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心の中に在るもの~オリンピック&ゴジラ

リオデジャネイロ・オリンピックがいよいよ佳境と成って来ましたが、日本が善戦中で、まだまだメダル獲得に期待が持てます。先日は卓球女子の団体戦が終わり、日本は銅メダルを獲得することが出来ました(本当におめでとうございます!)。福原愛選手の「苦しかった・・・」という言葉と、目から溢れる涙には、何かとても清らかなものを感じました。もし日本の卓球界に彼女の存在が無かったら、石川選手や伊藤選手の出現も無く、もしかしたら男子の水谷選手の大活躍も無かったかも知れません(男子は団体で銀メダル獲得!)。本人としては悔しいオリンピックだった様ですが、(目には見えない)とても大きな力をまわりに与え続けたのではないでしょうか。
日本はもちろん、中国の人々からも愛される福原選手の人柄(人間性)の根源には、一体何が在るのでしょうか。最後の最後で、競い負けしてしまう試合もありましたが、それは彼女の人間性の深い部分に、どうしても隠し切れない程の何か・・・巨大な優しさが鎮座していたからでは無いでしょうか。勝負の世界では、それは弱さであり、徹底的に排除すべきものです。けれども彼女は、その自らの弱さを愛し、守りながら、厳しい勝負の世界に身を置き続けています。その潔い姿に温かな感動を覚えるのです。2020年の東京オリンピックへの挑戦を行うかどうかはまだ不明の様ですが、本人は「リオで最後」と心に決めているような感じもします。彼女の優しさは(むしろ)これからの日本と中国、韓国、台湾との心の架け橋と成ると思います。そして今まで以上に、世界に大きく羽ばたいて欲しいと心から期待しています。
この夏、日本は、オリンピック期間中に終戦記念日を迎えました。あれからもう71年が経ちます。地球の裏側では熱い戦いが繰り広げられています。けれども戦争に比べたら、本当に幸福な戦いです。TVに映るリオの風景の中に、あの有名な「コルコバードのキリスト像」 の(丘から)街を見下ろす姿が幾度となく現れますが、この美しくも幻想的な神々しさと、眼下の街に横たわる日々の生活の間には、きっと大きな乖離があるはずです。けれども、日本人もブラジル人も、共にその乖離の幅を(一生懸命)縮めて行く日々奮闘努力をしている最中なのだと、静かなる勇気と感動を覚えました。
今回のオリンピックでは、現地のブラジルの方々が私たち日本人選手を熱い声援で応援してくれています。それが本当に嬉しい。歴史的に縁の深い両国が、共に地球の裏側同士の縦軸と成って、またこうして強く結ばれて行くのでしょう・・・。2020年の東京オリンピックが本当の意味で「平和の祭典」に成る様、日本人の奮闘努力がこれから始まります。
※映画「シン・ゴジラ」
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お盆休み中、妻と2人で話題の映画「シン・ゴジラ」を観に行きました。場所は新宿TOHOシネマズです。此処はかつての新宿コマ劇場の跡地であり、その隣には、子どもの頃によく来た映画館「新宿プラザ劇場」もありました。現在は立派な高層ホテルとシネコンの複合施設です。「新宿プラザ劇場」では、「未知との遭遇」と「スターウォーズ」の封切を鑑賞した思い出があります。子ども心に、果てしない宇宙に対する憧憬と好奇心で胸が一杯に成りましたが、今でもその思いは変わりません。
さてゴジラですが、これも子どもの頃、地元吉祥寺の古くて小さな東宝の映画館へ何度か見に行ったものです。一番記憶に残っているのは「ゴジラ対キングギドラ」。昔の普通の男の子は、みんな怪獣映画が大好きでした。その後TVでは「帰って来たウルトラマン」が始まり、それもすぐに夢中に成りました。そして時代は流れ、ハリウッド版のゴジラも製作されましたが、大人になって映画館でゴジラを観るのは今回が初めてでした。そして意外にも非常に面白く、楽しい時間を過ごすことが出来ました。
現在の東京に突如ゴジラが出現するという物語設定の背景には、今の日本が直面している危機管理(防災意識・防衛意識)を見ることができます。また放射能(原子力)に対する問題意識も描かれています。娯楽映画ですからそこに何かしらの意図や主張は無いのですが、必要な事は「今やるべきこと」と「将来の為にやるべきこと」を明確に分けられる思考力のような気がします。得てして「今やるべきこと」と「将来の為にやるべきこと」が相反することが多いからです。その巨大な時間軸を空間的に把握できる能力が、これからのリーダーには必要ではないかと感じました。
ゴジラ映画と言えば、伊福部昭氏が作曲したテーマ音楽が有名です。今回の映画でも使用されていましたが、特に最後のクライマックスで流れていた(古い音源のままの)戦闘的な音楽の爆演(!)は、最新技術の映像とのアンバランス感が凄く、それが故に不思議な高揚感を生み出していました。これは庵野監督の意図なのでしょう。伊福部昭という日本の作曲家のことも、今まであまり認識していなかったのですが、ゴジラ以外でも非常に多くの管弦楽曲等を作曲している正統的な現代音楽の作曲家と知りました。これを機会に他の曲も聞いてみたいと思います。
ゴジラのような怪物がなぜ長い間、映像化され続けるのでしょう。なぜ忘れた頃にやって来て、私たちの街を破壊して行くのでしょう。なぜゴジラの形態は、あのような恐ろしい(畏ろしい)姿かたちをしているのでしょう。ふと、そんなことを思います・・・。きっと日本人の心のどこかに恐れるべき(=畏れるべき)存在が常に内在しており、私たちがその畏れ(=畏敬の念)を忘れ掛けた頃に成ると、その「不安感」「危機感」の集合意識が物質化されて、日本人の前に突如出現するのかも知れません。伊福部昭氏の摩訶不思議な音楽を聴くと、それもあながち嘘では無いような気がして来ます。ゴジラとは、日本人みんなの心の中に住んでいる「鬼神」なのかも知れません。