interview お客様インタビュー

伝統が宿る妥協なき家づくり

木造住宅
関様邸
  • 工法 木造
  • 木造1階建
  • 東京都国立市
  • 敷地面積:390.18㎡
  • 延床面積:146.84㎡

数百年以上続く家を継いでいくこと

今回訪問したのは国立市谷保。
甲州街道沿いということもあって交通量も住宅も多い場所ですが、もともとは農村地帯で、いまも畑や田んぼ、街道の古い並木など、武蔵野の古い風景が残っています。東日本最古の天満宮である谷保天満宮を中心に、落ち着いた空気が流れるこの地で、数百年以上にわたって農家としてこの土地を守ってきたのが関家。平屋の新築を建てた関さんに話をお聞きしました。

関さんのお宅が古くからの農家であることを示してくれるものが、玄関を入ってすぐのところにある。平成23 年度、「宮中新嘗祭献穀田」の柱。「お田植え祭」の当日、田んぼに立てられたのがここに使われている柱。国立市長をはじめ地元に縁のある方々が出席し盛大にとり行われた。
「一連の献穀行事として、伊勢神宮・明治神宮・谷保天満宮に精米を奉納しました。秋には宮中に上り、精米を献上し、天皇・皇后両陛下に拝謁できたことは一生の思い出です。」
関さんの想いや土地での役割を象徴的に示しているのがこの柱なのだろう。

宮中新嘗祭とのご縁

「佐藤さんが丸二で扱っている良いひのきがあるっていうんで話を聞いてみると、それが伊勢神宮外宮の御用材だそうで。加子母っていうのは特に耳にしたことはなかったけれども、我が家も農家で米を伊勢神宮に奉納しているから、不思議なところで繋がってこういうこともあるんだねぇ。こういう綺麗な木は表に出して使ってやりたいから柱として使ってよかったよ。」

柱として使用される加子母ひのき

奉耕者に送られた柱など

二階建てから平屋への建替え

Q : どうして新しく家を?

「前に住んでいたのは、5 0 年くらいに前に建てた日本家屋だったんだ。材料はよいものを使っていたし、作りもしっかりしていて思い入れもあった。ただ時間が経ってるから、今の暮らしに合わないところも出てきていた。寒さだったり、耐震のことだったりね。あと年をとってきて二階建ては少し不便になっていたし、少し雨漏りがあったのでリフォームをしようかなというところが、そもそものはじまりだったね。」

最初は二階建ての日本家屋を平屋にリフォームすることを考えていたという関さん。「壊して新築」というのがふつうの考えかただが、数百年以上もこの谷保の土地を守ってきた家の当主、関さんの考えは少し違っていた。
「うちの様式というか、これまでやってきたことを崩さないということは基本的にあったね。前の家も、家族や身近な人たち総出で作った家だったから、それを引き継いでいきたいという気持ちもあった。そういうことを丸二さんと相談しはじめたんだよね」

Q : 丸二との関係のはじまりは?

「この近くの持っていた土地に、近くの寺の客殿ができることになって、その工事を丸二さんがやってたんだ。畑の裏だったので、よくその現場を見ていたんだな。それぞれの職人がしっかり働いているなと思った。現場の担当だった小林さんの仕事ぶりにも感心した。大した会社だなと。ちょうどその時、リフォームの話が出てきたんで、丸二さんに相談をしたんだ」。

小林監督「そうですね、関さんは建築のことに非常にお詳しい方で、毎日のようにお話していました。自分としては、『嘘はつかない、本音で話す、裏切らない』という当たり前のことをやっているだけなんですが、そういう何かを感じて頂けたのかもしれませんね。」

家づくりの始まり

「丸二の佐藤さんが初めて関家に来た時、人の良さそうな顔をしているな? でもちょっと頼りない感じもするな? と思ったけど、話し始めたらニコニコしながらとても良く話を聞いてくれてね。今の家の良いとこ悪いとこ、どの様な家にしたいのか。たとえば『品格があって親しみのある家、誰もがくつろげる家、快適な設備、古材の活用、丸二には腕の良い大工がいるのか』などありとあらゆることについて話し合った。」

リフォームより 建替えの方がリーズナブル

リフォームについて検討をはじめると、二階建ての日本家屋を平屋に改築するよりも、新しく建てたほうがリーズナブルだということがわかってきた。「古材をたくさん使うことや新しい設備のことなどを考慮すると、リフォームをするよりも新築にしたほうがいい、と丸二さんから提案があってね」。

人が集まる家を

関さんの家は、来客が多い。関さんは顔も広く、また親戚の中でも中心的な存在だから、ひっきりなしに人が訪れる。お祭りや親族の集まりの時には、5 0 人を超えることもざら。自分のための家というよりは、人をもてなす家なのだ。
「車いすにのってる親戚がいるので、洗面所やトイレの入口は広めにとってある。トイレも男女別にしたりね。前の家の間取りとのつながりも考えたので、昔から来てた親戚やお客からは、「違和感が無いね」と言われるよ。」

玄関を入ってすぐのリビング。そして左の応接室、その隣りに和室。間に壁は無く、大人数が来た際はひと繋がり の大きな空間になるよう設計されている。神棚、仏壇、床の間。庭に面した廊下も、普通よりもゆったり幅が取られていて、そこで人が座布団を敷いてくつろげるくらいの余裕がある。たくさんの人たちがこの部屋でくつろいで話に花を咲かせている情景が目に浮かぶようだ。

ふんだんに古材を使った新築

関さんの家のなによりの特徴は、前の家から引き継いだ材をふんだんに使っていることだろう。「前の家や、壊してしまった蔵にはいい材がたくさん使われていてね。それを大切に使いたい、引き継いでいきたいということは最初から決めてたよ。もったいないじゃない(笑)」。

たとえばリビング天井の丸桁は圧巻の存在感。
「このケヤキの丸桁は蔵で使われていたものを再利用した。みんなこれを見るとたまげるよ。構造上はあんまり意味は無いんだけどね( 笑)。表面は自分で削ったの。機械は使わないで手斧のようなもので自分で削っていった。たいへんだったよ(笑)。普通に天井を張ると半部以上隠れてしまうからちゃんと見えるように、三角屋根に仕上げた。天井は前の家の雨戸の再利用で結果は上出来だったね。」

廊下に使っている丸桁は前の家のもの。「汚かったから高圧洗浄機で洗ったら毛羽立ってしまって、サンダーで磨いてみたら今度は白っぽい模様が出てきてしまった。本来の丸桁とは違うものになったのでだめかなとも思ったけど、佐藤さんや大工さんがこれも面白いというので使うことにしたんだ。古材を新しい家で使いこなすのは大変だね。それを適材適所、うまく使ってくれた。よくやってくれたね」。

Q:なぜ、昔の材を使うのでしょう?

「自分で作業をやってみると、家を作り上げることって、昔の人たちはたいへんな思いをしてやってきたんだというのがわかるわけよ。そう考えると、先代がやったもの、つくったものを、使えるものは使う、できるだけ残すというふうになる。いい材料も、薪にするのは簡単だけどね。」

施主自らがつくる家

丸桁を自分で磨く施主。関さんはその強いこだわりと好奇心で、家づくりに積極的に参加していた。
「工事がはじまる前に、丸二の佐藤さんと大工と一筆書いてやりかたを共有したの。おれは一緒にやりながら、その都度変えるからね、と( 笑)。これからお互いの間で意見の対立がいろいろあると思うが、その場その場の対応で、いい家を作っていこうと。大工にとってはここが終わったら次の現場になるわけだけど、こっちは一生住む。これから何年住むかわからないけど、ガマンしてあとで後悔するよりも、妥協しないでやりたいということを伝えたんだ。」

工事が始まると、基礎の段階から関さんは現場に居た。昔の家づくりならこういう関わりかたはよくあったはずだが、現代の建築現場ではちょっと、というか相当珍しい。
「さっきの丸桁にしても、ふつうは嫌がるんだ。古材には古い釘が入っていたりすることもあるしね。だから自分でやらないと使ってくれないということでやったんだよね。」客間の柱も、関さんが買ってきたもの。
「これは秋田杉の床柱。銘木屋で自分で選んできた。これはけっこう値切ったな(笑)」

外の壁も2回塗り直した。
「最初に塗ったときのものの色があまりしっくりこなくてね。完成してからまた全部塗り直した。丸二の佐藤さんが、そういうところの対応をしてくれて。大したもんだよね。」

玄関の柱の束石も、関さんが自分で何枚も絵を描いてデザインした。
「この石のほうが先にできたので、ぴったりはまる丸太を探すのが大変だったと、大工さんが言ってたね。

「縁側の石と木のベンチも自分で図面を描いてやったよ。最近のサッシは固いから、そのまま座ると痛い。だから縁側を後から置いたんだ。
近所の人が来た時にちょっと休んだりお茶を飲んだりできる様にね。ぬれ縁は前の家の雨戸の敷居を再利用してつくったんだ。」

雲のデザイン・制作も関氏によるもの

庭もほとんど関さんが手がけている。「自分で作らないとお金がかかるからさ(笑)。新しい 庭は、土を14トン入れるところから始まった。知り合いの残土屋が良い黒土をとっておいてくれて助かったよ。市会議員の2人も重機で手伝いに来てくれたりして、土を運び、盛土し、まとめてあった石を次々に新しい庭に配置していった。
結果は頭の中に描いた通りの出来。畑に移植しておいた植木を庭にもどして完成。けっこううまくいってるだろう(笑)」

庭の大きな流線形の鉢も自ら制作する

大工と施主のいい関係

大工や職人とはたくさんコミュニケーションをとったという。確かに、これだけ現場に入ってくる施主の存在というのは珍しいし、現場の人間とコミュニケーションをうまくとれなければ、ここまでの完成度は難しいだろう。
「最近は大工や職人にお茶を出さない施主も多いみたいだけど、毎日お茶とお菓子を出して、あれはこうだ、ここはこうじゃなくちゃ、と話をしたよ。大工から、”関さんの現場に入って8キロ太った”なんて言われたりした(笑)。」

今どきではなかなか出会えないこんな現場を、大工も楽しんでいたようだ。
「ノミとかカンナとか、大工も今はあんまり使わないんだけど、”関さんの現場のために道具を出してきたよ”、なんていって使ってたな。最近は、大工が腕を利かせても全部見えなくなってたりするけど、このウチはそうじゃないから、楽しかったんじゃないかな。
いいアイディアを出してくれたら一升瓶を一本贈呈、なんてこともやってたよ( 笑)。この引き出しなんかピシッと木の目があってまさしく一本ものの仕事だったね。」

「絵」をバランスよくぴたりと入れる設計された壁画

こちらも以前の家のものが活用されており
寸分狂いのない角度に大工の腕が光る

妥協無しの家づくりに向き合う

「前の家の鬼瓦もどこかに使いたかった。使いきれなかったものは庭なんかでオブジェにしているけど、屋根にあるとやっぱり雰囲気が違うね。実は屋根はものすごく細かく凝っていて、もしかしたら一番大変だった場所かもしれないな。」

受け継がれる鬼瓦

「ここは微妙に段差が付いている。鬼瓦のバランスと、縁側の屋根としての機能と、屋根全体とのバランスと、ただ繋がっていれば良いってもんじゃないからね。」

「ここなんか、ちょっと切り返しがあるんだけど、これがないと鬼瓦は乗らないでしょ。乗せたはいいけど他との絡みでどこまでどう伸ばして全体のデザインとするか、自分でこれが美しいっていう落とし所を掴むそういうセンスは大事だと思うんだよな。」

伝統が宿る家

「丸二の佐藤さんは、穏やかでとっても人がいい。一緒になってよく付き合ってくれたよ。
「革靴じゃなくて長靴で来い」なんてことも言っ たりしたけどね(笑)。
あと、作業は自分もいろいろやったけれども、やっぱり設計が入ったことでどこか垢抜けたんだな。自分で全部やっていたらこうはならない。」

関さんは、昔からの大地主さんで、近くの工事をやっていたときに声をかけていただきました。本家ということもあってとにかくお客さんが多いこと、それを受け入れる家であることが大きな特徴でした。そして古材の再利用も、前の家から使っている材を使って、数百年以上の家の歴史を引き継いでいくということを感じながらの家づくりでした。

あとはなによりも、施主の関さんが妥協無しに取り組んでいたことが大きかったです。博識で技術もあって、農業はもちろん芸術の才もあるスーパーマンのような方でした。普段も力を抜いているわけではありませんが、自分としては150%の力をだして取り組ませて頂きました。」
関さん、職人、丸二の思いでできた妥協なき家は、数百年の歴史を背負いながら今日も谷保に建っている。