Blog 社長ブログ

3.11と追求心

今日の夜中(AM2時頃)、愛媛で震度5強という地震がありました。大きな被害にならないよう心から祈ります。東日本大震災から3年が過ぎ、この一週間は「3.11への追悼」あるいは今後の地震予知(予測)等に関する番組が多く放映されていました。その中で、特に気に成っていたのが、東大の名誉教授の先生が、「この3月中に四国で大きな地震が起こるかもしれない」と話していたことです。全国に設置されている「電子基準点(地盤の上下動を測るもの)」の動きに大きな変動が起きているからとのことでした。もしこの予測方法と今回の地震との関連性を見出すことが出来れば、今後の地震予測への大きな一歩に成るのかもしれません。けれども地震そのものを(人間が)止めることは出来ないので、予測方法の追求と同時に日頃の防災意識が大切なのでしょう。さらには、地球(大地)への感謝の念を(一人ひとりが)持つこと。本当の根っ子はここに在ると思います。
前回のブログではロシアに関する話題を書きましたが、その後ウクライナ問題が表面化し、プーチン大統領の会見も報道され、現在はクリミア半島をロシアが制圧中とのことです。東欧の1つの国(地域)が、かつての冷戦構造を思わせるような緊迫した情勢と成り、私たちには解り得ない次元で、様々な戦いが始まったようです。このような戦いが起きると、必ずメディアは「こちらが善で、こちらが悪」という構図を設定します。その(作られた)設定(=シナリオ)に乗せられて、私たち一般人は短絡的な物の見方で世論を構成してしまいます。その繰り返しの中で、時代が築かれて行く。けれどもその結果として、世の中が良く成って来たかと言うと、良くなった面と、そうではない面の両方が混在していると思います。
実は「良くなったかどうか」という評価自体も曖昧で、それはそれぞれの国、勢力、地域、個人によって捉え方は違います。これだけ凄まじい技術の進歩があっても、未だに世界では貧富の差が大きく、根本的な問題が解決されたとは言えません。けれどもそのような中でも、日本はあの戦争以降、(おそらくある種の奇跡的偶然も重なって)比較的に幸福な道のりを歩んでいるように思います。地球レベルでの環境問題や人心荒廃の影響はありますが、それでも生きる意欲さえ在れば、生きる道が在ります。
今私たちにとって大切なことは、根本(本当のこと)への「追求心」だと思います。あの3.11で東北の大地と私たち日本人の魂は大きく振動しました。その後は、復興、再生が始まりました。けれどもそれは、形あるものを復元するという物理的な問題だけでは無く、もっと大きくて深い、真の「気づき」を見つける為だったのではないかと、最近感じる様になりました。このような時にこそ、私たちは物事の本質、あるいは本当の原因(真因)を追求し、発見し、そこを是正していかなければなりません。けれども、なかなか復興は進みません。福島の現状も厳しいままです。
3月8日にNHKで放映された「未来への手紙2014~あれから3年たちました~」を見ました。映画監督の是枝裕和氏をはじめ、複数のディレクターたちが被災地の子どもたちの3年を描いたドキュメンタリーです。震災から半年後に子ども達自身が撮ったビデオレターを振り返りながら、3年後の「今」の思いを本人たちが語ります。そこには大きな試練を乗り越えた(人間としての)精神的成長がありました。それにしても、子ども達にとっての「3年」とは、非常に長い時間軸ではなかったかと感じます。3年前の顔と今の顔とが全く違うからです。震災後の日々の日常(現実)を素直に受け止めながら、これからの自身の人生に向けて何か特別な意味を含めた熱い希望や期待を胸に秘めているかのように見えました。私はこの番組を見た時、未来の日本を造り上げて行くのは、きっと3.11を経験した子ども達ではないかと感じました。それくらい強く、頼もしく思えたのです。
他にも「東日本大震災から3年」をテーマにした様々な特集番組がありました。あの日、南三陸町の防災対策庁舎から(最後の最後まで)避難を呼びかけていた女性の死には、とても辛く悲しい思いが残りましたが、日曜日のNHKの番組の中では、その娘の死を乗り越えて懸命に生きようとする母親の姿が紹介されていました。涙なくして見られませんでした。そして今、ご両親は民宿を始めることにしたそうです。民宿の名前は「未希の家」。亡くなった娘さんのお名前です。防災意識と命の大切さを語り伝えて行くために・・・。震災から半年後、私が南三陸町に行った時、目にした防災対策庁舎の姿は、今でも心に焼き付いています。その記憶は決して忘れません。
話は変わって、先日謝罪会見を行った佐村河内守氏の事の顛末に付いてですが、一般論的な意味においては、やはり本当に愚かで、恥ずかしく、考えられない出来事だったと思います。ただ、一人のクラシック音楽ファンの気持ちとしては、一つの長大な交響曲がこの日本において誕生したことに、(確かにほんの一瞬の事ではありましたが・・・)心が躍ったのも事実です。佐村河内氏のプロデュース(構想プラン)、新垣氏の作曲という「ユニット」で発表して行けば、何も問題は無かった・・・。きっと2人は日本で誕生した新スタイルの「交響曲作家」として名を残したに違いありません。本当に残念なことです。
今の時代にクラシック音楽、とりわけ長大な交響曲などを作っても、「売れる」はずありません。それでも尚、生み出したい、売りたいという極度の欲求が「狂気」と化し、18年間に及ぶ「心の闇」を生み出したのでは無いでしょうか。幻となった「交響曲第一番」ですが、作者の名義を正しく修正することで、今後の演奏会の再開は出来ないものでしょうか。音楽そのものに罪はありません。この問題の真の論点は、この楽曲自体の評価に在ると思います。作者が誰であれ、どのような経過であれ、「良き音楽」には人は集まります。「音楽」が生んだ事件であれば、「音楽」の力で解決する。コンサートとCDが再開されれば、(逆に)相当な人気に成る状況です。そして多くの関係者が受けた心の傷や多大な損害も、もしかしたら(多少なりとも)解決できるかもしれません。そういう方向へ向かってもらいたいものです。
また、最近は「STAP細胞」の論文についても、いろいろな疑惑が出ている様です。上記の(佐村河内氏の)問題は、音楽の製作プロセスや製作者自身の人間性に「巨大な(故意の)嘘・偽り」が在ったのは確かですが、完成された「音楽(=作品)」そのものに嘘・偽りは無く、新垣氏作曲による立派な楽曲として世に生まれたのは事実です。STAP細胞についても同様にして、研究発表用データや資料の不備だけの問題なのか、あるいは「発見(=作品)」そのもの自体の誤りなのか、そこが大きなポイントだと思います。マスコミや報道は、こういう問題が起こると一斉に非難や誹謗中傷を始めますが、世のため人のために(善意の意識の上で)何かを生み出そうとする「志」への最大限の「敬意」と「感謝」を払った上で、事実を淡々と公開していただきたいと感じます。
マレーシア航空機の消滅、Jリーグの浦和レッズ戦における差別的な横断幕事件、大手電機メーカーの技術漏洩事件、そして昨日のような強風や愛媛の大きな地震。最近起きている様々な事件や出来事を見ていると、何かが堰を切って崩れ始めたかのような印象を受けます。今まで隠れて見えなかったものが出てくる時代。良きものも、そうでないものも一緒に・・・。全ては「3.11」から始まったのではないでしょうか。
3月11日の午後2時46分、心の中で黙祷を捧げました。日本だけでなく、世界においても、もう二度と大きな災害が起きませんように。世界中が平和で幸福でありますように。犠牲になられた方々の願いと祈りに応えられる自分たちに成れますように。その為にも、私たちはもっともっと時代の本質を追求して、物事の根本を理解して、そして認識し、さらには共認し、大本の部分から正していかなければなりません。東北の子ども達は、きっとその伝道者に成って行くと思います。「本当の生き方」や「本当の国造り」を追求する新しい日本の始まりです。
※最近の写真
DSCN0024.JPG
恵比寿で地鎮祭です。お客様、誠にありがとうございます。これから誠心誠意の心で、「良き建築」を造り上げて参ります。
DSCN0035.JPG
加子母森林組合(岐阜県)で、ヒノキの乾燥実験の報告会です。遂に、木材の芯まで含水率20%以下を達成しました。
DSCN0040.JPG
加子母の隣町、下呂温泉(岐阜県)の早朝の空です。静かで、穏やかで、澄んだ空気がとても気持ち良かった。
DSCN0043.JPG
三鷹の現場です。とても場内が整理整頓されていて嬉しかった。もうすぐ上棟です。「良き建築」の完成まで、がんばろう!
DSCN0052.JPG
愛犬「じんべえ」君、井の頭公園で夕日を眺めています。何を考えているのかな。家に帰ってからのゴハンに決まってます。
DSCN0057.JPG
井の頭公園の夕暮れです。モノクロで撮ってみました。なかなか良い雰囲気です。レトロ等もあったので、今度試してみよう。