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3.11と永遠の寅さんへ

3月に入り、春の声が聞こえて来ましたが、あと数日で東日本大震災から丸5年を迎えます。今年の3月11日は、5年前と同じ金曜日・・・。当日は、心静かに「あの日」のことを思い出し、あらためて亡くなられた方々への追悼の意を(心中で)表したいと思います。今の私たちに出来る事と云えば、ただ思い出すことしかありません。被災地においては(いろいろな事情で)なかなか復興が進まない状況もありますが、それでも前へ進んで行くしか無い。2011年3月11日以降、私たち日本人の全体意識は、確かに進化向上の兆しを見せているはずです。
それは円高によっても表現されていると思います。国の通貨が買われるということは、その国(国民)への信頼と尊敬を意味します。日本の経済面から言えば、円高は大いに困ることですが、他国から信頼され、尊敬される国柄を持つ国は、自ら率先して苦労を背負込む宿命に在るのかも知れません。今は国の意図的な政策によって、その流れを食い止めようとしていますが、やはり自然の力には勝てず、現在の時間的猶予に感謝しつつ、いずれは円高の日本を受容し、(今までとは違う)新たなる繁栄への狼煙を上げ、そして世界を(精神的に)支えて行かなければ成らないでしょう。日本にはそれだけの責任が生じて来たのだと思います。日本人の精神性が円高(日本高)を生み出していると思います。
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さて、前回のブログで、「男はつらいよ」の寅さんについて書きましたが、いくつもの寅さんの物語を観て行く内に、「車寅次郎という人物は確かに存在していた」という錯覚に見舞われます。同時に、彼を演じる渥美清さんという人物への興味も湧いてきました。渥美清さんは、寅さん同様、人情味とユーモアのあふれる方でしたが、非常に勉強家、読書家であり、決して多くを語らず、世間とは一線を画し、極めて質素な生活をされていたとのことです。友人関係も決して広く無く、山田洋次監督ですら、彼の自宅の場所や連絡先も知らなかったそうです。
映画、演劇、美術、俳句に精通し、藤山寛美を尊敬し、自身の映画が公開された際は、各地域の映画館へ(自分でチケットを買って)行き、お客様の反応を確かめたそうです。実際に、都心の映画館と浅草の映画館とでは、観客の反応が全く違ったそうです。寅さんの名セリフに、「てめぇ、さしずめインテリだな!」とありますが、実は渥美清さん自身が相当なインテリだったのですね。そして孤高の人でした。彼は、寅さんとして生きることに苦痛を感じていました・・・。
渥美清さんは、若い時に肺を患い、片方を全摘出しました。そして68歳で、肺癌で亡くなりました。最後の数本はとても出演できる状態ではなかったそうですが、松竹の看板映画を止める訳に行かず、癌が転移した体で撮影に臨み、48作目完成の半年後に亡くなりました。彼は死期が近づくにつれ、「魂は永遠なのか」と近しい友人に問い続けたそうです。その友人は「魂は永遠ですよ」と返すと、「本当か。証拠はあるか」と真顔で追求したそうです。寅さんとして生きた我が人生の先に、また新たなる別の人生への希望を観たのかも知れません。
ある本では、寅さんとイエス・キリストの共通点を挙げ、寅さんを神的な存在として解説していました。渥美清さんも、寅さんと一緒に人生(日本全国津々浦々)を歩きながら、真理探究の旅を続けていたのかも知れません。何本目かの映画の中で、帝釈天の御前様(笠智衆)が「仏様は愚者を愛する。だから寅は愛されておる」というようなセリフを発していました。愚者とは、心に全く汚れが無い、純粋で、清らかで、無垢な人のことだと思います。渥美清さんの心の中にいた寅さんが、渥美清さん自身の人生を導いたのだと感じます。
このようにして渥美清さんのことを知れば知る程、映画「男はつらいよ」は単なる娯楽作品ではなく、それとは全く別物(畏怖すべきもの)と感じます。天が渥美清さんの体を借りて、山田洋次監督に撮らせたのではないか・・・。もしそうでなければ48作も続くはずがありません。寅さんがもう少し長く生きて、5年前の東日本大震災を目にしたら、何をしたでしょうか。きっとお天道様に手を合わせ、一人ひとりの幸せを祈りつつ、面白い事を言ながら、みんなを笑わせ、けれども自分だけは孤独であり続けようとしたでしょう。まさに日本人の美学、此処に在り。これが美しい日本の姿です。どうか今の若い人にも寅さんを観て欲しいなぁ。