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安定と自転運動

街を歩いていて、ある政党のポスターに「安定」という文字を見つけました。私たち人間は、不安、不安定、先が見えない、先が読めないことを極度に恐れて生きていると思います。だから誰しもが「安定」を求めます。経済情勢が不安定に成れば、就職先もさらに安定志向が強まるでしょう。それは人間の根源的な心理として、当然理解できます。ただ、そもそも「安定」とは何か、「安定」とはどう言う状態なのかが曖昧です。多くの人々にとっての「安定」とは、「もうこの先、特別何か(苦労)をしなくても大丈夫」な状態ではないでしょうか。ここに就職したらもう安全。これだけのお金があればもう(何もしなくても)大丈夫。多分きっとこのような感覚だと思います。つまり「安定=静止」という捉え方です。
そのように考えた時、同時に何か・・・「本当にそうかな」と言う違和感も残ります。例えば、私たちが住んでいるこの地球は、宇宙空間に「安定」した状態で浮かんでいます。そのことに対して、私たちは(当然)全く不安感を覚えていません。そもそも、そのこと自体を忘れて日々を生きています。けれども、その完璧なまでの「安定性」は、実は時速1400 kmの自転運動によって保たれています。これだけの超音速、かつ全く狂いの無い(必死とも言える)「動き」の連続によって、地球は宇宙空間で静止(=安定)しているように見えているだけです。とすれば、安定は静止状態と言うよりも、必死の運動状態の連続によって維持されているのではないかと考えられます。
「もう安心、止まって大丈夫」と思った瞬間に、自分自身の「自転運動」が止まり、本当の意味での不安定が始まります。世の中の状態がどうであれ、自身の環境や境遇がどうであれ、自分自身が何かに向かって「自転」さえし続けていれば、そこには真の「安定」が発生するのではないでしょうか。昨日のTV番組では、東大を出て環境省に努めながら、赴任先のルワンダで廃棄物対策を行った後、そこで自ら環境省を退職し、ルワンダに残った一人の人物を紹介していました。彼は、エリート官僚という職と勲章を捨て、個人で途上国に貢献する道を選んだのです。人はそれを「安定を捨てて、もったいない」と言うでしょう。けれどもこの人にとっての安定とは、そこで自身を「自転」させ続けることだったのではないでしょうか。
常に何かに挑戦し続ける「運動性」こそが、本当の「安定」だと思います。「もう安心だ」と、静止してしまった瞬間から、恐怖の「不安定」がやってくる。そのように理解することがもし出来たならば、日々何かをしなければ成らない状態で、毎日を必死で動き続けていることは、むしろ「ありがたい(幸福な)状態」なのかもしれません。お金に対する考え方も一緒で、多くの蓄えがあること自体が(決して)安定ではなく、そのお金が順調に(清浄に)「回っている(動いている)」状態こそが、本当の安定と言えます。しばしば、大きなお金を持ちながら、決して幸福な人生で終らなかった人がいます。きっと、お金を良い形で社会へ回さなかったことが原因ではないかと想像します。つまり、大きなお金を得た人ほど、大きな責任(=役割)を負う訳です。
この度、楽天イーグルスの田中将大投手が米ヤンキースに入団することが決まり、巨額の契約金額が新聞紙上を駆け巡りました。これは、田中投手にとって、むしろ大きな負担(責任)に成るものでしょう。「それだけの成績を残さなければ成らない」という意味では無く、このお金をどのように世の中へ回していくかという面においてです。ただ田中投手は、楽天時代から様々な形で(決して目立たないように)多くの寄付をして来たと聞きます。多分、そのような人間性であったからこそ、昨年の様な偉大な成績と今回のメジャー行きを引き寄せたのでしょう。ならば今回の報酬についても、さらに生きた使い方をされて、またさらに大きな役割を与えられるに違いありません。本当に物凄い人物だと思います。
富や幸福、知識や知恵を、自分自身だけで止めないで、広く社会(他者)へ流していく。流して行けば、その時は(一瞬)減ってしまうように見えますが、(けれどもいつか)必ず与えた分がさらに大きく成って、別の方向から入って来る。そしてそれをまた流していく。この連続する運動が真の安定であり、その最初の一手は(間違いなく)「与える(捨てる。損する)」から始まるということです。「入ってから、出す」のではなく、「出してから、入る」の順です。だから難しいし、厳しいし、怖い。勇気が無いとできない。挑戦心が無いとできない。この不安に打ち勝てる者こそが、最後に真の安定を得られるのでしょう。
「安定」とは「得る」ものではなく、「在る」ものだと思います。必死で動き続けること。世の中の為に何かをやり続けること。その「状態」を言うのだと思います。だから、誰かの為に、社会の為に、今を必死で生きている人は、みんな(既に)「安定」を手にしている幸福な人だと思います。
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※吉祥寺南町の井の頭通り沿いの現場がもうすぐ完成です。お客様と自然の恵みに、心から感謝いたします。ありがとうございます。

思考力と追求力

2014年が始まり半月が過ぎましたが、工場の事故、海上の事故、行方不明事件等、類似する出来事が数多く発生している様な気がします。昨年末には冷凍食品の事故がありましたが、今度は浜松の学校給食で大規模なノロウィルスの被害が起きました。今後はこのようなウィルス対策も重要に成って来るのでしょう。同時に「食」に対する注意喚起も必要なのかもしれません。また17日は、1995年に発生した阪神淡路大震災から丸19年でした。あの時、テレビの画面で見たビルや高速道路の倒壊現場、地震後の大規模火災の様子は、未だに脳裏に焼き付いています。それから16年後の3月11日には、その恐怖が再びやって来ました。このリピートし続ける現象を止めなければならない。けれども、なかなか止まらない。きっと何かが足らない。
今回の東京都知事選挙では、「脱原発」が1つの争点に成りつつあります。日本で最大の電力を消費する都市として、極めて大きな課題の1つだと思います。エネルギー問題の根本解決は、戦争、経済、地球環境に多大な(良き)影響を与えるはずです。私たちが原発問題を考える時、常に未来の全世界(=地球)の安全と平和と発展を「思い」ます。実は、その意識こそが最も大切なことではないでしょうか。景気回復(発展)を優先する人も、安全性を優先する人も、共に「未来のため」という視点を置きます。その上で、様々な方法論を展開して行くのです。けれども方法論はあくまで戦術ですので、状況に合わせて変化するものです。目的が一緒であれば、その実現方法が違っていても、どこかで共有できる場所(着地点)が見つかるはずです。このようにして原発問題に真剣に向き合うことが、国や世界の未来を「思う」ことに繋がり、その結果、(今はまだ見えない)最良の答えを導き出せると期待します。
あらゆる問題や課題を解決する(=終わらせる)根本は、その問題や課題へ向き合う思考力や追求力の強さではないかと感じます。最終的に、その改善方法(戦術)は目に見える形と成りますが、その大元の種は、まさに人間の「思考力」や「追求力」という意志の力のはずです。経済も原発も戦争も、本当に「良き未来」を思考して、追求して行けば、必ず良き方法が見えてくると思います。今はまだ、その「思考力」と「追求力」が弱いだけではないでしょうか。これは政治家だけの事を言っているのではなく、私たち国民全員の意志の力が弱いのだと思います。目先の方法論を戦わせる前に、どのような「良き未来」を創造するか・・・その「思考力」と「追求力」をみんなが持つこと。経営も同様です。社員全員が、本当に「良き会社」を思考して、追求して行けば、必ず良き結果は出て来ます。
世の中で起きている事。自分の人生で起きている事。みんな、自分自身の思考力と追求力を鍛える為の練習(レッスン)です。このレッスン・プランは一人ひとりメニューが違うので、誰かに代わってもらう訳には行きません。自分自身でオリジナル・メニューをこなして行くしかありません。でも、1つ1つをクリアーしていくことで、自分自身の思考力と追求力が高まります。これは最高に喜ばしい経験です。しかも練習メニューである以上、必ずクリアーできる答えが用意されているはずです。だから安心して、自身の問題や課題に真剣に向き合って、全力で思考し、全力で追求して行くこと。問題や課題が大きいと言うことは、自分自身の器が大きいということ。世の中が大転換しようとしている今、全ての存在が大きく飛躍できるビッグチャンスが来ています。自分自身の「思考力」と「追求力」を鍛えて、この時代を生きる価値を掴もうと思います。

謹賀新年2014

新年明けましておめでとうございます。
本年も何卒よろしくお願い申し上げます。
平成26年元旦
年末年始、東京はとても良い天気です。今朝も毎月1日と同様、早朝に(スーツとネクタイ着用で)地元の氏神様(武蔵野八幡宮)へお参りに行き、感謝の思いをお伝えして参りました。元旦のお参りは早朝に限ります。人込みも少なく、とても清々しい空気でした。参拝後、そのまま会社へ行って、神棚の水を替え、御挨拶。その後、初日の出に向かって手を合わせて御挨拶。もちろん家を出る前には仏壇(御先祖様)へ御挨拶。「一年の計は元旦に在り」と言いますので、今年もこのような「礼」から始めました。そして今は、会社に年賀状が届くのを待ちながら、こうしてブログを書いているところです。
年が明けて、あらためて昨年一年を振り返ると、もう遠い昔のことの様に感じます。全ては過ぎ去っていくもの。良い事も悪い事も。結果、最後に残るのは経験と思いだけです。映画「かぐや姫の物語」の主題歌である「いのちの記憶(作詞作曲:二階堂和美」の歌詞に、こうあります。「いまのすべては過去のすべて」「いまのすべては未来の希望」と。「いま」とは、自分自身が生きた全ての過去の「結果」です。同時に、この先の未来を決定する「原因」です。と言うことは、過去を後悔したり、未来を不安に思うことは、全く無意味なこと。「今を懸命に生きること」こそが、未来を生きる自分自身への最高のプレゼント(結果)に成るのだから。「いま」という時空の中で、自分自身をただ輝かせること。自分自身を生き切ること。生きている手応えを感じること。そのような気づきが大切なのだと理解しました。
日本は本当に恵まれている国です。しかしながらその状況に胡坐をかいてしまい、おかしな方向へ行ってはいけません。決して、恵まれていることへの感謝を忘れてはいけません。結局のところ、全ての根本はこの「感謝」に在ると思います。感謝が不足すると、必ず人も会社も国もおかしく成ります。丸二はかつて「ありがとう」という言葉(言霊)を企業メッセージとして使用していました。けれども、その「ありがとう」とは、あくまで人間同士の「挨拶」や「御礼」としての表現の域であり、もっと大きく、もっと深く、もっと根元的な「感謝」には遠く及ばないレベルだったのです。そのことに気が付いた時、とても恥ずかしい思いでいっぱいに成りました。すぐに企業メッセージを取り下げて、深く深く考え続けました。もっと本質的な「感謝」を認識しなければ成らないと・・・。
そして、気づいたのです。私たちは建設会社です。ありとあらゆる種類の建材を使って、建物を造っています。これらの建材は(よく考えると)全て自然界から生まれています。もちろん人工的な加工製品も在ります。けれども、それらも元は自然界にある物質を組み合わせて出来たものです。と言うことは、私たちは、この大自然に存在している物質を、(自然界に対して)無断で、無料で、使わせていただき、企業経営をさせていただいていたのです。ああ、何て勝手で失礼なことをしていたのだろうか・・・。その全ての根本に対する「感謝」が、先ずは大切ではないか。建材を使っているのではなく、使わせていただいている。建物を造っているのではなく、造らせていただいている。水や空気がもし無くなったら、人間は数十秒で死んでしまいます。生きているのではなく、生かされている。「ここ」への感謝。そう思い至った時、私たちは、「自然の恩恵に感謝できる会社造り」を目指すことにしました。この原点が無ければ、本当の意味での(人々への)「ありがとうございます」という思いは生まれない。その事に気が付いたのです。
このようにして私たちは「感謝道」を歩み始めました。真の「感謝」、お客様への真の(誠心誠意の)「ありがとうございます」を実践し続けることで、良き経験と良き思いが育まれるはずです。それはきっと必ず、「未来の希望」を造り上げて行くでしょう。今年も「感謝」で駆け抜けて参りますので、何卒よろしくお願いいたします。尚、今年の「ニコニコ通信:新年号」の挨拶文を下記に転載しましたので、よろしくお願いいたします。ありがとうございます。
【ニコニコ通信:新年号~社長コラム】
新年明けましておめでとうございます。本年も何卒よろしくお願い申し上げます。
昨年10月8日に創立60周年を迎え、また新たな年明けと成りました。これもひとえに、全てのお客様並びに関係各位の皆様のおかげと、厚く御礼申し上げます。誠にありがとうございます。昭和28年の創立当時とは全く異次元のような60年後と成りましたが、それでも建設業の原点は変わらず、人々の生活と生命を守り、人々の喜びと幸せを育む場を造ることに在ります。時代の流れによって、その役割や存在感は確かに変化はしていますが、私たち丸二は、「自然の恩恵に感謝する」という根源的な理念の下で、「良き建築」と「良き住環境」を懸命に社会へ提供し続けて行く決意です。この60年で最も大きな変化と言えば、地球環境の問題があります。毎年のように過去に例のない異常気象が起こり、人々の生活に多大な影響を及ぼしています。そのような自然界の異変の真因こそ、私たち人類の生き方に在ったのは間違いの無い事実ですが、それでも私たちは、毎日を安心して、安全かつ快適に暮らして行かなければ成りません。日々の防災意識を持ちながら、この時代を乗り越えて行ける本物の建築を、私たちは造り続けて参ります。昨年秋に行われた伊勢神宮の式年遷宮が無事に終わり、これからの20年は、今までの「米座(平和の時代)」から「金座(激動の時代)」へ移行すると言われています。いずれにしても、あらゆる物事が大きく動き出す時代に入ろうとしていますので、先ずは自らの精神を確立(自立)して、その激動のエネルギーを良き方向へ導いて行きたいと思います。最終的には、会社で言えば「経営理念」、個人で言えば「人格形成」が、「見られて行く」時代に成るのでしょう。そのような意味において、これからの20年は「反転する時代」です。良いものを誠実にご提供する良心的な経営が、「力」を得て行く時代に成るのでしょう。丸二は、そのような良き時代へ向けて、1mmの前進を続けて来ました。世の中が(あらためて)建設業を再評価し、新しい建築を求める時代に成った今こそ、私たちはその期待に応え、その期待を超えて行くことが出来るのです。よって、この2014年の年明けは、丸二の「次の60年」への新たな大きな門出と成ります。私たちが更に一層、皆様のお役に立ち、皆様の喜びと幸せを創造すべく、今後も最善を尽くして参りますので、本年も何卒ご愛顧のほど、よろしくお願い申し上げます。ありがとう御座位ます。