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群れない

今朝の日経のスポーツ面、豊田泰光氏の「チェンジアップ」に、こんな意見が・・・。「スターの風格を身につけたければ、日常から単独で行動せよ」と。そう言えば、イチロー選手が群れる姿は見たことが無い。常に一人で考え、一人で行動している。群れると、自分の視点、自分の感性を失う。特に、オリジナリティーを大切にする人にとって、単独行動は必須なのでしょう。となると、イチロー選手の対極に位置する(であろう)清原選手が、なかなか真のスターに成り切れていない(ように見える)のは、「群れている」からなのか・・・。今日は、なんとスポーツ欄で、極めて本質的な発見をしてしまいました。
考えてみると、世の中には、「群れている時は威勢が良いが、単独になるとおとなしい人」が、意外と多いものです。私の場合は、常におとなしいので(それは別の意味で問題ですが・・・)、一応整合性は保ってます。整合性が保たれていると、意外とストレスは少ないものです。逆に、「群れている時は威勢が良いが、単独になるとおとなしい人」は、かなりのストレスを抱え込んでいる可能性があります。ストレスは、自分自身の内なるパワーを浪費させてしまうので、これは結局のところ、損です。常に、自分自身であり続ける生き方に切り替えるべきなんでしょう。そのために、「単独」なんだと。
音楽界でも、有名なバンドやグループの中心的なアーティストは、ある時期、バンドから離れていきます。あるいは、ソロ活動とバンド活動を両立させたりします。私は今まで、「きっと、その方が儲かるんだろう」とか、「冷たいヤツだな~」くらいにしか思っていませんでした。が、もしかしたら、自己の音楽をさらに追求して行くために、「単独」にならざる得ないという、ある種の「境地」に至ってしまうからなのか・・・と気がつきました。
私が大好きな「ビーチ・ボーイズ」のブライアン・ウィルソンは、途中で精神を病んでしまい、たった一人で独自の作曲活動に没頭し、2月に再結成ライブのために来日する英国のロックバンド「ポリス」のスティングは、「ポリス」の人気絶頂の時にバンドから離れていった。群れている間は見えなかったものが、見えてくる。これが、さらに人を成長させ、進化させる。その進化した者同士が、また有機的につながり合って、チームワークを形成する。だから、結局、「個」は「全体」となる。
スポーツ選手やアーティストだけでなく、私たち一人ひとりも、光り輝いた人生を歩みたいですよね。そのためにも、精神的に群れから一歩踏み出してみようと。そうすると、自己嫌悪も無くなり、他者への不平不満も無くなり、毎日が元気になる。何だか、昨日のブログの猪木さんの言葉に戻ってしまいましたが、今日はいい教訓を得ることが出来ました。

元気ですかーっ!

猪木.bmp
アントニオ猪木さんの最新刊「猪木語録」、なかなか面白いです。毎日、少しづつ読んでますが、「元気ですかーっ!」と、喝を入れられているようで、とてもスリルとパワーがあります。その中で、私が日頃言っている言葉と似たものがあったので、ひとつご紹介します。
「常識から1ミリでもいいから一歩踏み出せ」
常識は大いなる嘘。21世紀とは、常識の通用しない時代。心地いい状態から、1ミリでいいから踏み出せと。・・・なるほど!いい表現だと思います。常に常識からはみ出した人生を歩んできた猪木さんが言うと、非常に説得力があります。私は、いつも、「1mmの前進!」と言っています。毎日、ほんの1mmでいいから、前へ進めと。1mmでいいから、変われと。結局、この1mmの動きの積み重ねが、自分自身の器を大きくしていくと思います。・・・やはり、「1mm」なんですね。
当社の歴史も、「常識から1ミリでもいいから一歩踏み出せ」の連続です。非常識、異端、あまのじゃく、変・・・いろいろな言われ方をしますが、「常識から一歩踏み出した会社」と言うと、なかなか様になります。これからも、この精神でやっていくぞ!!
と言う風に、「猪木語録」を読んでいると、元気になります。体が熱くなります。これは、とても良いことだと思います。今、たくさんの苦労をしているのに、元気が沸々と湧いてくる人は、きっとうまくいく。そういうメッセージが、この本には満ち溢れています。今、多くの若者たちが疲れていると聞きます。元気が無いと。若者にとって、唯一の宝は元気なのに・・・。この力を早く取り戻さないと、個人の幸福も、社会の幸福もありえない。そのためにも、自分自身の力で、元気になることです。元気でなくても、元気なフリをして、毎日を過ごすことです。そうすると、自分自身が、「アレ?オレって、本当は元気だったんだ!」と勘違いして、本当に元気になってしまいます。元気があれば、何でも出来る。元気があれば、すべてうまくいく。そんなもの(のよう)です。だから、(恥ずかしいので)心の中で、自分自身に向かって、「元気ですかーっ!」と叫びましょう。

ルネス工法、50棟への道

昨日は、まだ入社して年数の浅い営業社員さんを対象に、当社の新技術採用の歴史(背景)について、簡単なレクチャーをしました。
公共事業からの脱却とローコストマンション「PIAシリーズ」の開始。その後、本物志向へと歩みを進め、「ルネス工法」と「丸二健康仕様」の採用へ。「ルネス工法」全国第1棟目となる「ルネス緑町」の完成後、今後の建築のあり様を模索する中、「コーポラティブハウス方式」による全国初の本格的エコロジー・マンション「エコヴィレッジ日野(きなりの家)」プロジェクトに参画。真のエコロジーの学習と、「EV外断熱工法」の採用に取り組む。その後、「RCB外断熱工法」と「パワー・コンクリート工法」を採用し、「ルネス工法+RCB外断熱工法」のハイブリッド・マンション「フェアライフあざみ野」を完成。このようなプロセスを経て、すべてにわたって納得できる「100年建築」と「美と健康」を確立してきた。
「100年建築」と「美と健康」の中身は・・・RC(鉄筋コンクリート)構造の耐久性と耐震性、設備のメンテナンス性能、結露防止・収納・上下階の音・バリアフリー・採光・換気等の快適性能、リフォームの自由性能、環境配慮の省エネ性能、健康エコロジー仕様・・・。あと、もうひとつ。最後の仕上げに、「デザイン性」としての「風水科学」と「建築医学」への取り組み。どのようなデザインやレイアウトを施すかによって、住む人の健康、脳の活性化、やる気、喜び、楽しさ、元気さをコントロールする。しかも、シンプルで美しい。建築とは、最終的に、「住む人の人生の流れを変えて、幸福に導くこと」だから、技術と精神の融合が終着点だと。
また、木造住宅(&リフォーム)として、「夢ハウス」や「ICAS」等の、健康重視型の商品にも取り組む。ここにも、「風水科学」と「建築医学」のデザイン性が加わる。「コーポラティブハウス」については、丸二の独自の工法・技術を取り入れたプロジェクトを、今後は立ち上げていき、社会に貢献していく。
以上のような内容を、2時間くらいかけて話しました。終わった後の懇親会でも、「もうすぐルネス工法が累計50棟になる!」等の話をしながら、丸二がなぜ多くの技術を取り入れるに至ったか(そこにどのような思いがあったか)が、いくらかでも伝わったような気がして、とても嬉しい一日となりました。
振り返ってみると、様々な技術や工法の採用は、すべて「人との出会い」によって生まれてきました。「ルネス工法」は、飯田郁夫先生。「エコロジー建築」は、相根昭典先生。「外断熱工法」は、江本央先生。「パワー・コンクリート工法」は、岩瀬文夫先生、「風水科学・建築医学」は、松永修岳先生。このような超一流の素晴らしい方々との出会いがあり、その縁を逃さず、勇気を持って懐に飛び込んでいった。その結果が、今の丸二の技術の源なのだ。「出会いの大切さ」、「縁の大切さ」を、つくづく感じました。
先ほど書いたように、「ルネス工法」がもうすぐ累計50棟になります。「ルネス工法」に、初めて取り組んでから、かれこれ15年になります。当初は5年で50棟を目指していたので、約3倍の月日が費やされました。時代が本物を求めるようになるのに、こんなに時間が掛かるとは思わなかった・・・正直な感想です。ただ、今になって急に、「偽物」がどんどん表に出てきて、「本物」を捜し求める人が増えて来たのは確か。「ルネス工法、50棟」の意味は、かなり重要だと考えます。

全体像を見る

今、「ガソリン国会」とのこと。ありとあらゆる知恵を駆使して、予算審議の前に歳入を決めてしまおうと、かつての江川選手の「空白の一日事件」かと思うような奇策を投じて、「何が何でも」暫定税率を延長させようとする与党。対するは、「ガソリン値下げ隊」などというような、全く品格もインテリジェンスも感じられないイメージだけのアドバルーンを上げて、「何が何でも」暫定税率を廃止させようとする野党。どう見ても、プロ同士の戦いとは思えません・・・。
いつも疑問に思うのですが、なぜ、「郵政」や「テロ」や「ガソリン」のような、個別の問題が、国政の中心命題となり、単純に「賛成か」「反対か」という短絡的な言い争いだけに終始してしまうのでしょうか。本来の、「この国をどうするか」というビジョンや方向性が無ければ、賛成も反対も有り得ないのに・・・。ビジョンや方向性などの「戦略」が示されて、はじめて個別の具体的な「戦術」が決められていく・・・これが物の道理だと思います。今、「ガソリン税」をどうするかを判断出きる人は、本当はいないはずです。
「国民の幸福をどのように実現していくか」という大きな命題を語れる人や、現在の国の本当の実情を語れる人が欲しいですね。全ては、そこから始まると思います。でも、日本人は素晴らしい国民性と資質を持っているはずですので、必ず現れると思います。国を良くしたいという「大欲」を持った若い人、できたら同世代の1960年代生まれの人から出てくるといいですね。この世代(の多く)は、昭和一桁生まれの厳格な両親の下で育ち、古き良き日本人魂の遺伝子を強く受け継ぎながらも、若くて革新的な世代の新しい感性を理解できる懐の深さも持ち合わせています。「伝統と革新」の両方を兼ね備えた、今まであまり目立たなかった貴重な世代ではないかと、勝手に思ってます(自分自身は???ですが)。
さて、物事を俯瞰する、カメラで言うところのズームダウン(引く)、つまり全体像を見る目、構築する力を養っていく必要があると思います。そこだけを見ていても分からないことが、画面を引いていくと、次第に背景が見えてきます。結果的に全く逆の意見・結論になったり、そもそも大した問題じゃなかったと気づいたりします。だから、全体像を示して、全体像で戦うべきです。全体像が決まれば、自ずと細部は絞られます。
かく言う私も、ついつい全体像を見失うことがあります。これは人間である以上、仕方のない事なのでしょう。ですから、物の道理や世の中の仕組みなどの「全体像」を学ぶ勉強会を、月1回、社員さんたちと一緒に社内で設けています。このような学びは、直接、目先の仕事に直結しにくいものですが、長い目で見ると、物事を俯瞰する力が身に付いてきます。それは、その人の人生を豊かにするために、終生役に立つ智慧となるはずです。ある意味、究極の教育だと思います。

世のため人のため

先週の金曜日、「風水科学」と「建築医学」を提唱する松永修岳氏主宰による「ラックマネージメント・フォーラム」の新年会が、汐留のコンラッド・ホテルにて開催されました。各界の著名人や積極的にビジネス展開をされている経営者、感性の鋭い女性たち、進んだ発想を持った建築関係の方々等が約300名以上集まり、とにかく「元気」いっぱいで、私もたくさんの「よい気」をいただきました。
これから建築を考えていく上で、多くの方々が取り入れるであろう「風水科学」と「建築医学」という2つの建築デザイン・カテゴリーは、このように、着実に人々の意識の中に定着しつつあるようです。「場」の環境が、そこにいる人々の脳と体に与える影響は非常に大きく、それは「大脳生理学」からも検証されています。科学としての「場」の研究が、このように進むことで、人々の経済や健康や幸福の流れを良い方向に変えることが可能となるでしょう。そのような意味で、「風水科学」と「建築医学」は、「世のため人のため」になる21世紀のテクノロジーであると考えます。
さて、「進む」世界があれば、「相変わらず」の世界もあります。昨日の大阪府知事選挙は、橋下氏の当選で終わりましたが、立候補をする直前までレギュラー番組を持っていたタレントと、そうでない人たちとが、そもそも互角に戦えるものなのだろうかという疑問を持っていました。そこには、大変なハンデがあるように感じるのです。どの候補が良い悪いという意味ではなく、なにかそこには「正義」とか「正々堂々さ」のような、日本人独自の美意識があっても良さそうに思うのです。東国原知事の場合は、かなりの期間、テレビとは離れていて、政治を志していたとのことですから、理解できるのですが・・・。何か腑に落ちません。「うまくやった」でいいのかと。
さて話は変わって、昨日の日曜日は、全9戸のコーポラティブハウス「スライド西荻」の地鎮祭に出席しました。コーポラティブハウスの施工は、一般的に極めて難しいとされていますが、丸二はコーポラティブハウス施工歴8年の経験と実績を生かして、積極的に取り組んでいます。そのおかげもあって、今回のプロジェクトに参画させていただくことが出来ました。誠にありがとうございます!!コーポラティブハウスは、この都会の限られた土地を、「自由と共同」で相互活用し、お互いが個人の夢とコミュニティーを育む場とする、「世のため人のため」になる新しい住まいづくりの形です。だから、私たちは真剣に取り組んでいるのです。
丸二は、何か新しいことに挑戦する時、これが本当に、「世のため人のため」になるかというモノサシを持って、判断するようにしています。もちろん、すぐには利益になりません。それでも尚、時間は恐ろしく掛かるけど、いずれ「世のため人のため」になるものであれば、素直にそれに取り組みます。それが、丸二という会社の素晴らしい遺伝子です。「ルネス工法、外断熱工法、パワー・コンクリート工法、コーポラティブハウス、自然素材、建築医学(風水科学)、ICAS」・・・みんなそうですね。どれも、最初はまず理解されません。まだ、ニーズにもなっていない状態ですから、当然ですよね。でも、それは時間が解決していくのです。
だんだん、時間が早くなってきました。年齢のせいばかりではないようです。時代の流れが変わり始めると、制御不能のスピード展開が待ち受けています。その時、問われるのは、「あなたは世のため人のために、一体どんな準備をして来たのですか」という問いでしょう。その場限りで、「うまくやる」ことだけに終始してきたのか、正義感を持って、正々堂々と、「世のため人のために(苦しみながらも)」何かを準備してきたのか。
丸二の準備が整うのは、あともう少し。すべてうまく行っています。

「200年住宅」と丸二

国土交通省が普及促進する「200年住宅」は、2008年秋の施行を目指し、その認定基準は、①数世代にわたって使用できる耐久性のある構造躯体を持つ②大地震後も必要な補修で継続使用できる③耐用年数の短い内装・設備は点検、補修が容易にできる④居住者のライフスタイルの変化に応じて間取り変更ができる、の4点で、「良質な住宅を供給できないメーカーは淘汰されていく」とするものです。
故に、「今は良質な住宅が供給されていない」という裏返しの事実が浮かび上がってきます。住宅が完成した当時は、確かに見た目も素晴らしく、極めて良質です。しかしながら、時が経つにつれて、住む人にとっても、社会・環境にとっても、だんだんと「やっかいな存在」に変わっていきます。そして、ある一定期間を過ぎると、どうしても建て直しをしなければならない現実に直面する・・・。この「一定期間」を、もっと長くしない限り、「良質な住宅」とは呼べないだろう・・・。これが、「200年住宅」の考え方であり、私たちが、もうすでに、15年前から提案し続けている取り組みです。
①と②の、耐久性が高く、地震に強い構造躯体は、「ルネス(逆梁)工法」、「外断熱工法」、「パワー・コンクリート工法」の組み合わせで、すでに実現しています。③の、内装・設備の点検、補修は、「ルネス(逆梁)工法」の最も得意とするところです。メンテナンスの手間と費用を軽減するには、深さ60cmの床下空間が必要です。④の、間取り変更の自由度も、、「ルネス(逆梁)工法」で解決です。水まわりの移動や、間仕切りの位置変更等の問題も、クリアーしています。また、スケルトン(構造躯体部分)とインフィル(内装部分)の境界線を明確にする「外断熱工法」も、それに一役買っています。
「200年住宅」を実現する基礎的技術は、すでに有るということです(丸二のオンリーワン技術です)。今後、それらを求める意識が高まれば、日本中の住宅は、欧米並み(以上)の寿命を獲得するでしょう。それは当然、住宅を建てる方のみならず、地球環境にとっても喜ばしいことです。ただ唯一、困ってしまうのが、住宅・建設業界です。良質な住宅が増えて、建替え需要が減れば、事業的には厳しくなります。ここが、あらゆる業界に共通して存在するタブーであり、壁ではないでしょうか。
この「壁」を乗り越える先に、新しい風景が見えるはず。私たちは、勇気を持って、本当に人や自然に喜ばれる建築を普及して行きたいと願いつつ、日々1mmの前進をしています。

変化の兆し

正社員を減らし、派遣・パート社員を増やすことで、企業利益を上げてきた「改革路線」がもたらしたものは、人々の「年収の低下」、「やる気の低下」、そして「消費の低下」だったように思います。めぐりめぐって、さらに経済の傷跡は深まってしまった・・・。
経済アナリスト:藤原直哉氏の最新書『世界同時株大暴落』には、1970年代の不況について、あの時は、銀行が融資をして、企業を助けた。また企業は、労働者にきちんと賃金を払った。結果、社員はやる気を持ち、生活もできた。企業も設備投資ができ、新しい技術・商品を生み出した。消費者は、その新しい商品を購入することができた。これにより、黄金の1980年代を迎えた」という内容を書いています。
今になって「そうだったのか」と、自分自身の不勉強さを恥ずかしく思います。なぜかと言うと、1980年代の私は、証券会社の社員でした。まさにバブルの絶頂期。この当たり前の好景気が、1970年代の大変な苦しみと見事なリーダーシップによって得られたものとは全く知らず、ノンキに「株が上がった、上がった」と喜んでいたわけです(ああ、恥ずかしい・・)。
でもそうすると、現在はその時と全く逆の状態であることがよく分かります。国民の年収が下がれば、当然消費は上向きません。やる気も落ちるでしょう。その上、年金や不正などの不祥事、不信感。富める者と富めない者との格差も広がり、ますます社会は乱れ、全体が不調和となる。なかなか厳しい現状が見えてきます。
ただ、活路は十分あると思います。「行き詰まり」は「変化」の兆しですので、この時代の流れに抵抗せずに、完全に身をまかせていけば、近々全く新しい景色の場所に出られるはずです。その新しい景色の場所にふさわしい人間であったり、ふさわしい技術や商品を持っていたりすれば、その場所に必ず流れつくと思います。どのようなルートで行き着くかは分かりませんが・・・。滝もあるでしょう、急流もあるでしょう。でも、きっと流れ着く。問題は、その新しい景色の場所にふさわしい人間とは一体どういう人間か・・・、ふさわしい技術や商品とは一体どういう技術や商品か・・・、ということです。
まだまだ、やるべきことがたくさんあるというのが、結論です。

謙虚に学ぶ

昨年10月頃の経済誌「プレジデント」に『年収2000万の勉強法』という特集があり、いろいろと面白い結果がありました。年収2000万以上の人というのは、全体の約0.5%(200人に1人)しかいないわけで、その人たち(いわば経済的に成功している人たち)が、共通に持っている習慣とは何だろうと、大変興味を持って見ました。
ところが結論は、「勉強の習慣」があるということ。まとめてしまうと、これだけでした。何だ・・・そうか・・・。年収2000万以上の人の約8割が、勉強(独学、通学、通信教育、趣味以外の読書など)の習慣があり、時間にして一日30分~1時間くらいの時間を、そのために当てている。その中で、特に多いのが「読書」で、1ヶ月の平均読書量は1~6冊。また、自分の価値を上げるために学ぶべきものを、①コミュニケーション②思想・哲学③歴史・古典、としている。
つまり、経済的に成功している人の多くが、本を読み(それだけの時間をつくる良い習慣があり)、コミュニケーション能力を高めるための努力を行い、自らの思想・哲学・考え方を先人から学びながら体系化している・・・ということになります。「本を読む」には、「セミナーに行く」「自ら見聞し調べる」「直接会って学ぶ」ということも含まれると思います。要するに、「謙虚に学んでいる」という意味だと解釈します。
できる人ほど「謙虚に学ぶ」から、余計にまた差が出来てしまうのでしょう。ちょっと焦りますね。また、一番すごいなと思ったのは、「人生で一番勉強したのはいつか」という質問に対し、最も多かったのが「いま現在」という答えでした。確かに、毎日が勉強ですね。とにかく、「謙虚に学ぶ」ことを忘れないことです。
話は変わりますが、最近の「環境偽装」に関する記事が、今朝の日経の「経営の視点」に書かれていました。「このくらいなら・・・」はもう通用しないと。本当にそうだと思います。そしてこの記事の中に、あるエピソードが書かれていました。
1970年代後半。ヤマト運輸社長だった故小倉昌男氏は「宅急便」の段ボール箱からミカン一個を失敬した社員を解雇した。社内を震え上がらせ、語り継がれてきた「ミカン事件」である。
すごいと思います。当然だと思います。これが、現在の「宅急便」を生み出した「理念」でしょう。「このくらいなら・・・」は通用しない。当たり前です。ところが今は、この「当たり前」ができなくなってしまった。なぜか・・・。思想・哲学の欠如。だから、謙虚に学ぶべし!!

動じない精神力

大学入試センター試験が終わり、今年もまた1211人が再試験に。リスニング・プレーヤーの不具合は減少しましたが、試験会場で携帯電話が30秒鳴ったとか、5~30秒照明が消えたとかで、「ごめんなさい、もう一度どうぞ」ということのようです。
また、全講義をインターネット上で実施している「サイバー大学」(昨年4月開校、吉村作治学長)が、在校生620人のうち約200人の本人確認をしていなかったとのことです。所管の文部科学省が改善指導するらしいです。
このように、日本の見事な社会運営システムをしっかりと支えてきた「確認」という基本中の基本が、非常に弱くなってきたのは確かです。携帯電話を切り忘れる、自動消燈システムを解除し忘れる、本人確認をし忘れる。それ自体が、難しい作業や技術を要するものではなく、ただ単純に「確認を忘れた」ということであれば、とても怖いことです。まさに、デジタル(機械)は進化し、アナログ(脳)は退化す・・・。
このような状況になるというのは、以前より何となく感じていました。原因は「携帯電話」と「コンビニ」です。例えば待ち合わせについて言うと、昔は時間と場所を詳細に決めて、事前にしっかりと確認し合い、もし会えなかった場合の事も想定したり、前日にもう一度を連絡をしたり、いろいろと二重三重の準備をしていました。もし行き違いになったら、もう終わりでしたから。でも今は、「携帯で連絡取り合って!」でOK。携帯があれば、時間も場所も、その場その場で何とかなる。忘れ物をしても、「コンビニ行ってくる!」で問題なし。だから、特に準備をしたり、前もって下調べをしなくても、なんとかなる時代になってしまった。便利だけど、「準備不要」の「行き当たりばったり」社会です。
このようなパターンが悪い習慣になってしまうと、大事な時に頭が回らない。何が必要か、事前にどのような連絡や確認をしておくべきか、考えられるケースは何か、その時はどうするか・・・このようなイメージが湧いてこないと、思いもよらないミスや事態を招いてしまいます。人間自体もきっと弱くなっていくでしょう。試験中に携帯電話が30秒鳴っても、5~30秒照明が消えても、動じない精神力を鍛えなければならないのが教育なのに、何かが変な気がします。

再生紙偽装

「年賀再生紙はがき」の古紙配合率が、全部ウソだった!!・・・というニュースを見て、何か怒りが込み上げてきました。作業工程上のミスだとか、配合基準の認識不足だったというような過失ではなく、完璧に経営レベルの故意によるもの。しかも納入メーカー全て(大手5社)が偽装をしていた。なおかつ、年賀ハガキのみならず、すべての再生紙ハガキも偽装。配合率40%のところを、全メーカーが1~20%・・・つまり半分以下しか入れてなかったのです。そして(当然だと思いますが)、はがきだけでなく、コピー用紙やノートも・・・。
建築業界でも、構造計算の偽装(姉歯事件)がありましたが、それは一人の構造設計者による考えられない過失であり(もちろん防止するためのシステムや責任体制に重大な問題があります)、今回のような大手メーカー総動員の「だまし」ではなかったように思います。建築の場合、建物が生産される「現場」は常に屋外にあって、多くの人様の目に触れていますし、発注者や監理者の厳しいチェックも受けています。それでも、今後は姉歯事件のような事が起きないよう、さらなる基準づくりを進めています。
しかしながら、今回のような大手製紙メーカー全体の足並みを揃えたかのような偽装は、人様の目に触れない密室(工場)で製造されているモノなので、メーカーの名前や品質表示を100%信じる他なく、なかなか見抜くことが出来ません。もし、品質表示が全くのウソとなると、しかも、「(多分)だますつもりで、だましていた」となると、どのようにして消費者は対抗していけばいいのでしょうか。
日本郵政も、今まで10年以上このような偽装に気づかず(本当に気づかず?)、国民に「年賀再生紙はがき」を大宣伝して、大量に販売していたことになります。一方、姉歯事件においては、建物を販売していたマンション・デベロッパー「ヒューザー社」が、大きな責任を取らされました。さて、日本郵政はどうするのでしょうか。「環境に負荷を掛けない古紙再生紙」だと思って、商品を購入していた多くの消費者への、重大な責任があると思いますが。
食品に続いて、今度は紙。今回も、恐らく内部告発から出てきたと思います。さあ、いよいよ「偽物」から「本物」へと、人々の意識の次元(ステージ)が上がってきました。これはきっと良い兆候だと思います。ですから、この時代の大変化に乗り遅れないように、私たち一人ひとりが早く「本物」にならなくてはいけません。人やライバル会社との競争ではなく、時間との競争になりました。「一日一生」の意識で、「今」と「今日」を大切にしていこうと思います。