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賢治とヒカル

異常に暑かった今年の7月が終わろうとしていますが、本日は不思議な進路を行く大型の台風が近づいています。西日本豪雨の被災地に更なる被害が及ばぬ様、心から祈りたいと思います。このような異常気象は世界的にも多発中で、米国カリフォルニア州やスウェーデンでは大規模な山火事が発生しています。ギリシャの山火事の方は、放火が原因とのことですが、いずれにしても一度燃え始めたら止めるのが容易ではありません。自然界の猛威に人間は手も足も出ない状況です。
一昨日は、東京多摩市の大きな工事現場で火災事故が発生しました。バーナーの火花が断熱材(ウレタン)に引火して有毒ガスが大量発生したと思われます。ウレタンに火気厳禁は基本的な事ですが、暑さや現場環境の様々な要因があって、普通では起こりえない事が起きたとしか言い様がありません。あの恐ろしい黒煙の中で亡くなられた方々のご冥福をお祈りいたします。
自然界も社会情勢も、日々様々な出来事が発生しています。同様に、一人ひとりの個人の生活の中においても、毎日いろいろな事象が起きています。それも決して良い事ばかりでは無いでしょう。それでも人間は生きて行かねばならない。否むしろ、それが故に、人間は生きる価値があるのかも知れません。
私が最も好きな作家(詩人)の一人に宮沢賢治がいます。デクノボーと呼ばれ、日照りの時は涙を流し. 寒さの夏はオロオロ歩く・・・そのような(決して格好良いとは言えない)一人の男の姿に、何か、手を合わせたくなるような特別な感情を抱くのです。先日、NHKの宇多田ヒカルの特集番組を見ていたら、突然、宮沢賢治の話が出てきました。実は宇多田ヒカルも宮沢賢治が好きで、下記の「銀河鉄道の夜」からの一節を紹介していたのです。
何がしあわせかわからないです。
本当にどんなに辛いことでも、
それが正しい道を進む中の出来事なら、
峠の上りも下りもみんな、
本当の幸せに近づく一足ずつですから。
長い人生、苦しいこともたくさんあるが、それが必ずしも不幸とは限らない。むしろ、その出来事があったおかげで、素晴らしい今がある。明るい未来がある。その時は確かに苦しかったろうが、振り返って見れば、感謝すべき経験だったと気づき、素晴らしい思い出と成る。あの出来事のおかげで自分は成長した。気づいた。目が覚めた。本当の幸福を知った。だから何が幸せなんて(その時は)分からない。けれども、正しい道を懸命に歩んでさえ行けば、いつか、必ずほんとうの幸いへ近づく・・・。
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長い休養を経て、母親(歌手の藤圭子さん)の自死も越えて、宇多田ヒカルが復帰後発表した最近のCD2枚を買って聴いてみると、驚くほど素晴らしかった。自然界の木霊を感じ、正しい道を探し彷徨う人の魂を感じました。決して明るい音楽ではありませんが、だからと言って暗い訳でも無い。只々、深遠であり深淵だった。宮沢賢治を通じ、素晴らしい音楽を知ることが出来たと思います。
私は、宮沢賢治の詩集「春と修羅」の「序」が好きです。
わたくしといふ現象は
仮定された有機交流電燈の
ひとつの青い照明です
(あらゆる透明な幽霊の複合体)
風景やみんなといつしよに
せはしくせはしく明滅しながら
いかにもたしかにともりつづける
因果交流電燈の
ひとつの青い照明です
(ひかりはたもち その電燈は失はれ)
という不思議な文章で、「春と修羅」は始まります。「因果交流電燈の青い照明」とは一体何なのでしょうか。そこに込められた本当の意味は分かりませんが、人間の魂の永遠の燈火のように感じられます。どんな時も、どんな場所でも、その自らの発光(明滅)を保ち続けて行くこと。それだけで素晴らしいことなんだ。宇多田ヒカルの音や詩には、この光の明滅(リズム)と永遠性を感じます。
これからの時代は、今までの時代と比べ、何か根本的な部分が変わって行くと思います。今までよりも、もっと自らの心(魂)と共に歩く時代へと変わって行くように思います。自らの中に在る良心のリズムを感じ、それを(自分自身と良心の二人一緒に)歌いながら歩く道。その先には、きっと明るい光がある。きっと本当の幸いがある。そう信じて行けば、この峠の上り道も下り道も、「本当の幸せに近づく一足ずつ」に成る。だから、この道を行くんだ。無様でも、転んでも、デクノボーでもいい。私は今を、明日を、歩んで行く。