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NHKスペシャル「亡き人との再会」

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数日前の夜、NHKスペシャル「シリーズ東日本大震災:亡き人との”再会”~被災地3度目の夏に~」を見ました。そして少なからず驚きました。NHKがこのような番組を制作したことにです。あの東日本大震災以降、多くの人々が亡くなった家族と「再会」をしていると言うのです。「目の前で水の中に沈んでいった義母が、ある晩、先に亡くなっていた義父と仲良く一緒に、庭の窓から部屋に入って来ました」。「幼稚園で死んだ子どもが、仏壇の前に座っていて、私(母親)の方を見ていたのです」。「妻と息子2人が死んだのですが、ある日、不思議な少女に手を繋がれて、長男と二男が部屋の中に立っていました」。あくまで体験者の声をそのまま伝える形の内容でしたが、そこに必要なのは解釈ではなく、(先ずは)ありのままを受け入れることだと思いました。
その中で、とても大切な共通点を見つけました。姿を現した人々は(みんなみんな)とても素晴らしい「笑顔」だったという事です。「助けられなかった私を、許してくれているのだろうか・・・」と悩んでいる人々の前に現れて、「大丈夫。心配しないで。私は元気。だからもう悲しまないで。ありがとう」と伝える為に天上から降りて来たのでしょうか。子どもを失った親が、その時の様子を絵に描いたものを見ましたが、(その子どもたちの笑顔が)何て素敵でかわいいことか。それに穏やかで、温かい。ある晩の夕食時、亡くなった小さな息子の仏壇に向かって、「一緒に食べようね」と声を掛けた瞬間、(その子が大好きだった)アンパンマンの自動車のおもちゃの音が鳴って、ライトが点いたそうです。「お母さん、いつまでも一緒だよ・・・」。母親の目にはもう涙はなく、笑顔が戻りました。
2011年3月11日の東日本大震災で生命を失った方々は、みんな何かしら大きな約束の下に生まれて、その使命を果たし、みんなで一緒に去って行ったのではないかと感じます。本当の日本を再生する為に、世界の平和を実現するために、真実の愛を教えるために。だからみんな「笑顔」だった。けれども私たちは、その意志を受け止めることが出来たのでしょうか。日本の再生に向けて、歩み始めたのでしょうか。あれから2年と半年が過ぎました。今こそ、直接の被災を受けなかった私たちこそが、震災で大切な人を失った人々を見習って、笑顔と共に前へ進む時です。NHKが(勇気を持って)このような世界を扱ったのには、それなりの理由があると思います。1つは、確かにそのような事実が相当数存在していること。もう1つは、(解釈自体よりも)そこに含まれている「意味自体」を提起するためだったのではないでしょうか。
最近買った本の中に、「人は死なない-ある臨床医による摂理と霊性をめぐる思索」という一冊があります。これは東京大学医学部救急医学分野教授の矢作直樹氏が書いたもので、現役の東大のお医者さんが霊や魂の実在について語った内容の様です。まだ読み始めていないので、詳しくはまた別のブログで書こうと思いますが、この先生は医療の道に麻酔科から入ったようです。実は以前読んだ本で、麻酔がなぜ効くのか未だに不明である事を知りました。私たちは、全ての物事は科学的に解明されているものと信じ込んでいますが、実際は、「解らないこと」ばかりなのが実体の様です。麻酔が科学的に解明されていないからと言って、麻酔無しで手術を受ける人はいないでしょう。理由は解らないけど、実在する力に(実際は)私たちは頼って生きているのです。今の科学で解明できなくても、在るものは在る。「亡き人との再会」も、(もしかしたら)その中に含まれるのかもしれません。
死者の霊を追悼する音楽「レクイエム」は、多くの作曲家によって残されました。有名なのは、モーツァルト、ヴェルディ、フォーレの3大レクイエムですが、最近聴いたのはブラームスの「ドイツ・レクイエム」です。レクイエムは通常ラテン語で歌われますが、プロテスタントであったブラームスは、ルターの訳したドイツ語版聖書を基に、ドイツ語で書きました。ブラームスとしては初期の作品なので、あまり有名ではありませんが、とても美しい音楽です。レクイエムと言うと、何か恐くて悲しいと言うイメージがありますが、この曲は全くそのような事はなく、とても穏やかで優しいエネルギーを感じます。こちら側だけでなく、(もし)向こう側も在るとしたら、その両方を認識することで、本当の全体世界が見えて来る。本当の全体世界が見えて来ると、不安や恐れも無くなる。その1つのブリッジ役としての「レクイエム」が在るとしたら、そこに「穏やかな音」が聴こえるのも必然でしょう。
さて、昨夜のNHK「プロフェッショナル~仕事の流儀」は、「宮崎駿スペシャル:風立ちぬ~1000日の記録」でした。すでに映画を見終えていたので、とても興味深く面白かったです。「面倒くさい、面倒くさい」と言いながらも、必死で絵や台詞を書き続ける宮崎駿氏と、零戦を開発した堀越二郎氏とがここで重なります。零戦開発者の物語を作ることで、戦争美化と言われないだろうか。でもそれに対する答えが見つからない。「作りたいから作る」としか言いようが無い。けれども絵コンテを作成中に、何かが閃き、突然(指揮者の様に)体が動き出し、(堀越二郎氏が本当に作りたかった)美しい飛行機の姿が空を舞うシーンが加わりました。言葉には表せないけど、それが答えだったのでしょう。東日本大震災発生時、スタジオジブリは数日間を休業としました。けれども宮崎駿氏は、通常通りにオフィスに出て来て、そこに居る社員たちに、「なぜ休業にするんだ!出て来られるじゃないか!向こうの方が大変なんだ!(甘えるな!)」と激しく叱責していました。その気持ち、とても良く分かります。あの日起きたことは、私たち全員の出来事。だから自分たちも一緒に乗り越えないと行けない。戦争、地震、津波、原発。全部(元は)自分たちの問題。その矛盾や葛藤と向き合え。悩め。苦しめ。
あれほどのヒット作を造り続けている人であれば、もっとのんびりと豊かな生活を送っても良いはずです。それなのに自分を追い詰め、苦しみ、もがく。カップラーメンを食べながら、「食べるのも面倒くさい」とか言って、机から離れ無い。けれども、「今こうして映画を造れるのは、本当に幸せなこと」と言う。戦争や地震で、生きたいように生きられなかった人々がいた。だから懸命に生きられる幸せを感じたい。「懸命に生きよ」・・・やはりこの言葉こそが、震災で亡くなられた方々からの(私たちへの)メッセージではないでしょうか。「亡き人との再会」をどう解釈するかでは無く、亡くなられた方々の笑顔や温かい思いを(今、自分自身が)感じられるかどうかの問題だと思います。そのような美しい感性を持てる人間に成長したい・・・。このようにして2013年の8月が終わろうとしています。

クラウド・アトラス

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トム・ハンクス主演の映画「クラウド・アトラス」をDVDで観ました。これは、「転生」をテーマにした小説の映画化で、6つの時代を(輪廻転生しながら)生きた人々のそれぞれの人生を描いた作品です。監督はウォシャウスキー(姉弟)で、彼らの代表作は「マトリックス」です。でも私自身、「マトリックス」にあまり感動しなかったので、今回の「クラウド・アトラス」に対しても、特別大きな期待は持っていませんでした。ただ「転生」がテーマと言うことで、関心を持ったのです。
映画自体は「マトリックス」同様、映像は素晴らしかったのですが、6つの時代を行ったり来たりするので、何が何だか(誰が誰だか)分からない面もあり、「転生」そのものに対する探求や洞察よりも、スピード感あふれる壮大なアクション映画として見るべきものだったのでしょう。もう一度観れば、受け取り方は変わると思いますが、ここがハリウッド(商業)映画の限界かもしれません。でも「転生」を描いたという面において、興味深い点もありました。
それは、「悪人は6つの時代とも悪人として生きている」という点です。例えば、普段はロマンティック・コメディの主演が多いヒュー・グラントなどは、最後は人食い族にまで成ってしまい、これはこれでとても面白かったです。6つの時代を経て、一人の人間がどのような運命を辿ったかという視点は薄いので、あとは観た側で考えるしかないのですが、(あくまで転生がある前提ですが・・・)確かにそのような人生を繰り返し、その負のループ(堂々巡り)から抜け出せないことも現実的にあるような気がします。
一方で、トム・ハンクスにも悪人的な人生もあったのですが、6つの時代を経て少しずつ変化が生じ、6つ目の人生では大きな悲劇に遭いながらも、心穏やかな晩年を迎えています。そのようなマクロな視点で自らの人生を俯瞰した時、今の人生の「今」にはとても大きな意味があるように感じます。「今」をどう生きるかによって、今回の人生のみならず、その次以降の人生にも大きな影響が在る。陥りやすい(繰り返しの)負のループからどのようにして抜け出すか・・・。結局、主人公たちは(同じ時代を)同時に生きてはいますが、それぞれの人生のステージは少しずつ変化して行くのです。
そう考えると、仮に今が苦しくても(次の人生以降まで含めた)未来を良くすることは充分可能ではないかと考えます。その為には、今の環境の中で懸命に最善を尽くすことしかありません。その繰り返しによって、だんだんと負のループから脱することは出来るのではないか。それは多分、自分が思い描く理想像とは随分遠く離れているかもしれません。けれども、6つ先の人生まで含めたとしたら、先はまだまだ相当長いのです。今すぐは無理でも、時間を掛ければ必ず近づく。やはり毎日1mmの前進ですね。そう思って動き出せば、(案外)突然夢が叶ったりするかもしれません。逆に今すぐ良く成りたいと欲を出すと、なかなか負のループから抜け出せない。「人生、遠回り」と知ることで、むしろ不安は無くなり、必ず良きサイクルの中に移動できると思います。
最近、地元の大好きな本屋さん(ブックス・ルーエ)で「想定外」という本を見つけ、何となく読んでみました。この本で述べられていたのはただ1つ、「成功者は回り道をしていた」ということです。物事はすぐに(直線的に)叶うことは無く、必ず回り道や反対方向へ向かった時に、(思わぬ形で)成就している。ほとんどの人(会社)は、すぐに結果を出そうとしますが、それで成功した人(会社)はほとんど無い。苦労の中で、夢とはほど遠い内容を懸命に続けた(回り道の)結果、思わぬ形で夢が実現した。目先の欲を直接的に追いかけた人は、結果的には目的地からどんどん離れて行った。逆に(仕方無く)目的地とは違う方向へ向かったり、遠回りや回り道をした人の方が、不思議と目的地に着いている。
「カーネル・サンダースの教え」という本を読みました。有名なケンタッキー・フライドチキンのカーネルおじさんの物語です。カーネル・サンダース氏は、65歳で全財産を失ってから、「ケンタッキー・フライドチキン」のビジネスを始めました。それまでの人生は、解雇、失職、転職、裁判、逮捕、銃撃戦、大事故、火災、離婚、倒産、破産等の連続で、現在のお店の前にあるにこやかなカーネル人形のイメージとはほど遠いものでした。けれども、そこで経験した数々の偶然の中から、フライドチキンは生まれたのです。要は、「食う」ために懸命に(文字通り命懸けで)生きながら、壮大な回り道をして来た結果、思わぬ形で(全くの想定外で)成功を掴んだのです。何とも不思議な話です。結局、カーネル・サンダース氏の信条は「最善を尽くす」だったのですが、やはりこれに尽きるのでしょう。
最善を尽くしても、結果は良く成らないかもしれない・・・と人は不安に思います。確かにすぐに良くは成らないでしょう。けれども、それは必ず時間差で応援が来るはずです。一昨日、ついにイチローが日米通算4000本安打を達成しました。この偉業は本当に素晴らしいものだと思います。けれどもイチローが「4000本」という数字を、直接的に目指していたようには決して見えません。インタヴューでも話されていたように、むしろ数多い失敗に対して真摯に向き合って来た結果としての産物のように感じます。もし転生があるとしたら、イチローは過去の人生を含めて、壮大な時間を掛けて(=回り道をして)、「今」に辿り着いたのではないでしょうか。人からは「すぐ出来た」ように見えても、実際は悠久の時間軸を経ての業かもしれません。だとすれば、私たちは他者との(全く無意味な)比較を終わりにして、自身が歩んでいる「回り道」への価値を見出し、そのまま自分自身の道を(安心して)行くことだと思います。人間誰もが、回り道をしながらゴールに向かっている成功者であると信じて・・・。

終戦の日

昨日(8月15日)は終戦記念日でした。68年前の昨日の正午、昭和天皇の玉音放送が流れました。そして日本は負けました。当時の国民は、それをどのように聞いたのでしょうか。今の私たちには想像もつかないことです。今年の夏は異常な暑さで、連日各地で40度以上を観測しておりますが、あの戦争で焼かれた町の熱さに比べれば、まだまだ恵まれていると思います。私たちは、自国を敵国に占領された時の恐怖(覚悟)など、絶対に分からないでしょう。ところがその後の日本は(神懸かり的な)経済発展を遂げ、平和な国に成りました。敗戦国にも関わらず・・・です。この奇跡に対しての感謝の思いを(今を生きる)私たちは本当に持ち合わせているのだろうか。今こそ、この平和な日本を築き上げた先人達と御先祖様への感謝と追悼(供養)の思いが大切なのだと感じました。
8月15日は大いなる転換点と成った日です。もし昭和天皇がご自身の生命を惜しんでいたならば、8月15日以降も戦争は続いていたでしょう。その時は、今の日本の繁栄は無かったはずです。平和も無かったはずです。もちろん、戦争を回避できなかったという無念さはあります。けれども(いつの世も)「今」という現実を生きる中で、最善を尽くす以外に道はありません。皆、懸命に「今」を生き抜きました。私たちは(幸い)歴史から学ぶことできます。未来の日本を救った8月15日を思い出しながら、今度は私たちが国の未来を決める番です。
一方、エジプトの騒乱では、死者が500人を超えたそうです。このような不毛の戦いからは何も生まれないと、私たちは過去の戦争から学びました。けれども外部からの攻撃を防ぐ意識も同時に必要です。そのバランスの位置について、現在様々な意見がぶつかり合っていると思います。でもそれは戦術(方法論)であって、「日本の平和と繁栄を実現する」という戦略(目的)においては(確かに明確では無いですが)共認されていると思います。この現実世界は必ず(矛盾し合う)2つの力が働いています。だから難しいし、なかなか答えが出ない。けれども答えを出さなければ前へ進まない。そのような葛藤の中においても、「日本の平和と繁栄を実現する」という強い意志が(みんなの中に)存在すれば、日本は必ず良き方向へ行くと信じます。日本と言う国が立派に成長したところを(先人達に)見せてあげたいと思います。
その為には、私たち日本人一人ひとりの意識の向上が必要だと思います。先日のニュースでは、富士山のゴミの増加に対する報道がありました。世界遺産に登録されたことで、登山者が増えたからだそうです。世界遺産に成ったのも、登山者が増えたのも、そしてゴミが増えたのも、全て人間側の都合です。大自然(富士山)側への配慮(畏敬の念)は、そこにはありません。街を歩いていても、タバコのポイ捨てや空き缶等のゴミが目に付きます。世界的に見れば、確かにキレイな方だと思いますが、日本人だったらもっと良くできるはず・・・と思います。次に使う人のことを考えて、キレイにしておくという日本人の美意識が失われると、この日本を守っている(目には見えない)「何か」が離れて行ってしまう様な気がするのです。家や職場をキレイにすることは、運気を上げる上で非常に大切なことですが、同時に戦争(戦い)を起こさない為の抑止にも成っていたと感じるのです。飛躍した考えかもしれませんが、でも全てはつながっています。
昨日は(午後から)千葉方面に用事があり、車で出掛けました。帰りがちょうど夕日に向かって走る時間帯だったので、サングラスを掛けて運転し、薄いヴェールの雲の向こう側に滲む美しい太陽を目指しました。この光に照らされていること自体が、本当は奇跡的なことなのに、私たちはついそのことを忘れてしまいます。私は太陽を見ると、映画館を思い出します。スクリーンに映像を映し出せるのは、映写機の光源が在るからです。私たちは、自分自身の人生と言う映画を自ら脚本・監督し、その映画の中で生きようとしています。けれども、その人生(光の粒子)を映し出している光源をつい忘れてしまいます。まるで太陽の存在を忘れてしまう様に。その光源とは、自分自身の良心ではないでしょうか。自分自身の良心が光源と成り、自身の人生を白い壁に投影しているのではないでしょうか。だから人生を創り出しているのは(他の誰でも無い)自分自身だと思うのです。
光源の存在を忘れて、白い壁に映る映像を変えようとしても、なかなか上手く行きません。それはただの白い壁に過ぎないのだから。私たちは太陽を見る時、同時に自身の心を見ています。その心(光源)を美しく磨くことで、映写される映画はもっと美しく成るに違いありません。戦争も平和も、誰かが造るものではなく、自分自身の問題ではないでしょうか。平和な人生を送るには、それに相応しい光源を発すること。外側に求めるのではなく、内側に答えはある。8月15日は、日本人にとって極めて重要な日です。日頃は忘れてしまっても、この日だけは自分の心の中に「平和」を映し出すこと。目の前の太陽に「ありがとうございます」と感謝しながら、(それに比べて)自分自身の至らなさがとても恥ずかしいのですが、それでも(少しでも)良き光源に成れるよう、もっと平和な世界が実現するよう、自身の中身を磨き続けようと思います。

日航機事故から28年

8月12日は、日航ジャンボ機が御巣鷹に墜落した日です。あれから28年が経ちました。520人もの多くの乗客が犠牲と成ったあの大事故。私は当時大学生で、ちょうどその日は家族と外食に出掛けており、家に帰ってからニュースで知りました。最初は日航機の消息が不明という状況で、その後(かなりの時間が経ってから)墜落と分かりましたが、墜落現場の特定に迷走し、(確か)翌日以降に成って「御巣鷹」という聞きなれない地名を知りました。
その後、TVのニュースで墜落現場からの中継が始まり、数名の生存者の救出劇などが映し出されました。坂本九さんが乗客だったことも知りました。事故の原因は、同機体の直前の尻もち事故だったそうです。いずれにしても、多くの人々が尊い生命を落とされたこの事故を思い出すことで、私たちは亡くなった方々への追悼と共に、二度とこのような事故を起こして成らないと、心に強く刻んだのです。
この事故を描いた小説や映画も生まれました。中でも「クライマーズ・ハイ」や「沈まぬ太陽」は、とても素晴らしい作品でした。けれどもそこには、悲劇が起きたことによって、良き作品が生まれたと言う(何とも言い様の無い)葛藤(ジレンマ)が存在しています。でも同時に、起きた悲劇を風化させず、いつまでも(未来の)人々の心の中に残し続けようとする「希望」も同時に内在されていました。亡くなった方々の本当の思いを知る事は出来ませんが、でも「いつまでも、忘れないで欲しい・・・」という願いは(間違い無く)在ったと、私は感じるのです。
翻って、世の多くの芸術作品は、実際に起きた出来事を基に生まれています。あくまでも造られた「作品」ですので、その作者の人生観、宇宙観としての表現であり、必ずしも事実(真実)そのものという訳では無いでしょう。つまり、作者がそこで伝えようとしているものは、単なる「事象」ではなく、そこに内在する「本質」なのです。あらゆる事柄を取り巻いている普遍的な世界です。宮崎駿監督の「風立ちぬ」においても、堀越二郎氏と菜穂子の物語はフィクションです。でもそのような「事象」は(確かに)無かったけれど、そう云う「愛」という本質は在ったに違いない。そのような目には見えない世界までを映像化する為に、新たな設定や物語が発想されるのだと思います。そこには「事実では無いが、真実である」「嘘から出た真」という道理が在ります。
そのようにして、実際に起きた歴史は(歴史学者や報道機関のみならず)実は芸術家たちの手によって、確かに未来へつながっているのです。本、映画、音楽、詩、舞台、祭、花火という様な「美しい形態」に形を変えて、真実(本質)は伝承され続けています。今回の東日本大震災についても、これから多くの作品が生まれて来るでしょう。原爆と原発についても同様です。同時に、それでも原発を維持しようとする人々の苦悩を描く物語も出て来るでしょう。全てが完全に(キレイに)治まる世界は無いからです。けれども、その中で多くの人々が「共認」できる範囲を(少しでも)広くしていくことは可能です。その為に、私たちは「忘れてはいけない」のです。その「忘れない」と云う役割を担っているのが、芸術の世界だと思います。
私は映画や音楽が大好きです。一方、そんなものに興味を持っても何の得にも成らないと思っている人々も多いです。けれども(だとすれば)なぜ人間の本能の中に「感じる力」が在るのだろうか。なぜ感動し、涙を流すのだろうか。なぜ涙を流した後、心が優しくなるのだろうか。これはとてもとても大切なことではないだろうか。私は、人間が生きて行く上で、絶対的に必要な要素としての「衣(医)食住」の中に、「文」を加えます。芸術や教育などを含める文化の「文」です。
あの東日本大震災の後、東北の人々はすぐにお祭りを再開しました。食べるもの(=仕事)や住むところが未だ不安定な状態だったのに(全てが流されてしまった街の中で)いつもの様にお神輿を担ぎました。共に生きる為に「祭」という「文化」「伝統」を守りました。祭りが「生」そのものだったからでしょう。また「衣(医)食住・文」の中の「住(建物)」も、まさに人々の生命と暮らしを守る為に存在しています。けれども同時に「文」としての役割も担っています。家や街並みも、美しい芸術であり、文化です。生活や空間に色彩に加え、生きて行く為の「夢」を与えてくれます。人は、昔住んだ家のことを懐かしく思い、今でも部屋の隅々まで覚えているものです。家とは、いつまでも忘れないひとつの作品なのです。
私は、いつまでも心に残る「文化」を大切にして行きたいと思います。悲惨な戦争や災害や事故のことも、決して忘れないことで私たちは学習し、人類の進化発展に結び付けて行きたいと思います。<1.17><3.11><8.6><8.9><8.12><8.15><9.1>と、日本では毎年重要な日が続きますが、今年の9月1日は、関東大震災から丸90年という大きな節目と成ります。先人達が生命を掛けて、未来の子ども達へ残した伝言を、私たちは確かに受け継いで行かなければ成りません。今一度、防災意識を持って(未来への希望を持ちながら)自身の生命を大事にして行きたいと思います。
28年前、御巣鷹の尾根に散った520人の方々の思いもきっと同じだと思います。自分たちの死から学んで欲しい。生命の大切さを分かって欲しい。自ら生命を絶つ人がいるが、与えられた生命の意味を分かって欲しい。どんなに辛くても、生命は素晴らしいものと知って欲しい。生きたかったのに生きられなかった人々の無念さを分かって欲しい・・・。このような思いの伝言を、私たちは次代へつなげて行こうと思います。28年前、日航機墜落事故で亡くなられた方々への心から追悼を胸に・・・。

終戦のエンペラー

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8月6日、広島。8月9日、長崎。日本の8月は戦争を思い出し、平和を祈る月です。大ヒット中の「風立ちぬ」とは別に、(もう1つ)戦争を扱った映画が公開されていたので、それも見に行きました。タイトルは「終戦のエンペラー」。これは終戦直後のGHQが天皇の戦争責任を問うもので、マッカーサーの部下であるフェラーズ准将が、この戦争の真の戦争責任者を調査して行くという物語でした(アメリカ映画です)。映画としての完成度は(あくまで個人的には)決して高くは無かったですが、史実に基づく昭和天皇の真実が極めてストレートに描かれ、感動することが出来ました。
昭和天皇とマッカーサーが面会した時、そこで天皇が述べられた言葉が(決して大げさでは無く)日本という国を救ったのだと思います。さらには、後の繁栄と平和を導いたのだと思います。自らの生命を捨てて、国民を守る。この言葉を聞いて、マッカーサーは恐らく思考停止状態に陥ったと思います。あり得ない程の巨大な言葉を聞いた時、人間はもう相手の世界に飲み込まれるしかありません。マッカーサーは昭和天皇に対し(日本の復興への)協力を依頼しました。もし天皇に何かしらの手を下したら、大変な事が起きるだろうと直感したに違いありません。
そのようにして日本の「戦後」が始まりました。現在の日本とアメリカの関係においては、沖縄の基地問題も有り、様々な意見が対立しています。真珠湾の攻撃も、広島と長崎への原爆投下も、両国の間に未だ暗い影を落としたままです。けれどもあの終戦の時、アメリカが日本の天皇の戦争責任を追求しなかったことは、本当に奇跡の様な出来事だったと思います。そのことは未来の日本にとっても未来のアメリカにとっても、感謝してもしきれないほどの天啓だったのでは無いでしょうか。映画でフェラーズ准将は、愛する日本人女性を通じて、日本と云う国を信じました。それは確かに私情だったのかも知れません。フェラーズ准将はマッカーサーに、「天皇の戦争責任に対する証拠はありません」と報告します。一人の日本人女性が、国の未来を救ったのです。
今年は68回目の平和記念式典が(広島と長崎で)行われました。最近、いよいよ戦争経験者の方々の声が大きく成り始めた様に感じます。あの戦争の悲惨さを何とかして後世(子どもたち)に伝えなければならない。過去の戦争を知らず、未来の戦争を予期できない日本にしては成らない。「もう終わった戦争」では無く「もう来ない戦争」でも無い。戦争はまだ終わっていない。戦争はまた起こるかもしれない。もう時間が無い。けれどもまだ間に合う。そういう声がこの夏、日本中から聞こえて来た様な気がします。
そしてもうすぐ「少年H」という映画も公開されます。大林宣彦監督の次回作も(今度は)北海道芦別を舞台にした古里映画ですが、やはり戦争を描いています。もう二度と戦争を起こさないために、私たちは戦争を忘れては成らない。けれども同時に、有事の際に国や家族を守るにはどうしたら良いかも考えて行かなければ成らない。この矛盾に対する葛藤は、人類が抱える永遠の課題なのでしょう。世の中が不況に成ると戦争の足音が聞こえて来ます。でも今を生きる私たちには、その矛盾を越えられる何か良きアイデアが(きっと)思い付くはずです。みんなの思いは同じです。もう戦争はしたくない。国を守りたい。家族を守りたい。だからゴールは一緒です。ならば一緒に智慧を出して行こう。戦争を忘れないことで、共に平和を築いて行こう。
昨夜のニュースでは、映画監督のオリバー・ストーン氏が来日し、広島と長崎を訪れ、平和祈念式典に参列している姿を紹介していました。オリバー・ストーン監督は、ベトナム帰還兵としての経験があり、「プラトーン」や「7月4日に生まれて」等のベトナム戦争の映画を撮っています(その後は「JFK」や「ニクソン」等の社会派映画も撮っています)。インタヴューの中で、ストーン監督は「広島、長崎への原爆投下は誤りだった。戦争を終わらせる為という理由も嘘だった。仮に終わらせる為であったとしても、許されないことだ」と述べていました。約70年の戦後史において、いろいろな観点から歴史が見直されて行くことは良いことだと思います。ヒロシマ、ナガサキ、フクシマ。世界唯一の被爆国日本は、世界の平和を祈るに最も相応しい国です。
東日本大震災以後、平成の天皇皇后両陛下は、(お体の具合がとても悪いのに)幾度となく被災地を訪れ、被災者の方々を勇気づけられ、亡くなった方々への慰霊と共に、被災の土地を鎮める祈りを捧げ続けています。このお姿に、昭和天皇がマッカーサーに立ち向かった時の澄み切った思いと同様のものを感じます。これを「無私」の心と言うのでしょうか・・・。「自分は良いから国民を守ってください」。私たち日本人は、再びここで救われようとしています。先日、気象庁の緊急地震速報がありましたが、結局「誤報」とのことでした。けれども国民の生命を守るための懸命の努力の上で起きたことであり、責めるべきことでは無いと感じます。それでも尚、謝罪を行う姿勢にむしろ感謝の念を抱きました。最後は私たち一人ひとりが、自身の心の中に平和をつくることしかありません。その総和が世界平和になるのだから。みんな、一生懸命生きているのだから。

風立ちぬ

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長岡花火を見に行った前の週、宮崎駿監督の最新作「風立ちぬ」を観ましたが、この映画も戦争を描いていました。ゼロ戦の開発者である堀越二郎の人生と、堀辰雄の小説「風立ちぬ」を融合させた物語であり、(同時に)主人公の夢と現実を融合させた物語でもありました。主人公は飛行機に憧れ、飛行機の設計技術者に成りました。けれども自身の開発した素晴らしい飛行機は、「ゼロ戦」と呼ばれるように成り、戦争のために使われました。それでも主人公は、飛行機の開発に全てを懸けました。敵に勝つために。味方を守るために。愛する妻との生活のために。夢の実現のために。
ここに在る苦悩と葛藤は、爆弾と花火の物語と同様の構造です。創造する側と利用する側との間にある、どうしても埋まらない溝がそこには存在します。けれども創造する側は、そのような矛盾を遥かに超えた次元で、創造をし続けるのです。いつかきっと本当の使い方が分かる人間が出て来ると信じて・・・。
この映画の中の堀越二郎に悲壮感が無いのは、そのようなマクロな世界観を持っていたからでは無いでしょうか。二郎の見る夢の中で、尊敬するイタリア人飛行機製作者のカプローニと対話をし、普通の人々が様々な美しい飛行機に乗って楽しんでいる情景が出て来ますが、これは決して現実逃避では無く、いつか必ずやって来るであろう飛行機の未来図でした。だからこそ、普通の人々が飛行機に乗って楽しめる「今」という未来が実現したのです。
不治の病(結核)に冒されていた妻・菜穂子は、先に亡くなってしまいます。そして、残された二郎に向けて「生きて」と伝えます。二人の出会いを結びつけたのは「風」でした。風は空気の抵抗です。飛行機も空気という抵抗があって飛ぶことが出来ます。全ての愛も創造も、矛盾(抵抗、葛藤)の世界から飛び立つのです。その矛盾を受け入れる器の大きさが、次の時代を築く。困難と葛藤の中だからこそ、生きる意味と価値がある。それらを追求する行為の中にこそ「美」が宿る。
宮崎駿監督が、本作品の製作に入り、冒頭の「関東大震災」のシーンに取り掛かった直後、あの東日本大震災が発生したそうです。その前の作品である「崖の上のポニョ」では、すでに巨大津波と水没する街を描いていました。未来を予知する力が数々の作品を造らせているのではないか。このような厳しい現実世界に身を置きながら、今の自分自身に出来ることを懸命にやり続ける。仮にそこに大いなる矛盾や葛藤が含まれていても、その先にある未来図を信じて前へ進む。多くの人間が立ち止まっても、自分だけは前へ進む。そういう「矛盾の海」を泳ぎ切った先にしか、葛藤を超えられる場所は無いのだから。本映画は、そのような作者の心象風景を強く感じます。そして私も、その考えに大いに賛同したいと思います。
ちなみに「ゼロ戦」という名前の由来は、「ゼロ戦」が採用された昭和15年(1940年)が<皇紀2600年>に当たったからだそうです。下二桁が「00」ですので「零式」という名称になりました。「皇紀」とは、神武天皇の生まれた時を元年とする日本皇室の年数です。西暦に相当する日本の歴でした。そのような国家100年の節目の年に、世界最強と言われた「ゼロ戦」が生まれたのです。その後戦争には負けましたが、技術大国日本が誕生しました。
人生も仕事も国家も、常に矛盾と葛藤の連続です。多くの人間は、「それはおかしい」として、傍観者(批判者)の側に立とうとします。けれども本物の人間は、その矛盾や葛藤の中にあえて身を置いて、その先にある理想を信じながら、懸命に追求し続けます。風と共に消えて行った妻の最後の言葉「生きて」は、風の先の世界が「見えた」妻からの報告だったのではないでしょうか。「大丈夫。安心して、生きて。」と。矛盾と向き合い、矛盾を乗り越えながら、懸命に今を生き切る人間の未来は100%明るい。

長岡花火2013

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8月3日の土曜日に念願の<長岡花火>に行って来ました。昨年、大林宣彦監督の「この空の花~長岡花火物語」を観て以来、ずっと思い続けていたのですが、ちょうど3日のスケジュールが空き、前日に(急に)思い立って(妻を誘って)長岡へ・・・。長岡花火は年々観客数が増加しており、今年も過去最高のようです。きっと土曜日に当たったこともあるのでしょう。長岡花火は、観光用ではなく、あの長岡空襲で亡くなった方々への追悼と復興への祈りの祭事なので、毎年(空襲を受けた日の)8月1日から3日と決まっており、曜日は関係ありません。また私のように映画「この空の花」を観て、足を運び始めた人も多いでしょう。東日本大震災の復興への祈りも重なって、日本全体の復興のシンボルに成長しています。
花火が始まる前に、長岡市長さんからのご挨拶がありましたが、そのお話のほとんどが・・・戦争、長岡空襲、中越地震、東日本大震災、そして映画「この空の花」についてで、所謂普通のイベントの開会挨拶とは随分趣きが異なりました。ちょうど当日は(東日本大震災のガレキの受け入れにより深い絆が生まれた)岩手県大槌町の小学生16人も来ており、一緒に長岡花火を鑑賞したそうです。このようにして、復興への思いはつながっています。
また花火を観る前に、長岡駅の近くにある「長岡戦災記念館」に行きました。映画の中で、松雪泰子が訪れた場所です。昭和20年8月1日の午後10時30分、B29による焼夷弾爆撃が始まりました。この空襲により1,480人の尊い生命が失われました。映画では、母親の背中で亡くなった、1歳半の女の子が主人公でしたが、それも実話です。その子は、B29の音が聞こえると「ブン、ブン」と言っていたそうです。記念館には、長岡空襲に関わるものが多数展示されていました。決して大きな資料館ではありませんが、「長岡空襲を忘れない」という市民の思いがいっぱい詰まっている場所でした。
でもなぜ新潟でなく、長岡だったのか。それは新潟が「原爆投下予定地」だったからだそうです。そのため、新潟より小さい長岡の方に、先ず焼夷弾爆撃を行い、その後新潟へ原爆を落とす予定でした。もし広島、長崎の後も戦争が続いていたら、新潟にも原爆が落とされていたのです。歴史の事実の重さを感じました。
それから信濃川まで歩く途中、「平和の森公園」にも寄りました。ここも映画の舞台になった場所です。そこにある「平和像」は、長岡空襲で亡くなった1,480名の中にいた280名あまりの学童の霊を慰めるために設置されたものです。これを見た時、先日行った沖縄の「ひめゆりの塔」を思い出しました。子どもたちはなぜ死ななければならなかったのか。なぜ大人たちが起こした戦争の犠牲に成らなければならなかったのか。「平和の森公園」は、多くの人が亡くなった柿川に面しています。柿川は、今は小さくて穏やかな川です。でもあの日の柿川は、真っ赤に燃えていたそうです。私たちは、今の「穏やかな川」しか知りません・・・。沖縄、長岡、戦火に見舞われた土地を見ながら、もう一度、戦争と平和について真剣に考えてみようと思いました。
花火会場となる信濃川の土手に向かいました。もう大変多くの人々が歩いていました。土手に上がって誘導のままに歩いて、うまい具合に芝生の良い場所に座れました。途中で(芝生に敷く)シートを買うために、土手に近い場所のスーパーに寄ったら、もう怒涛の込み具合で、20列くらいあるレジに長蛇の列で、シート1枚買うのに30分以上も掛かりました。それくらいの混雑なのに、何となく人々の動きは整然としていて、静かで、落ち着いていました。
花火大会は、毎年2発の「白菊」から始まります。1発目は、長岡空襲の犠牲者への追悼。2発目は、真珠湾攻撃の犠牲者への追悼。いろいろな理由があるにせよ、両者に対する追悼ができる国が日本です。そして今年は、もう1発(計3発)の「白菊」が上がりました。今年の夏の豪雨により、長岡をはじめとする日本各地の水害で命を落とされた方々への追悼の為です。この「白菊」打ち上げの前、(花火会場では)今回の水害で亡くなった方々への「黙祷」を行いました。単なる観光用のイベントじゃない・・・。本当にそうでした。
花火の素晴らしさは言葉では表せません。観ている瞬間も素晴らしかったですが、むしろ終わってからの方が、感動の波が押し寄せて来ます。確か映画でも「花火がキレイなのは、夜が暗いから。花火が消えた後の夜には、心の明かりが燈る」という様な言葉がありました。その意味がやっと分かりました。関東地域では打ち上げが禁止されているという直径90cm、重さ300kgの「正三尺玉」も上がり、その巨大な大きさと音には驚きました。私たち人間は、この技術を戦争に使ったのですね。これを戦争に使ったら、どういうことに成るのか。私たち人間は、そのような「想像力」を奪われてしまったのでしょう。「長岡花火」を描いた山下清の言葉「みんなが爆弾なんかつくらないで、きれいな花火ばかりつくっていたら、きっと戦争なんておきなかったんだな」は、世界中の人々への戒めと成りました。
長岡花火のクライマックスは「フェニックス花火」です。これは2004年に起きた新潟県中越大地震からの復興のために、市民が一丸と成って打ち上げた壮大な花火で、おそらく世界でも類を見ない規模と美しさを誇ります。私たちの観覧ポイントがちょうど「フェニックス」の正面でしたので、ビデオの撮影も大変でした。つまり、この「フェニックス」は、横一列に並んだ約10カ所くらいの地点から、同時に同じ花火が打ち上げられるもので、目の前の空がすべて花火で埋め尽くされてしまったのです。しかも同じタイミングで同じ花火が、きれいに横一列で同時に咲くので、本当に圧巻。タイミングがズレないだけでも素晴らしく、まるでシンクロナイズトスイミングの演技の様な「美」がありました。音楽は平原綾香の「ジュピター」で、花火で感動して涙が出る経験は初めてでした。この「フェニックス」の力で、中越地震からの復興は進み、今や東日本大震災の復興のシンボルにも成りました。
そして、その後の花火「この空の花」もとても良かった。映画の公開を機に、昨年から打ち上げられることに成ったものです。久石譲作曲のテーマ音楽に乗って、たくさんのキレイな花火が上がりました。小さな可愛い花火がたくさんたくさん重なり合って、まるで小さな花々が次々と咲いているようで、とても美しかったなぁ。きっと、あの空襲で亡くなったたくさんの子どもたちへの祈りと「また生まれて来てね」という願いの様な気がしました。
花火の技術も時代と共に進化しているようで、今や打ち上げ装置はIT技術が駆使されています。すでにプログラミングされた通りに打ち上がる仕組みなので、先程の「フェニックス」等も数秒の狂いも無く、見事な一致ができるのでしょう。日本の花火技術は、花火師とITテクノロジーの融合によって、世界でNO1です。この技術を「花火」に使える幸せを、私たちは心の底からかみしめなければなりません。そして子どもたちの未来のために、それを守り続けて行こう。大人たちの大切な使命として。
そして花火大会(約2時間)が終り、駅まで歩きました。本当に多くの人々が、あちらこちらから出て来て、駅に向かいます。花火会場はもちろん、途中の道でも、きちんと誘導員さんがいて、親切に整理してくれました。長岡駅の手前からは、駅へ入るための誘導(順路)もあり、数万人(?)の行列を、多くの警察官や駅員さんが穏やかに誘導し、みんなもゆっくりとですが、何事もなく、静かに駅へ吸い込まれて行きました。毎年の事とは言え、このような誘導管理の素晴らしさには驚きましたし、花火見物客のマナーの良さと落ち着きは、先の東日本大震災で見せた日本人と驚くべき資質と重なって、とても嬉しく誇りに感じました。多分きっと<長岡花火>の願いと祈りが、みんな心の中のどこかで生きているのではないかと想像しました。もう戦争はやめよう。平和を築いて行こう。戦争や地震で亡くなった方々への追悼と感謝の思いを持ち続けよう。絶対にいつまでも忘れない。みんなで仲良くして行くから・・・。終わってから、心の明かりが燈る花火。これからの日本と世界について、また考えてみようと思いました。