Blog 社長ブログ

3.11

2011年3月11日から丸2年が過ぎ、その日の午後2時46分には(心の中で)黙祷を捧げました。ここ数日、各テレビ局では震災についての特集番組を組み、被災された方々のその後を放映していましたが、(実際には)そこには映らない(映せない)本当の苦しみが未だ存在しているはずだと感じます。被災地の復旧・復興は遅々として進んでいないようですが、確かに、物理的な面において、あの日以前の状態に戻すのには、相当の時間が掛かるのでしょう。さらには以前の場所に街を再現するのではなく、別の地域(高台等)への移設ですから、全てがゼロからのスタートです。作業以前に先ずビジョン(方針)を確立しないと、なかなか心も形も1つに成りません。今までの場所への愛着と共に、またいつか来るかもしれない地震や津波への恐怖の中で、答えの無い質問が(頭の中で)繰り返されている人もいると思います。その精神的な苦しみは、きっと計り知れないものだと思います。
そのような中でも、働く場所がある人は、前向きに生きているように感じます。自分の家を失い、大切な家族を失っても、今日の「衣食住」があり、今日の仕事がある人は(大変な苦しみや悲しみを抱えながらも)生き生きとしているように見えます。もちろん明日への不安を拭い去ることは出来ないと思いますが、「今を生きる力」とは、本当に物凄いものだと感じます。それにひきかえ私たち多くの人間は、毎日「衣食住」に恵まれているのに、常にいろいろな不満や不安を持ち、今を生きずに、過去(後悔)や未来(不安)の中を生きています。終わったことにクヨクヨしたり、まだ来ないことを不安に思ったりして、今の意識が「今、ここ」に無く、どこか遠くに浮遊しています。多分きっと、これほど「もったいない」ことは無いのでしょう・・・。
現在、過去、未来とは言いますが、それは理屈の世界で、実際には(この世界では)「今」しか無いようです。「今」の連続が、ただ続いているだけです。「過去」の経験によって「今」が在り、「今」の意識と行動によって「未来」が形成されます。つまり今の中に、(すでに、同時並行的に)過去も未来も含まれていると言うことです。だから「今、最善を生きる」こと。将来への不安で、今が楽しくないとしたら、それは無意味なことです。今を楽しむことで(同時並行で)良き未来が形成されるからです。同時に、過去の全てに感謝すれば、今を楽しむことも出来ます。今、感謝の心で、最善を生きること。私は、今回の東日本大震災で、そのようなことを感じ、学ぶことが出来ました。
さて今日も強風が吹いています。先日の日曜日には煙霧が発生し、空が急に暗く黄色に染まり、ある種の恐怖心を抱きました。最近は寒暖の差が激しく、花粉の猛威も増して来ています。全て、自然界に対する(私たち人間の)行いの結果だと思います。そうであるならば、私たちは意識を変えて(できる限り)自然を破壊しない生き方に修正しなければ成りません。同時に(その間)自然の猛威から身を守ることも考えなければ成りません。それは「衣食住」の確保が基本であり、特に食糧の確保と安全な住宅が最優先に成ると思います。過去の行いによって、私たちは厳しい(今の)時代を生きていますが、そのことに(積極的に)感謝することで、明るい未来を引き寄せると思います。インフレ、円安、消費税アップ、外交、防衛、原発、エネルギー、社会保障、景気回復、財政再建等、難問ばかりの日本ですが、それでも尚、生かされている現状に感謝して、近隣諸国との融和を思い(願い)ながら、最善を生きて行きたいと思います。そのことが、東日本大震災でお亡くなりに成られた多くの方々への最大の供養だと信じます。

愚直

今週の火曜日は縁会でした。縁会と言っても宴会ではなく、全社員が月1回集まる縁会です。私はここで毎月30分ほど社員さんに話をします。今月は、このような話をしました・・・。
最近は隕石や気球の事故があり、地元では恐い事件が発生し、北海道では暴風雪で多くの方々が亡くなりました。特に地元の事件と北海道の件では、親の気持ちを考えると、何とも言いようのない悲しみが襲って来ます。北海道の暴風雪で9歳の娘を抱きながら亡くなった父親の愛情を思うと、涙が出て来ます。父親は亡くなりましたが、娘は生きることができました。父親は自分の服を娘に着せて、さらに雪から守るように娘を抱いていたそうです。お母さんは数年前に病気で亡くなり、父と娘のたった二人の家族でした。娘は両親を失いました。立派に生きて欲しいと祈ります。
宮澤賢治の物語は、自己犠牲を描いています。「銀河鉄道の夜」では、川に落ちた友人を救うために(カンパネルラが)水に入り、「グスコーブドリの伝記」では、寒波から人々を救うために(ブドリが)火山へ入ります。生と死とは一体何だろうか・・・。「雨ニモマケズ」の最後は、「ヒドリの時は涙を流し、寒さの夏はオロオロ歩き、みんなにデクノボーと呼ばれ、ほめられもせず、苦にもされず、そういうものに私は成りたい」と結ばれます。
一般的には「デクノボー」は、「下手」とか「役に立たない」というマイナスのイメージがありますが、賢治の言う「デクノボー」とは、むしろ「自分を後回しにする」あるいは「自分を勘定に入れない」という精神面を強く感じます。現代社会の中では、全く損な生き方であり、決して「成りたい」イメージでは無いでしょう。もう少し深く考えると、それは「愚直」という言葉なのかもしれません。私たち日本人の精神的美徳でありながら、随分昔に忘れ去ってしまった・・・愚直さ。今、東日本大震災を経て、その心の復興が始まっているような気がします。
そう・・・もう「3.11」から丸2年です。時代が大振動を始めて、賢治の理想郷とする<イーハトーヴ>への道が始まりました。振動は大地を揺らすと共に、人々の魂も揺らし続けています。きっといろいろな不都合も起きるでしょう。それでも人間は、前へ向かって歩き続け、きっと乗り越えて行きます。丸二も、賢治の言う「デクノボー」的な面がある会社です。このデクノボー、つまり「愚直さ」を「あきらめない」限り、私たちはこの大振動時代に応援されると思います。
大振動の時代は、大地も空も揺れます。自然現象も揺れ、気候も揺れます。今までの感覚では理解できない天候を経験するかもしれません(先日の北海道のように・・・)。同時に、ますます「衣食住」への重要性が高まると思います。衣食住とはまさに「生」の原点です。あの暴風雪の中、もし(もう一枚)温かい服があったら、もし何か食べるものを持っていたら、もしどこかの建物に中に入れたら・・・。衣食住への回帰、つまり生命を守る産業への回帰は、人間の生きる力の再生であり、あらゆるものの根源への収束を促すと思います。
中でも建設業の存在は重大です。地球環境の変化に従って、自然界の猛威が増すことで、「住居」にも大きな変化が訪れるでしょう。文字通り「生命を守る」ことが中心軸と成るはずです。今現在の建設業界は、様々な構造的な問題が重なり、改善の足取りは遅い状態です。それでも世の中は、かつて無いほどに、建設業を離さなく成るでしょう。決して楽な道ではありませんが、決して失われない道でもあります。
あの北海道の暴風雪の中で、自分の命と引き換えに娘の命を救った父親を思う時、私には(その娘を抱きかかえている姿こそが)建設業の心と感じたのです。何があっても、どんなことをしてでも、守る。人々の日々の生活、暮らし、家族の生命を守る。これが住居の本質だと、気づかされました。だから私はいつもこう言い続けています。「建設業は尊い仕事、聖職である」と。
デクノボー(愚直)を続けて行く限り、私たちの職業は求められるでしょう。もちろん苦労もあるし、評価されないこともある。けれども、それでも良いじゃないか。みんなにデクノボーと呼ばれ、ほめられもせず、苦にもされず、ただ造った建物をギュッと抱きしめ続けるのみ。北の暴風雪の中で、あるいは夜の街の中で、大切な命が失われた時も、私たちはこうして服を着て、ご飯を食べて、家に暮らしている。その幸せへの感謝を決して忘れてはならない。この聖なる建設産業に従事している喜びを持って、明日もまた「良き建築」を社会へ提供して行こう。それが私たちの使命。この道を行こう。
・・・以上が、社員さんへ話した(大まかな)内容です。これからの建設産業で最も大事なことは、熟練技術者を大切にすることと若い力を結集させることです。長年この業界で建築技術の腕を磨いてきた方々の智慧は、国の宝だと思います。もう70歳までは現役の時代です。同時に、その技術の伝承を若い世代へつなげなければ成りません。そのような業界の構造的なテーマを持ちながら、愚直に前へ進んで行こうと思います。