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現場は心の鏡

先週末は、三鷹市井の頭にて、加子母ひのき住宅と戸建貸家の地鎮祭を執り行いました。また昨日は、吉祥寺本町にて、木造住宅の上棟祝いを行いました。おかげさまで、吉祥寺を中心とした地元(武蔵野、三鷹、杉並地域)で、現在14棟の新築工事が動いています(他の地域においても、工事中・設計中・着工準備中等を含めて8棟程あります)。これもお客様並びに地域の方々のおかげと、心より感謝申し上げます。9月の情報誌「ニコニコ通信」では、現在進行中の現場をご紹介いたしますので、ぜひその折には、丸二の現場を見てください。
丸二には、「現場は心の鏡」と言う合言葉があります。現場は、そこで仕事をする人々の心が「鏡」のように映し出されるからです。工事を行う人々の心がキレイであれば、現場も自ずとキレイに成ります。そして良き建築が完成します。私は、約20年前にこの業界に入りましたが、その時感じたこの印象は今でも変わりません。プロでなくても、何となく分かるものです。ただ現場は毎日姿を変えて行く生き物です。常に整然とした状態を維持することは難しく、なかなか整理整頓に時間を割くことはできません。だからこそ、だからこそ・・・懸命にキレイに「する」のです。
仮に工事中であっても、お客様の大切な建物(財産)の上に、ゴミ1つ置きたくない。職人さんが気持ち良く仕事ができるように、いつも整理整頓しておきたい。土地の神様に叱られないように、場内を清潔で清浄な場にしておきたい。こういう思いの数々があって、現場は生命を持ち始めるのでしょう。結果、現場をキレイにすることで、人の心も磨かれるのです。自分の心が現場に映るのであれば、逆に現場を磨けば、自分の心も磨かれる・・・。建設業は、まさに「心磨き」の産業、「人造り」の産業です。
今、日本の経済が(相当)おかしく成って来ています。多分きっと、バランスを崩してしまったから。つまり「野良(のら)仕事」が無く成って来たから。きっとそうだと思います。田畑で農業を営む人、山で木を伐る人、街で建物を造る人。みんなみんな、こんなにも暑いのに、毎日外で一生懸命に仕事をしています。昔はこういう仕事が「本当の仕事」だった。でも、それがだんだん便利な世の中に成って来て、虚業が増えて来て、ボタン1つで稼げるようになった。そして、世界の経済はおかしくなった。
今こそ、バランスを整える時です。リーマンショック以降、建設業界から人が少なく成りました。それでも世界が続く限り、人間がいる限り、建設業は(絶対に)無く成りません。それは衣食住(=生命)と直結する「実業」だからです。震災復興のための人も必要です。これから農業や林業を含めて、自然の中で仕事をする人々の時代が、「再来」するはずです。それは、経済を建て直し、人の心を建て直し、時代の流れを変える力に成ると思います。私たちは、地域の小さな建設会社ですが、微力ながらも、そのような志を持って、この変革の時代を生きて行こうと思います。

変化の兆し

ロンドンオリンピックが開幕しました。今のところ日本勢は(サッカー以外は)苦戦中のようですが、各国各選手の全員が金メダルを目指している訳ですので、なかなか大変なことだと思います。選手一人ひとりにとって、悔いの無いオリンピックに成れば良いなと思います。それにしてもTVを見ると、オリンピックをはじめ、高校野球、プロ野球、お笑い、ドラマ、食べ歩き、クイズと、あいかわらず日本の平和は続いているように見えます。でも実際にはその裏側で、官邸前で反原発の大規模なデモが行われています。
今、日本も世界も、本当に世の中の構造を転換しなければ成らない時に来ています。昨年の東日本大震災では、約2万人もの尊い生命が失われました。その亡くなった方々に対する本当の追悼は、世の中を立て直して行くことではないでしょうか。あの震災を経験して、私たち日本人は皆そのように思い、そのように動き始めたはずです。でも1年が過ぎ、また夏が来て、日本も世界も、また元に戻りつつあるように感じます。
例えば、原発の問題にしても、家庭用の「クリーン・エネルギー」を開発し、政策的に普及させれば、問題の大部分は解決するはずです。すでに太陽光発電も商品化されています。いずれもっと良いものも出て来るでしょう。電力会社に頼らずに、自前でクリーンエネルギーを持てば、自ずと原発依存は無く成り、デモも不要と成り、環境破壊も減少します。そういう方向へ舵を切っていれば、今頃は、世の中全体に「変化」の兆しが見えていたでしょう。原発が無くても大丈夫な状態を「創る」ことを(素直に)目指せば良かったのに。
福島原発の事故が「人災だった」という結論が出ても、電気料金は値上がりをし、原発は再稼働し、結局3.11以前と何も変わっていない。変わったのは、国民一人ひとりが節電意識を持ったこと。これは素晴らしい成果だと思います。でも、政策的には実は何も無く、3.11への追悼は、未だ果たされていない。本当に申し訳ないと言う気持ちが、そこにはあります。
そのような中で迎えたロンドンオリンピック。日本人の大健闘を心から応援しますが、仮に負けても潔く、仮に勝っても謙虚に・・・そのような日本人の精神性に(こそ)期待します。それは、私たちが(そして世界が)昨年、東北の人々から学んだはずのものです。昨日の柔道の試合で、審判による判定が覆り、日本人選手が勝った試合がありました。日本としては嬉しいことですが、相手の韓国としては悲しいことです。その両方を包み込める日本人に成りたいと思うのです。
その判定の結果を受けて、NHKの女性アナウンサーが、思わず(いかにも軽いノリで)「良かった~!勝ちは勝ち!」などと喜んでいましたが、ついにNHKは、負けた側(弱き者)への思いやりを忘れてしまったようです。冷徹なまでに公平さを貫く、かつてのNHKの「美」はそこには無い。日本という国は、風景だけではなく、人の心の美しい国です。それを昨年、私たちはついに思い出したはずなのに・・・。
このようにして、今年の日本の夏は始まりました。そしてどのようにして終わるのでしょうか。変化の兆しに期待します。

「無」原発

民主党が割れました。根本的な部分が違うのですから、その方が双方にとって自然体でしょう。考え方が違うのは良いことですし、それ故別れるのも良いことです。信念を貫くことは美しく、主張を変えることは勇気です。よって「どちらを善とし、どちらを悪とするか」という短絡的(マスコミ的)な視点では無く、先ず「自分自身の考え方」を思考する方が先決ではないでしょうか。つまり、増税は必要なのか、原発は再稼働すべきなのか。もし自分が小さな国の王様だとしたら、どのような政治を行うだろうか。増税をするだろうか。原発を再稼働するだろうか。常にそのような問いを持って、自身の考え(軸)を持つことだと思います。
つまり、そのような大事な問いを、TV画面上の政治家に投影(丸投げ)するのではなく、先ず自身自身の「良心」に投影し、思考し、その答えと適合する政策を掲げた政治家に票を入れれば良いのです。日頃の政治家の動向情報などは全く不要です。判断を誤ります。例えば、約束を守ろうとする側が、守らない側から「造反」と言われているような情報を耳にすると、判断に狂いが生じるということです。そういうフィルターを全部無しにしないと、本当に良い政治は生まれないかもしれません。
TVが無い時代は、ほとんど情報が無く、政治家の顔写真くらいしか知らなかったと思います。それでも国民は、今よりも本質を掴んでいたのではないでしょうか。仮に、会ってみたら嫌な奴だったと成っても、案外その人は良い政治をしていたという面もあります。現在は、ほとんどが作られた情報に成っているので、その対抗軸として、ツィッターやフェイスブックが真実を伝える役割を担っています。本当は、適度で正直な情報さえ流れていれば、ここまでITに頼らなくても良かったのに・・・。
ところで、ここ数カ月にわたり、官邸前で反原発デモが行われていますが、29日には約20万人が集まったそうです。日本のマスメディアもいよいよ無視し続けることが出来なくなったのでしょう。このような民衆の潜在的な意志が表面化してくると、困る人や組織がたくさん出て来ます。そこから生まれる対立も、ある種の戦争ですので、最終的には(どちらが優勢に成ろうとも)不幸な一面を残すはずです。人の心を力で変えるのは不可能です。民主主義と言っても、実際は力の世界なので、完全に分かりあえる日が来ることも無く、<やったらやられる>の繰り返しが続きます。このような悪循環から抜け出すには、やはり自らの思考の世界を変え、オリジナルの世界観を造るしかないと感じます。
人間は常に対立性を持って生きています。プロ野球でも、ワールドカップでも、政治でも、必ず敵と味方を作り、どちら側かに付きます。相手側は悪で、こちら側は善。内容や中身よりも、そのような外観で判断します。「反〇〇」という手段です。外観にはレッテルを貼ることができます。ボトルに実際の中身とは違うラベルを貼れば、人々はラベルの方を信用します。そのようにして戦いを制します。そしてまた、次の戦いが始まります。いつまで経っても終わりません。
そのような外側の様相に振り回されず、自らの思考の世界を変えて、美しい内観を造る方が実は早くて、本物で、誰とも戦わない(争わない)唯一の道だと気づきます。結果的に、多くの人々がそうなれば、外観にも変化が出て来るのでしょう。外側で起きている問題を解決するには、外側に打って出るのではなく、内側で造る方が良いのかも知れません。そのような一人ひとりの小さな努力の積み重ねが、つながり合い、めぐりめぐって、外側を(ごく自然に)変えることに成ると信じます。
以前、本ブログで紹介した映画「この空の花 長岡花火物語」は、ツィッターで広まり、尻上がりに観客数が増え続け、今や大変な反響を呼び起こしています。本当に良い(正しい)情報が出にくい世の中において、ツィッターが見事な成果を上げている一例でしょう。今回の官邸前の反原発デモも、ツィッターの力が大きかったようです。この映画を監督した大林宣彦監督は、「私は映像作家だから、映画を創る。デモには行かない。反原発ではない。無原発だ」という話をしていました。納得です。
なるほど、「無」原発か・・・。「反」原発は、(今現在)原発に関わる人々を苦しめます(現実問題として)。でも、これからの方向性として、原発の無い国造りへの道は、国民の(潜在的な)総意と言えます。「無」原発という言葉には、「共に無くそう」「無くなっても、皆が幸せに成れる社会の仕組みを造ろう」と言う、前向きで、協調の響きが在ります。対立ではなく、共に考えて行く。だから私は、無原発、無戦争(平和)、少税金、全体幸福、自然との総和を理想としたい・・・。この混乱の時代は、必ず協調、調和、総和への前奏曲に成ります。