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芸術と道標

昨年の暮れに、NHKの「新・映像の世紀(第3集)~時代は独裁者を求めた」を見て、あらためて戦争の悲惨さと愚かさに恐怖しました。同時に、あの時代、民衆が独裁者を求めざるを得ない程、世界が異常な空気に包まれていたことにも感じ入りました。今の平和な日本に生きる身としては、本当の意味でその実感を持つことは出来ないと思います。けれども、私たち人間には想像する力があります。過去から学び、想像力をもち、二度とあのような時代に戻らないことを決心する以外ありません。日本も苦しい戦争の時代を経て、やっと平和な道を歩み始めたばかりです。この道を歩いて行きたいと思います。
番組の中で、ヒトラーがアメリカの自動車王であるフォード氏の本を読み、激しく心酔していたことを知りました。そのフォード氏が反ユダヤ主義であったことが、実はヒトラーのその後に大いに影響を与えたと言うのです。もしそうであるならば、仮にフォード氏が反ユダヤ主義ではなかったとしたら・・・と、思わずにはいられません。そしてフォード氏もナチス政権を支持しました。ヒトラーはポルシェ氏と共に自動車開発を始め、民衆が乗れる車の普及のためにフォルクスワーゲン社を造り、以後、様々な技術革新に力を入れました。大陸間弾道ロケット等の開発も世界に先行しました。そしてこれらの技術は、ドイツ敗戦後、米ソに奪われて行ったのです。
言うまでも無く、ヒトラーは選挙によって国民に選ばれ、正式な手続きによって首相となり、議会によって「全権委任法」を成立し、合法的に独裁を手にしました。このことは未だに信じがたい事実です。その結果が、第二次世界大戦とユダヤ人迫害へと向かいます。彼には何か集団催眠的な能力があったのでしょうか。たった一人の男の偏執狂的な思想によって、国家が崩壊して行く怖さ。同時に、そこから多くの技術革新が生まれたと言う事実。ココ・シャネルも彼に協力したそうです。また、アウトバーン建設を全て人力で行わせ、多くの失業者を救ったという面もあります。これらの力が、「善だけ」の方向へ向かっていたとしたら、世界は大きく変わっていたのかも知れません。
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その時代のドイツには大指揮者フルトヴェングラーがいました。フルトヴェングラーの指揮するベートーヴェンのシンフォニーはまさに神憑り的で、未だに多くの(当時の)実況録音盤が世に遺されています。中でも、戦後再開されたベルリンフィルとの復帰演奏会(1947年)での交響曲第5番は、言葉では表現できない程の精神の爆発が在ります(この曲の私のベスト盤です)。そのフルトヴェングラーも、ヒトラーに対して批判的立場でありながら、ナチス政権のための演奏会に協力せざるを得ず、それが故に(後に)親ナチスというレッテルを貼られ、一人の芸術家として極めて苦しい状況に追い込まれました。番組の中でも、ナチスの大きな旗の下で「第9」を指揮するフルトヴェングラーの姿がありました。けれども政治と音楽は全く無関係です。彼のベートーヴェンを聴けば、それが分かります。全人類の平和を願い、苦悩から歓喜へと至る道を歩むベートーヴェンとフルトヴェングラーの精神は、時代を超えて確かに共鳴し合っていたのです。
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さて、年が明けて(昨年のお正月に引き続き)今年もエレファントカシマシの新春ライブ(東京国際フォーラム)へ行って来ました。クラシックコンサートが基本の自分自身にとっては、勇気がいることですが、何でも経験です。でも、もう少し音量を下げて欲しいなとか、ゆっくり座って聞きたいなと、素直に感じるところもあります。ただ彼らの場合は、余計な演出も無く、静かに聴いて終わって拍手という曲も多く、そういうところが好きです。
今回のコンサートは、昨年発売されたニューアルバム「RAINBOW」からの全曲と共に、いくつかの古い曲(「偶成(ぐうせい)」「曙光(しょこう)」「おはようこんにちは」等)を聴くことができました。特に嬉しかったのは、「偶成」という曲です。歌う前に「お正月には相応しくないけど、聞いてください」との説明がありましたが、とても長く、内省的で、物寂しく、儚く、けれども美しい曲です。この曲は彼らの(今から25年程前の)4枚目のアルバム「生活」に収録されたものです。この「生活」というアルバム自体、(全く人には勧められない)異様な陰鬱性に満ちていて、通常のロックとは別物の(例えば)唱歌のような、演歌のような、あるいは浪曲のような慟哭の叫びで、そこで歌われている内容も、孤独な一人の青年の(日々の)苦しい生活や暮らしばかりです。
作詞作曲の宮本浩次氏がまだ22、3歳の頃に、なぜこのような暗く老成の曲を書いたのか。そんな興味もあって、彼らの音楽に興味を持ったのですが、今回は生でその中の一曲である「偶成」を聴くことができ、静かなる感激と深い感動を覚えました。そしてここで気づいたのは、彼らの音楽は「歌曲」なのだと言うことです。己の偽ざる内面(心境)を、腹の底から、大きな口を開けて、時に慟哭の叫びと共に、朗朗と歌い上げること。要はシューベルトの「冬の旅」と全く変わらないのです。ここに何かクラシック音楽と通ずる世界観が在る様に感じました。「偶成」という曲では、最後に「ああ うち仰ぐ空のかなたに きらりと光る夕陽あり」「流るるドブの表を きらりとさせたる夕陽あり」「俺はこのため生きていた ドブの夕陽を見るために」と歌われます。時はまさにバブル絶頂期。その時代の波に乗ることができなかった一人の孤独な男が、静かに夕暮れ時のドブを眺めている・・・。確かにお正月向けの曲ではないですね。
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「歓喜とは、苦悩を超えた先に在るのだ」とベートーヴェンの音楽から学びました。「歓喜とは、今すでに此処に在るのだ」とモーツァルトの音楽から学びました。両方とも真理の様な気がします。石川啄木の詩にも、宮澤賢治の童話にも、深い悲しみの底に横たわる大いなる喜びの芽を感じます。きっと音楽も含めて、全ての芸術はそのような構造に成っているのでしょう。そしてその構造は、私たちの人生や自然界とも相似形のはずです。だからこそ私たちは、優れた芸術に涙を流し、美しい自然に感動するのです。そして私たち一人ひとりの人生もまさに芸術そのものなのです。
人は、我が苦悩の先に在る喜びに向かう途中で、今すでに此処に在る喜びに気づきます。その道は一人ひとり違います。けれどもそれが故にオンリーワン(オリジナル)の道なのです。きっと優れた音楽や詩や絵画たちは、私たちの良き道標となって、その歩みを助けてくれているのかも知れません。ナチスの旗の下でベートーヴェンを振るフルトヴェングラーにも、50歳に成っても益々鬼気迫る演奏を見せるエレカシにも、「やらねばならぬ」という天に向けての強烈な意志を感じます。多くの人の人生のために(自らが)良き道標に成ることが芸術家の使命なのだと思います。ヒトラーにも素晴らしい絵の才能があったそうです。その能力を世界のための「良き道標」に使う道もきっとあったのでしょう。けれどもそれが叶わない時代だったのかも知れません。
今の日本に生きている(生かしていただいている)ことの幸せをあらためて感じます。エレカシの歌詞には、「富士山」「武蔵野」「お日さま」「月の光」等がよく出てきます。日本の原風景に対する憧れが、世界の良き道標に成る時代が来ることを予感します。今年はいろいろな意味で、あらゆることが反転し始める年に成ると思いますが、日本人が「感謝と報恩」さえ忘れなければ、時代の良き道標と成って、「歓喜の歌」の鳴り響く日本や世界を造り上げることができると信じます。そういう道を愚直に歩んで行きたいと思います。

感謝と報恩の年

新年明けましておめでとうございます。本年も何卒よろしくお願い申し上げます。
とても暖かい年末年始で、穏やかなお正月を迎えることができました。昔のお正月はもっと深々とした寒さがあって、それはそれで独特な趣きと風情があったのですが、実際に生活する上では、確かに陽気の良い方がありがたいものです。けれどもこれが地球温暖化による異常気象の一端と成ると、そんな事も言っていられません。昨今の気温上昇の影響で、各地の名産物にも様々な変化が起きているとのことで、例えばワインの産地も今や北海道へと移り変わって来たそうです。地球環境の変化は、今後も人々の生活や経済にも大きく影響して行くと思われます。
丸二の経営理念の冒頭に「自然の恩恵に感謝できる会社造りを目指す」と在ります。当社が使用する全ての建築建材の元は自然界の中に在り、私たちは仕事の為にそれらの資源を(自然界に対して)無料無断で使わせていただいている。その自覚と感謝を忘れない・・・。この思いが(結果的に)現場での無駄使いを最少にして、品質の向上と省コストへと結び付けていると思います。自然界(地球環境)への謙虚な姿勢を持つことが、企業として、あるいは経営者として一番大切なことです。現在の自然環境の悪化は、まさに企業経営者の意識の総和の結果でしょう。私たち人間の生命や生活の元である自然界の資源をこのまま破壊し続けて行けば、地球環境の悪化と共に、自ずと経営自体にもその咎めが来るはずです。
昨年のクリスマスの際、ローマ法王がこのように述べたそうです。「現在の人類はもはや末期的状況にあり、このままでは来年は見るも無残な有様になるでしょう。各地で戦争が続いています。世界は飢え、焼け焦げ、混沌へ向かっているのです。もはやクリスマスのお祝いなど、今年(2015年)で最後になりそうです」と・・・。とても厳しいお言葉ですが、現在の(特に)西洋圏(ヨーロッパ)の状況を見ると、確かに同感の思いがあります。けれども一方、我が国日本では、穏やかなお正月を過ごし、東京オリンピックへ向けて、ゆるやかな成長ムードの中にあります。もちろん世界情勢の影響も大いに受けて、再び混沌とした状態に戻る可能性も在ります。しかしながら、それでも他の国や地域に比べれば、別次元とも云える程の安心で安全な社会です。
昨年は外国人の来日観光客数が大幅に増加しましたが、世界の中で最も安心で安全な国への観光は今後も益々増えて行くと思われます。もちろん安心と安全だけでは無く、日本の四季折々の美しい自然、和の文化、美味しい食べ物、あるいは世界で最も長く続く皇室の存在や八百万の神という独特な宗教観、コンビニより多い神社やお寺、そして何よりも日本人一人ひとりの人間性(良心)が、外国人の方々にとっては極めて魅力的(摩訶不思議?)な「光」に「観える」のではないかと感じます。逆に言うと、日本人にとっては当たり前のことに成ってしまい、そこに感謝が不足しているのかも知れません。私たちは(今こそ)深く感謝しなければ成らないのでしょう。日本に生まれて本当に良かったと。本当にありがたいと。
今年の年初の経済は、日本・米国・中国の同時株安でスタートし、未だその状態が継続中です。為替も円高傾向に振れつつあり、もし今後もそう成れば、景気の先行きに対する不安感が増して来るでしょう。けれども一方で、様々な経済指標がどうなろうと、日本という国の持つ(本質的な)魅力自体が失われる訳ではありません。むしろ相対的に高まると思います。最も怖いのは、日本人が感謝を忘れてしまうことです。欧米や中東、あるいは中国や朝鮮半島に暮らす人々の毎日の生活を思う時、日本人が感謝を失い、自信を失い、後ろ向きに成ってはダメだと思います。今こそ、この国に生まれたことへの感謝の思いを強く持ち、一人ひとりが世界の良き見本と成る道を行く時です。
2020年の東京オリンピックを契機として、東京が名実ともに国際都市と成り、そして日本が(外国人にとっての)「憧れの国」に成ることが、日本のみならず、世界の安定と成長に大いに貢献することに成ると思います。東京オリンピックに関しては、様々な問題や課題が山積しているのは確かです。けれども、ここを乗り越えて行けば、千歳一隅のチャンスを手にすることが出来るのではないでしょうか。日本の国柄と智慧で、それは充分可能だと思います。そしてその源泉はやはり「感謝」しかないと思います。今年は「感謝と報恩」の一年にしたいと思います。今年も何卒よろしくお願い申し上げます。