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謹賀新年2015

新年明けましておめでとうございます。本年も何卒よろしくお願い申し上げます。今年の元旦も、早朝に地元の氏神様へのお参りを行い、そのまま会社に来て、神棚の水を取り替えたり、年次計画書を確認したりと、年初めの自分自身の(恒例の)セットアップ作業を淡々と行っています。年末年始はよく晴れた日々でしたが、昨晩は強い風が吹き、深々と冷え込み、確か時計が0時を指す直前だったと思いますが、大きな揺れを感じました。震源は千葉とのことで、東京都心は震度2くらいだった様です。私自身は、もっと大きい地震のように思ったのですが、気のせいだったのでしょうか。けれども、あと数分で年越しという瞬間の地震です。2015年がいろいろな意味で「揺れる」年に成るのかもしれないと、あらためて気を引き締めると同時に、それでも今を生きている(生かしていただいている)ことへの深い感謝の念を抱きました。
年末年始のテレビ番組の荒廃ぶりは年々増すばかりで、日本古来の風習や文化を感じさせるものは、ほとんどありませんが、その中でも私自身が毎年密かに楽しみにしているのは、NHKの「ゆく年くる年」です。「紅白歌合戦」の終了後に始まり、各地の神社やお寺の様子を中継しつつ、年をまたぐ瞬間を只々静かに通り過ぎるのみ。でも、それが良いのです。今の若い人はカウントダウンが無いと新年の気分が味わえない様ですが、私は静寂なる時空の移動感覚だけで十分です。そもそも時間や空間とは、どこかでスパッと分かれているものではなく、静かに、穏やかに、只々連続して「在る」だけではないでしょうか。まるで川の流れの様なものです。ですので、地元の氏神様への御挨拶も、流れゆく日々のなかで、行い「続けて」行きたいと思います。その根底にある思いとは、常に「感謝」しかありません。今を生きている(生かしていただいている)ことへの深い感謝しかありません。
今、会社には私一人だけなので、好きな音楽を(小さな音量で)聞きながら、このブログを書いています。私自身が編集してi-podに入れたいくつかの曲の中から、日本の唱歌である「朧月夜」も流れています。菜の花畑や、朧月や、そして里わの火影・・・。見たことのも無いのに、日本の原風景が目に浮かぶようです。寂しいような、悲しいような。でも、嬉しいような、楽しいような。日本の風景の中には、いくつもの種類の感情と風情が映り込み、それが八百万の神や日本の四季と相まって、混然一体と成って存在しているのでしょうか。それを曖昧と言うのか、情緒と言うのか。「日本の美」とは単純な言葉では表現できない難しさがあります。けれども、なぜか大晦日の夜に、人々が地元の神社やお寺へ足を向ける情景を見るだけで、そこに確かなる理解が生まれるのです。日本は大丈夫。日本に生まれて良かったと。この美しき日本の心が永遠に続くことで、きっと世界は丸く収まって行くのだろうと。
他に流れて来た曲は、ホルストの惑星や、バッハ、ヘンデル、モーツァルト。エレカシの「夢のちまた」や「うつらうつら」。それに卒業式の定番の「大地讃頌」。雅楽の「秋庭歌一具」やシューベルトの「冬の旅」もありました。このようにジャンル的には一見メチャクチャの様ですが、自分の中では一貫性があり、特に違和感はありません。多分、内省的な音楽ばかりなのでしょう。自分自身の生まれながらの性格である「内向性」に(子ども~学生の頃)苦しんだ時期もありましたが、今ではそれを100%認めてしまい、素直な自分自身を生き抜く道を歩んでいます。最近、「内向型人間の時代-社会を変える静かな人の力」という本も買いました。まだ読み始めていませんが、時代を切り拓いた大人物の多くは、実は内向型人間だったとのことです。自分自身の人生に花を咲かせるには、結局、自分自身の中に内在する「何か」との対峙が必要なのでしょう。ならば内向型であるが故に、私はその「何か」と日々向き合っているのかも知れない。そう思うことで、この性格にも深く感謝することが出来ます。
さて、2015年は「揺れる年」に成るのでしょうか。もし、そうであればチャンスです。外圧によって固定化された物体に振動エネルギーを加えれば、その物体は本来の姿に戻ろうとするはずです。人間も社会も地球も、きっとそのようにして良き方向へ変化し始めるのでしょう。固定化に慣れてしまった人間にとっては、確かに怖いという面もありますが、あの3.11以後、私たちは既に大変化を開始しているはずです。この流れをみんなの力で、良い方向へ向けて行きましょう。私も、丸二も、お客様と地域の為に、魂を震わせて、努力を続けて行きます。今年も何卒よろしくお願いいたします。