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伊勢神宮と夕陽に浮かぶ富士の山

先々週末、会社の創立60周年記念の社員旅行で(一年遅れで)伊勢神宮をお参りして来ました。創立50周年の時も伊勢神宮へ参拝に参りましたが、今回再び伊勢の地に戻ってくることができ、心から嬉しく、感謝の思いで一杯です。伊勢神宮は、昨年は「式年遷宮」という重要な一年でしたが、今年は「おかげ年」とのことで、「おかげさま」「ありがとうございます」という感謝の念を納めるには、最適だったと思います。当日は天候も良く、外宮と内宮のそれぞれで特別参拝をさせていただき、また新たな始まりへ向けて、清らかな風を感じて来ました。やはり内宮は多くの参拝者で賑わっており、やや観光地化している印象もありましたが、先にお参りした外宮の方は(静けさの中に)幽玄な御神木の姿とキラキラとした光線を感じ、不思議な幻想性を感じました。もっとも私自身、特殊な霊感のような力は全く無い体質なので、只そのように感じただけです。10年毎に社員全員で伊勢参りに行くという丸二の周年の旅を今後も長く続けて行きたいと思います。10年間の無事に対する感謝の御礼参りのために・・・。
さて、今回の伊勢旅行では(前回と同じく)鳥羽の観光ホテルに宿泊したのですが、ちょうど満月の日の夜で、夜空にオレンジ(柿)色の月が浮かんでいました。これが何とも言えない種類の色彩で、まるで絵の具で描いたような月でした。また、帰りの新幹線の窓からは、夕暮れのシルエットに浮かぶ美しい富士山が見えました。なぜだかいつもよりとても大きく感じました。伊勢参りという特別な時間を過ごしたからかも知れませんが、目にする風景が古代の日本の原風景のように感じられ、ちょっとしたタイムスリップを経験した様な気がします。日本の本来(古来)の風景とはどのようなものだったのか。もっと美しくて、輝かしいものだったのではないか。風も水も清らかに流れ、花や草木からは芳醇な香りがしたのだろうか。そのようなことなど、全て忘れてしまったかのように、私たちはこの日々を努力と後悔と自問自答の末に、超えて行く。その悪戦苦闘の姿を、自然界は悠久の時を超えて、いつまでも支え、助け、見守ってくれているのに、人間の意識はそこに追いつかない。そしていつかは自然界が豹変する姿に驚愕することに成る。もしこの「富士(不死)の山」が火を噴けば、この町はどうなってしまうのだろうかと、目の前を猛スピードで過ぎゆく風景を見ながら、ある種の畏れを抱いたのです。
以前読んだ本に、浮世絵師の歌川広重の作品「東海道五十三次」には(日本の未来への)予言が隠されているとありました。53の宿場と出発地の江戸(日本橋)と到着地の京都(三条大橋)を合せて、合計55枚の浮世絵による連作ですが、その1枚1枚が、4年毎の先の未来を意味していて、その該当する年(前後)に日本に起きる事象を暗示した図柄や象徴が描かれていると。たとえば15番目の宿場である「蒲原宿」の絵は雪景色なのですが、この蒲原は温暖な気候のはずであり、雪は(まず)降らない地域です。それにも関わらず、広重がこの地を雪景色として描いたのには、この15番目の絵の該当年(易年)が「1857年」に当たったからで、そして(その後の)実際の1857年、江戸に大雪が降りました。広重はまだ未来であるこの年が大雪の年と予知し、15番目の「蒲原宿」を(地域性を無視して)雪景色にしたのではないだろうか。そのようにして4年毎の先の未来に起きる現象を(不可解な姿や形や表現で)一枚一枚の中に書き込めたという話です。この予言説については、単なる偶然として片づけることも可能です。ただ最近、このことを思い出したのは、実は御嶽山の噴火があったからです。この広重の予言の解釈をそのまま受け取ると、最後の55枚目の京都(三条大橋)の絵は西暦2013年に当たり、その絵に隠されている意味が「火山の噴火」でした。この本の著者は、その火山を「富士山」ではないかと見ています。今年は(1年後の)2014年ですし、噴火したのは御嶽山ですので、微妙な違いはありますが、何となく自分の中で広重の予言と符号したのも事実です。これから本当に富士山の噴火があるのかも知れません。そのような感覚で富士山を見たからでしょうか。その姿に異様な大きさと圧力を感じました。
日中関係、日韓関係、日米関係、日露関係。アベノミクスの評価。景気の先行き。為替の動向。増税の是非。社会保障の行く末。今後の日本。今後の世界。墨絵の様な大きな富士の影を見ながら、私たちは広重の描いた浮世絵以降の未来を今から歩み始めようとしています。このような大きな大転換期に、(昨年)伊勢神宮と出雲大社の遷宮が重なりました。2020年には東京オリンピックが開催されます。福島の原発事故の影響は未だ完全には収束せず、新たなエネルギーへの展望も見えてきません。このような閉塞感を打開する為のマグマが徐々に膨張して来ているのは事実ではないかと思います。そのマグマのエネルギーが良いエネルギーとして爆発するか、悪いエネルギーとして爆発するか。あるいは、小さなエネルギーとして小出しに出て来るのか。最後は、私たち日本人の意識と行動の問題で決まる様な気がします。自分自身の精神(良心)は自然界とつながっていると(私は)思いますので、この汚れた心を磨き、キレイな良心を見つけ、その声に素直に従って行くこと。良心を裏切らないこと。良心に嘘をつかないこと。世界の行く末や、日本の景気や、伝染病の今後等、とても大きくて難しくて、自分一人ではどうしようも無い事象に向き合う為に、先ずは、自分自身の胸の中に在る「良心」を見出すこと。その一人ひとりの意識改革が在れば、きっと広重の予言は外れてくれるだろう。伊勢神宮で感じた清らかな風と光が、そう諭してくれている様に感じました。
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話しは変わりますが、最近好きに成った(日本のロックバンドの)「エレファントカシマシ」の宮本浩次さんが作る歌には、古き日本の「泥臭い土の匂い」がします。私の部屋のCDボックスの99.9%は、クラシック音楽で、基本的にそれ以外は(ほとんど)聞きません(昔から自分自身の好きな音楽を追求して来た結果が、たまたまクラシック音楽だったというだけですが・・・)。街を歩けば、確かにいろいろな種類の音楽が耳に入って来ます。中には「上手く」作られた音楽もあります。でも、自分自身の魂にはなかなか届きません。いずれ消えゆくものだと感じるからです。もちろん、世の全ての音楽を聴いていないので、ただ単純に出会いが無いだけかも知れません。でも、彼の歌だけは、ロック嫌いの自分自身の耳と心に迫ってくる。なぜだろうか。最近、彼らの4枚目のアルバムである「生活」(1990)を聴いて、腑に落ちました。今から24年も前、昭和のバブルの真っ只中で、一人の24歳の若者が作った暗く儚き歌。絶叫と絶命の果ての深く深く落ち行く諦観の暗闇(ドブ)の向こうに、夕陽に浮かぶ富士の山が見える。お前はなぜに引きこもる。お前はなぜに生きるのか。小さき花を見るために・・・。つまらぬときに口ずさむ、やさしい歌を知らないか。流るるドブの表をきらりと光る夕陽あり。俺はこのため生きていた。ドブの夕陽を見るために。それでも生きようか死ぬまでは。残った余生には希望を持とうか。ある秋の夜ひとりで火鉢を抱き、いまだに死ねぬ哀れなる虫の音と・・・。
絶対に売れないであろう音楽。聴き通すこと自体が息苦しい音響と(決して耳触りの良い言葉だけではない)激しい言霊の炸裂。これはロックなのか、フォークなのか、演歌なのか。あるいは唱歌なのか、童謡なのか、和歌なのか。はたまた浪曲なのか。否きっと、叫びなのだろう、怒声なのだろう。時はバブル、世の人々が浮世離れの狂乱に現をぬかしている時、人から離れ、人を嫌い、ひとり自身の「生活」だけに目を向ける男。その反抗的で厭世的で奇怪な姿勢に決して親しみを覚えることは出来ないが、彼の言う「死に至る道が生活」とは、まさにその通りだとも思う。彼の初期の歌には、日本古来の風景や文化が映り込み、日本文学の香りが漂う。東京に生まれながら「ビルを山に見立てる」男。月の夜や富士の山を愛し、火鉢に手を当て、夏目漱石や森鴎外を読む男。東京がかつて江戸であったことを思い出させるこの不思議な感覚は何だろうか。彼の眼には、この日々の喧騒も、遠い歴史の風景と重なって見えているのかも知れない。そう思うと、この東京が江戸として栄えた永き時代は、貴重な文明遺産そのものだったのだろうと思う。鎖国によって、西洋化を遅らせた静止の文明こそが、この日本を「和の国」たらしめているのかも知れない。今や世界的に和食文化が注目を浴び、多くの外国人が日本文化や四季折々の自然風景を味わうために、日本へ観光のために訪れる時代。私が好きな歴史上の人物は、(昔から)徳川家康(と宮澤賢治)と決まっているのですが、あらためて江戸時代の歴史的意義を再確認しました。
その後、(やはり)彼らは所属事務所から契約解除を言い渡され、さらなる絶望の底に落とされます。けれども、その深い悲しみと苦しみの永き日々を超え、今では「胸を張って出かけよう」「人生って素晴らしい」と多くのファンに向かって(ただ愚直に)歌い(叫び)続けています。当然ロックバンドですから、激しい曲も多く、一体彼(彼ら)が本当は何者なのか、未だ捉えきれない面もあります。けれども、古き日本の文化を愛する心の中に、きっと美しき魂の鼓動が存在し、その波動が我が心と共鳴しているのだろうと想像します。最近、彼の歌を聴いた後は、バッハの「平均律クラヴィーア曲集」(ピアノ:リヒテル)を聴きます。この清らかに流るる音の芸術もまた格別で、我が音世界の陰陽のバランスを整えてくれます。熱情と静寂の間にある、我が道を見つけ、胸を張って(ゆっくりと、そして愚直に)歩んで行く。そして、この世の素晴らしさ、人生の素晴らしさを感じ入るのです。昨夜は永き友との愉しき晩秋の一夜を過ごし、今朝は眩き朝焼けの赤き空に向かって歩いた。今の日本に生まれ、この世の幸福に気付くことの出来る自分自身に感謝すらしたい。彼の歌の中に「いい季節だ。どこへ行こう。不忍池など楽しかろう。雨になれば水が増して、さぞ水鳥もおどろくだろう(「夢のちまた」より)」とありますが、時間を作って(今度は)上野にでも行って見ようかと思う、今日この頃です。