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東京大空襲と東日本大震災

昨日3月10日は、1945年の東京大空襲から70年の日。私自身、そのことをほんの数日前からの新聞やニュース等で認識したという事実が、この「70年」と言う年月の長さを物語っています。今日の3月11日も、70年後には、風化した過去の記憶に成ってしまうのでしょうか・・・。70年と言うと、確かに遠い昔の様に感じますが、もし私があと20年程早く生まれていたとしたら、その大空襲の日を確かに生きていたのです。20年として考え直してみると、非常に短い時間です。宇宙創成の時間軸から見たら0.1秒にも満たない誤差でしょう。そのほんの一瞬の差で、戦争や災害や恐慌等という壮絶な過去を生き抜いた人々がいる・・・。今の私たちに出来る事は、その歴史を風化させること無く、未来へ語り継ぐことしかありません。私たち人間は(個人も国家も)経験から学ぶ以外に、道は無いと思います。
東京大空襲では、一夜にして約10万人の命が奪われました。日本が戦争に巻き込まれた経緯については、きっと様々な事情があったことと思います。その評価や責任論等については、今でも多くの検証や論説が行われています。しかしながら私が思うに、その時代を生きた全ての人々は、その人自身の苦しい状況の中で、その日々をただ懸命に生きるしかなかったのだと思います。現在の平和なる日々を享受している私たちには、到底理解できない種類の恐怖の日々だったと思います。そこには只々、畏敬の念しかありません。戦争を題材にした小説や映画も多くありますが、どの立場から見ても、善と悪の狭間で苦しむ人間の姿が見えます。戦争という極限状態の中で、人間はその本質(正体)を現し、もがき、苦しみ、悲しみ、嘆きます。でも同時に、その正体の更なる奥底に光り輝く魂の姿も浮かび上がるのです。その「光」こそを、私たち後世を生きる者たちは、決して絶やさず、未来へと繋いで行きたいと思います。
けれども戦争は今も続いています。テロも地域紛争も戦争であり、日本国内で起きている様々な凄惨な事件も、ある種の(個人的)戦争の1つ1つでしょう。もっと言えば、心の中で人を恨んだり、怒ったり、批判すること自体も(既に)戦争への発火点なのかも知れません。そう思うと、この世の中で生きて、日々の生活という行為の中に、(広い意味での)戦争に巻き込まれる可能性は誰にも等しく在るように感じます。心の戦争状態を回避するには、先ずは自分自身の心の中を穏やかにすることであり、同時に相手からの(マイナスの)思いや攻撃を防御しながら、不干渉を決め込むことしか無いと思います。国の防衛という意味においても、自ら戦争を行わないという強き意志(穏やかさ)と同時に、相手からの攻撃を逃れる為の術(防衛)の二段構えが必要なのでしょう。世界が経済的に困窮して来ると、再び大きな戦争が起こる下地が生まれて来ます。その時、日本が戦争と不干渉な状態でいられる為に、今から最悪を想定して、あらゆる準備が必要なのでしょう。
東日本大震災から今日で4年ですが、なかなか思うように復興は進んでいません。福島の原発事故の影響も暗い影を落としています。戦後復興の時は、「経済成長」という巨大な波の力がありましたが、今回の震災復興の時代背景に、もはやその波の面影は無く、引き潮に足を攫われないのがやっとの状態です。それでも復興を実現させる為に「経済成長」が必須と成れば、国はあらゆる手段を駆使して、その波を(技術的に)起こそうとするでしょう。その波は戦後復興期とは違い、極めて人為的(人工的)なものに成らざるを得ず、きっと様々な障害(事態)が付随して来る様な気がします。とは言え、このまま復興ままならぬ状態を放置しておくことも出来ず、いろいろな面で苦しい判断が続くでしょう。つまり、これから始まる出来事とは、人間が人為的(人工的)な大波(経済成長)を実際に起こせるのかどうかという事であり、もし仮に起こせたとして、全ての人々がその波に乗れるのかどうか、その波は人々(生命)を傷つけないのか、その波はいつまで持つのか、その波が終わった後に世の中は落ち着く(安定する)のかどうかという難題を孕んでいます。
経済成長という魔物を人間の力だけでコントロール出来るものなのかどうかは分かりませんが、前回の戦後復興の経済成長が(地球環境へ)与えた負の影響を考えると、今回は自然災害の増加という形と成って、地球(自然界)からの反応が多発する様にも思います。今の私たちに大切なのは、良いか悪いかという評論ではなく、既に私たちは「そこ」に来ているという現状認識であり、世の中の現実を直視し、その波に乗る為の懸命な努力をしつつも、その波の有無に関わらない別次元において、精神的な心(人間性)の成長を目指す道を行くという、二段構えではないかと思います。東日本大震災以後の本当の復興とは、日本人をはじめとする人々の精神的な向上ではないかと思います。この厳しい現実を懸命に生きながら、そこに在る大いなる矛盾や不条理と戦いながらも、それでも自分自身の心を磨き、人間的な成長を目指して行くこと。これからの時代は、そのような時代ではないかと感じます。
人間的成長と言うと、とても難しく感じてしまいますが、でもそれは(多分きっと)「生きている幸せを忘れない」ということの様な気がします。70年前の大空襲、あるいは4年前の大震災で亡くなられた方々の(私たちに対する)共通の思いとは、「生きている幸せを忘れるな」だと感じるのです。「俺は今日も生きている(生かされている)」という自己認識を、日々感謝の心で持つことが出来たのなら、それに勝るものは他に無く、それこそが真の成功者ではないのかと。このような意識を持った人々が、集まる家族、集まる会社、集まる地域、集まる国、集まる世界が正に理想郷ですが、先ずはそれを願うよりも前に、自分自身の心的宇宙を「生きている幸せ」の粒子で一杯に満たすことだと思います。私たち丸二は、良き建築を造るには、(個人の)良き心的宇宙が必要であると考えています。他者に依存するのではなく、自分自身の日々の仕事や生活の中にて、我が心を懸命に磨いて行くこと。むしろそのような思いと行為こそが先で、その後に「経済成長」が付いて来るのかも知れません。いろいろな面で未知なる時代が進行中ですが、ある意味、面白い時代の様にも感じます。全ては、過去の苦難の道を乗り越え、未来へ希望を繋いでくれた先人達のお蔭です。