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情緒と1mmの前進

昨日12月28日、無事に会社の納会を終えることが出来ました。これもお客様や関係者、地域の皆様のおかげです。今年も本当にありがとうございました。この一年の世の中全体を振り返ってみると、個別の様々な出来事がありましたが、大きな視点で見れば(あくまで相対的にですが・・・)日本の地位(存在感)が増した一年だった様に感じています。確かに日本国内では様々な厳しい問題が山積していますが、諸外国の切迫した情勢と比較すれば、それでもまだ幸運と思うのです。広島と真珠湾に日米の首脳が降り立ったことも(様々な評価や異論はありますが)素直に心が震える思いでした。同時に、一つの大きな時代の終わりと始まりを感じました。仮にこれからどんどん世界全体の流れが悪化して行くとしても、日本には徐々に日が昇り、その明るい光によって、また世界全体に明かりが灯る日が来るだろうと。なんとなく、私たちはそのような時代を生きているように感じます。
いずれにしても此処からは(どこでも)「順流」と「逆流」の両方の流れが(同時並行的に)行き交う時代に成るのではないでしょうか。そのどちらの流れに乗って行くかは、個々の国家、個々の会社、個々の個人で違って来る様な気がします。要は「何を大切に生きていくか」によって決まって来るのでしょう。そして日本人の大半が「順流」を選択して行けるのではと思います。いろいろな問題や事件が後を絶ちませんが、日本人の持つ不思議な「情緒性」によって、最後は理屈を超えた大きな力を呼び込むものと信じるからです。情緒とは目に見えるものではありませんが、間違いなく(古来より)日本人の心の中に宿り続けているものです。それは要するに、良心の放つ温かさではないでしょうか。今の日本に生まれたことへの感謝、今此処に生きている(生かされている)幸せへの感謝が、私たち日本人の情緒の力をさらに光輝かせると確信します。
会社に宿る情緒のことを社風と言います。これも理屈を超えた空気の様なものです。長く続く会社、最後に残る会社には、必ず「良い社風」と云う究極の財産(金塊)が在ります。良い社風を造るとは良い人を造ることです。それには膨大な時間と手間暇が掛かるでしょう。そしてまた、いかなる時流の中でもその歩みを止めてはいけません。結局のところ、人造りとは思想哲学なのだと思います。目に見える業績に(即効性をもって)直結しないが故に、その継続には大きな価値と評価が発生します。私たち丸二も、そのような素晴らしい社風造りを目指して歩んでいる真最中です。来年も(まだまだ遠い理想に向かって)一歩一歩、この道を歩いて行きたいと思います。
大切なことは、日々1mmの前進を続けて行くことです。他者との競争など全く関係なく、ただ自分自身(良心)との「同行二人」です。昨日よりも今日、今日よりも明日、1mmで良いから前進して行こう。成長して行こう。一気に10mや100m行って、そこで止まって胡坐をかくのではなく、毎日少しずつ(ゆっくり)でも良いから、真っ直ぐに(止まらずに)歩んで行こう・・・。丸二には、「1mmの前進」と云う合言葉があります。毎日ほんの少しで良いから人間的に成長して行く、技術的に成長して行く。この日々の1mmの蓄積こそが、後に大きな金塊に育つと思うからです。良き人が良き社風を造り、良き社風が良き現場、良き建築を創造する。その日々日常の私たちの道標が「1mmの前進」です。
最近、丸二の現場の仮囲に掲示中の標語看板を見て、お客様や地域の方々から色々なお言葉をいただく様に成りました。標語看板とは、丸二の(いくつかの)合言葉を書いた看板です。例えば、「日々、1mmの前進」「迷ったら、良心に問う」「現場は心の映し鏡」等です。特に「1mmの前進」に対しては、「なぜ1mmなの?」とか「ラグビーの思想と同じだね」とか「前進という言葉、大好きです」とか、とても多くのお声を頂戴するように成りました。このようなコミュケーションを通じて、私たちの理念とお客様の理念とが「同心円」に成るような気がして・・・そのことがとても嬉しいのです。
「現場は心の映し鏡」とは、建物を造る監督や職人さんたちの「心の状態」が、そのまま「現場の状態」に現れるという意味です。つまり、心が明るく清らかであれば、現場もキレイということです。逆に言うと、現場が汚いのは監督の心が・・・と成ってしまいます。そのような厳しい価値観を持つことで、私たちは自らの心を磨き、現場を磨く努力を日々行っています。なぜならば、素晴らしい建物の現場は(間違いなく)「キレイ」だからです。このような価値観も(ある意味)日本人的な情緒に由来していると思います。来年もこのような合言葉を目指し、日々1mmの前進を続けて参りますので、何卒よろしくお願いいたします。本当にありがとうございます。
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※映画「モダン・タイムス」(1936年)
久しぶりにチャップリン映画をDVDで鑑賞。チャップリンの映画の中では「街の灯」が一番好きなのですが、今回「モダン・タイムス」を数十年ぶりに観て、「これもこんなに面白かったのか!」とちょっと驚きました。製作当時は資本主義を批判する映画として問題になった様ですが、今に成ってみると、チャップリンはそのもっともっと先、つまり(21世紀の)資本主義の果ての世界を「視ていた」のではないかと感じました。確かに今の時代、資本主義による多くの弊害が起きています。世界平和も実現していません。貧困と格差も未解決です。そしてなかなか「次の世界」も見えて来ません。では一体どうするべきなのか・・・。その答えをチャップリンはこの映画で(既に)描いていました。
結論は、笑顔で歩いて行くこと・・・ただそれだけ。映画「モダン・タイムス」のラストシーンで、チャップリンと少女が歩き出す際、チャップリンは悲壮な顔をしている少女に向かって、「笑顔で」と(言葉ではなく)表情と仕草で教えます。そして二人は笑顔になって、真っ直ぐに伸びた一本道を(手を繋いで)歩いて行きます。どんな時代でも困難と苦労は無くならない。外側の世界に理想的なユートピアなど存在しない。だから自らの中にユートピアを置こう。どんな時でも笑顔で歩いて行く。自らの良心と手を繋いで(同行二人で)歩いて行く。社会への批判ではなく、自ずから歩み進むのだ。歩け、歩け、笑顔で歩け・・・。世界を変えるとは、自分の内側を変えることだと、チャップリンの映画から学ぶことが出来ました。ちなみに、私のチャップリン映画のベストは、「街の灯」「モダン・タイムス」「ライムライト」です。