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高村薫氏の「言葉」

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私が大好きな小説家の一人に、高村薫さんという女流作家がいます。有名なのは「マークスの山」等の警察小説ですが、「リヴィエラを撃て」「李歐」「照柿」「レディ・ジョーカー」も良かった。最近では「新リア王」のような政治家を扱った作品も出て、全体的に非常に重厚かつ深遠な作風であり、社会や人間への厳しい眼を感じさせます。
先日、その高村氏の「作家的時評集2000-2007」という文庫本を見つけ、早速読んでみました。これは、2000年から2007年にかけて、いくつかの新聞や雑誌のために書かれた短い時評発言集であり、その時々に起きた事件、事故、選挙(政治問題)、社会問題を非常に鋭く批評したものです。
今、この高村氏の時評発言を読むと、「物事の本質を捉えて発言すること」の恐ろしさが分かります。当時の世論やマスコミの風潮を思い出すと、その時点における高村氏の発言は、完全にマイノリティー(少数派)であり、黙殺されるべき意見であったことが想像できます。そのような完全に無視される意見を、コツコツとリアルタイムに発表し続けることは、作家として必ずしもプラスではなかったはずです。
しかしながら、この半年くらいで世の中の空気が変わってきました。今、社会は高村氏が言い続けた「困った」状態であることに、やっと気づき始めました。そうなってから色々とプロの評論家が論評をするのは容易いことです。しかしながら高村氏は、ずっと以前から少数派として物事の本質を捉えて発言し続けてきた。ここが違うところです。
高村氏の意見や批評の内容については、ここに記しませんが、まさに今の日本にとって大切な「言葉」ばかりだと思います。「言葉だけで何ができる」という意見もあるかもしれませんが、私は違うと思います。まず初めに「言葉」がなければ、何も始まらず、何も生まれません。むしろ「言葉」なき「行動」の方に恐ろしさを感じます。
「困った」世の中を変えるには、自分自身の生き方を変えるのと同時に、社会を変えることが必要です。そのために、高村氏は「とにかく選挙に行くこと」を繰り返し述べています。今の政治だけで世の中が変わるとは到底思えないが、それでもただひとつの選択肢である以上、参加しなければいけないと。今の若い人たちがもっと社会に対して参加していかないと、最後に一番痛い目に合うのは、自分たちなのだからと・・・。
私も、そう思います。

地鎮祭とメッセージ

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今日は三鷹市で地鎮祭を行いました。とても素晴らしい天気で、温かいお天道様にも見守られ、厳粛な祭事を執り行うことができました。
今回のお施主様は、数年前に丸二にて賃貸マンションを建設させていただいたお客様で、今回が2度目のご縁となります。信用がすべてであるこの建設業にとって、再びお声を掛けていただくことほど嬉しく光栄なことはありません。お客様、本当にありがとうございます。
今回の建物は木造の住宅(外張り断熱)で、ご家族のためのものです。前回の鉄筋コンクリート造の賃貸マンションとは全く違いますが、日本の伝統的な木造建築の技術の粋を発揮し、さらに喜んでいただけるよう全力を尽くしてまいります。
さて、地鎮祭の後に、お客様といろいろなお話をさせていただいたのですが、その中でとても印象的なキーワードを見つけました。それは「視点を変える」ということです。
お施主様の仕事は造園業経営で、植木の管理も行っています。生きている自然の木々のすべてを知ることによって、初めて成り立つ深遠なる仕事です。「これでいい」という限界がない分、その技術は「人」によって大いに左右されます。だから「視点を変える」ことが大切だと言われます。
視点を変えることによって、見えないところが見え、先々を見通すこともできる。マクロの全体を整えたり、ミクロの細部にこだわることもできる。すべて視点を変えることで成せる技です。逆に、視点を変えることによって、気になってしまうこともかなりあるのでしょう。それは、もしかしたら大変なことかもしれません。それでもお客様は、それを無限の可能性と捉え、心から楽しんでいます。
常に視点を変えて、無限の可能性に挑戦する。
しかも、それを楽しむ。

これこそ、まさに、生き方や仕事の極意ではないでしょうか。今日は、地鎮祭という慶びの日において、素敵なメッセージを心に刻むことが出来ました。いつも教えていただけるのはお客様です。本当にありがとうございます!!

亡き先生からのメッセージ

昨日、今年の8月に87歳で亡くなられた私の恩師(大学時代のゼミの先生)の「お別れの会」が椿山荘にて執り行われました。昨年の11月には「米寿を祝う会」があり、その時は大変お元気そうでしたので、本当に残念です。先生のご冥福を心からお祈りいたします。
私の大学時代は、(恥ずかしながら)ほとんど勉強らしいことはせず、もっぱら自主映画づくりに明け暮れていました。でも、このゼミだけは欠かさず出席していたと記憶しています。先生の専門は財務会計で、当然ゼミも財務会計を学ぶ場だったのですが、今思い出すのは、ゼミの時間の始めに行う「日記の発表(一冊のノートに学生が順番に書いていく日記帳の朗読)」や、合宿であちこち行ったことや、今でも続いているゼミ仲間と遊んだことばかりです。結局、勉強自体は、学生一人ひとりの問題であり、ゼミではそれとは違う「何か」を学んでいたわけです。その「何か」が、実は昨日、少しだけ分かりました。
「お別れの会」には、800名以上の方々が参列したと思います。そして、ご縁の深かった方々から「お別れの言葉」が語られました。その中で、ある方のお話から次のようなエピソードが紹介されました。
私は、ゼミの生徒で、先生に論文を提出した。しかしながら、その論文はすぐにつき返された。論文の表紙には、先生によって、こう書かれていた。
「今日は1月16日です。1月15日ではありません」

このお話を聞いた時、はじめて先生の先生たる所以に(今さらながらに)気がつきました。論文の提出期日が1月15日だったからという、一種のユーモアとも受け取れるようなこの言い回しの中に、体中の水分がすべて汗となって噴き出てくるような冷徹なる響きを感じました。しかし、その冷徹さの源泉が、当然のことながら限りない愛情であったことも容易に想像がつきました。
それにしても、これから社会に出て行く学生に対して、いったいどのような思考を経て、このような一言を記したのだろうか。また、このメッセージを受け取った本人も、なぜその意味の真意に気づき、受け止め、心から反省し得たのだろうか。
もし、その期日遅れの論文をただ受け取ったり、ただ受け取らなかったりしたら、その学生はどのような社会人生活を送ったのだろう。また、もしその学生が「先生は冷たい」と言って、自身の姿勢を反省しなかったら、どうなっていたのだろう・・・。結局、学生は心から詫び、先生はその論文を受け取った・・・。
かつて、教える側と教えられる側の間には、このような得体の知れない「何か」がありました。その「何か」を明確に表現できる語彙を、私は未だ持ち得ません。ただ、その「何か」が確かにあったということを感じることは出来ます。800名を越える参列者や当日来られなかった方々の心の中にも、先生との間に、きっとその「何か」があったのだろうと想像します。
今、学校教育や社内教育の現場において必要なのは、「今日は1月16日です。1月15日ではありません」とはっきり言い切ることが出来る教師や上司であり、と同時に、その言葉の真意を測ることのできる自分自身ではないでしょうか。
「今日は1月16日です。1月15日ではありません」・・・これは、「誰にも動かしようの無い真実に対して、もっと謙虚に生きなさい!」という極めて激しくも温かい、私自身に対する「お叱り」のように聞こえてなりませんでした。

200年住宅とルネス+外断熱

昨日の読売新聞夕刊に「200年住宅」についての記事が出ました。
(以下、読売新聞より)
「200年住宅」優遇税制で促進へ
政府は、建て替えずに何世代にもわたって住み続けることが可能な「200年住宅(超長期住宅)」の普及に取り組む方針を決めた。
耐久性・耐震性に優れた住宅の建築を促し、長期の点検・修繕制度を組み合わせることで、建て替えの負担や廃材による環境破壊を軽減するのが狙いだ。
福田首相肝いりの政策を具体化するもので、政府は優遇税制などを盛り込んだ「住宅長期利用促進法案」を来年の通常国会に提出する。「共生」を掲げる民主党の賛成も得て成立にこぎつけたい考えだ。
200年住宅は、高品質の戸建てやマンションを建築し、維持・補修を制度化することで資産価値を長期間保つ構想だ。
木造住宅も、従来型より太い木材を使うことで長期の利用を可能にする。
現在の戸建てや、マンションなどの共同住宅はともに、建築から取り壊しまでの平均期間が約30年とされる。国土交通省によると、英国の平均77年、米国の平均55年に比べて短い。200年住宅は、新たに設ける認定制度に基づき、〈1〉耐震性を高めるため、住宅の柱や梁(はり)を従来型より太くし、耐久性向上のため、基礎部分を地面から高くし、風通しを良くする〈2〉長期間、定期的修繕を行い、その記録を電子情報などで保存・管理し、国民が中古住宅の品質を確認して売買ができるようにする――ことなどが柱だ。これにより、百数十年間住宅として使うことを目指す。政府は200年を「住宅の長期利用を象徴的に表す言葉」(国交省)としている。
共同住宅の場合、柱などの構造躯(く)体(スケルトン)と、内装・設備(インフィル)を分離した工法を採用し、設備や間取りを入居者が自由に変更できるようにする。
(以上、2007年10月17日15時1分 読売新聞)
最後のところの、「・・・共同住宅の場合、柱などの構造躯(く)体(スケルトン)と、内装・設備(インフィル)を分離した工法を採用し、設備や間取りを入居者が自由に変更できるようにする」とありますが、このスケルトンとインフィルを分離する工法こそが、まさに「ルネス工法」です。200年住宅の実現のためには、結局のところ、「スケルトンとインフィルの分離」が肝となるわけです。
このように国全体として、本物の建築を目指すことは朗報です。けれども、「ルネス工法」が標準仕様とならない限り、200年住宅は「絵に描いた餅」と化します。と同時に、「外断熱」に対する言及が無いのも気になります。外断熱なくして、200年の耐久性は不可能でしょう。そのような意味において、この200年住宅に対する取り組みは、まだ概念的であると考えます。コンクリートの問題もありますし・・・。
いずれにせよ、だんだんと丸二の≪100年建築≫の時代が近づいきたことは確かです。このようにして、変化は突然やってきます。社会が≪100年建築≫を欲する時代になった時、私たちの役割は極めて重要になるでしょう。その時まで、さらに優れた品質を磨いてまいりたいと思います。

「Mラウンジ」始まる

昨夜は、若手の社員さんたちとミーティング&食事会を行いました。名付けて「Mラウンジ」。入社4年目以降から30代半ばくらいまで・・・つまり「新人とベテランの間」の社員さんのための新しいコミュニケーションの場として、昨日からスタートしました。
ミーティング&食事会とは言っても、つまりは飲み会ですね。でも、そのような打ち解けた場の方が、いろいろと前向きで面白い話が出てきます。昨日も、日常のことや仕事のことや政治のことや、様々な話題が飛び交い、とても楽しい時間でした。これから年4回を目標に開催していくので、会を重ねる毎に、より密度が濃くなっていくでしょう。
この「新人とベテランの間」という層は、実は非常に大事だと思ってます。当社の場合は、入社3年目までの社員さんは「39コーチング」というミーティングを年4回行い、社長と1対1の対話の場をつくっています。またベテラン・クラスになると社内の会議やミーティング等を含めて、いろいろと話をする機会があります。しかしながら、この間にいる社員さんは、意外と接点が少ないものです。
入社後3年くらいは、先輩社員からの指導の下で、仕事を覚えていくことが出来ます。けれども、それ以降となると、ある程度仕事を任せられるようになり、それに伴って責任も増えてきます。かと言って、ベテラン社員のようになるには、まだまだ経験が必要です。つまり、「役割と能力・経験とのギャップ感」が最も大きくなるのが、この「新人とベテランの間」の時期の特徴です。
このような誰もが通過する、通過しなければならない時期をどのように捉え、どのように過ごしていくかによって、その人のビジネス人生も決まってしまうとも思います。そこで・・・「Mラウンジ」です。
「Mラウンジ」が活性化し、少しでも「役割と能力・経験とのギャップ感」が解消されれば、次のニュー・リーダーたちがぞくぞくと育っていくと思います。私は、この「Mラウンジ」のメンバーの量と質を高めていくことが、中長期的な視点で非常に重要と思っています。

地球環境と外断熱

ゴア氏がノーベル平和賞を受賞しました。地球温暖化への警鐘を鳴らす運動が評価されたものと思います。このようにして、地球環境は戦争と同じくらい「平和」への脅威になってきたということが解ります。
現在の環境問題は、様々な要因が複雑に絡み合っていて、二酸化炭素を削減すれば、ただちに改善するというわけでは無いと思います。しかしながら、まず出来ることから始めることが同時に大切です。
これから戦争以上に脅威となる地球環境の相手は、自然界そのもの。いよいよ人間は、謙虚にならなくてはいけなくなりました。そもそも地球環境が人間に危害を加えていたのではなく、人間の傲慢さが地球環境に危害を加えていたのですから、今起きている猛暑や寒波、洪水、地震等は元々私たち人間が引き起こしたものと言われても仕方ありません。
そのような自由競争の経済システムを作り上げた世界の盟主アメリカからノーベル平和賞が出たことに対して、いささかの違和感を覚えるのですが、問題は本当に方向を変えるのかどうかということです。
建築で言えば、「外断熱工法」は、環境に対する負荷を大幅に軽減しています。一年を通して、冷暖房に頼らない室内環境をつくることができ、大きな省エネ効果とヒートアイランド現象の抑制を果たしています。また、建物を外側から守り、構造体の耐用年数を上げ、30~40年で建替えるという「無駄なスクラップ&ビルド」を抑制しています。
このように、断熱工事を建物の外側から施すというだけの小さな努力で、地球環境の保全に大きな効果を上げることができるわけです。問題は、果たしてこのような取り組みに対して、国や世界がどれくらい本気で推進していくのかどうかということです。
この「本気度」がなければ、結局何も変わらず、ますます地球環境は破壊されていくと思います。今は、意識のある個人の方々や小さな会社が、さまざまな運動や取り組みを始めています。「外断熱工法」もそのひとつです。「外断熱工法」は建物を100年のスケールで考え、「孫の老後まで」安心な状態を持続可能にするものです。
「地球環境の保全」と「個人の幸福の実現」が決して矛盾しない社会を創り上げることが、これからの企業に対して迫られる問題提起ではないでしょうか。丸二も、そのような方向に向かって、新しい建築文化を起こしてまいります。

旧友たちと

昨夜は、中学時代の同級生たち数人との飲み会でした。昔の友達と会ってワイワイやるというのは、意外と少ないものですが、この会だけはかなり前から定期的に(年4回くらい!)続いています。やはり、幹事さんの力が大きいですね。単発的な同窓会のようなものはあっても、このように年中気楽に会えるというのは、なかなかありません。幹事のMさん、いつも本当にありがとう!!
昨日は、いつものように幹事さん御用達の「リストランテ メラグラーナ ドーロ」で、とても美味しいイタリア料理と温かいサービスを楽しみながら、いろいろな話をしました。なにしろ、中学時代の友達なので、今はそれぞれ全く違う仕事や環境の中で生きています。ですから、いろいろと勉強にもなりますし、刺激にもなります。他の友人たちが今、何をしているかという風な話を聞いても、「ああ、みんながんばっているんだなぁ」と、とても嬉しく思います。
あの頃、まだ何も知らない時、自分の将来なんか遥か遠い先のことだった時代から、すでに30年が経ちました。それなのに、みんなは確かに「今」という現実を生きているし、仮にそれが想像した未来とちょっと違っていたとしても、こうして一緒にお酒を飲んで笑っていられる・・・そういう未来までやって来られた。ああ、こういう一瞬を今、持てているというのは、もしかしたら最高の幸福なのかもしれない・・・。
例えばミャンマーの人々のことを思うと、とても申し訳ないという気持ちになります。きっと、このような一瞬は無いのかも知れない。緊張と恐怖と不安の中で生きているのだから・・・。でも・・・、否、意外にもあるのかもしれないとも思う。私たちの曇った目には見えない、私たちの淀んだハートでは捉えきれない、確かな幸福感がきっとあるのかもしれない。もしかしたら、私たち以上に「今」をしっかりと生き、よく笑い、目を輝かせて、未来に希望を持っているのかもしれない。
恵まれた国と言われる日本も、いつも間にか自殺大国になり、自信を喪失してしまいました。小さい頃は、誰しもが根拠の無い自信に満ちていました。今、友達と会うと、その根拠の無い自信を思い出します。どうしてだろう・・・きっと子どもの頃は、「自分自身」を生きていたから。自分自身が主人公で、周りの人や環境は、すべて脇役であり、単なる背景だった。ところが大人になると、他者の人生の脇役として生きなければいけない。それもきっと、必要なことだと思うけど・・・。
でも時には、子どもの頃の「根拠の無い自信」を取り戻すことも必要かもしれません。そのきっかけのスイッチは、人それぞれでいいと思う。私の場合は、よき旧友と会って、みんなの元気を勝手にタップリもらうこと!みんなに迷惑をかけないから、いいですよね!ふと、そんなことに気づきました。
ところで、私が子どもの頃に想像した未来と現実は、ちょっと違いました。なにしろ、プロ野球の選手になりたかったんですから!!

建築医学と風水科学

丸二の提案する≪美と健康≫の中に、「建築医学」という分野があります。これは、住環境・職場環境を改善することを通して、積極的に病気を予防するための代替医療のひとつで、まったく新しい考え方の設計技術です。この「建築医学」をさらに深めていくと、実は「風水科学」に行き着きます。「風水」ではなくて「風水科学」です。最近流行の占いやインテリアの「風水」ではなく、古代中国の時代から実践的に利用されている「風水科学」は、場を整えるための戦略的な技術体系であり、それは人の身体や精神に具体的な影響を与えており、現代科学における大脳生理学とも連動しています。最近、お客様の中でも「風水科学」に関心を持たれ、実際に設計に組み込むケースが出てきました。「風水科学」では、八方位(大極気・本命気)を中心にプランニングを行いますが、必ずしもそれにこだわらないという側面があります。そこが家相との違いです。「風水科学」では、玄関の向いている方向によって八方位の意味が全部変わるので、固定した鬼門や裏鬼門という発想はありません。玄関の向きや住む人の生まれ年、立地、周辺環境、土地の形、そして何よりも実際の使いやすさ等の現実性を優先させます。その上で、「もっとこうしたらいい」という部分を調整します。これが「風水調整」と言われる技術であり、様々な手段があります。風水インテリア等もその中のひとつです。一方、「風水科学」の中から、現代科学や統計学として検証可能な部分をさらに体系化したものが「建築医学」です。二つとも根っ子は同じですが、お客様によって納得されやすい方を採用されるといいと思います。どちらにせよ、場を調整することで、住む人の「経済・健康・幸福」の流れを良い方向に変えようとする設計技術であることは変わりません。ご興味のある方は、当社の建築医学アドバイザーまでご相談ください。

創立54周年の宝物

今夜は創立54周年の縁会を行います(創立記念日は10月8日です)。お客様、誠にありがとうございます。父が創業をして以来、半世紀以上が経つわけですが、これも毎日毎日の地道な仕事の繰り返しの結果であり、実際はそのような長さを感じたことはありません。しかしながら、今振り返ってみると、「ずいぶん険しい道を歩んできたのだなぁ」と、思ったりします。
「もう少し平坦で楽なコースを来たらよかったのかなぁ」「寄り道をせずに、もう少し効率的に歩いていたら・・・」「なんであんな山を通ったんだろう」・・・などと様々なことを考えてしまいます。でも、この寄り道三昧の道程は、「二度と得られない経験」として、私たちの体中に「無形の財産」として刻み込まれたのではないでしょうか。
これらの貴重な経験は、きっとこれからの長い旅の必需品なのでしょう。ああ、よかった。決して、誰かと競争しているわけではないのですが、“いける!”という感触。それは、共に歩んでくれている社員さん一人ひとりのおかげなのです。
≪100年建築≫と≪美と健康≫は、その寄り道三昧の道程から得られた宝物です。この宝物で、社会に貢献できる・・・この喜びと共に、また新しい一歩を踏み出しましょう。来年は区切りの創立55周年。何か面白いことをやってみようと思います。

孫の老後まで安心を!!

私たちが取り組んでいる「100年建築」を簡単に言うと、「孫の老後まで安心!」ということになります。自分自身が仮に40歳で建物を建てて、子どもがそれを受け継ぎ、さらに孫が受け継ぎ、最終的に孫が80歳になるまでに、ほぼ100年です(30歳で子どもが生まれる計算で)。自分自身の老後を心配しなければならない今の時代の中で、建築という大きな買い物をする時に、これ以上の後世へのプレゼントは無いでしょう。
また、このような価値ある資産は、家族のためだけでなく、地球環境や国家の財産としても重要な役割を果たします。エコ、環境、もったいない、持続可能な社会、ロハス・・・様々なキーワードが踊る昨今ですが、日本において、建物の寿命ほど多大な影響を与えているものはありません。
「100年建築」とは、具体的に、ルネス工法、外断熱工法、パワー・コンクリート工法の組み合わせとなります。ただ100年持たせるための耐久性のみを扱うのではなく、室内空間の拡大や修繕維持費の低減、結露やカビの問題、上下階の音の解決、快適さ、改修の自由度等、様々な意味で「100年の快適」を目指すことが大切です。
明日の創立記念日において、私が社長に就任して丸10年となりますが、まさにこれからの10年は、「100年建築で、孫の老後まで安心の住環境と土地活用を提案する」ことが丸二の使命になると思います。これは社会に貢献できる仕事になるはずです。明日から始まる「NEXT10」に向けて、丸二は「100年建築」にすべてをかけて行きたいと思います。