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上杉謙信を思う

三菱自動車が日産自動車の(事実上の)傘下に入ることが決まり、今回の不正問題から端を発した新たな自動車業界の再編が進んでいます。これで日本の大手自動車メーカー2社(日産・三菱)が実質的にルノー(フランス)に支配される構図となり、シャープに続き、日本企業の弱体化が目立つ様になって来ました。けれども実際はルノーの経営も低迷中で、日産が支えているとのこと。本来の企業としての実力がありながら、どうも日本は戦略的に負けてしまう面がある様です。これも日本人的と言えば、その通りなのかも知れません。
日本人は「和」を重んじる国民性なので、そもそも戦い(攻撃)は苦手です。日本の歴史の中で最も人気があるのが戦国時代ですが、日本としては極めて稀な(戦闘的な)時代だったが故に、関心度が高いと言われています。その後の明治以降の戦争も(基本的には)世界の覇権獲得の為と云うよりも、国を守るための防衛的(危機意識)な性格が強く、そうせざるを得ない、やむにやまれず、という面が時代の底流に横たわっていたのではないでしょうか。けれども戦争は戦争ですから、実際の戦場では勝つ為の戦闘行為しか無かったと思います。そして日本は敗戦を迎えました。
私自身、戦国時代をそれ程好きな訳ではないのですが、信長は確かに凄い革命家だったと思いますし、秀吉も相当魅力的な人物だったのでしょう。家康は江戸時代を築いたことで、その後の日本の歴史的な道筋と文化を造ったと思います。その他、実にたくさんの戦国武将がいて、今では人気ランキングなどもありますが、その中で私が密かに興味を覚える人物が、上杉謙信です。上杉謙信は、戦国時代の越後国の武将で、軍神と呼ばれた人物ですが、他の戦国武将、戦国大名とは少し違う性質を持っていたそうです。
あの時代の戦国武将は、自らの領土拡張や天下統一を唯一心に追い求めていました。それが権力の獲得であり、自らの贅沢と安全の担保だったからです。とどのつまりは「野心」「欲」のためです(世の統治による平和の実現という大欲も含まれていたとは思いますが)。けれども上杉謙信は、そのような自らの野心や欲は無く、苦境にある者を救う為の戦いのみに、自らの生命を掛けたと云うのです。つまり「無欲」の人だったのです。
上杉謙信は、衰えていた室町幕府(足利将軍家)を支え、あるいは信濃国を奪われた人々のために強敵・武田信玄と壮絶な戦いを繰り広げました(川中島の合戦)。仮に勝ったとしても自分自身の領土に成らないにも関わらずです。歴史作家の井沢元彦氏の本に、「だが、全国でたった一人だけ領土欲ではなく義(正義)のために戦争をする大名がいた。それが上杉謙信なのである」「謙信は常に利害あるいは損得ではなく、善悪で物事を考える」とありました。これが本当であれば、大変な人物だったと思います。井沢氏は、「武田信玄があと10年長生きしても天下は取れない」とし、一方「謙信があと10年長生きしたら天下を取っただろう」と言う人がいないことが実に不思議であると述べています。
「無欲」「野心がない」「義のため」・・・これ以上に強い(畏しい)存在は無いでしょう。あの織田信長でさえ、もし戦場で謙信に出くわしたら「戦わずに逃げろ」と言っていたそうです。また、「敵に塩を送る」という言葉がありますが、それは、敵対する武田領に塩(生きるために不可欠)が不足していると知った謙信が、人道的な配慮として塩を運んだことから生まれた言葉だそうです。実際に、信玄の死の直後も、謙信は武田領に攻め込みませんでした。にわかに信じがたい話ばかりですが、上杉謙信が子どもの頃から寺に預けられ、そもそも僧侶に成る人物だった事と知ると、そこには常人では計り知れない程の何か、特別な背後の意志を感じさせます。
ところで、上杉謙信には女性説があります。様々な史料から、いくつかの確かな証拠があるとのことです。あのような時代の中で、女性の武将など全く想像はできないのですが、けれども謙信が遺した様々な(極めて異質なる)言動や事実を思うと、確かに辻褄が合う様な気もするのです。信長が「謙信とは戦うな」と命じた件も、信長の(男としての)美学だったのかも知れません。そしてその後の日本は、戦争に負けながらも、世界に大いなる影響力を与える国家に成長して来ました。きっと日本人のどこかに、「無欲」「野心がない」「義のため」という遺伝子が残っていたからだと思います。
日本は今こそ、もう一度日本人の遺伝子をONにして、良い政治、良い経営、良い生活を始めて行く時なのでしょう。今、日本の歴史ある大企業の中で多くの不正問題が発生していますが、私たちは此処で再び、日本の「義」の経営を思い出すべきなのでしょう。戦国時代ならば、確かに上杉謙信のような生き方では、天下を取ることは難しかったと思います。けれども今は、損得から善悪で物事を考える時代に変わりました。ある意味、女性性の時代、母性の時代に成ったとも云えます。ここで、上杉謙信の女性説とも繋がって行くのです。
オバマ米大統領がもうすぐ広島を来訪されます。人と人、国と国が、「義」で結ばれる時代は果たして来るのでしょうか・・・。私は、「義」とは「良心」の事だと思います。あの凄惨なる戦国時代の最中においてさえも、確かに「良心」の世界が在ったのです。この事は、今を生きる私たちにとって、大いなる勇気と成ります。「義」も「良心」も、結局は勇気と共に発露されるものです。日本も、日本人も、勇気を持って、この日々を懸命に生きて行けば、必ず道が拓けて行くと信じます。

明日への記憶

石原慎太郎氏の最新刊「天才」を読みました。昭和の大政治家、田中角栄氏の人生を一人称(「俺」)で語るという異色の作品でした。田中角栄氏が首相に成った頃と云えば、私自身はまだ小学生でしたが、おぼろげながらも記憶は残っています。とにかく「凄い総理大臣だなぁ」と云う印象を持っていたと思います。その後、ロッキード事件で政界から姿を消して行った事も覚えていますが、決して悪人の様には思えませんでした。世の中には、私腹を肥やす為のお金と、志(大欲)を実現させるためのお金とがありますが、田中角栄氏にとってのお金は、(今になって思うと)後者だったように感じます。田中角栄氏は、中国との国交を回復させましたが、米国との関係にヒビを入れてしまいました。そこに(ある種の)大いなる意志が関与したのでしょう。
田中角栄氏は、自らが地方の土建屋として、汗水流して働きました。まさに此処が氏の人生観の原点であると思います。国家とは、現場で汗水流して働いている人々のおかげで成り立っている。華やかな物事の裏側には、泥にまみれて働く人々がいる。此処に真実の労働(仕事)がある。田中角栄氏が唱えた「日本列島改造論」は、脈々と長い年月を経て、確かに新しい日本の建設へ導いたと思います。そこにはきっと大いなる志(大欲)があったのではないでしょうか。けれども同時に、志が高ければ高い程、敵が増えるのも世の常です。そのようにして、本物の政治家はだんだんと少なくなって来ました。今もし、田中角栄氏の様な人物がいたとしたら、東日本大震災の時、そして熊本大地震の時、一体何をしたのだろうと、ふと想像します。熊本のその後は、まだ厳しい状況の様です。心から早期の復旧と復興を祈ります。
ところで、この小説「天才」ですが、田中角栄氏の人生を簡潔に知る上では非常に為に成りました。特に田中角栄氏が愛した二本の映画のことが記述されていたので、とても興味を覚え、その内の一本をDVDで鑑賞しました。「心の旅路」という古い米国映画でした。現代の多くの小説や映画、TVドラマ等で多用されている物語設定として、「記憶の喪失」がありますが、もしかしたらこの映画はその元祖なのかも知れません。戦争で記憶を失った男性と、その彼を救った女性との物語で、最後はハッピーエンドの素晴らしい感動作でした。けれどもなぜ、人間同士の愛情や感動の描く為に、主人公が記憶を失う必要があるのだろうか。ふと、そんな風に思いました。
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多くの映画やドラマの中で描かれる記憶を失った人間は、(大体)物語の最後で記憶が蘇るのですが、そこで衝撃(カタルシス)がやって来ます。自らが記憶を失っている間の全てを思い出し、真実を知ります。そこには只々、あふれる涙と共に、大いなる感謝の念(あるいは大いなる後悔の念)が現れます。何か・・・ここに私たちの人生(生き死に)の根源的かつ普遍的なテーマが隠されている様に感じます。私たちは「大いなる真実」の記憶を忘れて、この日々を生きているのかも知れません。その「大いなる真実」を思い出すこと自体が、我が人生の目的のような気がするのです。同時に、まるで映画の観客が如く、我が姿を(全てを知っている誰かに)観られている様な気もします。このようにして、記憶を失う物語は、人間の潜在意識を震わせるのでしょう。私たちは、その映画やドラマの主人公に自らを投影し、本当は私自身の「大いなる真実(=記憶)」を探しているのではないでしょうか。
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さて最近、大林宣彦監督の映画「野のなななのか」のDVDが発売され、映画館で数回の鑑賞を経て、この度あらためてTVで観ました。この映画は北海道の芦別を舞台とした、過去の戦争の記憶と、人の「生き死に」(輪廻)を描いた独特かつ奇妙な作品です。「なななのか」とは四十九日のこと。人間と死者とが並行世界の中で同時に「生き死に」を繰り返しながら、この世の無常観を現したものです。そしてそこには、決して忘れては成らない戦争の記憶と、決して思い出したくはない心の傷が共存しています。けれども私たち人間は、過去の人生があって「今の人生」を生きているのです。だからこそ、過去の記憶を忘れずに、そこからの教訓を胸にして、今を立派に生きることが大事なのでしょう。その先にきっと素晴らしい日々が待っていると思うからです。
今こそ日本の歴史(過去の記憶)をもう一度振り返り、そこから重大な何かを感じるべき時なのかも知れません。それほど、今と云う時代は歴史的な大転換点に在ると思います。同時に、自分自身の過去の生き様をも振り返り、自らの人生の意味を探りながら、「今を懸命に生きること」に全エネルギーを使って行きたいと思います。そのような日々の歩みの中で、何かきっと大切な記憶(大いなる真実)が蘇って来るかも知れないから・・・。