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生きよう!

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(映画「心」)
韓国船の沈没事故では多くの犠牲者が出ています(早期の救出を心からお祈りいたします)。先のマレーシア航空機の行方不明事件もそうでしたが、海の上の事故への対応はなかなか思うように進みません。だからこそ、常に事故への防止対策や事故を想定した訓練が必要なのでしょう。今回の韓国船においては、(事故当時)操舵室に船長がいなかったらしく、そのような「過信」が今回の事故の根底にある様な気がします。日本から購入した船に増築をしていたとのことで、乗客の事を心から考えていたならば、そのような危険な行為はしなかったと思うのです。
前のブログで紹介した映画「この空の花~長岡花火物語」の中で、「想像力」という言葉が多く出て来ました。想像力とは、相手の気持ちを考えて、思いやること。想像力が無ければ、相手の立場に立つことはできないからです。「もし自分だったら・・・」と想像する力を失ってしまうから、きっとこのような事故や事件が多発するのでしょう。想像力を奪われることが、人間にとって、一番の不幸なのだと思います。沈みゆく船から逸早く逃げ出したのが船長だったという事実を知ると、まさに「想像力」の問題ではないかと思います。
みんなが相手の立場になって考えられる社会になれば、きっと世の中はもっと良く成るでしょう。けれども、だんだんと物事が分かるようになって来て、慣れて来ると、なぜかこの「過信」が心の中で増長してしまい、遂には傲慢と成り、初心や謙虚さを失って行きます。成功者なのに(なぜか)良い晩年を迎えられない人たちが(確かに)いるのも、(無意識の内に)傲慢になり、謙虚さを失っている自分自身に(最後まで)気が付かないからではないでしょうか。もちろん、謙虚さと自己卑下とは違います。自己卑下は自分自身へのイジメですが、謙虚さは森羅万象への感謝です。生きて行く過程の中で、あらゆるものへの感謝の心を大きく持って、他者への想像力(思いやり)を高めて行くこと。これが(人類共通の)人生の目的の1つではないかと感じます。
最近、DVDで映画「心」(1973年)を鑑賞しました。これは夏目漱石の小説「こころ」の中の(主に)「先生の遺書」の部分を映画化したもので、新藤兼人監督の作品です。他に「こころ」の映画化は、市川崑監督による名作がありますが、新藤監督の「心」は、原作をベースにしながらも、独自のイメージと映像で脚色したものです。けれども、夏目漱石の描く原点から外れてはいないと思います。人間の持つ根源的なエゴと欲と葛藤を、美しい自然美を背景に表現していました。
結局、人間の成功や幸福とは何かを追求していくと、自分自身の「心」、つまり「良心」との対峙を乗り越えて行かなければならないことに気づきます。何よりも恐ろしい存在は、他の「誰か」では無く、(実は)自分自身の「良心」ではないのかと。宮澤賢治の「雨ニモマケズ」は、「そういう者に私は成りたい」と結ばれていますが、「そういう者」とは「デクノボウ」であり、「無欲」で、「自分を勘定に入れない」人のことです。夏目漱石の「こころ」の「先生」は、「そういう者」に成れなかった自分自身を、最後に(自ら)罰したのではないでしょうか。
それでも人間は「生きて行くべき」だと思います。良心の呵責に苛まれること自体が、自分自身の「良心」の存在を「肯定」していると思うからです。今回の韓国船沈没事故で、多くの学生が被害に遭った高校の(引率をしていた)教頭先生が、自殺したそうです。良心の呵責、あるいは責任の重み。でも、そのような「生身の体験」を通じて、自分自身の「良心」と対峙(格闘)することこそが(もし)「生きる」ことだとしたら、あるいは(もし)そのように捉えることが出来たならば、今を生きて、今出来ることを精一杯、懸命にやっていく道が在ったのではないか。そのような経験を乗り越えたからこそ、他人の痛みを感じられる「想像力」を持つことが出来るのではないか。
起きた事や終わった事に(いつまでも)クヨクヨしたり、自身や他者の失敗を(いつまでも)責めたりしても、そこには何一つ人間らしい「想像力」は生まれません。「今」という現実を直視し、ありのままを受け入れて、その上で自分自身の「良心」の声を聞きながら、前へ向かって歩いて行こう。そういう自分自身を見出すことが出来れば、胸を張って歩いて行ける。自分を評価するのは(決して)他人ではなく、自身の「良心」だと思うからです。人間は自分の良心から(永遠に)逃げられないと思います。死んでも逃げられない。ならば今、ここで、「良心」と仲良くすれば良い。「良心」はいつも、懸命に生き続けようとする「私」を(誰よりも)愛し、応援してくれていると思います。
宮崎駿監督の映画「風立ちぬ」も、高畑勲監督の映画「かぐや姫の物語」も、「生きろ!」を主題にしていたと思います。夏目漱石の「こころ」も、(逆説的に)きっとそうなのでしょう。「かぐや姫の物語」の中に、「生きる為に生まれて来たのに」という(かぐや姫の)台詞がありました。私たちは(みんな、みんな)生きる為に生まれて来た。だったら、素直に生きれば良い。生きて、生きて、幸せを感じること。幸せとは、相手の幸せを祈ること。喜びとは、相手の喜びを願うこと。これが「想像力」です。「未来の子ども達が安心して暮らして行ける世の中を遺して行こう」が、映画「この空の花~長岡花火物語」の主題でした。未来の子ども達の人生を想像すると、今たくさんの心配事が在るからです。だから、今こそ、大人達が正しい人生観を示し、「生きる喜びと幸せを」伝えて行く時なのでしょう。

消費増税と量から質へ

今年の春は、美しい桜の開花と共に、消費増税が実施されましたが、今のところ大きな反動は無い様子で、日本人の(良い意味でも、悪い意味でも)適応能力の高さを感じます。これから私たち国民が、消費増税の影響を受けない為には、先ずは景気を良くして、収入を上げて行く道が在るでしょう。当然、政府はそのような方針を取っていますし、多くの国民は景気回復への期待を高めているところです。けれどもその一方では、「消費をしない」という最も単純明快な道が在るのも事実です。
実際に、まったくモノを消費(購買)しないで日常生活を行うことは不可能ではありますが、今まで以上に「無駄なものは買わない」「自分でできることは自分でやる」という発想は生まれて来るのかもしれません。案外そういう「質素・倹約・自給自足的・自立生活」自体に楽しみや喜びが生まれてくると、非消費型生活への加速が(今回の消費増税を機に、逆説的に)始まって来るのもしれません。
只、いずれの道にしても、「必要不可欠なモノ(サービス)」「どうしても欲しいモノ(サービス)」以外への消費行動は減少するでしょう。将来的に人口が減り、少子高齢化と成る国の中で、さらに消費税が上昇方向と成れば、マクロの経済は収縮して行くはずです。その中で、必要な業種、会社、お店と不要な業種、会社、お店とがさらにハッキリ分かれて来るに違いありません。要は(今は)何もかもが「多すぎる」のです。そのような意味において、人口減少の方向は、その「多すぎる状態」に対する反動として、自然界の調整機能として働き始めたのかもしれません。もう一度、社会のバランスを正常に戻す為の大自然の摂理なのでしょう。
今現在、建設業界のみならず、多くの業界で人手不足が起きていますが、これも案外すぐに落ち着いて来るのかも知れません。よく考えたら「要らない」ものが多いことに気づき始めるからです。みんながお互いに無理(無駄)をし合っている。だからこれからは、適正なバランスの中で、本当に人々の暮らしを守り、楽しくするモノやサービスだけが生き残るでしょう。企業活動も、拡大路線よりも持続路線の方に価値観が移行すると思います。それはむしろ地域と共に生き続ける中小企業の得意技です。
さらには、これから生き残るモノやサービスについても、その業種(商品)の外面的な内容と言うよりも、むしろ内面的な精神(思い、動機)の方に焦点が当てられて来る様な気がします。つまり、その商品(サービス)に「良心」が内在しているのかどうかです。自社の商品やサービスを買う(利用する)人々の「健康」や「安全」や「幸福」を(心から)思った上での提供活動なのかどうか。当然、ビジネス活動ですので、「売れるから売る」訳ですが、けれどもその中にも「良心」という視点をどれだけ含められるか。現在、スマホ等で氾濫している情報や、TVの娯楽番組もある種のサービス商品ですが、それが本当に利用者(視聴者)に対する「良心」の上に成り立っているのかどうか。「利用者が見る(使う)から提供する」と言うのは、確かに間違ってはいません。けれどもその中に、提供者側の「良心」あるいは「良識」を感じさせない限り、いずれ間違った道を行くような気がします。
文字通り「量から質へ」の時代が始まったのではないかと思います。消費税が上がることで、住宅、建設業の在り方にも変化が生じて来るでしょう。本当に良心的な会社(理念、人柄)なのか。良心的な商品(価格、品質)なのか。そういう厳しいお客様の期待に応えられる企業でなければ、消費増税後の新しい価値観による社会の中では持続して行かないでしょう。このように(確かに)厳しい時代ではありますが、(でも)逆に言うと、今すでに「良心的な会社」にとっては、ワクワクと楽しい時代の始まりです。
会社の「良心」とは、その会社の経営者と社員の人間性の総和だと思います。丸二の経営理念の中にも「社員の人格造り」という大きな柱が在ります。もちろん、まだまだ未熟です。けれども日々「1mmの前進」を大切にして、みんなの人間性(人間力)を高め、今の時代を超えて行こうと思います。建設業ほど「良心」の測られる仕事は無いでしょう。全て、完成後に「解かる」からです。そのような持続的な責任を持ちながら、長い間、地域で信用を保ち続けて行く建設業は、本当に一人ひとりの人間を成長させるものです。「良心」を育む場として、最高の仕事だと思います。丸二は、そのような意識を持ちながら、いよいよ始まった「良心経営」の時代へ向けて、最善を尽くして参ります。
※最近買った映画DVD
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2年前(震災の翌年)、何度も映画館に通って観た映画「この空の花~長岡花火物語」が遂にDVDとなり、また家で2回も観てしまいました。普通、映画は一度見ればストーリーも分かって、すぐに2回目、3回目とは成りにくいものです。それなのにこの映画は、まるで好きな音楽を聴く様な感覚で、観れば観るほどに、感動が増して行きます。去年の夏には、とうとう実際の「長岡花火」も観に行きました。戦争や震災で亡くなった多くの人々の事を、私たちは決して忘れない。長岡花火は(観光用ではなく)慰霊の花火、祈りの花火。未来を生きる子どもたちに、もう二度と戦争を味あわせてはいけないという必死の思いが「花火」と成り、あの「3.11」を経て、かつて戦争で死んだ子ども達を「2011年」に蘇らせるのです。そして死者たちは「一輪車」に乗って浮遊移動し、再び過去へと帰って行く・・・。大林宣彦監督が重病によって生死を彷徨った後に生まれた作品です。
※最近の写真
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池袋の立教大学前の現場、完成間際です。
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井の頭公園の夜桜です。キレイでした。
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武蔵野桜まつりへ。市役所前の桜の道。
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府中市の木造住宅の上棟です。夕日を背にする職人さん。
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その木造住宅のまわりを散策。懐かしいポストが。
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美しい花と青い空。東京にも身近に自然が。
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長閑な小川が流れていました。静かです。