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坂本龍一さんが加子母森林組合と連携

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音楽家の坂本龍一さんが代表理事を務める森林保全団体「モア・トゥリーズ」が、丸二と連携している「加子母森林組合」を、「モア・トゥリーズの森」に認定いたしました。
写真は、岐阜県加子母地域の山中の「モア・トゥリーズの森」を視察する坂本龍一さん(中央)と岐阜県知事(右)と加子母森林組合・内木組合長(左)です(23日午後2時56分、中津川市加子母)。
「モア・トゥリーズ」の記事
岐阜新聞
YAHOOニュース
加子母の山中にある「丸二の森」の隣に、「モア・トゥリーズの森」の看板も立ち、いよいよ「美しい森づくり」の全国的なモデルになって行くと思います。丸二は、加子母森林組合さんと農商工連携認定事業を行っており、「加子母ひのきの産直エコ住宅」や「加子母森林エコツアー」等の取り組みを続けているところです。
加子母は、「伊勢神宮(式年遷宮)」の御用材の山としても有名で、強度の高い、見事な「神宮ひのき」の産地です。丸二は、この「加子母ひのき」の立派な有効利用材を、都会の「健康エコ住宅」に活用しています。今回、世界の坂本龍一さんが「加子母」を認定したことで、「加子母ひのき」が全国区となり、日本の森を守る運動もさらに拡大するのではと、心からワクワクしています。とても嬉しいニュースです。

純粋性について

今、日本の政治が向かっている方向は、「増税」「原発推進」「対米従属(TPP)」という3本柱のようです。そこには常に「復興のため」「社会保障のため」「温暖化対策のため」「電力確保のため」「景気回復のため」「防衛のため」という「枕詞」が付いています。多くの国民は「それなら仕方ないか」という気持ちのようです。でも何か、巧妙な「すり替え」があるようにも感じられます。国民は、等しく誰もが、「復興」「社会保障」「温暖化対策」「電力確保」「景気回復」「防衛」を心の底から「純粋に」待ち望んでいます。よって「そのために」と言われれば、それを素直に、純粋に、信じる道を選びます。
でもその「大前提」は、国民の「純粋性」に対して、政治家も同様の(あるいはそれ以上の)「純粋性」を「有している」ということです。私たちは(時に)疑念を持ちます。「政府は本当に国民のことを考えているのだろうか」「実は別の理由があるのではないか」「何か大事な情報を隠しているのではないか」「本当はもっと良い選択肢があるのに、自分の立場や地位を守る方を優先しているのではないか」と。日本の国民は本当に純粋です。世界中どこを探しても、日本人ほど純粋な国民はいないと思います。時にこのような疑念を抱きつつも、心の底流においては、「まさか、そんなことはしないだろう」と固く信じています。
もっと大きな視点で見ると、今の日本の政治には、「日本を良くしない(してはいけない)」という明確な意志が働いているようにも感じます(多分、無意識の総意として)。クラスの中で、本当は一番優秀で、人柄が良くて、リーダーシップもあるのに、突出すると「番長たち」からの「いじめ」に遭う。それを心底恐れている一人の生徒こそが、今の日本の姿のように映ります。とにかく目立たないこと、わざと弱いフリをすること、一番にならないこと。それが生きていくための唯一の術なのです。
そのような(広い)意味において、日本の政治家も「純粋」なのでしょう。否、日本にはそもそも「政治」自体が存在していなかったのかもしれません。自国を「より良く(強く)しよう」とする強烈な意志の無い政治など、「政治」では無いからです。同時にそのような「無政治」のおかげで、今の日本が在るとも言えます。すべては必然必要です。でも、これからはどうでしょうか。日本の未来のみならず、世界(地球文明)の未来を考えた時、そろそろ本物のリーダーが出て行かなければ成りません。心から「純粋」な気持ちで、世界平和を実現しようとする人物が「クラス(世界)」をまとめて行くべき「時」が来たと思います。
国も、国民も、日本の持っている「圧倒的な力(資質、歴史、技術、国民性」」を信じて、もう「いじめ」を恐れずに、「世界をまとめよう」と決意するべき「時」が来たのではないかと思います。現状に息詰まった時は、あえて視点を切り替えて、物事を俯瞰することが大切です。日本(自分)のことばかり考えているから、埒が明かないのです。思い切って、世界(他者)のことも考えるべきです。そうそれば、(相対的に)小さな国内問題など、一気に方向性が見えて来るのではないでしょうか。政治は「ぐるっと」変わって行きます。
日本の政治家は、本質的には(他国に比べれば)素晴らしい「純粋性」を持っていると感じます(「目立たないことが日本のため」と信じているという面において)。でも、これからは「世界をまとめる」という勇気を持って、意識を180°変えて行かなければなりません。それはイコール「責任」を持つと言うことです。番長も、生徒会長も、校長も、社長も、「長」と付いた者は、自らの「生命」を担保としての重大な「責任」を持っています。それを恐れるのは、分かります。でも、今後の世界をリードして行けるだけの責任を持てる国(国民)は、どこを探しても、「日本」しか無いのではないでしょうか。その決意を持って、「日本をより良く(強く)していく」戦略に方向転換し、その上で世界(他者)のことも考えて行けば、自ずと「増税」「原発推進」「対米従属(TPP)」等の政策にも変化が生じて来ると思います。今の日本の最大の矛盾点は、国民は「より良く成ろう」と懸命に努力しているのに対し、国は「より良く成らないように」と懸命に努力していることです。ここを突破することです。
そうすれば国民の意識も変わり、結果として、日本も世界も「より良い方向へ」変わって行くと思います。それだけのことが出来るのが、日本だと思います。この日本の力の原点は、人々の「純粋性」であり「和の精神」ではないでしょうか。日本が主導する世界を考えると、とてもワクワクして来ます。現在のような「戦争経済」や「競争社会」ではなく、きっと「自然との共生」「人々を幸福にする技術」「世界平和」「貧富の差の解消」「クリーンエネルギー」「東洋医学(予防医学)」「清浄な街づくり」「和、助け合いの精神(人格形成)」「農業、林業の再生」・・・いろいろなイメージが生まれてきます。
このような大きな方向性(ビジョン)を共有することが出来れば、当面の厳しさは簡単に乗り越えられると思います。そこが日本人の凄いところです。昨年の3.11は、「勇気を持って、動け。なぜ、動かないのだ」と言う、自然界からの啓示だったのではないでしょうか。なぜ日本だったのか・・・。私たちは、早く気づくべきだと思います。

自然の恩恵に感謝

2012年も「春」が近づいて来ました。人間社会は、日々いろいろなことがあって、右往左往の様相が続いていますが、自然界の方と言えば、淡々とある一定の法則に従って、地球の自転と公転を(予定通り)運行しています。仮に何か違和感を覚えれば、少し揺さぶって、本来の適正な状態へ戻す。その繰り返し(サイクル)の中で、宇宙も地球も、私たちの生活も、時間と共に進化発展して行くのでしょう。この「揺さぶり」こそが、地震活動、異常気象、資本主義の終焉として現象化されています。つまり私たち人間は、自然界に違和感を覚えさせないような生き方をして行けば良いのですが、そのような高度な人間社会を創造するのには、もっと多くの時間と経験が必要なのかもしれません。
私たちは、過去から現在に至るまで多くの「違和感」を積み重ね、その結果としての「揺さぶり」を素直に受け入れ、良き未来社会への橋渡しをしなければなりません。今生きている人類は、そのような同様の使命感を持つ同志です。だから、もう対立するのを止めて、自分たちだけの「利」は脇へ置いて、共に力を合わせ、このような歴史的大転換期を乗り越えて行くべきです。それを先送りしては、もっともっと大きな「揺さぶり」が、未来に発生してしまいます。子どもたちや孫たちの「良き未来」を創造するには、今「一気に」上書き修正する以外、道は無いと思います。
その修正のための共通理念こそが、「自然の恩恵に感謝する」意識ではないかと感じます。「自然」とは森羅万象、万物すべてを含んだ意味合いです。私たちは、生かされている存在です。そのことを(もっと)理性的かつ現実的に理解して、感謝しなければなりません。「生かされている」ことへの感謝の気持ちが生まれれば、もう(今日)生きていること自体が「幸福」と成るのですから、(その上)さらに何かに「依存する」こと自体が不要(無意味)と成り、(むしろ)逆効果とさえ気づくことが出来ます。なぜなら、「依存」=「生かされていることへの否定・反発」だからです。
「生かされていること」に素直に感謝して、(思い通りに行かない)日常を幸福な気持ちで過す。自然界や人に対して怒ったり、恨んだり、比較したり、愚痴や不平不満を言わない。常に前向きな意識で、前向きな言葉を使う。これらは全て、理に適っていると思います。このように「自然の恩恵に感謝する」という考え方を基礎として、人々が良心的な生活や良心的な経済活動をコツコツと実践して行けば、きっと景気も良く成ると思います。戦争や自然災害も減って行くと思います。そのようなことへの気づきを得られる時代が、「今」です。それだけでも幸福なことではないでしょうか。
丸二の経営理念の中に、「自然との総和に徹し、自然の恩恵に感謝できる会社造りを目指す」という一文があります。私たちも、一人ひとりが「感謝の心」を持つことによって、本当の「良き建築」を造ることができると考えています。おかげさまで良き社員さんに恵まれて、一歩一歩ですが、人間性の高い組織に成長して来ていると感じます。それが社長として、最高にうれしいことです。

さいわい

社長業15年目に入りましたが、昨年3.11以降の大きな「うねり(のようなモノ)」の感覚は初めてです。「変化」というよりも、むしろ「上書き」という方が合っているような気がします。全部、過去のことはキレイに消去されてしまい、まったく新しい「情報」に入れ替わるというイメージです。今までの常識が通用しなくなる時代がもうすぐやって来るのでしょう。このようにして、世の中が「リセット」されて、私たちも自然に「リセット」できます。だから、(先のブログに書いた通り)今が苦しい人ほど、懸命に生き続けようとする限り、「さいわい」に成るのだと、あらためて思います。
宮澤賢治には今の時代を生きて欲しかったと思います。もしこのような「うねり」の時代の人であれば、間違いなく「超さいわい」の人生を体験出来たはずだからです。でも、宇宙創生の時間軸から見れば、100年や200年位の差など、ほんの僅かな誤差レベルでしかありません。だから私たちは、「さいわい」なのです。「今」という時代に、ピンポイントで生まれて来た訳ですから。多分、ゴルフのホールインワンを100回連続で達成したほどの確率ではないでしょうか。この宇宙や自然界の成り立ち、法則、規律、真理を知った上で、身ひとつで「上書き」の瞬間を体験していく。そのために、私たちは「今」をワクワク生きているのです。
建築の世界も、何か違う発想が求められているような気がしてなりません。東北の復興に関しても、今までと同じ発想の街づくりや建築様式では、結局同じことの繰り返しに成るように思います。今後は、(地球規模的に)災害が巨大化してくると予測されています。「3.11の地震で大丈夫だったから、もう安心」と言う訳には行きません。人々の「生命と心を守る」役割としての住居という発想への「重心移動」が、いよいよ加速して行くでしょう。毎週のように、地震が起きる時代がすでに来ているからです。
そのような視点で、建設業の行く末を見て行くと、なかなか興味深いと思います。丸二も現在、おかげさまで昨年以降、お客様からの依頼件数が非常に増え始め、今まで以上に、鉄筋コンクリート造、高強度の伊勢神宮御遷宮ひのき(加子母ひのき)住宅、鉄筋コンクリート造+木造のハイブリット(混構造)住宅、コンクリート住宅の外断熱仕様、鉄筋コンクリート造の賃貸併用住宅、古い木造住宅の建て替え、耐震改修、老朽化した部分の修繕や補修等が多い状況が続いています。いよいよ新しい時代への備えという意識が、動き出したのでしょう。
これからは「生命を守る」がキーワードに成ると思います。それは、文字通り「命」を守るという面に加えて、「心」を守るという面もあります。それには、新しい時代に相応しい「人間性」を持つということ以外に無いと思います。自らの良心に従って生き、安易に何か(他者)に依存すること無く、本当の真実を知ることによって「自力」を付けること。今まで良心的に生きて来た人や会社が、いよいよ「さいわい」に成る「上書き」が始まります。

「加子母スタイル」と日本の未来形

地震が多いです。ここ数日は千葉県沖のようです。3.11以降、日本列島全体が活動期に入ったらしく、今後は全国的に地震や火山への注意が重要と思います。3.11の時もそうでしたが、何か想像もつかないような事が起きた時、人間は何を優先するかと言うと、やはり「家族」のことです。もちろん自衛隊、警察、消防、役所の方々、政治家、あるいは経営者等は、そうは言っていられません。「家族」を二の次にせざるを得ない立場というものがあるからです。でも、家族の「前に」という意識を持つという意味において、やはり「家族」が軸に成るのです。
数年来、丸二は岐阜県加子母(かしも)の加子母森林組合様と一緒に、国産ひのきの家造りへの取り組みを続けています。国(経済産業省&農林水産省)の認定事業というバックボーンをいただき、林業と建設会社が「直接」つながるという全国的に稀なシステムを構築して、現在様々な展開を進めているところです。
加子母地域とは、岐阜県の一番東側にあり、下呂温泉のすぐ南に位置しています。歴史的に東濃ひのきの産地として有名で、特に加子母の「神宮備林」は、約200年前から伊勢神宮の「御遷宮」の御用材として使われている(言わば)「宮内庁御用達」の山と成っています。その加子母の山とのご縁が出来たことに、私たちは心から感謝しております。
さて、その加子母森林組合ですが、SGEC「緑の循環」による「森林認証」を受けており、国際基準の極めてハイレベルな「森林管理」を行っています。その確かな品質管理による「認証材」は、どこの山でも取れる材木とは違います。強度も高く、色も独特なピンク色で、香りも良い。加子母の人々は古来から山を愛し、伝統を守り、和の精神で、心を込めて見事な「神宮ひのき」を育てています。
加子母森林組合には、「美林萬世之不滅(びりんばんせいこれをたやさず)」という山づくりの理念があります。何世代にも渡って、山を美しく守り続けていくという思いが、そこには込められています。その具体的な形として、「四世代複層林」への取り組みがあります。四世代複層林とは、10年生、40年生、70年生、100年生などの、四世代の木を、同じ場所に混在させて、一緒に育てて行くやり方です。一般的には、ひとつの場所に一斉に苗を植えて、同じ年齢(大きさ、高さ)の木をまとめて育てて行くのが普通です(その方が効率的で、楽なのでしょう)。そしてある時期になって一斉に伐採し、裸になった山にまた苗を植えます。その繰り返しです。
でもそのような方法ですと、山の状態は常に一定せず、風景や森の生態系にも偏り(不自然)が生じます。その結果、持続可能な美しい森からは程遠い、荒れた山になってしまいます。それに対して加子母森林組合は、全国で最も早く「四世代複層林」への挑戦を開始しました。後に林野庁がそれに続きました。すべては「美林萬世之不滅」の理念から発祥したことです。
同じ場所で、10年生、40年生、70年生、100年生の木々を育てる。大きく成った木から順に、一本一本が伐採されて行くのですが、森全体の風景や生態系はまったく変わらない(不変)・・・。まるで「方丈記」の「行く川の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず」と同じ世界です。そのようにして美しい森の調和は持続し、経済活動としての「山づくり」も子孫へと継承されて行きます。
まるで、「家族」のようです。おじいちゃん、おばあちゃん、お父さん、お母さん、子どもたち、孫たち。みんなが一緒(同じ場所)に暮らし、家系が継がれていく。それが一番自然なことであり、一番美しいこと。その「家系の形」が(永遠に)先々の子孫まで遺されて行く。私たちが提唱している「加子母スタイル」とは、いにしえの大和(ヤマト)の時代から存在し続けていた、本当の「家族の在り様(スタイル)」へのオマージュとして創造されたのです。
加子母森林組合の内木組合長は、いつもこう言います。「加子母の木は『育った』のではない。『育てた』のだ」と。そこには、トテツモナイほどの、森や木への深い「愛」が内在しています。「親(母)が子を育てる」という人類普遍の営みの原点が、今、加子母の山で静かに息づいている。その瞑想的にも思えるほどの感動の波が、加子母の森には響き渡っています。そしてこの普遍的とも言える自然界の大きな仕組みを、「家(=家族)の在り様」に置き換えた時、私たちが造る「加子母ひのきの家」の価値は、21世紀という新たな時間軸の中で、確かな重心を持ち得るのだろうと信じます。
尾張の時代から山を守る伝統をつなげ、最も日本人的な「和」の精神を継承している加子母という土地には、とても不思議な力があるのでしょう。それが「宮内庁御用達」の「ひのき」を産出している根源的な理由だと感じます。森を守り、家族を守り、そして土地(街、地域、コミュニティ)を守る「思想」の原点を、私たちは加子母に見たのです。その全てを貫く理念こそが、「美林萬世之不滅」であり、そのまばゆい光こそが、2013年(来年)の伊勢神宮「御遷宮」へとつながります。
加子母スタイルは、「日本の未来形」の雛型となるでしょう。これから加子母の名は、日本全国へ広まると思います。日本の文化、家族の原点、住む人を「育てる」家の代名詞として。「母」と「子」の名を持つ、古代大和(ヤマト)の文明の力は、必ず3.11以後の日本を「育てて」行くと思います。私たちは、その大きな流れの中で、感謝の心と使命感とワクワク!を感じています。

真の成功者

最近、女性芸能人の洗脳問題がワイドショーを賑わせていましたが、今はあらゆるところに(無意識に)人を管理・コントロールする作為が満ちているような気がします。TV、CM、映画、音楽、新聞、ネット・・・。結局、今の時代を造り上げたのは、私たちの総意だったのですが、その総意も「何となく」のイメージで構築(誘導)されているものであり、本当に「分かった」上での総意ではないと感じられます。女性芸能人のことを、とやかく言えません。
日本は先進国の中で、異常に自殺が多い国です。これは確かに問題であり、改善すべき重要課題です。でも、内閣府が「〇〇対策強化月間」「〇〇予防週間」として大々的に謳えば謳うほど、余計に「〇〇」は拡大・増加していくものです。人が意識を向けたもの、言葉として発したもの、文章化したものは、増加・拡大・実現化する法則(特性)があるからです。人の心の無意識(潜在意識)とは凄いもので、それを見たり、聞いたりすればするほど、その現実を引き寄せます。
だからもし対策をするのであれば、例えば「元気いっぱい月間」「こころの安心月間」「大丈夫だよ週間」「生きようね週間」等の良き言葉に変換して行う方が良いと思います。「戦争反対」では、逆に戦争が拡大するからです。このように私たちは、あらゆる「情報」に気を付けていかなければなりません。もしかしたら毎日、無駄な情報あるいは作為を持った(意図的な)情報を(無意識に)受信しているかもしれません。それによって誤った人生を選択しているかもしれないのです。
その情報が、正しい(善意の)情報かどうかを見極めるのには、先ず自らが本物の感性を持つ以外にありません。そのためには、物の道理を理解することです。まわり道のように見えますが、それが王道です。自然界の様相から学び、物事の摂理を理解して、自らの生き方を創造していく。決して外側のもの(人)に依存しない。そうすれば、変な情報や変な人は離れて行き、真実のみと向き合えるようになると思います。「自分自身」に成ること。それが偽物情報(人間)から身を守る最善の方法だと思います。
ところで、先程の「元気いっぱい月間」に関してですが、人は誰でもトコトン落ち込む時があるものです。それを避けたいがために、何かに「依存」することはあるでしょう(その女性芸能人のように)。でも、よく考えてみると、そもそも人間は、様々な経験(艱難辛苦も含めて)を味わいたくて、生まれて来たのではないでしょうか(私はそう感じています)。だから、それを上手に避けてしまったら、いったい何のための人生なのか・・・意味が分からなくなってしまいます。
私たちは、うまく(難を)避けている人々のことを「成功者」「幸福者」と呼びます。でも、果たして本当にそうなのでしょうか・・・。苦しい時は、素直に落ち込み、嬉しい時は素直に喜ぶ。その状況に(良い意味で)どっぷりと浸かりながら(味わいながら)何かを掴もうと、もがく。本当は、そのような体験を「したくて」「したくて」生きているのかもしれません。
祭りに来たのに、踊らずに帰る。それを後悔して、また祭りに来て、また踊らずに帰る。その繰り返し。人生とは艱難辛苦のお祭り事ではないでしょうか。思い切って、輪(環、和)の中に入り、どっぷりと味わってしまった者の勝ち。そのように考えられれば、「〇〇対策強化月間」などはもはや不要で、むしろ悩みながら前へ進んでいる(踊っている)人々こそが、真の成功者であるという真実が見えてきます。
発想の転換ですね。こういう考え方、私は好きです。もちろん私も、たまには落ち込みます。でもそこに、あまり深刻さはありません。実は内心、ワクワクしている時もあります。なぜかと言うと、そういう時は、ビーチボーイズの「ペットサウンズ」を思い出すからです。意味が分からないとは思いますが、ビーチボーイズの大黒柱であるブライアン・ウィルソンが、極度の精神的破綻状態に落ち入った時、後に「金字塔」と呼ばれることになるアルバム「ペットサウンズ」を生み出したことを知っているからです。
もし、彼が上手に(うまく)人生を歩んでいたら、「ペットサウンズ」は生まれず、それに対抗して作られたビートルズの名盤「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」も生まれなかったでしょう。「ペットサウンズ」というアルバムの名前は、メンバーから「こんなクダラナイ音楽は犬にでも食わせとけ!」と罵られたことから付けられたそうです。何て、悲しいことでしょう・・・。でも、その「クダラナイ音楽」のおかげで、今の彼らの名声が在るのです。そしてあのベートーヴェンも、耳が聞こえなくなり、あまりにも生きていくことが苦しくなり、ついに遺書を書きました(ハイリゲンシュタットの遺書)。でもそこを懸命に乗り越えた「後に」、「英雄」「運命」「田園」「第9」が誕生していくのです。
苦しい時が来たら、ワクワクしながら「後に〇〇と呼ばれる」何かを創造しましょう。きっと誰にでも出来ることです。決して、何か(誰か)に依存して、そのビッグ・チャンスを逃してはいけません。悩んでいる人こそ、真の成功者だからです。

3.11から一年

東日本大震災から一年が経ちました。今日の2時46分、心の中で、黙祷を捧げたいと思います。あの日から始まった恐怖は、誰の心からも未だ消し去ることはできないと思いますが、それでも「時間」を重ねる中で、前へ、前へと進んで行かなければなりません。この一年、被災された方々をめぐる様々な物語をお聞きしながら、多くの国民は(心の中で手を合わせながら)被災地の復興を祈って来たと思います。それでも、なかなか物事は順調に進んでいません。
私たちは、何か根本的なことを喪失しているような気がします。それは、「基礎から」造り直すという視点です。必要な部分補修と並行して、本質的な「建て替え」計画を創造しているかどうかということです。そのような意味で、この一年間は、「空白の一年」だったのではないでしょうか。
被災され、命を落とされた多くの方々に対して、私たちが出来ることは、日本を良き国、良き社会に建て直すこと以外にありません。このような自然界からの明確な意志を受けた以上、日本も世界も、早急に21世紀のグランドビジョンを打ち出さなければならないと思います。もう一年も経ったのですから・・・。
今までの時代は、自然を破壊しながら、人間のエゴを優先させてきました。その結果、確かに物質的な豊かさを享受できました。私たちも、そのおかげで便利で快適な社会生活が出来ています(これは感謝すべきことです)。でもその一方、自然界へ多大なダメージを与えてきたことも事実であり、同時に、良心的な人や良心的な会社が苦しむ経済システムを造り上げてしまいました(これが最大の負の遺産です)。
そして、このような20世紀の「負」の部分を引き摺ったまま21世紀は始まり、善良なる東北の地において、「3.11」が発生しました。私たちは、そこに気が付かなければなりません。今出来る部分的な対処を懸命に続けながらも、より根本的、より本質的、正しい道理に基づいた「本当の」価値観による世の中づくりを開始しなければなりません。
その実践者は、もう政府や大企業ではなくて、「個人」だと思います。個人の意識だと思います。一人ひとりが、これからどのような世の中を造るべきかを考えて、そのイメージの中で、出来ること(小さなこと)をやっていく。一見、まわり道の様ですが、実は最も早く、確かだと思います。その流れは、仲間同士やインターネットで広がり、最後は(逆に)国の形を形成していくと思います。
国造りが「個人」の集合意識でできる時代になりました。3.11から一年という今、未来へ向けての良きイメージを持ち、共に良き社会を創造していきましょう。

強き思い

大学時代、映画研究会で大変お世話になった(1つ上の)先輩が、最近とても大きな仕事(岡田将生&榮倉奈々主演の「アントキノイノチ」や、高良健吾&鈴木杏主演の「軽蔑」等の映画本編の撮影)をされているのを知り、(勝手に)感激に浸っています。私が映画研究会(映研)の入ったのも、部活の勧誘ブースで、その先輩から「コッポラが好きなのか。お前はいいヤツだ」と言われたのがきっかけで、そのまま先輩の撮る映画のチームで大学生活を送りました。それはとても充実した、未知の体験が満載の、まさに「ファンタジー」でした。
その経験の中で、(今から考えてみると)とても多くのことを学ぶことができたと感じています。映画造りとは、先ず自分の「思い」を持ち、それを具体的に考え(イメージ化して)、シナリオ化(文章化)し、それを仲間に伝えて、人を集め、お金を集め、資機材を調達し、小道具や衣装も集め、絵コンテを書き、ロケハン(撮影場所探し)をし、撮影スケジュールを決め、スタッフとキャストとの(徹夜の)打ち合わせを重ね、クランクインし、撮影現場の全てを仕切り、その場その場で(OKかNGの)判断(即断即決)をし、チームの人たちへの気配りをしながら撮影を進め、その後はフィルムの編集、録音、音楽入れ、時には撮り直しをし、やっとの思いで作品を完成させ、それから上映会を開き(観客を集め)、いろいろな賛否を受け、喜んだり、落ち込んだりして、また次の作品構想へ行く・・・。
学生時代の8mmの自主映画ですので、もちろんそこから収入が得られる訳ではなく、すべて持ち出しです。それでも、これだけの事を「やりたい!」という思いの強さは、半端ではありませんでした。先輩は、そのまま映画の世界へ入り、現在プロとして大活躍しています。あぁ、やはり「思い」の強さなんだなぁ・・・とつくづく思います。強く信じて、どんなに苦しくても、やりたいことをやり続けていけば、必ず道は開ける。仮に、人から良い評価が得られない時があっても、造りたいものを造った者の勝ち。創造するエネルギーは、それほどまでに強いものです。
きっと先輩の夢は、もっともっと「上」にあると思います。私も陰ながら応援をさせていただきながら、先輩の後に付いて、建設業で「思い」の創造を遂げて行こうと思います。また、これからの時代は、「これをやりたい!」という強い意識を持った人同士が連携をして、様々な創造活動や事業・ビジネスを進めて行く形へ変化していくのではないかと思います。映画造りなどは、その最たるもので、先ず一人の思いから始まり、そのプロジェクトごとに共感する仲間を集めて、完成させる。その後メンバーは、またそれぞれ別のプロジェクトに散って行く。その繰り返し。
これからの事業活動も、おそらくそのような方向へ行くと考えられます。まさに一人ひとりが「個人事業主」となる時代です。それは、実際に本当の「個人事業主」になるという意味ではなく、一人ひとりが「個人事業主」的な「意識」をもつという意味です。会社という組織の中にいても、自らが「個人事業主」的な「意識」を持って、仕事に当たるという意味です。
企業内でも、実際のフリーでも、この「個人事業主」的な「意識」を持って、自分自身の役割を「自ら」創造し、能動的に、ワクワクしながら、その責任を果たして行く。まわりから「一緒にやろうよ」と声が掛かるような仕事をしていく。それがチーム(会社や仲間)への貢献となります。今までは、フリーは不安定、組織は安定でしたが、これからは(どこに所属していようと)フリー的意識が安定、依存的意識が不安定になるのでしょう。私の先輩は時代を見据えて、最先端の生き方をしていると思います。「思い」を持って創造して行くことほど、強く、安定したものは無いからです。
映画「アントキノイノチ」と「軽蔑」・・・そう言えば、まだ見てませんでした。DVDかスカパーで、すぐ見たいと思います。

待つ

もうすぐ3.11から一年です。あの日から、日本と世界は大きく変わり始めました。否、変わり始めたのは、実際にはもっと前からのことで(1995年の阪神淡路大震災からとも言われています)、誰の目から見てもはっきり分かる形となったのが3.11だったと思います。これからの大きな変化を避けることは、誰にもできないのでしょう。ならば、できるだけ早く、自ら変化していく方が、一番の安全策のような気がします(先手必勝)。生き方や考え方を変えたり、会社の経営方針を変えたり、生活習慣を変えたり・・・。
でも、それらを早めに始めると、周りとの激しいギャップが生じるので、実は大変なことです。成果や結果にもなかなか付いてきません。むしろ、何もしないより苦しくなります。でも後からやってくる時代の大波に飲まれるのに比べれば、とても軽い苦労で終わるでしょう(それは、後になってから分かることですが・・・)。このように、大難を小難に変えるには、逆に自ら急いで「難」「苦労」「難しい道」「まわり道」へ向かうことだと思います。だから、今すでに、前向きに生きながらも(=変化しながらも)苦労をしている人(会社)は、その先陣を切っているとも言えます。誰よりも早く、次の新しい時代へ一番乗りです。
例えば、スーパーのレジで、辛抱強く待てない人がいます。隣のレジの方が早そうだと思えば、列を変わり、またその隣へと変わり、結局最初に並んでいたレジにいれば良かったということになります。このような時代の大掛かりな変化の時は、道を決めて、最善を尽くして、辛抱強く「待つ」以外にありません。道とは、「今」の時代の道ではなく、「次」の時代の道です。だから、次の時代が来るまでは、厳しい道(なかなか進まないレジ)です。でも、その道を行く決心をして、その上で出来ることをやって、あとは信じて待つ。そうすれば、他のレジが突然閉鎖され、自分の並んでいるレジだけが一気に開かれる時がやって来ます。このような精神的なタフさを試されているのが「今」ではないでしょうか。
「次」の時代とは、本当に世のため、人のため、自然のために成る生き方や、商品や、サービスを創造していく時代だと思います。それらに(本気で)挑戦している人(会社)は、まだまだ世に出ていない状況だと思いますが、そろそろ水平線に顔を出してくるのではないでしょうか。そのような期待が出てきました。3.11によって、多くの人々が気づき、(なかなか開かない)次の時代へのレジへ並ぶ様になれば、日本の再生は早くなると思います。そんなに多くの人が並んでいれば、店長さんも慌てて、そのレジに多くのスタッフさんを投入するでしょうから。

幸運な機会

3月1日も元旦と同じように、「地震」で開始しました。新しい時代の始まりは、このように地球エネルギーの増大化を伴って、日々進行して行くと思います。昨年の3.11で終わりではなく、それは1つの象徴であって、今後はあらゆる領域において、「逆転現象」が起きて来るのでしょう。よって、私たちは「今」の現状を決して甘く見てはいけないと思います。気象も経済も政治も、もう3.11以前には戻らず、まったく別の、新しいステージへ進化して行くはずです。そしてそれは、(結局のところ)人々の「精神」の問題へと行き着くと思います。
先日、武蔵野市子ども協会様の「北町保育園」の地鎮祭を挙行させていただきました。風が強い日でしたが、燦々とした太陽の光を受けながら、良き式典となりました。これからの時代の「宝」は、何と言っても子どもたちです。世界的には人口が激増しているわけですが、日本は逆に少子化です。それは、世界の人口増による地球の負担を少しでも軽減すべく、日本が率先して犠牲を払っているかのようにさえ見えます。でも、それほどの精神性の高い日本の子どもたちだからこそ、新しい世界の中心となり、佳き世を創造して欲しいのです。日本の子どもたちは、世界の「宝」です。北町保育園の子どもたちが、健やかにかつ強く成長できるよう、心を込めて造ってまいります。
今後の気象の大変化も、私たちの想像を超えたものになるでしょう。もちろん、できるだけ小難に抑えたいのですが、自然だけは人間がコントロールできるものではありません。そのような意味で、これからは安全な住宅の確保が、あらゆるものに優先して来ると思います。保育園を新しく、強い建物にするということは、単なる建て替えという意味だけでは無く、世の中全体の「建て替え」作業とリンクするのです。人々の生命を守ることへの投資は、新しい時代を築くための最低限のインフラです。あらゆる街や地域で、できるだけ強固な建築構造を実現していくことが必要と感じます。
これから世界は、(このように)外面的には「緊張」へ向かうでしょう。毎日のように意外な出来事が起こり、過去の経験則では対応できない局面が連続するかもしれません。でも、内面的にはどうでしょうか。古い仕組みが壊れると言うことは、皆が同条件に並ぶチャンスが来たとも言えます。固定観念を捨てる良いチャンスです。今、「断捨離」が流行っていますが、これから始まるのはまさに世界の断捨離です。古い物を捨てて、しがらみを断って、固定観念から離れて行く・・・それを全世界の全人類が「同時に」やる時代が来たのです。これは本当にスゴイ「祭り」のようなものです。これで世界が一気に、綺麗で清浄な場に「逆転」するかもしれません。
だから今が「陰の極」です。夜明け前が一番暗いと言います。そのように捉えて、明るく、前向きに、「信じて」生活をして行けば、(仮に時間が掛かっても)良くなるに決まっています。現状を甘く見てはいけないですが、深刻に、あるいは悲観的になってはいけません。これから始まる変革ほど、上昇角度の大きいものは無いかもしれないのです。しかも皆が平等に、千載一遇のチャンスを手にしたのです。だから結局、一人ひとりの精神性が鍵となります。自分自身の心が、明るく、前向きに、ワクワクしているか。逆に不安で、恐くて、信じられないか。そのような「自身」の内面の状態を(今、騒がれている女性芸能人のように)「他人」に依存するのではなく、自らの努力で身につけること・・・それが試されているように思います。
素直に、感謝の心を持って、最善を生きること。今私たちは、そのような「内面」を勝ち取ることのできる「幸運」な機会を手にしていると思います。私たち丸二の社員も、まだまだ未熟ですが、そのような人間性を目指しながら、毎日の仕事に励んでいます。仕事ほど人間性が磨かれるものは無いですし、「人間性」ほど貴重な価値(財産)はありません。建設業は、本当に(精神的にも肉体的にも)厳しい仕事である分、人間が磨かれます。いつの時代も「建設」無くして、文明は興きません。丸二は、新しい世の建設作業のつもりで、日々お客様の建物を(ありがとうございますの心で)造っています。