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オリンピアンの星

「東京2020オリンピック・パラリンピック」の全プログラムが終了いたしました。開催に対しての賛否はありましたが、先ずは無事に開催できたことは良かったと思います。オリンピックの開会式と閉会式、並びにパラリンピックの開会式と閉会式の生放送を(ほぼ)見た感想としては、国際パラリンピック委員会(IPC)のアンドルー・パーソンズ会長のスピーチに強く感動しました。

兎にも角にも、東京(日本)への感謝の思いに溢れ、強烈な日本愛を感じました。特に日本のボランティアの方々への賛辞に対しては、外国人アスリート達からの万雷の拍手も重なり、日本人として感無量でした。日本が当初掲げた、通常の意味合いとしての「おもてなし」はなかなか出来なかったと思いますが、それ以上の、別の次元の「おもてなし」を、日本のボランティアの方々は悪戦苦闘の末に、遂に実現したのだと思います。そして、その思いを誰よりも理解してくれたのは、パラリンピックの選手たちだったのかも知れません。

今、世界は分断の方向にあります。様々な差別も現実としてあります。けれども、それとは違う別の次元では、融和と共生の社会も並行して生まれようとしています。今回の「東京2020オリンピック・パラリンピック」は、常識的には中止が適切な判断だったと思いますが、日本ならではの不思議な「情緒」を残した大会として、歴史に刻まれるのではないかと思います。

ところで、オリンピックの閉会式で、(ちょうど、そこだけ見逃してしまったのですが・・・)宮沢賢治の「星めぐりの歌」を、大竹しのぶさんと子どもたちが歌うシーンがありました。全体的な演出面に対する批判や、「なぜ宮沢賢治?」との声も多かった様ですが、私には、とてもよく分かりました。

「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」

宮沢賢治のこの言葉には、壮大な理想があります。その理想と現実の狭間で、賢治は若くして命を落としましたが、彼の願う壮大な理想は、今でも、日本の(夜空に浮かぶ)星々に転送され、更に輝きを増している様に感じます。オリンピックもパラリンピックも、「世界のぜんたい幸福」を理想としているのであれば、宮沢賢治の理念と完全に合致するはずです。実際のシーンを生で見られなかったのは残念でしたが、地球全体がパンデミックの最中、世界中に宮沢賢治の歌が流れたのかと思うと、それも1つの別次元への旅のはじまりを思いました。

このようにして、「東京2020オリンピック・パラリンピック」は終わりましたが、人類と、新型コロナウイルスや世界的な自然災害との対峙は、未だに続いていくと思います。その中で一番大切なことは、自らの心を磨いていくことしか無いと思います。自らの心を磨き、目を覚まし、現実を直視しながら、日々(自分にできる)最善を尽くして行くこと。実はその行為の中にこそ、賢治の言う「理想の世界」が(既に)含まれているような気がするのです。だからこそ、明るい気持ちで、この毎日を行く。この日々を生きる。そして懸命に努力する。これがまさにオリンピアンの精神と通ずることに気がつきました。