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愚直

今週の火曜日は縁会でした。縁会と言っても宴会ではなく、全社員が月1回集まる縁会です。私はここで毎月30分ほど社員さんに話をします。今月は、このような話をしました・・・。
最近は隕石や気球の事故があり、地元では恐い事件が発生し、北海道では暴風雪で多くの方々が亡くなりました。特に地元の事件と北海道の件では、親の気持ちを考えると、何とも言いようのない悲しみが襲って来ます。北海道の暴風雪で9歳の娘を抱きながら亡くなった父親の愛情を思うと、涙が出て来ます。父親は亡くなりましたが、娘は生きることができました。父親は自分の服を娘に着せて、さらに雪から守るように娘を抱いていたそうです。お母さんは数年前に病気で亡くなり、父と娘のたった二人の家族でした。娘は両親を失いました。立派に生きて欲しいと祈ります。
宮澤賢治の物語は、自己犠牲を描いています。「銀河鉄道の夜」では、川に落ちた友人を救うために(カンパネルラが)水に入り、「グスコーブドリの伝記」では、寒波から人々を救うために(ブドリが)火山へ入ります。生と死とは一体何だろうか・・・。「雨ニモマケズ」の最後は、「ヒドリの時は涙を流し、寒さの夏はオロオロ歩き、みんなにデクノボーと呼ばれ、ほめられもせず、苦にもされず、そういうものに私は成りたい」と結ばれます。
一般的には「デクノボー」は、「下手」とか「役に立たない」というマイナスのイメージがありますが、賢治の言う「デクノボー」とは、むしろ「自分を後回しにする」あるいは「自分を勘定に入れない」という精神面を強く感じます。現代社会の中では、全く損な生き方であり、決して「成りたい」イメージでは無いでしょう。もう少し深く考えると、それは「愚直」という言葉なのかもしれません。私たち日本人の精神的美徳でありながら、随分昔に忘れ去ってしまった・・・愚直さ。今、東日本大震災を経て、その心の復興が始まっているような気がします。
そう・・・もう「3.11」から丸2年です。時代が大振動を始めて、賢治の理想郷とする<イーハトーヴ>への道が始まりました。振動は大地を揺らすと共に、人々の魂も揺らし続けています。きっといろいろな不都合も起きるでしょう。それでも人間は、前へ向かって歩き続け、きっと乗り越えて行きます。丸二も、賢治の言う「デクノボー」的な面がある会社です。このデクノボー、つまり「愚直さ」を「あきらめない」限り、私たちはこの大振動時代に応援されると思います。
大振動の時代は、大地も空も揺れます。自然現象も揺れ、気候も揺れます。今までの感覚では理解できない天候を経験するかもしれません(先日の北海道のように・・・)。同時に、ますます「衣食住」への重要性が高まると思います。衣食住とはまさに「生」の原点です。あの暴風雪の中、もし(もう一枚)温かい服があったら、もし何か食べるものを持っていたら、もしどこかの建物に中に入れたら・・・。衣食住への回帰、つまり生命を守る産業への回帰は、人間の生きる力の再生であり、あらゆるものの根源への収束を促すと思います。
中でも建設業の存在は重大です。地球環境の変化に従って、自然界の猛威が増すことで、「住居」にも大きな変化が訪れるでしょう。文字通り「生命を守る」ことが中心軸と成るはずです。今現在の建設業界は、様々な構造的な問題が重なり、改善の足取りは遅い状態です。それでも世の中は、かつて無いほどに、建設業を離さなく成るでしょう。決して楽な道ではありませんが、決して失われない道でもあります。
あの北海道の暴風雪の中で、自分の命と引き換えに娘の命を救った父親を思う時、私には(その娘を抱きかかえている姿こそが)建設業の心と感じたのです。何があっても、どんなことをしてでも、守る。人々の日々の生活、暮らし、家族の生命を守る。これが住居の本質だと、気づかされました。だから私はいつもこう言い続けています。「建設業は尊い仕事、聖職である」と。
デクノボー(愚直)を続けて行く限り、私たちの職業は求められるでしょう。もちろん苦労もあるし、評価されないこともある。けれども、それでも良いじゃないか。みんなにデクノボーと呼ばれ、ほめられもせず、苦にもされず、ただ造った建物をギュッと抱きしめ続けるのみ。北の暴風雪の中で、あるいは夜の街の中で、大切な命が失われた時も、私たちはこうして服を着て、ご飯を食べて、家に暮らしている。その幸せへの感謝を決して忘れてはならない。この聖なる建設産業に従事している喜びを持って、明日もまた「良き建築」を社会へ提供して行こう。それが私たちの使命。この道を行こう。
・・・以上が、社員さんへ話した(大まかな)内容です。これからの建設産業で最も大事なことは、熟練技術者を大切にすることと若い力を結集させることです。長年この業界で建築技術の腕を磨いてきた方々の智慧は、国の宝だと思います。もう70歳までは現役の時代です。同時に、その技術の伝承を若い世代へつなげなければ成りません。そのような業界の構造的なテーマを持ちながら、愚直に前へ進んで行こうと思います。