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思いがけないこと

千代田区の建設現場でクレーンが横転するという事故が発生した模様で、あらためて現場の安全管理に対する意識の向上が必要と実感いたしました。いまの時代、いろいろなことがありすぎて、つい注意力が散漫になったり、思考が動かなかったりして、物事の基本的な「点検と確認」を疎かにしがちです。こういう時は、気をつけないと。何事も落ち着いて、よく整理をして、手順を踏んでやる。これからは、まわりの状況に左右されずに、自分自身と冷静に向き合いながら、落ち着いて判断や行動をしていかないと、思いがけないことが起こるのかもしれません。
でも、そういうことが起きる前には、必ず何か小さな予兆があるものです。そこに気づくことができる感性があるかないかが、大きな分かれ道となりそうです。ただ、いくら感性を磨くと言っても、手っ取り早くパッと高まる方法はないでしょうから、一体どうしたらいいでしょう・・・。毎日を明るい気持ちで、生きていくことかなぁ。それだって、なかなか大変なことです。でも、多少無理をしてでも、明るく楽しく前向きに、いい気分で生きていけば、だんだんとより良くなっていくことは間違いないと思いますので、私はそういう気持ちでやっていこうと思います。
さて、確かにこれから思いがけないことがいろいろと起きそうな気がしますが、「思いがけない」と思うのは、ただ私たちが無知なだけで、自然の摂理の上では、当然のことなのかもしれません。井沢元彦氏の「逆説の日本史」によると、邪馬台国の卑弥呼が死んだ年は「皆既日食」があり、民衆はそれを見て恐れおののき、「太陽が隠れて闇になったのは、国のトップである卑弥呼の不徳のせいである」となり、卑弥呼は殺された。その事実と皆既日食という自然現象が「天の岩戸隠れ」という神話になった。よって太陽神アマテラスのモデルは、卑弥呼であると。
つまり、その当時の人々にとって、皆既日食は未知なる「恐怖の大王」だったということです。現代では、いつ来るかも計算できるほどの普通の天体の動きなのに。でも、当時の人々にとっての「皆既日食」のようなものが、いまから起きないとも言い切れません。とにかく現代科学は、まだまだ完全ではないから。とすると、逆に言うと、いまから起きそうなことに過度な恐怖心を抱く必要も無いような気もします。もちろん、現実的な対応として様々な準備は必要です。でも、後になって「そういうことだったのか」と判ることしか現実には起きないわけですから、変な恐怖心や悲観論よりも、むしろ「何が起きるんだろう」というワクワクとした好奇心の方が必要ではないかと。
「思いがけないこと」が、必ずしもクレーン事故の様に、「悪いこと」ばかりだとは限りません。思いがけずに、「良いこと」がたくさん起きるかも知れません。だから、こういう大変化の時代を生きられるということは、その現場を生でウォッチできるわけですので、とてもありがたいことだと思います。いろいろと試してみる時だと思います。過去の常識やセオリーに捕らわれずに。人の逆を行くこと。常識の逆の考えを持つこと。そうすると、何か「良いこと」の方へ向かうような気がします。確かに、ちょっと怖いですけどね。でも、丸二の場合は、いつも好奇心の方が勝つので、そういう方向へ行きます。もちろん、これからも!!