べたらずいぶん良いのでしょうが、無垢の木とか漆喰とか調湿性能のあるものを取り入れました。

加子母ひのき独特のピンク味を帯びた透明感のある床

トイレ・お風呂は鈴木専務にご提案 
いただいたものを採用しました。