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正面突破

アップル創業者のスティーブ・ジョブス氏が亡くなりました。まだ57歳ということで、本当に残念に思います。私が今、実際に使っているアップル商品は、「ipod」だけですが、デザインもコンセプトも良く、とても気に入っています。また、スティーブ・ジョブス氏についての本も数冊読んだことがあり、そのアグレッシブな性格と強烈な個性は、大変魅力的で、なぜアップルに人気があるのかも良く分かりました。現代最高のカリスマだったと思います。
その分、多くの人達がまわりから去ったようです。あまりにも要求が厳しく、激しく、恐ろしく、並みの精神では付いて行けなかったのでしょう。でも、それくらいの力や情熱無しに、社会現象を生み出すまでの「事」は成し遂げられなかったはずです。「もし今日が自分の人生最後の日だとしたら、今日やる予定のことを私は本当にやりたいだろうか?」と言う言葉が有名ですが、生死を彷徨う壮絶な人生を体験したからこそ、心に響くものがあります。心からご冥福を祈ります。
スティーブ・ジョブス氏に限らず、多くの大人物は、相応の困難を経験しています。むしろ、臨んで困難に立ち向かっているように見えます。安易な小手先のテクニックで、その場を(上手く)回避する(逃げる)のではなく、あえて大義(理念)を曲げず、正面から突入していくのです。まわりの人々の多くは、嘲笑し、冷やかに見つめ、その場から立ち去って行きます。まさに孤独な戦いです。でも、もし彼に、そこを乗り越えた先が確かに「見えていた」としたら、その突入は決して無謀でも何でもなく、当然の行動であり、むしろ最も確度の高い安全な選択であったと成ります。
「見える人と見えない人」「感じる人と感じない人」「分かる人と分かない人」、これからの時代は、この「差」で決まると思います。ただ、この差は、どうしても埋めようが無いものです。本当のことを知りたいという好奇心や、あえて困難を乗り越えたいというチャレンジ精神や、孤独を恐れない精神力のようなものが無いと、なかなか正面突破は出来ないでしょう。見える、感じる、分かる世界へ行くことが、きっと21世紀の生き方、王道に成ると思います。そのためには、勇気を持って、正面突破をする以外に道はありません。
日本も、3.11以降、いよいよ正面突破を選択すべき時がやって来たのだと思います。多分、多くの国民は、その覚悟を持って、「今」を生き始めています。ところが、国を動かす側の方が、相変わらず、安易な小手先のテクニックで、その場を(上手く)回避しよう(逃げよう)としています。まさに武士道の国とは思えないほど、恥ずかしい状況です。見える、感じる、分かる人がいないからでしょうか。ビジネスの世界でも同様に、もう今までと同じやり方、発想、手法では何事も成し遂げられないと感じます。必要なのは、「この先の時代を見る目」です。嘲笑され、冷やかに見られ、その場から立ち去られても、私にはやるべき事がある。そういう生き方ができる人(会社)こそが、本当の成功者ではないでしょうか。
最近、スカパーで映画「日蓮」を見ました。萬屋錦之介が演ずる迫力と人情のある日蓮の姿は(宗教的な意味では全く無く)、一人の人間として、まさに王道の生き方を実践した人だと感じました。私が好きな宮澤賢治も、王道の人生を歩んだ人だと思います。一見、不幸な人生に見えますが、本当は大成功者だったのでしょう。これからは、(正面突破のできる)多くの勇者を生み出す時代に成ると思います。それは逆に言うと、困難な時代に成るということでもありますが、人間が大きく進化・成長するチャンスと成ります。私も、少しでもその道を歩んで行けるよう、最善を尽くして行きたいと思います。
※バイロイト音楽祭(最近、聴いたCD)
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『ローエングリン』全曲 ケンペ&バイロイト(1969 ステレオ)
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『ニュルンベルクのマイスタージンガー』全曲 ベーム&バイロイト(1968 ステレオ)
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『タンホイザー』全曲 クリュイタンス&バイロイト(1955 モノラル)
私個人の夢の1つに、「いつかドイツのバイロイト(という小さな田舎町)に行って、そこでひと夏を過し、バイロイト音楽祭に通う」というものがあります。バイロイト音楽祭とは、ドイツの大作曲家ワーグナーが、自分が作ったオペラだけを上演するために(自ら)建設した「バイロイト祝祭劇場」にて、毎年夏に開催されるものです。当然、ワーグナーのオペラしかやりません。自分が作った作品だけを上演するために、わざわざ劇場まで建てる作曲家なんて、普通はいないでしょう。さらにそれ以降、本当にワーグナーのオペラ以外(記念として、ベートーヴェンの第9は演奏されましたが)は上演されていないのですから、意志はしっかり受け継がれている訳です。伝統・文化の継承は、本当に大変な努力が必要ですが、この人の作品の凄まじさから言って、バイロイトの場合は十分可能だったのだろうと思います。
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バイロイト祝祭劇場
このバイロイト祝祭劇場の「劇場」の部分を、ドイツ語で「haus」と書きます。英語の「house(家)」と同じですね。実は今、丸二で開発中の21世紀型ハイブリッド住宅「Omamorihaus(お守りの家)」でも、「haus」を使っています。ドイツは世界で最も進んだ「環境・エコ・省エネ」の建築をしていますので、丸二の「Omamorihaus(お守りの家)」も、そこを目指して行きたいからです。
また、家は人生そのものであり、人生劇場である、という考え方もあります。いずれにしても、「バイロイト祝祭劇場」のように、長く、人々を魅了し、愛され、継承されていく住宅を造って行きたいと思います。尚、「Omamorihausu(お守りの家)」については、また後日ご紹介いたします。コンセプトは、「生命(いのち)を失う住宅を建ててはならない」「心を失う住宅を建ててはならない」という、まさに「正面突破」の「鉄筋コンクリート+神宮ひのき」「生命を守る+森を守る」、21世紀型ハイブリッド住宅です。