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光の道

チュニジアの博物館テロ、そしてドイツの旅客機墜落事故・・・。共に日本人も犠牲に成りました。地中海を中心にして、ヨーロッパ全体からロシア、中東、北アフリカに至る地帯では、嫌な事件や事態が頻繁に発生している様な気がします。また日本人が巻き込まれることも多々あり、いよいよ他人事では無くなって来ました。このような事故や事件で亡くなられた方々への御冥福を心よりお祈りいたします。今後は日本同様、ヨーロッパでも地震や火山噴火の懸念があるとのことで、その際には(地震国、火山国である)日本ほどの防災意識が無いだけに、より大きな影響を及ぼすことに成ると予測されます。先日、日本政府が南海トラフ巨大地震に関して、発生直後に国や自治体が行う救助活動や物資輸送の計画を公表しました。発生から72時間で負傷者の生存率が大幅に低下するため、その前に、全国の警察や消防、自衛隊から最大約14万人の救助部隊を、中部から九州にかけての沿岸10県に派遣するとのことです。南海トラフ巨大地震とは、東海、東南海地震などが同時発生するマグニチュード9級の大地震で、津波などにより最悪で32万人以上の死者が出ると想定されています。このような強い防災意識を持ち、待ち構えていることによって、実際に有事が回避されることが在ると思います。日本は今後、テロや不測の事態に対する出来る限りの想定をしつつ、可能な限りの準備をしておくことで、被害を最小に食い止めることが出来ると思います。
さて、最近感じる時代の変化とは、街を歩けば、多くの人々がスマホ等で様々な写真を撮り、気楽にネットに投稿していることです。どんなこと(事実)も隠せない時代に成って来たのでしょう。けれども、一瞬の画像と短い文章だけでは、本当の正しい(深い)情報はなかなか伝わらないものです。そこにはある種の(意図的な)加工も含まれているからです。最近、ある報道番組の放送中に、司会者と解説者との間で衝突が起きましたが、今のTVという媒体の中では、お互いの中に在る(それぞれの立場の)深い真実を語ることは不可能なのでしょう。世の中には、「美味しい」「不味い」とか「良い」「悪い」等の一言では、説明し尽くせない森羅万象の世界が広がっています。時には、時間を掛けて物事を洞察したり、ゆっくりと本を読んだり、静かに人の話を聞いたり、あるいは一切の情報を遮断したりすることが必要なのかも知れません。つまり、一番大切なことは、自分自身と向き合う時間を持つことです。ネットの先に在る(おぼろげなる)他者ではなく、今ここに在る自身の心(実在)です。今の社会は、おぼろげなる他者との表層的な関係維持の為の漏電作業に(つい)追われてしまい、最も大切なる実在する自分自身の心(良心)のことを忘れてしまっています。便利にはなったけれど、心は虚ろになっている。心が空虚になっている。そのような心の隙間に(すっと)闇が入り込んでくる。日本の安全神話が崩れ始めているのは、決してシステムの老朽化ではなく、人心の荒廃に在ると思います。
だからこそ、自分自身の感性や本能、良心の声に耳を傾ける意識と習慣が大切ではないかと思います。その為の日々の暮らしの中の環境も大切です。身の回りが整理整頓されていて、掃除の行き届いている(清浄な)部屋に居ると、心は自然と自己の内面(良心)へと向かいます(これが風水の基本的な考え方です)。私がクラシック音楽を好むのは、多分、自分自身と向き合う時間を欲しているからかも知れません。クラシック音楽は、一曲一曲が、非常に「長大」です。気楽に聴くことも難しく、真剣にスピーカーに向かっていなければ、音楽を理解(把握)することができません。これは、クラシックファンの人でなければ、完全な難行苦行でしょう。それでも、それだけの時間を確保したいとする気力の源泉は、音楽を通じて、自己との対話を求めているからではないかと感じます。音楽を聴きながら、実際は、自己との自問自答を繰り返しているのだと思います。このようにして、本を読んだり、音楽を聴いたり、自然の中を歩いたりしながら、先ずは自分自身の本心と向き合うこと。その自立した自己の上に、社会との良き関係性を築いて行くこと。日本人一人ひとりが、このような素晴らしい自己の内面を大切にすれば、個人的な危機も、国家的な危機も(きっと)回避できるように成るのではないか。とにかく(あの3.11以後の追悼の日々の時に様に)一旦静かに、落ち着いて、自分自身と向き合うこと。きっとそこから、本当の感謝の心が発生して、自ずから歩み進む道が見えて来ると思います。
先程、「長大」な音楽という文字を書きながら、ドイツの作曲家、ワーグナーの「パルシファル」を思いました。ワーグナーに随分凝ったのは(確か)大学生から20代の頃で、あの暗闇の中を果てしなく続く巨大な無限旋律のうねりに魅了されていました。確かにワーグナーの音楽には、何か特別な、ある種の霊的な作用があったような感じがします。一度それに憑かれると離れられなく成る様な不思議な力です。彼の音楽に心を奪われ、全てを失ってしまったルードヴィヒ2世の堕ち行く人生を見ても、そのように感じます。その後、私のワーグナー熱も(自然と)冷めてしまい、最近はほとんどCDを手に取ることが無くなっていましたが、その中で、彼の最後の作品である「パルシファル」だけは、いつまでも心に残り、時より聴いていました。「パルシファル」は非常に宗教色の強い作品で、キリスト教的な思想を描いた祝典劇なのですが、最近の研究によると、ワーグナーは40歳代から仏教に傾倒していて、その価値観を「パルシファル」に採用していたという事実を知りました。確かに、その音楽の流れの中に、仏教的な静寂、無の世界観が在るのは事実です。まるでお経の様な声と流線的に動き続ける和音、清浄を極めた無限旋律の重なりが延々と(果てしなく)続く異界の音響空間です。怪しげな霊的世界や魔物が住んでいそうな幽界を(楽劇という形式で)描き続けて来たワーグナーが、最後の最後に、仏教的な思想とそこに在る「光の道」を見つけ、それを無限旋律の集大成としてこの世に遺したのかもしれません。私自身も、そのような面に感応して、「パルシファル」だけは、いつまでも聴き続けているのかもしれません。
ワーグナー自身が建設して、自作の楽劇のみしか演じられない(ドイツの)バイロイト祝祭劇場では、毎年夏に「バイロイト音楽祭」が開催されます。第二次世界大戦が終結し、その後に音楽祭が再開された1951年は、(超有名な)フルトヴェングラー指揮によるベートーヴェンの第9の歴史的演奏で開幕し、クナッパーツブッシュ指揮による「パルシファル」が上演されました。この時の「パルシファル」の録音(CD)が残されており、最近初めて聴くことが出来たのですが、本当に、久しぶりに心が震えた演奏でした。ワーグナーと仏教との関連を知った後だったからかもしれませんが、まさに仏教的な深遠さ、悠久さ、響き、光の道を感じたのです。録音もデッカの技術陣による素晴らしいもので、モノラルですが、今から60年以上前の録音とは思えない程、非常に美しく臨場感のある音響でした。ワーグナー指揮者として最高峰のクナッパーツブッシュが指揮した多くの「パルシファル」の中でも、最も演奏時間が長く(4時間32分)、まさに深遠なる仏教観へと誘われます。ちょうど最近、「ヴァーグナーとインドの精神世界」という本も見つけたので、これから読んでみたいと思います。
最近のTVでは(昔、流行った)心霊現象を扱う番組が(再び)増えて来ている様ですが、以前と大きく違う点は、今は「写真」ではなく、「ビデオ(動画)」に写り込むケースが多くなったということです。しかも驚くほど「鮮明に」です。もちろん本物かどうか判らない面もあると思いますが、でももし本当であれば、現代は「見える世界」と「見えない世界」とがどんどん接近して来ており、その境界線が曖昧と成って、まさに混然一体と成ってきたのではないかと思うのです。昨夜は、元野球選手の清原和博氏の特集をTVで観ましたが、とても厳しい逆境の中で、自死を思いながらも、四国八十八か所のお遍路を経て、自身の生き方を見直し、改め、感謝の心で新たなる道を歩み始めようとする姿がそこに在りました。最近は高齢者も若い人も、鬱病が増えていると言われていますが、それと同時並行して、確固たる自分自身を確立し、真の意味での「自立」を成し遂げることが最大の人生テーマに成って来たとも思います。そのような中で、日本の精神文化が再び花開く道も見えて来るのでは無いか。今、世界で起きていること、日本で起きていること、そして自分自身に起きていることの真因を捉えて、それを自らの生き方の修正へと反映させ、自立へ導いて行くこと。そのように(自己の中で)意識決定が出来れば、全ては意味のある良き出来事に反転するはずです。最近、街を歩くと多くの外国人を目にします。彼らの表情を見ると、私たち日本人にとっては当たり前の日常の景色が、彼らにとっては(まさに)奇跡であり、不思議であり、感動であることが解かります。だから自信を持って、胸を張って、生きて行こうと思うのです。それが今の日本人の「光の道」だと思います。