社長ブログ

心の大維新

政府による南海トラフ地震の被害想定が発表され、にわかに緊迫感が走りました。実際に発生するかどうかは(もちろん)誰にも分からないことですが、起きた場合を想定して、できる限りの準備と心構えは必要でしょう。これは日本のみならず、世界のあらゆる地域も同様です。現在の地球上では、様々な形で多くの自然災害が起きています。この流れを簡単に止めることはもう難しいと思います。であるならば、防災意識を持って、毎日を生きるしかありません。仮に、安全な場所に暮らしていたとしても、たまたま行った場所で災害に遭う可能性もあります。最後は、自分自身を信じて、毎日を明るく生きて行くことだと感じます。
このような地震・津波の想定がある以上、「無」原発への道は急ぐべきだと思います。それでも間に合わなかった場合に備えて、放射線の中で生きてゆける体質造りも必要のようです。原発のみならず宇宙線(放射線)の量も増えているらしいので、人間にとってどのような栄養素が必要なのかを考えていかないといけません。いずれにしても人間の体には小食が良いようです。最近、若い人の中でも、1日1食の人が増えているようです。経済至上主義の中で、毎日たくさんの食事を摂る生活習慣が推奨され、その結果、成人病が増え、ダイエットにお金を掛けています。今こそ私たちは、本当のことを知って、生活そのものを見つめ直していくべきだと思います。
地震にしても、原発にしても、病気にしても、全て「生命」に直結する問題です。人生は「生命」あってのものなのに、私たちは「生命」を犠牲にして、経済を優先して来ました。この「本末転倒」状態から早く目覚めることが、東日本大震災で犠牲と成った多くの方々に対する本当の追悼だと思います。とは言うものの、社会の仕組みが変わらない以上、その流れを変えることは難しい。でも、意識を変えることはできます。一人ひとりが意識を変えれば、きっと大きな力と成って、新しい時代が始まると思います。外側の状況に主導権を渡さずに、自分自身の良心を信じて、淡々と毎日を生きて行くこと。内面の力が一番の資産に成る時代が始まりました。まさに「心の大維新」の始まりです。静かなる革命です。

復興、古里、祈りのひのき

今日は地鎮祭でした。会社から歩いて15分、西荻窪の駅近く。燦々とした太陽の光の下で、神事を行わせていただきました。今まで住んでいた住まいが解体され、これから新たな建物が造られる。その一瞬の束の間の間、数十年振りに、その土地は太陽の光をたっぷりと浴びます。とても神聖なる時間。そして地鎮祭が行われ、土地が浄化され、また新しい社が建ち、住む人々を末長く護ってゆく。日本の建築文化の象徴である地鎮祭には、何か特別な意味があるように思います。神仏を信じる人も、信じない人も、みんな地鎮祭を行い、ホッとされます。日本人の心の中に、「お天道様が見ているから」という良心は生き続けているようです。建設業に身を置くことで、日々このような神事に触れられていることは、まさに幸せだと思います。
神仏と言えば、いよいよ来年(2013年)は、伊勢神宮の御遷宮です。遷宮とは、20年毎に社殿を建て替える伊勢神宮(正式には「神宮」)の特異なシステムです。遷宮のための木材(ひのき)は、裏木曽加子母の神宮備林から伐り出されます。日本全国の山や森の中から、加子母地域が選ばれたわけです。加子母ひのきは、日本人の心の原点(古里)とも言える「神宮」の社と成り、20年毎に解体された社殿の木材は、他の神社で再利用させます。つまり、加子母ひのきは、「神宮」経由で、日本各地へ広まっていると言う事に成ります。
丸二が加子母森林組合様と共に志していることは、神宮社殿のための加子母ひのきを、一般の住宅にも使わせていただき、特に都会の暮らしの中に、「日本人の心の古里」を復興させようと言うことです。同時に、間伐によって、山に光を入れ、日本の森の生態系を復興させることです。今、日本は全ての面において「復興」が必要な時です。このお盆は、戦争のことを考えました。「戦後史の正体」という本を読み始めました。スカパーでは2本の映画を見ました。「一枚のハガキ」と「日輪の遺産」、共に戦時の物語です。これらの映画を見て、真実はもっと悲惨だっただろうと思いつつ、今の時代の幸福さが身に沁みて分かります。それなのに今の日本は、今の私たちは・・・。
毎週金曜日に行われている官邸前の集会では、参加者によって(自然発生的に)「ふるさと」が歌われているそうです。古里・・・。古里には森や川や田園があり、神社とお祭りがあった。草花が美しく咲き、昆虫が住む。現代の都会の中に(物理的に)「古里」を造ることは難しいですが、心の古里を造ることは可能です。加子母の神宮ひのきは、日本の古里の匂いを運んで来てくれます。強くて不思議なピンク色をした加子母ひのきは、やはり何か特別な「柱」なのではないか。そのようにして、私たちは、ほんの少しずつですが、加子母の匂いを都会に運んでいます。
さて、ある方から教えていただいたのですが、米国International Journal of Health Servicesの2011年12月号に掲載された記事に、「米国において推定14,000人が、日本で発生した福島原発事故から14週間以内に放射性降下物によって死亡。死亡者数はさらに増加し、米国ではすでに2万2千人以上が福島による放射能被爆によって死亡している」と発表されたそうです。本当なら大変なことです。
今、何かを変えなければ成らない時。では、どう変えるべきなのか。そこに明確な指針を出せる人間などいないでしょう。人間業で成せる程度の問題を遥かに超えて来てしまったのだから。だからこそ、「お天道様が見ているから」という精神文化の在る日本なのだと思います。お天道様とは良心、自分の胸の中で燦々と輝いている良心。その良心の声を聞いて、一人ひとりがお天道様に恥ずかしくない生き方をする。その連鎖が、きっと大変革のうねりを造り出すと思います。これが「祈り」の力だと思います。いよいよ、日の本、日本の真価が問われる時が来たと思います。私たちも、「志」を持って、1mmの前進を続けます。「祈りのひのき」の匂いを運び続けます。

ロンドンオリンピックが終わり・・・

ロンドンオリンピックが終わりました。文明の中心が「西洋」から「東洋」へ移行する最後の年(2012年)に、西洋文明の中心地だった英国ロンドンに、聖火が灯り、そして消えました。
次の(文明の)中心地と成る(はずの)日本は、メダルをたくさん取るか、まったく取らないかのどちらかだと思っていましたが、結局メダル数は史上最多で、金メダルが少ないという結果と成り、当たったような、外れたような、いかにも日本らしい終わり方でした。
でもメダル数が最多という意味では、日本に大きな流れが来ているということだと思います。メダル数が増えれば、おのずと(今後は)金メダルも増えていくでしょう。たぶん基礎力ができてきたのだと思います。あとは、男性陣の問題ですね。日本男子の精神的弱体化は、スポーツのみならず、すでに政治や経済にも影響が出ていると思います。おそらくこの流れは変わらないと感じます。
別の見方をすると、勝負事への執着心が減少して来たという面もあるかもしれません。それは良いことなのか、悪いことなのか、分かりませんが、「金」は少ないけど、そこそこの成績は出せるぞという具合で、その辺に落ち着いたのかもしれません。日本をめぐる国際問題がいろいろとある中で、目立たず、突出せず、でも力はあるという存在感を、日本らしく表現しているようで、そう思えばなかなか面白い結果だったと思います。
もう血眼に成って、金メダルを取ろうとは思わない。結果よりも精神性。取ろうと思えば取れるけど、それより大事なものがある。何かそのような(目に見えない)意志があるようにも感じます。男子柔道の選手たちは、残念ながら金メダルを取れませんでしたが、日本発祥の武道がこれだけ世界的スポーツに成った証拠だと思えば、良き事のようにも感じます。人口の少ない日本がこれだけの結果を出していること自体、素晴らしいことです。今回の<メダル(実力)は多いが、「金」(名誉)が少ない>と言う特異な現象は、次の東洋的な文明社会へのヒントに成ると思います。
私は、(実は)オリンピックをそんなには見ていませんでした。大体は、ニュースで結果を知りました。オリンピックに賭ける自国の選手を応援する気持ちはもちろんありますが、それは特別な思いではなく、毎日の日常の中で一生懸命に働いている(生きている)世界中の普通の人々への思いと何ら変わりません。人よりも0.001秒早く走ることと同様に、(一人のある職人が)今日の仕事を昨日より丁寧にやることは、とても尊いことです。実際に他者の生活(衣食住)を助けているのであれば、比較しがたい程の尊さです。
オリンピックは、(逆に)大切な事を忘れさせます。そこで走ったり、泳いだりしている人たちだけが素晴らしいのではなく、「今」の「自分自身」こそが最高に素晴らしいということを、忘れさせてしまいます。オリンピックの恐さは、そこにあります。自分の外側に凄い人がいる。自分はダメだ。あの人のようにがんばらなきゃいけない。束の間の感動の後にやってくるこの無力感は、自分自身の素晴らしさを封印してしまいます。それは、「素晴らしいものは外側にある」という幻想(錯覚)に過ぎません。
本当に素晴らしいのは、「今」「ここで」、懸命に生きている「自分自身」ではないでしょうか。それは他の誰とも比較しようの無い、完全な尊さです。オリンピック中継も高校野球中継も大事ですが、でも同様に素晴らしいものが世の中にはたくさんあります。例えば、日々の日常の生活(衣食住)をより良くすることを懸命にしている人がいます。東北の復興に努力している人がいます。二度と戦争が起きないように戦争体験を語っている人がいます。暑い中、現場で働いている人がいます。生きるためにセールスをしている人がいます。頭を下げて、謝罪している人がいます。新しいアイデアを考えている人がいます。道端の空き缶を拾っている人がいます。仏壇に線香を立てている人がいます。みんな、みんな、毎日が金メダルです。
西洋文明は名誉依存。東洋文明は精神自立、実際に人の役に立つ実力があれば良い。そこには比較や競争の文字は無い。多分きっと(何となくですが)そんな風にして、時代が流れて行きそうな気がします。今現在の世界中の国々の防衛予算をまとめて現金にして、世界中の人々全員に配ったら、一人当たり数億円に成ると聞きました。考え方さえ変えれば、みんなが豊かに成れる時代が必ずやって来るのです。みんなが人の役に立つ仕事をして、そして分け合えば、世の中はきっと良く成って、全員に金メダル!!