社長ブログ

金環日食

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今朝の「金環日食」、見ることが出来ました。多くの人が空を、太陽を、月を見上げていました。そのような風景に接して、昔の人は(もっと、きっと)毎日このようにして空を見上げていたのだろうなあ、と感じました。太陽と地球の間に月が入り、一直線に成った瞬間、もしかしたら何かが変わったのかもしれませんね。あらためて太陽と月に感謝です。
※携帯で撮ったので、日食の状態までは写りませんでしたが、なぜか写真の上部に小さく(もう1つ)太陽が写っていて、それだと日食しているのが分かります。面白いですね。

この空の花 長岡花火物語

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大林宣彦監督の最新作「この空の花 長岡花火物語」を見て、久しぶりに映画について書きたくなった。最もこの作品を「映画」だと言い切れるのかどうかは分かりません。セミ・ドキュメンタリーという説明ですが、そういう域を遥かに超えている気がします。普通ではありません。しかも新潟県長岡市の(いわゆる)町おこし的な地域のローカル映画であるはずなのに、そんな小さな枠組み(常識やイメージ)などを全てぶち壊し、大胆かつ刺激的な大林流の超ワンダーランドに仕上げながらも、「果たしてこれ以上に長岡花火物語を伝える手立てがあったのだろうか」と思えるくらい、本質を突いた爽快感がありました。何だろう、これはいったい・・・。
あの戦争で長岡は大変な空襲にあったそうです。多くの市民が犠牲となり、その追悼のために始まったのが長岡花火。それは中越地震を乗り越えて、東日本大震災の復興とも重なり合い、今や平和への「祈り」のシンボルと成りました。長岡花火は、米軍から大空襲を受けた8月1日に、毎年上げられます。土日に合わせたりはしません。なぜか・・・。それは「観光用」では無いからだそうです。「追悼」「祈り」そして「復興」へ。ひとつの里が、いつまでも「その日」のことを「決して」忘れずに、先人を供養し、追悼し、感謝を捧げている。このように、永遠に「未来へ」つなげていく無形の「思い」こそが、本当の意味での「平和」なのではないかと、あらためて気づかされます。外側に向けて、何かを訴える(運動する)のではなく、自らの内側に向けて、「供養」「祈り」「感謝」を「思う」ことで、長岡の人々は戦後60年以上を掛けて、日本の平和を「実現」して来たことを、知りました。
この映画では、戊辰戦争でこの里が焼けた時に支援された「米百俵」を、未来の子ども達のために(国漢学校創設に)使った小林虎三郎の精神も紹介されています。これも、やはり「未来のため」でした。有名な画家、山下清も長岡を訪れて、「長岡の花火」を描いています(このエピソードも映画に出て来ます)。山下清画伯は「世界中の爆弾を花火に変えて打ち上げたら、世界から戦争が無くなるのにな」と言ったそうです。そうか、だから花火なのか。戦争も花火も同じ音(爆発音)がします。同じものを「善」に使うのも人間、「悪」に使うのも人間。そのモノ自体は善でも悪でも無く、それを「どのような心」で使うのか・・・結局、人間性の問題なのです。原爆や原発も、それを扱う「人間」の問題なのです。映画では、花火の音を聞いて、空襲を思い出し、恐怖する人も出て来ます。一方、現代の私たちは、花火を見て、空襲を思い出したりはしません。なんと平和なことか・・・。ありがたいことか・・・。多分それは・・・長年「供養」「祈り」「感謝」を思い続けてきた「誰か」のおかげなのでしょう。
いつまた戦争が起こるかは分かりません。二度の起きないとも限りません。それなのに今の私たちは、あまりにも能天気です。この「無知さが故の」怠惰なる姿勢は、いずれまた「次の戦争」を生み出すことでしょう。危機を想定すれば危機を回避できますが、危機を想定しなければ、危機を回避できません。私たちは「3.11」で、そう学んだはずです。この映画の中心軸は、不思議な女子高生が台本を書いた「まだ戦争には間に合う」という劇です。まだ戦争には間に合う???・・・もう戦争は終わったのに・・・はっとしました。そうではないのです。これは過去からのメッセージ、いや忠告、いや警告です。二度と起こしてはいけない戦争が、また起こるかもしれない。だから「次の」戦争にまだ「間に合う」と言っているのです。寒気がしました。私たちは、60年以上前の戦争を「思い出し」、そこへ向けての「供養」「祈り」「感謝」を捧げることで、次の戦争を起こさないようにしなければならないのです。だから「まだ間に合う」。過去の先人達は、自らの生命を犠牲にして、未来の人々を救おうとされました。自分が苦しいのに、痛いのに、熱いのに、恐いのに、寂しいのに、悔しいのに・・・未来の「知らない」子どもたちのために、何かを残そうとされました。そのことへの「感謝」を、私たちは忘れてないだろうか・・・。
去年、東日本大震災が起きました。2万人もの多くの犠牲者の方々も、同じように「未来へのメッセージ」を残してくださいました。だから、そのことを「忘れずに」祈り、感謝して、平和を実現して行きたいと思います。日本は原爆、大空襲、大震災、原発事故等を経て、その度に、「未来へのメッセージ」をつなげ続けています。でも、もうそろそろ「応え」を出さないといけません。「まだ間に合う」けど、もう最後のチャンスです。それは、一人ひとりが「意識を変えること」しかないと思います。原発事故以来、節電で、夜の明るさが暗くなりました。映画の中でもありましたが、昔の人は「その方が落ち着く」。また、映画の(劇中劇の中の)セリフでも、「神様も、夜はこれくらいの明るさで暮らしなさいと言っている」とありました。いま私たちは多くのシグナルをいただいています。政治や経済、資本主義、みんなもう変わります。でも、絶対に「良い」方向に変わるのです。意識さえ変えれば・・・。
この映画の主人公は、不思議な女子高生で「花」という名前です。いつも一輪車に乗っています。多分、時空を超えた存在です。「時空を超えた存在」が現れる「ご当地映画」などは、普通はありません。映像も(必ずしも予算たっぷりでは無いことが判るような)合成やアニメーションも多用され、テンポも早く、かつ上映時間は160分(2時間40分)。きっと「変な映画」と思う人も多いことでしょう。でも、そのような危険を冒してまで、この風変わりな作品を、70歳を超えた一人の人間が造り出したことに対し、私は素直に感動しました。私たちは今、戦争を含めた数々の危機や混乱、大変革の前に立っています。でも、「まだ間に合う」。意識を変えて、本質を知る努力をし、すべてを見直し、やり直すこと。日々1mmでも良いから、前進していくこと。そう、この映画の全編を流れるエネルギーは「前進」です。良き未来への前進を、始めて行こうと感じました。

青空

今日は5月11日・・・。9.11と3.11以降、何となく「11日」の日を意識しますが、今朝の雲ひとつない真っ青な「大海」の空を見た時、何もかもが美しく変化しつつあるのだと、心から感じることが出来ました。それにしても、本当に今朝の空は凄かった。素晴らしかった。太陽の光も強く、強烈でした。確かに何かが変わりつつあることを、ずっと心の中で感じてはいたけれど、それが「良い方向へ変わっている」ということをリアルに実感できたのは、今朝が初めてかもしれません。玄関のドアを開けて、空を見上げた時(ドラえもんの)「どこでもドア」で、どこか違う場所に来たのかと勘違いするほどの景色でした。
美しい風景とは、どこか遠くの有名な観光地や景勝地にあるのではなく、多分(このように)ゴク身近な場所に、「すでに」在るのかもしれません。そのことに気づくことがさえ出来れば、私たちは「今すでに幸福の中にある」自分自身に気づくことが出来ます。現在、世の中で起きている事は、確かに「大変な事」ばかりですが、その中においても「美しいもの」「幸せなこと」「ありがたいこと」を見出して、そのことに感謝することさえ出来れば、きっとその瞬間からまわりの景色が変わるのでしょう。結局のところ、原因は外側(社会、政治、他人)ではなく、内側(自分自身)にあったのだと、解ります。それに気づくことが、「大変」を終わらせる(遠回りのようで)近道かもしれません。毎月の1日と11日は、自分自身の内面を見つめる日にしようと感じました。
私は、毎月1日は、地元の氏神様(地元で工事がある時は、地鎮祭でお世話に成っております)へお参りに行きます。1日の午前中に行き、鳥居の下で一礼をして、参道の端を歩き、本堂に向かって手を合わせます。特にお願い事はしません。ただ感謝の気持ちを伝えるだけです。日々、生きているから味わえる(艱難辛苦も含めた)素晴らしい体験を「させていただいている」ことに感謝するだけです。こう思えれば、周りの風景が光り輝くと信じているからです。そして、今朝の空がやって来ました。丸二の「感謝」の理念は、多分間違っていないと思います。
さて「地元の工事」に触れましたが、おかげさまで、これから地元(吉祥寺周辺)で10現場以上の新築工事が順次着工いたします。これはなかなか無いことで、本当にお客様に感謝です(誠にありがとうございます)。また増改築(リフォーム)工事も、過去最高だった昨年のペースを超えて進行中です。このことも、地元の氏神様へ御礼いたします。そして、さらに自分自身が光り輝けるよう、日々最善を生きて行きたいと思います。

内面の時代

今年のゴールデンウィークは、突然の豪雨や竜巻によって、各地に被害が出ました。気象の変化は人間には止められなので、被害を小さくする以外に対策の道はありません。5月は「金環日食」もあり、天体の配置が特殊な状態になるので、継続して注意が必要とのことです。また日本の原発が完全停止状態になりましたが、今の季節に置いては、特段の不便は無いようです。これから夏の電力使用量が上がる季節に入ってどうなるか。でも、この機会を逃さず、原発全廃への道を進みたいものです。
世界では、フランスのサルコジ大統領が敗れましたが、アメリカのオバマ大統領も苦戦中のようです。いろいろなことが変化していく時期になって来ました。ただ変化自体は良いことですが、今のような無意識での変化には危険性があります。まわりの状況に左右されず、自分自身の「中身」を変えることで、変化していかなければなりません。外側からの圧力によって(無意識に)変化させられるか、内側から(意識的に)変化するか。この2つの道しかないようです。となれば、当然、自分自身の内側を「自発的に」変えていく道を選びたいですね。今ほど、内面の強さが試される時はありません。内面性が人間の真の資産と成る時代です。最後はそれしか残らないのですから・・・。
ゴールデンウィークは特別どこにも行きませんでしたが、愛犬「じんべえ」と何度か井の頭公園を散歩しました。瑞々しい緑がとてもキレイで、青空も天高く、自然界がさらに一層、浄化されたような気がしました。そして、「何もかもがより良くなって来ている」という不思議な感覚を覚えました。つまり、意識的に生きて行くのであれば、今の世の中はとても素晴らしい状況に映り、逆に、まわりの状況に対応していくだけでは、とても厳しいものになると言う事です。
同じ環境や状況にいても、見える(感じる)世界が二通りに分かれて来たのではないか。何か小説のような非現実的な表現ですが(何となく)そのような感覚を覚えるのです。被害を小さくするには、被害の及ばぬ場所に行けば良い。でもそれは物理的な場所のことではなく、何か意識の置き所のような気がします。それが、具体的に一人ひとりの人生の分水嶺に成って来る予感がします。
休み中、子どもといくつかのTVドラマを見ましたが、もう完全に破綻状態ですね。造り手側から「恥」という概念が失われてしまったのか。あるドラマが、視聴率が低く、打ち切りに成るかもしれないそうですが、おそらく今後のTVドラマはすべて同じような状態に成ると思います。報道番組も本当の事を伝えられず、危機を危機と認識させてくれず、本来の目的を果たせていません。多くの人は「眠っている」状態で生きているようなものです。目を覚まして、自分自身を見つめて、内面を変えるべく最善を尽くして生きて行けば、こんなに楽しくて面白い時は無いのに。もったいない、もったいない。いろいろな事象を見ながら、あらためて気づきます。本当に私たちは幸せなんだと。