社長ブログ

「大したことない」のか

最近の様々な不祥事やトラブルに対する説明や謝罪の時に、「誤解を与えたことに関しては、心からお詫びいたします」という言葉をよく聞きます。でも、この言葉の裏側には、①中身は何ひとつ間違っていない②ただ説明の仕方が良くなかっただけ③理解しない方が悪い・・・という本音がチラリと見えてしまいます。絶対に誤解を与えてはいけないような重要なことを、いとも軽々と考え、何か言われたら、その時は重い腰を上げて、「誤解を与えたことに関しては、心からお詫びいたします」と言えば済む・・・。ああ、「恥ずかしい」という日本人の美意識は、どこかに行ってしまったのでしょうか。あらゆる事柄が、「大したことない」という一言で、片付けられているような気がします。
今朝の新聞に、『本の万引き:被害年間40億円(大手14社)』とありました。内容をよく読むと、金額ベースで、コミック本が4割と最も多く、写真集は3割、単行本は1割。万引きの理由は、(なんと!)7割以上が「最終的に換金目的」。昔は、マンガを買うお小遣いが無くて、つい・・・なんてことがあったのかもしれません。でも今は、「換金目的」・・・要するに強盗と同じことです。また、親も親で、「捕まえられてかわいそう。なんで取りやすい場所に置くんだ」とか、「払えばいいんだろう」と開き直ったりとか、「つかまってアンラッキーだったね」などと慰めたりしているとのこと。万引きも、「大したことない」のか・・・。
豊かな時代になって、街を歩けば、子どもたちが欲しがるようなもので満ち溢れるようになりました。コミック、ゲーム、ケータイ、グルメ、ファッション、コンビニ、アイドル、ギャグ・・・子どもという巨大な市場に向けて、大人たち(企業)はさまざまな商品を開発し、流行をつくり、売れなくなったらパッと捨てる。かつては、その中にも「夢」があった。「希望」があった。「思想」があった。でも今は・・・あるのかなあ。子どもたちの心の成長や子どもたちの将来も、儲けに比べれば、「大したことない」のか・・・。
「大したことない」の反対の言葉は何でしょう。私は、「ありがとうございます」だと思います。人や社会や地球に対して「ありがとうございます」と思える心があれば、共に協力し合う精神が、自然に芽生えると思います。「大したことない」と切り捨てないで、共に素晴らしい社会をつくり、共に素晴らしい教育を行い、共に素晴らしい技術を開発する。そのような「一体化」が生まれればいいなあと思います。
※世界の一体化
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U2
Unforgettable Fire:(焔)
大学時代に好きになったアイルランドのロックバンド、「U2」のアルバム。尊敬する映画研究会の先輩がいつも聞いていたので、LPを借りて、カセットテープにダビングさせてもらいました。この「焔」というアルバムは、ブライアン・イーノとダニエル・ラノアのプロデュースなので、アンビエント(環境音楽)系の浮遊感と透明感があり、ロックと言うよりも、ヒーリング的な味わいになっています。だから、非常に気に入ったのでしょう。ただそれ以降は、あまり「U2」を聞くことが無くなっていました。ところがここ数年、「U2」のヴォーカルのボノ氏が、貧困絶滅運動や地球環境問題などで様々な運動展開をしているのを知り、また久しぶりに思い出したわけです。ボノ氏はダボス会議にも参加して、アル・ゴア(Al Gore)前米副大統領とも対談を行い、今や世界的に運動の輪を広げています。多分、「世界の一体化」を得ようと、努力しているのだろうと思います。最近の「U2」の音楽は分かりませんが、この「焔」は精神性の高い音楽だと思います。

全体幸福

先日の箱根研修会の社員のレポートを読んでいます。テーマは「豊かさとは」。①地球環境の現状②丸二が追求する豊かさ③個人にとって豊かな一日・・・この3つの視点で、二日間をかけて行った社員研修会のレポートです。社員さん一人ひとりの書いた文字を追いながら、心の中に清らかな感動と感謝の気持ちが湧いてきます。ああ、すごいなあ。たくさんの気づきを得ることが出来たんだなあ。地球環境のことと、丸二のことと、自分のこと・・・この3つの世界が、ちゃんと繋がったんだなあ。やってよかったなあ。
自分自身の幸福と、全体の幸福とが、うまく一致しない世の中で、認識力が高まれば高まるほど、ある種のジレンマやギャップに悩まされるようになります。知らないほうが良かった・・・なんてことが、世の中にはいっぱいありますよね。でも、本当に知らない方がいいのかと言うと、それではあまりにも空しい。真実を知り、その上で自分にできること、会社にできることを模索し、多くの矛盾やジレンマを感じながらも、いくらかでも「善」の方向に向かって行く。この絶えざる「1mmの前進」の積み重ねは、いずれは大きな進歩・改善に結びつくでしょう。社員さんたちの数々の思いを読みながら、私自身の方が勇気付けられました。と同時に、丸二の向かっている方向性が、少なからず人や地球を尊重するものであると、あらためて肌で感じてくれたことに、心から感謝しました。
NPO法人:ネットワーク「地球村」代表の高木善之氏が、講演DVD「美しい地球を子どもたちに」の中でも語っていましたが、ここに宮澤賢治の有名な言葉があります(私も以前より意識していた非常に重い言葉です)。
「世界が全体幸福にならないうちは、個人の幸福はあり得ない」
この言葉からは、「いま地球上に生きている個人は、みな不幸である」という厳しい現実が導き出されます。現在の世界情勢の中で、どう考えても、すべての個人が幸福であると言うには、相当な無理があります。でも、それは、あくまで「物質的な幸福」をモノサシにした場合で、もし「精神的な幸福」をモノサシにしたとすれば、いくらかでも可能性は広がります。
幸福とは「ゲットする」ものではなく、「感じる」もの。だから、少しでも多くの人の心の中に、「うれしい」「たのしい」「ありがとう」という気持ちが生まれるように、自分たちにできることをコツコツ始めていく。それは、本当に小さなことかもしれませんが、なかなか価値のある生き方だと思います。丸二の≪快適100年建築≫と≪美と夢と健康≫も、人と地球に「ありがとう」をお伝えするための、自分たちの精一杯の気持ちです。
※継続は力なり
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ブルックナー
交響曲第9番、他 
ヴァント&NDR交響楽団(2001)
(DVD)
大器晩成の大指揮者、ヴァントが90歳で亡くなる約半年前のライブ映像。得意のブルックナーの最後の交響曲:第9番を、すべての生命力を賭けて指揮。その崇高な姿と素晴らしい音楽に、とても感動しました。音楽の凄みとは、(歌詞ではなく)「音」そのものだけで、人の心を動かし、泣かせ、元気を与えること。70歳を過ぎてから世の中に評価されるようになったヴァントは、それまでの長い長い無名時代の時から、ただただ純粋に完璧な音楽づくりに徹してきました。評価されようがされまいが、自分のつくる音楽は何も変わらない。「信じるものを求めて、続けていくこと」・・・ヴァントは、きっとどんな状態の中においても、幸福の近くにいたのかもしれません。指揮台に向かうのに、介添えがいないと歩けない。なのに、いざ演奏が始まると、ずっと立ちっぱなしで、鋭い眼光でオーケストラをコントロールする。とても、かっこいいです。

田園風景

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長澤まさみが出演しているドラマ「ラスト・フレンズ」(フジテレビ)に吉祥寺が出ているらしく、また実際に丸井の裏にある美容室『NiCHE』(上の写真)が撮影場所になっているそうです。確かに、この美容室の前を歩く若者たちが、「あっ、ここだよね。長澤まさみの~」なんて言っている会話も聞こえました。私たちの世代としては、吉祥寺のロケと言えば、中村雅俊の「俺たちの旅」と水谷豊の「熱中時代」ですね。特に「熱中時代」は、わが母校の武蔵野市立第3小学校が舞台になっていたので、特に親近感がありました。地元が紹介されたり、地元に有名人が来たりすると、それだけで何かワクワクします。
テレビや映画が、ロケハンをしてロケ地を選ぶ際、(多分)大切にするのは、その街の風土、風景、街並み、文化、空気感が、作品と合うかどうかと、美しいかどうか、この2つではないでしょうか。どのような設定の舞台においても、(映像として表現する以上)美しさは必須です。特に街並みの美しさは、あらゆる映画監督やテレビディレクターが、常に探し求めていると思います。
大林宣彦監督の尾道(広島)シリーズも、あの美しい風景だからこそ生まれ出た素晴らしい作品群だと思います。いかに美しい風景を探し出すか、あるいは、いかに風景の中から美しさを見出すか・・・どちらにしても、美しさという視点が大切です。あの尾道の細い急な坂道の中に含まれている歴史と文化と生活の香りには、どの俳優の最高の演技よりもインパクトがあるでしょう。そのような風景を持っている土地や街並みには、他の何にも変えられない価値があります。
そのように考えた時に、今の日本の風景には、世界の映画監督やディレクターが撮りたくてしょうがないほどの美しさがあるのかどうか・・・ちょっと自信がありません。山や川や自然については、美しさがたくさん残っていますが、街並みとなると・・・どうかなあ。せっかくの文化的(歴史的)な建造物も、「守る」よりも「開発」ということで、泣く泣く取り壊されていったり、ビルの谷間にぽつんと残される。観光用のパンフレットの写真では、素晴らしく見えるのですが、実際に行くと、まわりは雑然としたビル街だったりします。何か、「全体性」のようなものが欠けているのです。よって、スケールが小さい。国土が狭くて、人口が多いから、それだけの余裕が無いのかもしれませんが、それでも海外からの観光客が少ない国に、これからの未来があるのだろうかと、(少し大げさかもしれませんが)心配になります。
山や川や自然は、ただそれだけで美しい。でも、そこに、さらに「田園風景」が欲しい。雄大な自然と人間の生活が、無理なく調和している風景の象徴こそが、田園だと思います。「減反政策」によって失われた田園風景が再び戻るようになり、「美しい観光立国:日本」が復活し、海外からの観光客が増え、地方の経済的活性化にもなり、食糧自給率が高まれば、いいことづくめだと思うのですが・・・。農業の大変さを知らない自分が何を言ってもムダですが、農業を守り、農業を大切にする政策は大事だと思います。日本の農業をもっと活性化させ、日本全土に田園風景を取り戻し、美しい国土と経済的な豊かさを両立させることは、きっと可能のような気がします。
さて吉祥寺は、おかげさまで「住みたい街No1」で、いつも多くの人で賑わってます。テレビのロケもあります。たくさんのお店があり、何不自由することもありません。このような環境の中で、日々生活できることに心から感謝しています。でも、時には大自然の空気を吸いたくなります。だから、人間には豊かな自然と田園風景が必要です。
※ブラームスの「田園」
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ブラームス
交響曲第2番
ワルター&コロンビア交響楽団
「田園交響楽」と言えば、ベートーヴェンの第6シンフォニーが最も有名ですが、ブラームスにも田園的な交響曲、第2番があります。私は、ブラームスの4つの交響曲の中で、この曲が一番好きです(1番と4番の方が有名ですけど)。特に第2楽章の哀愁は、独特な雰囲気があり、ノスタルジーを感じます。CDは、この曲を始めて知った、ワルターの温かく優しいステレオ録音です。

温かさ

最近、いろいろと大きな問題が起きています。一つ目は、「後期高齢者(長寿)医療制度」の混乱。この豊かで平和な日本を築いた75歳以上の方々に対して、年金から保険料を天引きするという制度。一体どれくらいの人が、今よりも保険料が安くなるのか、高くなるのかも分からずに導入。保険証の発送事務のあれこれを見ても、何か心がこもっていないように感じます(保険証も、とても簡素なもののようで・・・)。改革とは一体何だったのでしょう・・・。
二つ目が、英国系投資ファンドのザ・チルドレンズ・インベストメント・ファンド(TCI)が「Jパワー(電源開発)」株の買い増しを申請している問題。甘利明経済産業相は、外為法に基づき、TCIに買い増し計画の変更・中止を勧告しました。その理由は、「国益を守るため」で、それは正しいと思います、何しろ、Jパワーは原子力関連事業を行っているわけで、もし外国資本に主導権を握られると、電力の安定供給や原発政策に大きな影響を与えます。でも本質的な問題は、なぜそのような危険性のある法人を民営化したのかということです。改革とは一体何だったのでしょう・・・。
三つ目に、ガソリン税の再可決問題。ガソリン税の暫定税率が期限切れになって、やっと落ち着いたガソリン価格ですが、今度は衆議院の「3分の2条項」を使って、再度復活を図る方針とのこと。税制全体のビジョンが無いままに、なぜガソリン税だけを再び上げなくてはいけないのか。「増税しないと国が持たない」という説明だけで、全てが納まるとは思えません。「増税しないで、何とかしなくては!」という智慧と勇気と情熱こそを、国民は政治に期待しているのに・・・。改革とは一体何だったのでしょう・・・。
四つ目は、名古屋高裁が17日、自衛隊のイラク派遣が憲法違反に当たるとの判断を下したことです。航空自衛隊が、クウェートからイラクのバグダッド空港に多国籍軍の兵士を輸送していますが、これを「他国による武力行使と一体化した行動で、憲法9条1項に違反する」と認めたのです。この判断は、当時の(有名な言葉)「自衛隊がいる所が非戦闘地域だ」という認識に誤りがあったことを示しています。改革とは一体何だったのでしょうか・・・。
「郵政民営化をすれば、バラ色の未来が来る」と思って熱狂した国民は、今の現状を一体どのように理解したらいいのでしょう・・・。「改革の本丸」と言われれば、すべてが良くなると思って当然ですよね。「弱者、高齢者、地方の生活を守る」のが政治の最大の仕事であるとすれば、随分と違う方向に来てしまったようです。うまく言えないのですが、何かもっと「温かい国」になれたらいいなと思います。国民一人ひとりが、こんなに温かい人間性を持っているのだから。決して不可能ではないですよね。辛抱するところは辛抱しますし。やはり、ビジョンが大事だと思います。
※温かい音楽~「ライン」
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シューマン
交響曲 第1番 変ロ長調 Op.38 「春」
交響曲 第3番 変ホ長調 Op97 「ライン」
序曲「マンフレッド」 Op.115   
セル指揮:クリーヴランド管弦楽団
シューマンの交響曲は全部で4曲ありますが、3番の「ライン」は、とても心が温かくなる音楽です。シューマンは、ちょっと精神を病んでいた面があったので、うつ状態の曲もたくさんありますが、この「ライン」は明るくてなかなかいい。演奏としては、今まで聴いた中でセルのが一番好きです。温かさと共に、きっちり感と前向きさがあって、心が元気になります。社会全体のことに意識を持って、積極的に関わっていく中においても、決して明るさと温かさは忘れずにいよう。自分自身の心の穏やかさや幸福感を失っては、何のための人生だか分からないから・・・。人生を苦しんだシューマンが創った明るい曲だけに、そのような思いが心に染みこみます。

裁判員制度に思う

来年5月に、裁判員制度が始まるようです。米国式の陪審員制度が、いよいよ日本にもきちっと導入されるということですね。陪審員については、アメリカ映画の「十二人の怒れる男」(監督:シドニー・ルメット、主演:ヘンリー・フォンダ)や「フィラデルフィア」(監督:ジョナサン・デミ、主演:トム・ハンクス)でおなじみです。特に「十二人の怒れる男」は、陪審員たちだけによる完全密室劇で、ヘンリー・フォンダの熱演もあり、非常に見ごたえのある映画でした。これを見ると、陪審員制度とは何か、あるいは陪審員の苦悩と勇気についてが、よく分かります。
さて、今回この陪審員制度が、「裁判員制度」という名前で、日本において復活(日本でも、戦前に刑事裁判に限り、陪審制が導入されていたようです)したのは、どうしてか・・・(不勉強で)まだ良く分かりません。凶悪事件が多発する時代背景の中で、できるだけ死刑を減らしたいという意向もあるようですが、まさか、「十二人の怒れる男」の「格好良さ」に触発されてというわけではないでしょう。尚、陪審員と裁判員との違いですが、陪審員は有罪か無罪かまでの判断までを行い、裁判員は加えてその量刑(懲役○○年等)までの判断を行うとのことで、今回の裁判員の方が、ずっと責任重大です。
司法のことは良く分からないので、この制度に付いての賛成・反対をそう簡単に言うわけにはいきませんが、一点だけ危惧することがあります。それは、この裁判員制度の対象が、殺人や強盗などの凶悪事件なので、裁判員の人々は、否応無しに、証拠の凶器や現場の写真、そして当然のことながら加害者の姿・形・声を連日、目や耳にするわけです。また、被害者の家族の悲しい姿も目にするでしょう。とても辛く、悲しく、怒りに満ちた数十時間を過ごすことになります。それが、一体どういうことなのか・・・と言うことです。
日曜の新聞を見ると、「裁判員に心のケア」ということで、このような裁判員の心理的な負担を軽減するために、専門家によるカウンセリングを導入すると書いてありました。「それは、そうでしょう」と思いますが、と同時に、そもそも、そこまで国民の心理的負担(精神的ダメージ)を要する制度を、カウンセラーまで雇って(=コストを掛けて)、やる必要性があるのかどうか・・・。
凄惨な現場の写真を見て、加害者と被害者の家族の重く、暗く、怒りと悲しみに満ちた声を聞き、精神にダメージを受けない人はいないと思います。いくら、その後カウンセリングを受けても、それはキレイにふき取ることなど不可能でしょう。人は潜在意識に刷り込まれた情報を、自らも(現実として)引き寄せてしまいます。本人は忘れたつもりでも、潜在意識は絶対に忘れません・・・。ここが怖いのです。悪い方の「引き寄せの法則」を起こさなければいいが・・・そういう危惧があります。
できることならば、凶悪事件はニュースでも流さないようにした方がいい。国民の潜在意識に刷り込まない方がいい。明るく楽しく幸福なニュースと、国民が知るべき重要なニュース(事実)だけを流した方がいい。それくらいの方向転換を迫られている時代背景の中で、あえて凶悪事件の渦中に、直接関係の無い人々を関わらせて、(結果的に)精神へのダメージを拡大させてしまう(可能性があるという)のは、国民の幸福という観点からして、避けるべきではないか・・・。それ以上の利点が、この制度にあるのだろうか・・・。
心清らかで、正義感あふれる、かつ人間的な優しさを兼ね備えた裁判官を養成し、あらゆる角度から正しいと思われる判断を下す・・・このことの方が、大切のように思います。裁判員制度は、結果的に、凶悪事件をより多く引き起こしてしまう原因を作るような気がして、そこだけが非常に心配です。
※激しいリズム
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春の祭典
ブーレーズ指揮&クリーヴランド管弦楽団
昔は、邪気を祓う時に、音(振動エネルギー)を使ってたみたいです。銅鑼(ドラ)や太鼓や鐘や鈴の音などは、そのような意味だそうです。だから、心理的なダメージを受けたり、不安な心理状態の時は、音(振動エネルギー)によって、邪気をふるい落とすのも一つの方法ですね。この「春の祭典」は、クラシックの中では異端中の異端で、(当時の人々にとっては)とんでもなく品の無い、原始的音楽の最たるもの。その初演の演奏会では、聴衆から大ブーイングが起こり、大変な事件になってしまったそうです。でも、今の時代では、もうそこまで強烈ではないと思います。とても、面白く、変わった音楽です。ブーレーズ指揮/クリーヴランド管弦楽団で聴くと、様々な楽器の音が明瞭に聴こえ、鋭くリズムが迫ってきます。

箱根の山を越えて

週末は、毎年恒例の「箱根一泊社員研修」に行って来ました。研修の具体的な詳細は省きますが、極めて有意義だったことは間違いありません。テーマは「豊かさとは何か」。社員個人が豊かな一日を選択するにはどうしたら良いのか。会社(丸二)が社会に提供しようとしている豊かさとは何か。地球環境の現状から見た本当の豊かさとは何か。このように大きな3つの視点で、楽しく、元気に、真剣に、「豊かさ」というものを考えつつ、会社のこれから10年の方向性を示すことが出来ました。
特に、NPO法人:ネットワーク「地球村」代表の高木善之氏の講演DVD「美しい地球を子どもたちに」を社員と共に見ることが出来たのは、地球環境の本当の現状認識を共有できたという意味において、非常に有益でした。その現状とは・・・とても言葉では言い現せないほどの内容です。が、ただひとつ言えることは、まだ「望み」はあるということです。未来の子どもたちが健康で幸せに暮らしていける美しい地球を残すために、私たちにできることは山ほどあります。それらを、ひとつひとつやっていくだけ。個人も企業も。そうですよね・・・。環境への取り組みは、丸二のこれからの事業の方向性とも、しっかり結びついていくはずです。
このようにして、毎年4月に行う「箱根研修」ですが、その企画は社長の仕事です。今回もいろいろと考えました。でも、結果的に今までで、最高の研修になったのではないかと思います(あくまで、社長としてですが)。これも全て、前向きに協力してくれた社員さんたちのおかげです。本当にありがとう。また、ここでは詳しい説明を省きますが、上記の環境問題以外でも、今後みんなで始める「5分間朝礼」についての準備と練習も、熱血コーチによる楽しい指導の下で、みんなで汗をかきながら行いました(これについては、また詳しくブログで書こうと思います)。あとは、楽しく宴会。新入社員さんたちも、はじめての一泊研修を共に過ごすことで、きっと丸二の仲間と一体化できたでしょう。このように、それぞれの個性を尊重しながら、同じ方向へ「ベクトル」を合わせるというのは、実に難儀な仕事です。でも、これを疎かにするわけにはいきません。
なぜか・・・。
丸二には、重要な役割、役目があるからです。「授かった技術」を、世に広める使命とミッションがあるからです。この技術は、地球環境を守ると同時に、個人の幸福をも実現できるものです。だから、私たちが心ひとつにして、この役割を果たさねばなりません。それが、「授かった」ということなんです。
※絶対に見るべき高木善之氏の講演DVD
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美しい地球を子どもたちに 2007
箱根で社員と見たDVDが、これです。このようなDVDは、本当に関心のある人しか見ません。誰かに「見たほうがいいよ」と言って貸しても、まず見ません。そういうものです。でも、いま関心があまり無い人でも、見れば分かります。最後まで、食い入るように見ます。だから、誰かと一緒に見ることです。それならば、私たちにもできます。ぜひ一度、ご覧ください。詳しくは、こちらへ。

環境と健康

桜の花、藤の花、椿の花・・・みんな美しい色を放っています。香りもきっと、それぞれ違うのでしょう。いったい誰が、このような色、形、香り、柔らかさ、咲く時期、散る時期を設計し、施工し、管理しているでしょう。答えの無い質問なのはよく分かっていますが、一方で、誰もが真剣に考え、時に悩むべき質問ではないかと思ったりします。
先日ニュースで、「アメリカ産の食用のクローン牛の2世、3世が、無検査で日本に輸出される」と言ってました。クローンの子どもはクローンではないらしいです。どういう理屈なのかよく分かりませんが、私は「人為的に」作られた生き物を食するということを、多分、生理的に受け付けないでしょう。仮に生物学的に完璧な動物であっても、そこにはきっと決定的な何かが欠けているような気がします。その決定的な何かと、美しい花の設計者とは、きっと同じ仲間(?)ではないかな、と思います。
さて、ドイツでは「エネルギーパス」の義務化が始まるようです。「エネルギーパス」とは、いわば「家の燃費証明書」のようなもので、建物のエネルギー効率(消費量)を数値化したものです。具体的には、その建物では一年間でどれくらいの冷暖房費や給湯費が必要かを表わしたもので、当然少ない方が、使用エネルギー量が少なく、地球環境に優しく、燃費が良い住宅と評価されます。逆に多いと、使用エネルギー量が多く、地球環境を破壊し、燃費が悪い住宅と評価されます。
ドイツでは、これから、住宅を売ったり貸したりする際に、所有者が買主(賃借人)に、この「エネルギーパス」の提示を義務付けられるようになりました。つまり、エネルギー効率の悪い、光熱費が多く掛かる、環境を破壊するような住宅は、どんなに新しくて立派でも、「価値が下がる」「売れない」「借りてくれない」ということになるわけです。これは、かなりスゴイことですね。
最近、日本で流行っている「デザイナーズ系住宅」の多くは、相当のエネルギー消費を余儀なくされますので、もしドイツでしたら、まったく価値の低いものとして評価されてしまうわけです。この流れは、EU全体に広がっていきます。なぜ、ドイツがこのようなシステムを、いち早く導入することが出来たのかと言うと、ドイツではすでに、「外断熱工法」が一般的に普及しているからに他ありません。すでに、省エネの基礎的インフラが完成しているのです。だから、この「エネルギーパス」に対するハードルは、すでに低いのです。
日本の場合、「外断熱工法」の普及は、まだ「ゼロに近い」と言っていいでしょう。非常に遅れています。環境立国のドイツに、一体いつ追いつけるのか。本当に大変な時代になって来たと思います。「クローン」にしても、「外断熱工法」にしても、「環境や健康」に対する国家としての姿勢によって決まるわけです。日本と云う、美しい四季のある国が、早く「環境や健康」に対する本当の対策を打つことを、世界も望んでいると思います。
※夜明け
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ラヴェル:管弦楽名曲集
【曲目】
ラヴェル:「ボレロ」、「スペイン狂詩曲」、「ダフニスとクロエ」第2組曲、「亡き王女のためのパヴァーヌ」
【演奏】
ミュンシュ(指揮)、パリ管弦楽団
フランスの指揮者・ミュンシュによる、フランスの作曲家・ラヴェルの管弦楽曲集。この中で、最も素晴らしいのが、『「ダフニスとクロエ」第2組曲』からの、「夜明け」です。とてもゆったりしたテンポの中から、ゆっくりと夜が明けていく様子が、まるで印象派の絵画か映画を見ているかのように広がってきます。草木が動き出し、鳥がさえずり、太陽が森の木々を照らす・・・。音楽でここまで表現できるなんて、さすがラヴェルであり、さすがミュンシュです。今、世の中は、確かに暗いトンネルの中にありますが、いつか必ず夜明けが来ます。その夜明けは、きっとこの音楽のように、静かで、厳かで、穏やかなのでしょう。さあ、みんなで夜明け前の準備をしましょう。

ある問いについて

「時間切れ、タイムアウト!」が普通になってしまった日本の政治。学校でもビジネスでも、「期日は絶対!」と教えてきているのに、こういうコトが当たり前になってしまうと、とても困ります。調整が付かなかったから仕方が無い・・・。相手が「ウン」と言ってくれなかったからダメでした・・・。何か、突然の非常事態が起きたのならともかく、ずっと前から決まっているスケジュールなのに、変だなあと思います。まさに、リーダー不在の危機的状況です。
世の中がシステムで動くようになり、あらゆるコトが合理的に、かつ効率的にまわるようになりました。その結果、一人ひとりの意志や考えが特別に無くても、「何となく」一日は無難に過ぎていきます。日銀の総裁が数週間、数ヶ月間いなくても、特に問題も無いのでしょう。だから、リーダーに対する存在価値が見えにくい世の中になってしまったのかもしれません。
と同時に、今こそ真のリーダーが必要とされている時代もありません。リーダーが不在の組織やチームは、当面はシステムによって動いていきますが、いつかは壁にぶつかります。その時、リーダーがいないと、どうにもなりません。先々の事を考えて、手を打っていくのがリーダーの仕事。例えば、今、正しいと思われるシステム(や考え方)でも、一度ブチ壊して、新たに組み立て直すことも、時には必要です。リーダーがいないと、そういうことは不可能ですよね。そのように先手を打って、壁にぶつかっても、何とか凌いでいける組織やチームをつくるために、リーダーの存在があります。そして私も、そのようなリーダーの一人になりたいと思っています。
さて、リーダーの頭の中には、常に様々な「問い」が存在しています。おそらく、24時間、無意識にですが、常に「自問自答」しているようなものです。そのほとんどが、「答えのない質問」なのかもしれません。それでも、たまには、「これだ!」という答えが見つかったような気がして、視界がパーッと開ける瞬間があります。でもまた別の「問い」によって消去されて、振り出しに戻る・・・そんなコトの繰り返しです。
最近、私の頭の中を大きく占めている「問い」があります。それは、「快適100年建築」と「美と夢と健康」という特殊な工法・技術を、なぜ私たち(丸二)が持っているのか・・・という根源的な「問い」です。答えは、なかなか出て来ません。そこである時点で、「持っている」を「持たされている」に変えてみました。すると、何か答えらしきものが、見えてきました。今までは、「持っている」と思っていたのです。ルネス工法にしても、外断熱工法にしても、自分たちが積極的に採用し、一生懸命取り組んで、身につけてきた技術です。だから私たち(丸二)の所有物のような気がしていました。でもそうではなく、もしかしたら、これらは「授かりもの」ではないか・・・そう思うようになりました。
ルネス工法や外断熱工法、あるいは建築医学。世のため人のためになる建築技術です。これは間違いありません。そのような価値ある技術を、複数持っているのは、確かに丸二だけだと思います。なぜ、大手ゼネコンでもなく、他の歴史のある地場ゼネコンでもなく・・・丸二なのか。いつも、私の頭の中にあるのは、このような「問い」でした。でも、ある時、「持っている」のではなく「持たされている」、いや「持たせていただいている」と知った時、何か、それ自体が、正しい答えのような気がしたのです。私たちには重大な役割がある。この「快適100年建築」と「美と夢と健康」を、社会に提供していくという。その役目を授かったのだと。
それはただ単に、一企業が、うまくビジネスを展開するためだけの、道具としての、「差別化商品」とか「武器」といった領域では捉え切れない、本当に、世のため人のためになる技術(考え方)を、社会に広めていくという「ミッション(使命)」として存在しているような気がします。だから、もっともっと、心置きなく広める努力をするようにと、促されているように感じます。建築のプロとして、良心の心で、ただやり続けなさいと。それに対して、私の心は、「はい、了解です!」。
「快適100年建築」とは、ルネス工法、外断熱工法、パワー・コンクリート工法です。「美と夢と健康」とは、自然素材、風水科学、建築医学です。この6つの技術を駆使して、人・環境・地球と共生する建築を、コツコツと創り上げていこうと思います。時間は掛かると思います。でも、地球は待ってくれませんので、「時間切れ、タイムアウト!」にならないように、がんばらないと!このような素晴らしい技術を授けていただいたことに、心から「ありがとうございます!」。
※燃え尽きる!
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『トスカニーニ~生涯最後のコンサート』
ワーグナー:「ローエングリン」第1幕への前奏曲
同:「ジークフリート」~“森の囁き”
同:「神々の黄昏」~“ラインへの旅”
同:「タンホイザー」~序曲とバッカナーレ
Part 1
Announcement to begin Symphony No. 1(Brahms)
Part 2
同:「ニュルンベルクのマイスタージンガー」第1幕への前奏曲
【演奏】
アルトゥーロ・トスカニーニ(指揮)、NBC交響楽団
【録音】
1954年4月4日
大指揮者、トスカニーニの最後の演奏会。死ぬまで現役の指揮者が、文字通り、「燃えつきた!」瞬間が記録されています。ラジオでの実況生放送だったため、途中でトスカニーニが指揮棒を落とし、NBC交響楽団が演奏を止め、その間、ラジオのアナウンサーがコメントを入れ、急遽、用意していたテープ(ブラームス)を流し、またトスカニーニの演奏再開に合わせて、放送を再開。無事、演奏を続けることが出来ましたが、トスカニーニにとって、この演奏会が最後となりました。音楽は波動なので、同じ曲でも、演奏者の心のあり様が乗り移っています。そういう意味で、とても強烈で美しい演奏です(ちなみに、50年以上前の録音です)。

科学的根拠

国立がんセンター中央病院で麻酔医が不足しているとのことです。特定の医療機関に属さない「フリーランス」の麻酔医が急増しているためらしい(フリーランスの方が、麻酔医の報酬が高いからでしょうか・・・)。麻酔医は、かなりの経験と技術を要すると聞いたことがあります。そして当然のことながら、麻酔医がいなければ、全身麻酔の外科手術は不可能となります。大変なことです・・・。
そもそも、麻酔には科学的根拠は無いらしいです。以前、青山圭秀氏の著書「理性のゆらぎ」を読んで、びっくりしました。まさに「えー!!」ですよね。麻酔というのは、当然、きちっとした医学的根拠のもとで処方されているものと思ってましたから。でも、実際はどうして効くのか(科学的には)よく分からないが、効くんだから使ってみよう。・・という感じ(かどうかは分かりませんが)で、長年の経験と統計的な裏づけを基に、麻酔医の方々が、適量の麻酔薬を処方しているようです。だからこそ、麻酔医の実力は大変な価値があるのです。
今、あらゆるモノに科学的根拠を求める風潮と、逆に、目に見えないものの存在を認めていく風潮の、2つの流れがあるように思います。そして、ほとんどの人が、その両面を持っていると思います(多分、両者のバランスが極端に違うだけだと思います)。どんなに現実主義の人でも、手術をする時には(科学的根拠の無い)麻酔を打って、神頼みをしますし、どんなに唯心論的な人も、お金が無くては生きていけません。私は、いつの時代になっても、すべての現象が科学的に証明されることは無い様に思います。人間が、この自然界の全ての法則やルールを、完璧に掌握することは不可能だと思うからです。だから、これからドンドン科学が高度になって行っても、不思議なことは無くならないと思います。その方が、面白いと思います。
遠い昔、天動説が唱えられていた時代でも、実際に地球は回っていました。ただ知らなかっただけなのです。今の私たちも、本当に知らないことばかりです。でも、知らないからと言って否定してしまうのはもったいない。分かっていない自分であることを自覚すれば、色々なことを受け入れられます。それが人間としての成長だと思います。
※毎朝、眺める本
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バルタザール・グラシアンの賢人の知恵
バルタザール・グラシアン (著)
齋藤 慎子 (翻訳)
「正しく生きるな、賢く生きよ」・・・ヨーロッパで400年語り継がれる240の処世訓。あまり賢くない自分自身だからこそ、これを毎朝1~2篇読んで、人並みに生きようと。不思議と、読むと安心します。