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山越え

毎月発行している「ニコニコ通信(旧ありがとう通信)」9月号のための挨拶文を、今朝書きました(下記参照)。いつも、その時思い浮かぶことを、素直に書いているつもりですが、何となく毎回同じような内容になってしまいます。それでも結局のところ、常に自分自身の意識の下で繰り広げられている「自然の恩恵への感謝」「私たちは、生かされている」「(次の)新しい時代のための建築を世に出す」「建築業は無くならない永遠性の仕事。尊い仕事」「今を最善で生きる」という考えが、いろいろな形で文字になっているだけです。相変わらずのワンパターンです。
人間一人ひとりの意識は、なかなか変えられるものではないでしょう。ただ、今の時代に生きている(生かされている)ということは、意識の大変化を望んでいるのかもしれません。自分自身をさらに高めたい。もっと気づきたい。このような欲望を持つ生き方にとって、今の日本に「在る」ということは相当な優位性ではないかと思います。これほどの「山」は無いでしょうし、しかも必ず良い結果が出る山です。
私は今47歳です。この山を超えるにはちょうど良い年齢のような気がします。ある程度の過去(歴史)が有り、先々への大いなる未来(夢)もある。変化の意味合いもよく理解できるし、変化を受け入れられる柔軟性もある。過去も現在も未来も肯定できる不思議な位置に居るような気がします。団塊の世代よりも若く、新人類よりも古い。何となく地味で中途半端で自己主張の無い世代。でも、内なる「熱」のようなものを秘めている。
お盆休み中に、NHKのBS番組でエベレスト登頂のドキュメンタリー(3時間)を見ました。これは通常の登山家が登るのではなく、取材陣(カメラマン)が登り、その世界最高峰の山頂からハイビジョンの360度パノラマ映像を撮るためのものです。そこには大変な労力、手順、時間、多くの人々の協力がありましたが、無事に見事、目的を達成しました。生命を賭けた挑戦が、必ずしも全て報われるとは限りません。それでも、結果を恐れずに、今という瞬間(の連続)に感謝し、喜ぶことができたら、それは最終的な(真の)成功へと繋がると思います。そのような心の状態を作るための大舞台(大仕掛)が、今の世界だと思います。
「ニコニコ通信9月号」(挨拶文)
太陽の光が燦々と降り注ぐ暑い夏が終わろうとしています。今年の夏は節電対策の影響もあり、いつもより特別暑かったように感じます。それでもこうして毎日、太陽の光が数秒の狂いも無く、私たちの街を照らしてくれていると思うと、自然界の仕組みの偉大さにただ驚くばかりです。太陽活動が活発になってきたことで、紫外線の強さ、あるいは地震の発生等、私たちの生活にとっては非常に困る事態も起きています。しかしながら、そもそもそういう自然の摂理の中で、私たちは生活をしよう(住もう)と決めたわけですので、そのルールに従っていく以外ありません。毎日、朝が来て、夜が来る。このリズムが四季によって変化する。日本の風土は、交響曲(シンフォニー)の四楽章制に似ています。最近はこの交響曲の演奏が、だんだん強烈になってきたようです。強弱のコントラストも鮮やかに、テンポも早く、ついていけない人も多くなりました。それでも、最後のフィナーレは、感動の大団円を迎えます。そのようにして、また次の時代へ移って行く。このような繰り返しの中で、私たちは自然界の中で生かされている存在なのでしょう。今回の震災から原発事故を通じて、私たちは大きな山を超えようとしています。きっと乗り越えられると思いますし、乗り越えた先の世界は、とても穏やかで、明るい場所のような気がします。人々の生活様式も変わり、意識も変わり、社会も変わって行くのでしょう。建築はどうでしょうか・・・。いかなる時代になっても、「住む」という概念は有り続けます。最後まで有り続けます。とても息の長い、永遠性の仕事です。だから私たちは、遠い未来に向けての建築の有り様を常に考えています。「今だけ」のものではなく「いつまでも」のものだからです。この山を超えた先の世界に、どのような建築が生まれて行くのか、今からとても楽しみです。ありがとうございます。