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生命力の時代へ

もうすぐゴールデンウィークです。今年は特に遠出はせず、東京で(中学時代の友人たちと)クラシック音楽祭「ラ・フォル・ジュルネ(熱狂の日)」に行く予定です。この音楽祭は1995年にフランスの港町ナントで誕生し、2005年に日本に上陸して以来、延べ526万人を熱狂させたクラシックの音楽祭とのこと。私は今回初めてなので、とても楽しみにしています。この音楽祭は毎年テーマがあって、今年は「パリ、至福の時」。つまりフランス音楽が中心です。クラシックと言うとドイツ、オーストリア、イタリア等が中心ですが、フランス人の素晴らしい作曲家も多く、特に私はフォーレ、ラヴェル、ドビュッシーが好きです。クラシックのコンサートは、普段はなかなか行く機会が無いので、久しぶりにワクワクしています。
私が思うに、クラシック音楽の素晴らしさは、曲が誕生してから数百年以上も経っているのに、いまだに聴かれ続けているという、この「生命力」に在ります。実際、現代の音楽家たちが「今まさにこの瞬間に生まれた音楽」として新しい演奏を繰り広げています。その「熱さ」は物凄いです。さらにこの生命力は、時間が経つに連れて輝きを増しているような気がします。建築も同様に、時が経つに連れて、深みと味わいが生まれて来るようにして行きたい。音楽も建築もオリジナル・アートです。いつまでも残る作品を造り続けたいと思います。
さて、休日や余暇の時間の使い方ですが、何かこのようなイベントや旅行があれば、かなり充実したものになります。けれども時々、ぽっかりとした自由な時間が生まれることもあります。そのような時、私の場合は、映画を観る、音楽を聴く、本を読む、が最も多い選択肢に成ります。その他では、掃除、片付け、整理整頓。昔から部屋の模様替えをするのが好きで、レイアウトやインテリアを変えるのが楽しみの1つです。でも全部インドアですね。もちろん外へ行くこともあります。けれども人混みが嫌なので、人通りの少ない場所が好きです。
日本でも外国でも、街並み自体が古くて静かで美しい場所がたくさんあります。そのようなところで、そのような懐かしい古道をコツコツ歩くのは悪くないです。歩きながらきっといろいろ考えるでしょう。楽しい事も心配な事も。歩きながら様々な気づきやアイデア、発想も生まれるかもしれません。途中で小さなカフェでのんびりしたり、本を読んだり。また、南国の静かな夕暮れ時の海辺で、オレンジ色の太陽を眺めるも良いでしょう。泳ぎは苦手なので、マリンスポーツはご遠慮したいですが、涼しくなった美しい浜辺で、繰り返す波の音を聴ききながら、本を読むのも悪くないです。
実際は、なかなかこのような時間が持てないのですが、このようなイメージを持つだけでも、心は穏やかに成り、夢も膨らみます。夢と言えば、一生の内に、何か1つでも良いから楽器を弾けるように成りたいと思っています。音楽を聴くのは好きなのですが、譜面は全く解らないですし、楽器は何も弾けません。何となくチェロが良いなと思い、先日(勇気を出して)吉祥寺の音楽教室に行き、パンフレットだけ頂戴してきました。「大人の音楽教室」みたいなものがあって、全くの素人でも大丈夫と言われましたが、本当にそうなのかなとか、いろいろ考えます。自分がチェロを弾いている姿は、まだイメージできないので、これは時間が掛かりそうですが、私のチャレンジ目標の1つです。
仕事でも趣味でも、人生を「生き生き」とさせるのは自分自身だと思います。人生は(もちろん)いろいろなことがありますが、どんな時でも「生命力」さえ失わなければ(結果的に)より良い方向へ行くと思います。そのような中で、数百年もの間(微動だにせず)生き続けている「音楽」や「建築」、数億年もの間(微動だにせず)生き続けている「大自然」から学ぶべきことは多いのではないか。その「生命力」の源は一体何だろうか。多分きっと、創造者の「熱」ではないか。決して冷めない熱。いつまでも燃え続ける熱。これが生命力と化し、永遠の力と成る。これからの時代は「生命力」の時代だと思います。いつも心に熱き炎を。

加子母ひのきの新たな始まり

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20日(土)に、加子母の山(神宮備林)をお守りする氏神様「護山神社」の奥社にて祭事があり、関係者と一緒に出席して参りました。実は、この「護山神社」の新しい鳥居を、このたび丸二(農商工連携事業でご縁のできたチーム)で寄贈させていただいたのです。そのようなご縁で、今回の祭事へのご招待をいただき、感謝状もいただきました(誠にありがとうございました)。上の写真は、その新しい鳥居の下で、私と加子母森林組合の内木組合長と護山神社の総代の方です。護山神社の奥社は、国有林(神宮備林)の険しい山の上に在り、そこへ行く途中にある小さな鳥居ですが、このたび加子母ひのきで立派に完成しました。
今まで約5年超を掛けて、加子母森林組合さんと一緒に、「森を守る」ための様々な取り組みをして来ましたが、実際にここに至るまで未だ大きな成果が上っていないのにも関わらず、「諦めずに良く続けて来た」と、加子母の山の神様がやっと認めてくださったような気がして成りません。静かな山での祭事の最中、鳥や小川のせせらぎの音を聞きながら、とても清らかな気持ちに成りました。
伊勢神宮の御用材として有名な「加子母ひのき」プロジェクトは、いよいよここから本当のスタートです。おかげさまで木造住宅やレンタルハウス(タカラバコ)のご依頼も非常に多く成り、だんだんと加子母の山を守ることに寄与し始めました。日本の木を使うことは、日本の森を守り、国を護ることに成ります。ですから、「加子母ひのき」を一本でも良いから使って欲しい。そのような「1mmの前進」の「継続」こそが大事なのだと、あらためて感じました。
今年は6月22日(土)~23日(日)と10月19日(土)~20日(日)の2回、加子母森林ツアーを行います。一人でも多くの方々に、日本の山、日本の森、日本の林業を知って欲しいという願いと祈りから、毎年開催をしています。あの東日本大震災を経て、私たちは遠い古里を思い出しました。日本という国を静かに護ってくださる日本の森と、その中に息づく生命との出会いをしてみませんか。ぜひお待ちしています。

素晴らしき世界

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DVDで「ラビットホール」という映画を観ました。ニコール・キッドマン主演で、とても静かで地味な映画です。4歳の息子を事故で亡くした夫婦の物語で、その心の再生を描いたドラマです。けれども大きなドラマ展開があるわけでなく、日々の日常の中で、その悲しみの大きさを(少しずつ)小さくして行く姿を(淡々と)描いています。過去に生きるべきではない。でも明るい未来を描くこともできない。だから今を生きる。ほんの少しの先だけを見ながら。少しずつ重荷を下ろしながら。
映画の中で、その事故を起こした(加害者である)少年と(息子を亡くした)二コール・キッドマンが会う場面があります。もうそこには答えは無く、何か(良きこと)が生み出される可能性すらありません。でも、二人の心は通い合います。そして少年が描く「コミック」が完成するのですが、その主題は「並行宇宙(パラレルワールド)」。この今の現実とは別の世界が(同時並行的に)存在していて、そこでは私も息子も元気に生きている。きっとそういう世界があるはずだ。
この「パラレルワールド」は、多くの科学者によって研究されています。いずれにしても、「今をどう生きるか」によって、複数の未来への可能性が(今、同時並行的に)発生しているという意味においては、理解できると感じます。悲しんでいる自分がいる世界から、幸せな自分がいる世界へ移動すること。それは物理的に移動するという意味では無く、自分自身の意識を動かすことによって、それはきっと可能なことなのでしょう。良きことも、きっとどこかで(同時並行的に)存在していると信じて。
さて、4月13日の淡路の地震以降、三宅島、宮城と続き、同時に海外でもイラン、パプアニューギニアにて大きな地震が発生しました。その間、ボストンではテロ事件が発生し、北朝鮮のミサイル発射問題も収束していない状況です。この短期間でこれだけの重大な事象が起きていることを見ても、世界は「連鎖」していることが分かります。しかしながら「同時並行的」に、きっとたくさんの良きことも起きている「はず」です。何事も陰と陽の両面が在るからです。ただ人間は、どうしても不安と恐れの面だけにフォーカスを向けてしまいます。
例えば、今日(18日)はとても素晴らしい日和で、国分寺市内で地鎮祭を行いました。それはとても「ありがたき」ことです。今日という日が(本当に)やって来て、みんなが(予定通り)元気に集まること出来て、お天道様が暖かく迎えてくれて、無事に立派な祭式を挙行することが出来たのです。何て素晴らしいことでしょうか。でも私たちは、そのような事象を「当たり前」と思い、別の不足面の方ばかりに意識を向けようとします。終わったことを後悔したり、先々のことを不安に思ったり。結局、「いま」「ここ」の幸せを忘れています。これほどもったいないことはありません。
「いま」と「ここ」の素晴らしさに気づき、感謝の心を持って、今、ここで、出来る限りの最善を生きて行くこと。あるいは最善を「生きようとする」こと。その「生きようとする」意識と「動作」自体が、本当の幸せの「正体」のような気がします。世の中で起きている様々なネガティブな現象に意識を奪われたり、いつか来て欲しい物的な(あるいは静止した)「何か」を獲得することに魂を奪われたり・・・。それも確かに必要なことであり、生きるために価値あることですが、「そこだけに」生きてはいけないと感じます。今の自分自身の「良心」が向かっている「流れ」そのものが、私たちの目的(結果)ではないかと思います。
同時並行宇宙があるとすれば、それは自分自身の中に(既に)存在しているのではないでしょうか。だから(一瞬のうちに)どんな世界へも移動できる。確かにそこに、失われた人は(物理的に)存在しないかもしれませんが、「良き思い出と共に在る」という充足と感謝があるかもしれません。今の世の中、いろいろと大変なことが起きていますが、それと同時並行的に起きている「はず」の、たくさんの「良きこと」にこそフォーカスをして、今を思い存分「味わう」こと。そう思えると、今は本当に「素晴らしき世界」です。

北極星への道

「昨日4月5日の東京株式市場は、出来高が64億4912万株と過去最高を更新し、前日比199円10銭高の1万2833円64銭と3日連続で上昇。4年7カ月ぶりの高値水準となった。」
私の前職は証券会社でしたので、出来高64億株という数字がいかに物凄い商いの量であるか判ります(当時のバブル時でも20億株台だったと記憶します)。当時は取引所内で、大勢の場立ちが手でサインを送りながら、売り買いをしていました。商いが多い日の盛り上がりは(それはそれは)大変なもので、出来高20億株を超えた日などは、当然株価も高騰し、取引所内も異様な興奮状態に包まれ、あちらこちらで拍手と歓声が湧き起こり、ある種の興奮状態でした。日々、投資家にもそのような(取引所の)熱気が伝播し、株価は更に上昇し続け、遂にバブルが発生しました。後にそれは終わってしまうのですが、日本経済が最も光り輝いていた良き時代だったのは事実です。
現在の取引所は全てがシステム売買に成り、もう場立ちの姿はありません。人間の手では無く、機械ですので、64億株も楽に処理できるのでしょう。静かにで効率的で合理的に成りました。けれどもそこには、あの時代の「熱気」はありません。バブル自体に対する見方は様々ですが、あの時、あの場所で、確かに日本は「元気」を創造していたと思うのです。
あらゆるものが効率的、合理的に成り、物事は早くて楽に成りました。便利に成ることで、人々の暮らしはきっと良く成るはずだと。けれども便利と引き換えに、同時に何か大切なエレメントも喪失してしまったような気もします。例えば、連日、証券取引所を包み込んだ「熱気」もその1つでしょう。アベノミクスと日銀の金融緩和政策によって、日本がデフレからの脱却を目指す中、市場が良い反応し始めています。これを発展的に持続して行く為に必要なことは、日本人一人ひとりの気持ちが、前向きに成り、元気に成り、勇気が出る、そういう「気」を創造することではないでしょうか。
いま私たちに必要なのは、「明るい気」です。目指すべきは「北極星」です。「決して手は届かないけれど、あの光り輝く星を目指して行こう」とするワクワクしたビジョンです。北極星とは、常に北天の中心に在る、決してブレない(目指すべき)光点です。そこへ向かう「気」の伝播こそが、日本人の底力を復興させ、(そしていつか必ず)あの北極星のように世界を照らすことを実現するでしょう。北極星に向かって歩いて行こう。世界を照らす場所へ行こう。日本人の潜在意識が、そのような精神の復興によって、一致団結するように思えて成りません。
あの東日本大震災と共に、日本の大地と海は大きく振動しました。けれども、その振動が最も揺らしたかった対象は、私たち日本人の魂だったのでは無いでしょうか。日本人の魂は、共に協力し合う「共認」によって、再び光り輝きます。そこが西洋の個人主義とは違うところです。「みんなで良くしよう」とする共認の和を増幅させることで、震災の傷跡を再生の力に変換する。だからこそ、みんなを照らす北極星に成ろうと。自分だけが良く成るのではなく、みんなで良く成ろうと。そういう意識の方向性が明確に成った時、日本人の「気」は(一気呵成に)一体化すると思います。そしてその力は世界へと伝播して、きっとそこから新しい(熱気に満ちた)社会が始まると思います。だから先ずは、自分自身が北極星に成ること。まわりの人を照らすこと。その総和が、きっと世界を変えると信じて・・・。