社長ブログ

大和の国へ

2015年が始まり、約一月が過ぎましたが、既にいろいろな出来事が発生しています。1月17日は(1995年の)阪神淡路大震災発生から丸20年の日で、あの日、日本が受けた大きなショックと悲しみを(再び)思い起こしました。高いビルや高速道路が次々と倒れ、街が火の海と化し、多くの方々が亡くなった1995年1月17日。今思うと、あの日、あの時、神戸(淡路)から何かが動き始めたのかも知れません。同年3月20日には、地下鉄サリン事件が発生し、残念ながら13人の方々が亡くなりました。その日から上九一色村への強制捜査までの間、日本は震撼の日々でした。今から20年前の1995年とは、まさにそのような恐怖と戦慄の年だったのです。それから16年後(2011年)の3月11日には、東日本大震災が発生します。このようにして繰り返される大きな悲劇を経験しながら、それでも私たち日本人は、この日々を超えて、今日も前へ向かって歩んでいます。
安倍首相の中東訪問後、イスラム国による日本人人質事件が発生し、未だに緊迫した状況が続いています。日本にとって良い形で解決することを心から祈っていたのですが、今の世界情勢はそんなに甘くは無いのでしょうか・・・。いずれにしても、これから日本がテロの標的に成ったのは事実で、この恐怖を日本人全員が肌で感じなければ成らないと思います。随分と長い間、私たちは平和で安全な日々を享受して来ました。一歩国外へ出れば、日々の生存に対する不安と恐怖が横たわる世界が確かに存在していたのに・・・。私たち日本人は、自国の本当の良さ(ありがたさ)を知らずに、日々の感謝を忘れていたのではないか。そのような自問自答が、今回の人質事件を契機として、一人ひとりの心の中で(嫌でも)起き始める様な気がします。世界の現実に遂に巻き込まれ、その恐怖の実体をこの目で見て、肌で感じて、それでも(他国に比べれば)平和なる日々の生活を与えられていることに、深く感謝したいと思います。
一方、このような大きな事件と並行して、国内でもいろいろな悲惨な事件が起きています。人それぞれの人生には様々な困難や苦労が伴いますが、世界に生きる人々から見れば、それは(多分、きっと)幸せなる悩み事の一つ一つなのかも知れません。今回のような人質事件、あるいは阪神淡路大震災や東日本大震災等の多くの人命を失う自然災害が起こる度に、(確かに一瞬ですが)私たちは(ハッと)平常心を取り戻し、(この日々への)深い感謝の祈りを思い起こしたりします。けれども、また日常の生活に戻ると、再び小さな不平不満と批判の蓄積が始まり、「この安全なる社会(国)に生きていること」への感謝の心を忘れて行く。この堂々巡りを食い止めて行かないと、また何かが起きて来るような気がします。今の自分と今の自国を信じて(もっと好きに成って)、感謝の日々を送りたいと思います。
最近は円安のおかげもあって、海外から日本に来る観光客が増えています。日本、日本人、日本の製品、日本の所作、日本の社会、日本の四季を見て、喜んだり、驚いたり、感動したり、感心したりして笑顔で帰って行くようです。日本の地方(田舎)も実は人気の様で、いろいろと智慧を絞って工夫している町や村にも多くの外国人観光客が訪れるように成って来ました。外から見れば、日本は本当に幸福な国ではないでしょうか。このように立派な国土や社会を築いたのは、私たち日本人の先祖の努力であり、その背景には、皇室や神社やお寺のような八百万の精神世界が在り、それら全てに美しき日本の四季(自然)が彩りを添えている。この他国には無い独自の規律と風情が総和して、現在の日本と言う(類稀なる)国が成立しているのではないか。日本の原点とも言える「和の力」がその求心力であるとすれば、今こそ日本は、その「和の力」でひとつに成るべきなのでしょう。月並みな言い方ですが、「チームワーク」です。日本人が本当に力を発揮するのは、皆の心がひとつに成った時。世界が最も恐れるのは、日本(日本人)が(正しい道で)ひとつに成ることです。国内においては、いろいろな意見や考えがあるのはとても良い事ですが、(これからは)それらを総和させ、お互いに力を合わせる(協力する)次元まで昇華させて行くことが大切だと感じます。「大和(ヤマト)」とは、(そもそも)そういう意味では無かったでしょうか。政治家も、評論家も、TVキャスターも、新聞記者も、大企業も、中小企業も、私たち国民みんなが、いろいろな意見の上で、協力し合って、ひとつにまとまって行くこと。そして「良き日本」を造って行くこと。そのような「チームワーク(和)」を目指したいと思います。
これは会社や組織も同様で、「正しい道の上で(チームが)ひとつに成る」ことが、圧倒的な力に成ると思います。正しき理念の下で、正しき道を歩みながら、皆の心をひとつにして行くこと。私たちも、このような王道の経営を志しながら、日本がさらなる王道の道を行くことに心から期待し、協力して行きたいと思います。
さて、話は変わりますが、年明け早々の1月3日(土)、「エレファントカシマシ」の新春ライブ2015を観に、妻と2人で日本武道館へ出かけました。クラシックのコンサートは慣れているのですが、エレカシ(のような日本人ロック!)のコンサートは初だったので、少々心配でした。けれども「行きたいものは行きたい」と勝手に2枚を購入し、(ロックもエレカシも全く知らない)妻を連れて、久しぶりの武道館へ。席が2階だったので、ステージからは遠かったのですが、自ずと爆音からも多少の距離があり、万が一の為に持参した耳栓(!)も使わずに、しかもずっと座ったままの鑑賞ができました。でもまあ、とにかく凄かった。
エレカシの好きなところを一言で言うのは難しいのですが、今日のブログの流れから言うと、彼らが「日本を大事にしている」「日本が好き」という面もあるように感じます。ロックに限らず、今の日本人の歌には横文字が多く、あるいは日本語なのに(わざと)英語っぽく歌う人が多いです。その方が確かに格好良く聞こえます。でもエレカシの場合は、(もちろん多少の横文字はありますが)基本は日本語による日本の歌(ロック)で、特に初期の頃には文語調の歌詞も多く、「若い日本人が古い日本語で日本の歌を朗朗と大声で歌う(がなる)ロック」という異質な様相を呈していたようです。その声は合唱の様なノン・ビブラート(ストレート)歌唱で、まるで唱歌の様でもあり、浪曲の様でもあり、時に演歌の様でもあります。実際に生で観た印象としては、歌舞伎の様でもありました(見得を切る!)。
全ての歌の作詞作曲を手掛け、自ら歌う(がなる)宮本さんは、森鴎外や永井荷風や夏目漱石等の明治の文豪が大好きで、あるいは浮世絵、古墳、富士山、古地図、散歩、火鉢、急須が趣味で、海外にも(好きでないので)ほとんど行かないらしい。よって、今の欧米文化に染まっている音楽シーンの中では、決して「売れる」「格好良い」「トレンド」路線にはいないことが分かります。それでもデビューから25年が過ぎ、「悲しみの果て」や「今宵の月のように」等の大ヒット曲も生まれ、今年の目標は「稼ぐ!」とのこと。何て正直で素直で気持ちの良い目標でしょう。ヒット曲を作ろうと思えば(いくらでも)作れる才能があるので、今年はきっとやるでしょう。武道館の天井には大きな日の丸の国旗が掲揚されていましたが、エレカシのステージと不思議な調和感を醸し出していました。
「稼ぐ」あるいは「ヒット」という言葉から連想するのは、(意外にも)音楽の父「バッハ」です。バッハは生涯で1000曲以上という膨大な量の音楽(一曲自体も長大)を作曲していますが、実はそのほとんどが(自分の創作意欲から生み出したのではなく)領主や伯爵等の時の有力者からの依頼による作曲でした。要は、自分が書きたい曲を書いたのではなく、依頼者(発注者)に頼まれて、依頼者が希望する曲を書き続けたのです。それは生活のためでもありました。後のベートーヴェン以降に成ると、自らの芸術表現としての作曲活動が始まりますが、バッハの時代は仕事としての職業的作曲活動だったのでしょう。バッハは多くの雇い主等からの注文(頼まれ事)に応え、その注文者が気に入る(喜ぶ)商品を提供し続けました。自分が好きでも、発注者が気に入らなければお金に成りません。つまりバッハは、相手に「ウケる=ヒットする」曲を書き、生活費を稼いでいたのです。バッハの没後、長大なる時を超えて、それらの1000個以上の職業的(生活のための)商品の1つ1つが、実はとんでもない芸術作品だったことが分かりました。
エレカシのヒット曲も、実は、CMやテレビドラマの主題歌として依頼されたものです。相手(注文者や大衆)が気に入るものを創造しようとする時に、きっと何か特別な力が宿るのでしょう。ある意味、これは「マーケティング」に通じる道です。企業はつい自分たちの思考だけで商品やサービスを開発してしまいますが、本当は顧客の期待に応えることが本線です。最近では、コンビニで薬も買えて、カラオケもできるようになったそうです。願わくば、これらの商品やサービスが(バッハのように)とんでもない「本物」であることを目指したいものです。「日本」の持つ独自の安全性と平和性の上に、未だその陰に隠れている「ポテンシャル」をもっと生かせば、まだまだ新たなマーケットは創造されていくと思います。依頼する者と依頼される者が、協力して何かを生み出すことで、無尽蔵の付加価値が生まれるでしょう。そうすれば、海外からの観光客はさらに増加し、「観光立国」と言う新たな日本の時代も始まると思います。世界で起きているテロや紛争も、その根本的な真因は経済的な困窮に在ると思います。テロや外国からの策略から自国を防衛する対策を強化しながらも、日本が良き雛形と成り、良き見本を示し、その普遍的なビジネスモデル(ソフト)を世界へ提供し、(宮澤賢治の言う)「全体幸福」の安定社会を導いて行く。そのような両面に向けての並行作業が大切なのではないかと思います。日々、いろいろな事が起きますが、やはり日本のことが好きな自分自身を発見します。この時代、日本に生きる幸せを感じます。