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裁判員制度に思う

来年5月に、裁判員制度が始まるようです。米国式の陪審員制度が、いよいよ日本にもきちっと導入されるということですね。陪審員については、アメリカ映画の「十二人の怒れる男」(監督:シドニー・ルメット、主演:ヘンリー・フォンダ)や「フィラデルフィア」(監督:ジョナサン・デミ、主演:トム・ハンクス)でおなじみです。特に「十二人の怒れる男」は、陪審員たちだけによる完全密室劇で、ヘンリー・フォンダの熱演もあり、非常に見ごたえのある映画でした。これを見ると、陪審員制度とは何か、あるいは陪審員の苦悩と勇気についてが、よく分かります。
さて、今回この陪審員制度が、「裁判員制度」という名前で、日本において復活(日本でも、戦前に刑事裁判に限り、陪審制が導入されていたようです)したのは、どうしてか・・・(不勉強で)まだ良く分かりません。凶悪事件が多発する時代背景の中で、できるだけ死刑を減らしたいという意向もあるようですが、まさか、「十二人の怒れる男」の「格好良さ」に触発されてというわけではないでしょう。尚、陪審員と裁判員との違いですが、陪審員は有罪か無罪かまでの判断までを行い、裁判員は加えてその量刑(懲役○○年等)までの判断を行うとのことで、今回の裁判員の方が、ずっと責任重大です。
司法のことは良く分からないので、この制度に付いての賛成・反対をそう簡単に言うわけにはいきませんが、一点だけ危惧することがあります。それは、この裁判員制度の対象が、殺人や強盗などの凶悪事件なので、裁判員の人々は、否応無しに、証拠の凶器や現場の写真、そして当然のことながら加害者の姿・形・声を連日、目や耳にするわけです。また、被害者の家族の悲しい姿も目にするでしょう。とても辛く、悲しく、怒りに満ちた数十時間を過ごすことになります。それが、一体どういうことなのか・・・と言うことです。
日曜の新聞を見ると、「裁判員に心のケア」ということで、このような裁判員の心理的な負担を軽減するために、専門家によるカウンセリングを導入すると書いてありました。「それは、そうでしょう」と思いますが、と同時に、そもそも、そこまで国民の心理的負担(精神的ダメージ)を要する制度を、カウンセラーまで雇って(=コストを掛けて)、やる必要性があるのかどうか・・・。
凄惨な現場の写真を見て、加害者と被害者の家族の重く、暗く、怒りと悲しみに満ちた声を聞き、精神にダメージを受けない人はいないと思います。いくら、その後カウンセリングを受けても、それはキレイにふき取ることなど不可能でしょう。人は潜在意識に刷り込まれた情報を、自らも(現実として)引き寄せてしまいます。本人は忘れたつもりでも、潜在意識は絶対に忘れません・・・。ここが怖いのです。悪い方の「引き寄せの法則」を起こさなければいいが・・・そういう危惧があります。
できることならば、凶悪事件はニュースでも流さないようにした方がいい。国民の潜在意識に刷り込まない方がいい。明るく楽しく幸福なニュースと、国民が知るべき重要なニュース(事実)だけを流した方がいい。それくらいの方向転換を迫られている時代背景の中で、あえて凶悪事件の渦中に、直接関係の無い人々を関わらせて、(結果的に)精神へのダメージを拡大させてしまう(可能性があるという)のは、国民の幸福という観点からして、避けるべきではないか・・・。それ以上の利点が、この制度にあるのだろうか・・・。
心清らかで、正義感あふれる、かつ人間的な優しさを兼ね備えた裁判官を養成し、あらゆる角度から正しいと思われる判断を下す・・・このことの方が、大切のように思います。裁判員制度は、結果的に、凶悪事件をより多く引き起こしてしまう原因を作るような気がして、そこだけが非常に心配です。
※激しいリズム
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春の祭典
ブーレーズ指揮&クリーヴランド管弦楽団
昔は、邪気を祓う時に、音(振動エネルギー)を使ってたみたいです。銅鑼(ドラ)や太鼓や鐘や鈴の音などは、そのような意味だそうです。だから、心理的なダメージを受けたり、不安な心理状態の時は、音(振動エネルギー)によって、邪気をふるい落とすのも一つの方法ですね。この「春の祭典」は、クラシックの中では異端中の異端で、(当時の人々にとっては)とんでもなく品の無い、原始的音楽の最たるもの。その初演の演奏会では、聴衆から大ブーイングが起こり、大変な事件になってしまったそうです。でも、今の時代では、もうそこまで強烈ではないと思います。とても、面白く、変わった音楽です。ブーレーズ指揮/クリーヴランド管弦楽団で聴くと、様々な楽器の音が明瞭に聴こえ、鋭くリズムが迫ってきます。