Blog 社長ブログ

無言の視線

東京の緊急事態宣言の解除まで、あともう少しのところです。現段階で、日本の死亡者数が(世界に比べて)桁違いに少ないという事実に対し、心から感謝したいと思います(亡くなられた方々には、心からご冥福をお祈りいたします)。この要因については、今後様々な検証が成されると思いますが、(今後の為にも、世界の為にも)出来るだけ早く、要因の特定を望みたいところです。日本政府の打った手、逆に(あえて)打たなかった手の、一体何が功を奏したのか。何が無駄で、何が不足だったのか。非常に興味があります。前例の無い未知なる脅威に対して、被害を最小に食い止めたのであれば、その背後に何か特別(不思議)な力さえも感じます。今回の日本モデルが海外にも応用され、同時並行で治療薬やワクチンが開発されれば、世界はコロナウイルスを乗り越えて行くことに成ります。
今回のコロナウイルスへの各国の対抗策は、「ロックダウン」「外出自粛」でした。日本も緊急事態宣言が出されましたが、他国に比べて、遅く、緩いものでした。そのことと死亡者数との関連が検証されれば、今後は経済へのダメージを最小化できる基準も見えて来るかも知れません。これからは各国が様々な経験をし、その検証をしながら、次の最善を見つけていくプロセスが必要です。そのためにも、批判や責任追及に意識を向けず、お互いに労う気持ちをもって、事実のみを見つめ、時には「仕方なかった」と許し合い、「では、次はこうしよう」と、共に歩き出すのが一番のお得だと思います。
今後の日本は、米国、英国、オーストラリア、カナダ、ニュージーランドの英語圏5カ国との連携を強化し、中国に頼らない経済体制を再構築し、内需拡大へ向かうと思います。マイクロソフトのビル・ゲイツ氏のように、(世界で一番安全な)日本に定住する外国人も増えて来るでしょう。そのような意味で、今回のコロナウイルスによって、国の方向性が明確に成ったとも言えます。そして私たち日本人は、とにかく感謝の心が大事だと思います。なぜだか分からないけれど、日本には(今でも)ゆるやかな神風が吹いている様に感じます。思うように行かないことが起きても、なぜか逆に成って、「塞翁が馬」と成る。世界から羨望と嫉妬の目で見られている私たちが感謝しないで、誰が感謝するというのか・・・。私たち日本人は、天に唾することのない様、お天道様への感謝と謙虚を忘れないで、生きて行かねばと思います。
そして丸二は、これから国内で発生が想定される猛烈な自然災害に耐えうるRC(鉄筋コンクリート造)住宅・マンションを日々造り続けています。地球環境の激変によって、世界も日本も、住宅の強靭化が絶対条件に成って来ました。そういう意味では、まだまだ安心安全の強固な住宅戸数はむしろ大幅に不足していると言えます。丸二の私たちは、日本人の生命と生活を守るため、今日も1mmの前進で、建物の建設作業とリフォームに全力投球しています。
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※デカローグ/クシシュトフ・キェシロフスキ監督作品
ゴールデンウイークは、ポーランドの映画作家、クシシュトフ・キェシロフスキ監督の「デカローグ」を観ました。各1時間の全10話で構成された、聖書の十戒をモチーフにしたドラマですので、当然合計10時間に及ぶ訳ですが、非常に面白く、見終わってしまったのが寂しいほどです。各エピソードのテーマが十戒の戒律に(順番に)対応していますが、そのような難しいことは抜きにしても、非常に分かりやすく美しい作品でした。
その全10話のほとんどの回に、必ずちょっとだけ登場する若い男がいます。セリフも無いし、何かをする訳でもなく、ただ主人公を観ている無言の存在です。これが(聖書上の)神の視点なのか・・・。私たちも日々人生を歩んでいる中で、ふと、「見られている」という意識を持つことがあります。何かの視線を感じる。でもそれは、決して「監視されている」という意味では無く、むしろ「見守ってくれている」という感覚です。「ちゃんと見てあげているからね」という無言。その存在の視線があるから、もちろん悪いことはできない。むしろ(誰もいないけど)良い行いを(ちゃんと)観ていてくれる安心感。日本の場合は、人の姿よりも、お天道様のような存在かも知れません。
我が人生に文句を言うのは、その無言の存在(お天道様)への文句(不信感)と同義である。観てあげている側とすれば、「せっかく見守ってあげているのに」「なら勝手にすれば」と成る。そして厳しい結末を迎える。だからこそ、無言の存在を意識し、感謝し、安心して生きて行く・・・此処に、西洋の「デカローグ」の通奏低音の主題を感じ取りました。そして私も、我が日本の「お天道様」への想いを寄せて、感謝の五月を過ごして行きます。さて「デカローグ」の次は、スウェーデンの映画監督、イングマール・ベルイマンの作品を数本、観る予定です。

風が吹くまま

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新型コロナウイルスの影響により、「ステイ・ホーム」の時間が増えています。私は映画が好きなので、DVDを鑑賞するには良い機会です。最近、イランのアッバス・キアロスタミという映画監督の作品、「風が吹くまま(1999年)」を観ました。非常に良かったです。この監督の作品は結構見ていて、「友だちのうちはどこ?(1987年)」「そして人生はつづく(1992年)」「オリーブの林をぬけて(1994年)」「桜桃の味(1997年)」に続き、本作に行き着いたところです。
それにしても、キアロスタミの映画は全てが美しいです。イランの田舎の小さな村、荒涼とした丘陵の風景、美しい目をした田舎の人々の暮らし、ジグザグと続く土の坂道、季節によって彩を変える草木、広大な黄金色の麦畑・・・。実際の暮らしは大変なのかも知れませんが、「天国はいま(まさに)ここに在る」という不思議な感覚を刺激してくれます。
ストーリー的には、まったく劇的なものは無く、役者さんも全て素人さんなので、ドキュメンタリー風にも見えます。けれども、流れる映像の全てが作者の心象風景として完璧に表現されていると感じます。多くの人にとっては、「退屈」「結局何が言いたかったの?」という感じで、低評価に成るタイプの映画ですが、私にとっては、今まで見た映画の中で、相当な上位に位置する作品になりそうです。
原始的な世界、原始的な風景、原始的な暮らしの裏側に、この世の理想郷が隠されているのではないか。もうすでに(私たちには)全ては与えられているし、無駄なものも一切ない。それなのに、一体何の文句があるというのか。この理想郷は(原始風景の裏側だけではなく)自分自身の心の裏側にも隠されているのではないか。地球から月の裏側が見えないように、自分自身の理想郷は見えない。否、見ようとしない。理想郷を既に心中に持っていながら、文句を言う私たちとは一体何か・・・。
映画の筋とはあまり関係の無い感想になってしまいましたが、キアロスタミの映画を観ていると(なんとなく)そのような素直な気持ちに成るのです。同時に、とても暖かい気持ちにも成ります。今、私たちの世界は、コロナウイルスで大変な状況に成っていますが、今こそ心静かに自らの心中と向き合い、その裏側に潜む理想郷(安心感)を微かに感じながら、「ほっと」息を抜く瞬間が必要なのかも知れません。そしてそれはまた1つの幸福感であり、感謝の力なのでしょう。そんな優しく穏やかな心のあり様が、ウイルスを静かに終息へ向かわせると信じて・・・。
さて、この後のゴールデンウイークは、ポーランドの映画作家、クシシュトフ・キェシロフスキ監督の「デカローグ」を観る予定です。これは各1時間の全10話で構成された、聖書の十戒をモチーフにしたドラマです。クシシュトフ・キェシロフスキは、フランス国旗の三色(自由・平等・博愛)をテーマとした「トリコロール三部作」で有名で、この監督の作品も美しい映像美なので、とても楽しみしています。
そして、私たち丸二は、変わらずに、災害に強い安心安全でローコストのRC(鉄筋コンクリート)住宅・賃貸・賃貸併用住宅の建設と、様々なリフォーム工事で、お客様の幸せづくりに貢献して行きます。特にリフォーム工事においては、コロナウイルスを経験したことで、「空調(換気)リフォーム」「衛生(トイレ・キッチン)リフォーム」「ホーム・オフィス」「ホーム・ジム」「ベランダ・リフォーム」をはじめ、自然災害に備えての「耐震補強工事」「屋根補強工事」「大規模修繕工事」「外壁改修工事」「防水工事」「設備工事」等にも力を入れています。コロナウイルスが無事に終息した後も、安心安全な生活をサポートして行きますので、何卒よろしくお願いいたします。ありがとうございます。

緊急事態宣言と春の風

「緊急事態宣言」が発令されました。これは、諸外国が実施している「都市封鎖(ロックダウン)」とは全く別物で、必要な経済機能は維持されるものです。無事に短期間で解除されると、コロナ後の経済回復への道が生まれ、此処に期待です。日本は(世界に比べて)感染者数も死者数も少なく、他国に比べればまだ恵まれた状況と言えます。コロナが収束(終息)した後に振り返ってみて、「ああ、日本人で良かった」「本当にありがたいことだ」と安堵し、感謝する時が来ると思います。それまでは大和魂でがんばって行きましょう。
コロナウイルスに関連して、日本の直近のインフルエンザによる死亡者数の統計を見たところ、一年間で約2,500~3,300人ということを知り、非常に驚きました。今現在、コロナウイルスによる死亡者数は約100人ですが、この20~30倍の死亡者が(毎年)出ていたことを全く知りませんでした。感染者数に換算すれば、その数十倍(数百倍)以上でしょう。このような数字(事実)を見ながら、政府は、「今、目の前の国民の命」と「この先の国民の命(経済の維持)」の難しいバランスに苦心していることが窺えます。いずれにしても、私たち一人ひとりは、3密を回避し、自身のウイルス対策を懸命に行いつつ、工夫しながらも経済を動かして行くことが大事でしょう。おかげさまで丸二の現場も(様々な工夫をしながら)順調に進行中です。このような時だからこそ、地域のお役に立って行きたいと思います。
また、最近特に感じるのは、このような時期にも関わらず、素晴らしい春の好天が続いていることです。日々、自然の素晴らしさを感じます。世界の経済活動が一時的にお休みしていることで、自然界が息を吹き返しているような気もします。今の自然界が為しているのは、人間を傷つけている訳ではなく、人間の心の浄化を求めているのではないでしょうか。もしかしたら、コロナウイルスもその1つの働きとして存在したのではないかと・・・。日本が(なぜか他国よりも)奇跡的に恵まれていることに感謝して、一人ひとりの心の在り方を見直して行けば、事態は早く収束(終息)して行くと思います。青い空、気持ちの良い風、美しい桜、そして新緑の季節へ。丸二の私たちは、今日もお客様に喜ばれる為に、1mmの前進を続けて参ります。ありがとうございます。
※J.S.バッハ:ブランデンブルク協奏曲(全曲)
ラインハルト・ゲーベル指揮/ムジカ・アンティクヮ・ケルン
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最近は、様々な夜間の会合等が無くなって、自宅にいる時間が増えました。私は、映画鑑賞や音楽鑑賞が趣味なので、実は全く退屈しません。気分転換には、映画「男はつらいよ」が最適。真剣に観る時は、ヨーロッパの古い文芸映画が好きです。CDでは、クラシック音楽やエレカシ等を聴いています。最近はバッハを良く聞きますが、特に「ブランデンブルク協奏曲」は非常に面白いです。この曲にはたくさんの名盤がありますが、ゲーベル指揮の盤は、超高速演奏で有名で、目が回るような楽しさです。バッハの音楽は今聞いても新曲のように響き、まるで宇宙の果てから降ってきたような気がします。この世界を浄化してくれそうな気もします。

「塞翁が馬」で内需の道を

昨日、志村けんさんが亡くなられました。とても残念です。私たちの世代にとって、子どもの頃のお笑いのスターと言えば、ドリフターズとコント55号でした。当時は日本もまだ発展途上のような時代でしたが、夕食後のお茶の間は、家族みんなの無邪気な笑いでいっぱいでした。志村けんさんは、普段は物静かで、きちんとしていて、勉強家だったそうです。私が好きな(寅さんの)渥美清さんも同様に、控えめで、物静かで、大変な勉強家でした。多くの人々を笑顔にすることに対し、真摯に、真面目に、真剣に、(命を懸けて)人生を全うした人は、とても美しいと思います。志村けんさんのご冥福を心よりお祈りいたします。
新型コロナウイルスの猛威が日本と世界を襲っていますが、都知事による外出自粛要請と、志村けんさんの突然の訃報もあり、ここ数日で、日本人にも危機感が生まれて来たと感じます。それでもまだ日本のコロナウイルス感染被害は他国に比べて小さい状況の様です。外国からは「日本は検査をしていないから」という声もありますが、一方では、ウイルス検査を懸命に行った国に(なぜか)多数の死者が発生している事実もあります。
日本が(意識的に?または仕方なく?)ウイルス検査を抑制したことで、結果的には良かったのかも知れません(塞翁が馬)。これは、①検査パニックが逆に感染を拡大する②重病者への対応どころでなくなる③結果的に感染者も死者も両方増える④よって当面は人ができるだけ病院に行かない方が良い・・・という判断だったのではないでしょうか。
思い起こせば、何の因果が、ウイルス感染した豪華客船が(たまたま)日本に寄港してしまった為に、日本が中国に次いで、第二のコロナ被害を受けてしまったのですが、この時に右往左往した大混乱や大批判のおかげで、その後のウイルス対策への対応を他国よりも(少しでも)早く着手することができたのかもしれません(塞翁が馬)。この時、乗客や外国からも大変なクレームを受けましたが、2週間の隔離を徹底した前例が、今の世界のウイルス対応の雛形(見本)と成っています。
このようないくつかの「塞翁が馬(=何が幸いするか分からない)現象」が起きているのも、日本が衛生的な国であることと、日本人の意識の中に(他国よりも)清浄感があることに起因していると感じます。今の日本の様子は、他国から見ると、奇跡的(考えられない)らしいです(なんで日本だけ?普通に生活できているの?)。日本人はそこに全く気づいていないので、つい緊張感が緩んでしまいます。だからこそ、日本は、今一度の危機感をもって、世界の良い見本に成って行かねば成りません。
重要なことは、①外国人の入国制限の強化②思い切った経済対策の発表③「3密」の回避④個人の日々のウイルス対策・・・をしていくことでしょう。特に「入国制限の強化」は大事だと思います。外国からのウイルス侵入が遮断されれば、日本は徐々に収束に向かって行くと思います。欧米はこれからもっと大変な状況に成る可能性があると思いますが、日本は、安心の内需で経済を循環して行く道が残っています。私たち建設業も内需振興に大いに寄与し、地域の景気の安定化へ貢献していきたいと思います。
外国人観光客が激減している状況ですが、物は考えようで、それだけ魅力的な場所が日本中にたくさんあると言うことを考えれば、今後はもっと日本人が、素晴らしい自分の国を贅沢に旅するムーブメントを起こせば良いと思います(塞翁が馬)。地方の観光業も、日本人観光客の獲得へ思考をシフトする。国もいろいろな税制を改革し、企業や資産家が日本国内で事業を行うメリットを創出して行く。そこから大きな経済的な浮揚を造ることは可能ではないでしょうか。いずれ世界も落ち着けば、外国人観光客も戻って来るでしょう。このような先々への明るさが見えて来ると、少子高齢化の流れも変わって行くと思います。
これからの日本には、①(良い意味での)鎖国②内需拡大③国内観光④防災インフラ⑤健康と元気・・・という素晴らしい道があると思います。まだまだいろいろな苦難があるとは思いますが、そこは素晴らしい国民性と不思議な「塞翁が馬」で乗り越えて行けると思います。私たち丸二も、日々元気に、1mmの前進を続けて参ります。ありがとうございます。

道理の時代へ

2020年(令和2年)が明けて既に一ヵ月が過ぎました。中国の武漢で発生した新型コロナウイルスの感染拡大も、次第に日本を含め世界各国へと広がり、様々な影響を及ぼしつつあります。昨年から続くオーストラリアの大規模な山火事もなかなか終息に至りません。これからは国家間の武器による戦争以上に、自然界からの脅威と向き合わねば成らない時代に入ったのではないかと感じます(もうそれどころではなくなるという意味で)。
そもそも自然界とは(人間にとって敵ではなく)人間が生きる上で必要なありとあらゆる全てのものを無償で与え続けてくれていた存在です。その自然界からの猛攻を受けるとは、人間が自然界の調和を乱しながら、(長い時間を掛けて)エゴの道をひた走って来たことに対する(鏡の如く)反射現象の一つなのかも知れません。「やったらやられる」の道理が此処に来て発動したのでしょうか。
各国政府は早急に最善の策を打つことが重要ですが、先ずは私たち個人が自らの意識を変え、自然界に対する感謝と畏敬の念を持ちつつ、日々の防災意識と防御対策を(個人の責任で)取って行くべなのでしょう。ふと思うのですが、今や(未来の)歴史の教科書に載る(であろう)時代に入ったことは間違いないと思います。
今年の大河ドラマは明智光秀の物語ですが、これからの世は(私たち一人ひとりが)光秀以上のドラマを経験する時代に成るのではないか。まさに戦国時代以上の激変期を乗り越える自分自身のリアルドラマが現在進行形なのであり、未来(結末)は白紙(未定)です。その分、過去の歴史ドラマを傍観するよりも、現実世界そのものが生きがいのある(面白い)時代に成ったとも言えます。
大切なことは、自然界からの逆襲が道理どおりに発生した様に、物の道理で生きてさえ行けば、最善の道が拓けるという理屈です。そういう意味では、うまくやった者勝ちは無くなり、道理どおりに生きた者の安心が実現するのでしょう。これからは、正直、感謝、謙虚で生きることが、最善の防御と成り、自らを安心、安全へと導くと思います。
それにしても、東京オリンピック・パラリンピックを間近に控えたタイミングでこの事態とは・・・本当に日本の真価(進化・深化)が試されていることの証だと思います。みんなで強い心をもって、明るく前向きに生きて行きましょう。必ず素晴らしい状況に成って行くと思います。
私たち建設業としては、これからの自然界の猛威、猛攻に耐えうる安心安全な住環境、街づくりに貢献して行くことで、世の中のお役に立って行きたいと思います。都内でもまだ古い木造密集地も多く、大地震、巨大台風、水害、ウイルス、極暑、極寒等への準備は万全ではありません。人口の多い東京、首都圏の建物や街を安心安全に造り変えて行くには、まだまだ相当な時間が必要です。まさに時代の流れとの競争ですが、地域の人々の生命と財産を守るために、今年も全力投球して参りますので、何卒よろしくお願いいたします。ありがとうございます。

不思議なヴェール

2019年(令和元年)も終りに近づいて来ました。来年2020年(令和2年)は一体どのような年に成るでしょうか。今年は新天皇の即位が無事に執り行われ、新たな「令和の時代」が始まりました。そして来年は、「東京2020オリンピック・パラリンピック」の年です。世界全体を見渡してみれば、益々不穏な空気が濃厚に成っている訳ですが、何か日本だけは不思議な(ヴェールの様な)薄い膜で包まれている(守られている)様な感覚がします。もちろんこの薄いヴェールが弾けてしまえば、世界の激流に巻き込まれてしまうけれど・・・。
日本の現状については、(いつの時代でも)楽観的な見方と悲観的な見方が共存しています。景気の悪化や自然災害の発生、あるいは防衛という面においては、私たちは常に冷静な目で現実を直視し、最悪の想定が大事だと思います。その想定に基づいた具体的な対策と準備によって、大難が小難と成り、無難へと転化するからです。けれども同時に思うべきは、「今日もご飯が食べられる幸せ」や「今日も布団で眠れる奇跡」に対する気づきと感謝です。
日本の国魂がこの不思議なヴェールを創造し、まるで日本全体を包み込んでくれているのではないかと感じることがあります。目に見える世界では、確かに厳しい世の中が現実化しているのですが、本当(真実)は、全く逆で、完全に守られている(絶対に大丈夫という)並行世界に(私たちは)生きているのかも知れません。まるでトランポリン(月面)の上を歩くかの様に、(嬉々として)この日々を生きている(生きられる)のではないかと・・・。
今年の11月、京都でお祝い事があり、紅葉の始まる少し前の上賀茂神社へ行きました。その境内の木々の合間を流れるる美しい小川のせせらぎに、日本を守る存在の声を聴いた気がしたのです。目には見えない日本の国魂が、原始大和の精神をまるで守護しているのかの様な感覚です。けれども日本人が日本人の心を失えば、その声はきっと聴こえなくなり、ヴェールの膜も弾け飛んでしまうのでしょう。つまり本当に心配すべきは、私たち日本人一人ひとりの心の在り様ではないかと思うのです。
今年は新天皇の即位により、(危うく失われつつあった)日本人の心を思い出すことが出来ました。まさに紙(神)一重のところだったと思います。私たち日本人の一人ひとりが、日々の(自分自身の)日常生活や仕事の中で、自らの人間性(人柄)を高め、(今の日本に生かしていただいていることに)感謝して行けば、自ずと日本の道は拓かれると思います。経済や景気も、時代の潮流には逆らえませんが、無難にできると思います。
今の日本人に必要なことは、常に最悪を想定しながらも、この毎日を明るく感謝の心で生きて行くことです。そこには楽観も悲観もなく、只淡々と(黙々と)歩くのみ。世間を気にするのではなく、自らの中身を向上させて行くことに意識を向けて、この日々を嬉々として暮らして行けば、思ってもみなかった素晴らしい世界が拡がると思います。本当に「日本に生まれて良かった」と心底思う時代も来ると思います。日本はまだまだ恵まれています。今後も多くの外国人観光客が訪れるでしょう。多分、外国人にしか分からない不思議なヴェールを観るために・・・。

澄み渡らせる道

10月に入ってもまだまだ暑い日々が続いています。日本だけでなく世界の気象の変化はますます加速中で、私たち人間はこれから大きな意識転換を要されることに成ると思います。今回の大型台風による千葉県の被害も、もう本当に大変なことで、被災された地域の方々には心よりお見舞申し上げます。今後は(いつでもどこでも)この様な自然災害が発生することを想定して行かなければ成りません。それは決して大げさなことではなく、地球全体が既に「被災の時代」に入っていることを意味します。今まで当たり前に在ると思っていた水、空気、電気、食べ物、着る物、住む場所が如何にありがたいものであったのか・・・そこに皆が気づくまで、自然災害は加速して行くと思います。
この自然界が汚染されている原因には、人類が物理的(かつ必要以上)に自然そのものを破壊してきたことに在りますが、それと同時に、私たち人間一人ひとりの心の汚染の総和もあると思います。世界では未だに紛争が絶えず、ある種の戦争状態が継続しています。日々のニュースでは、様々な事件、事故、汚職、不正、トラブルが報道されています。そして「私は何も悪いことをしていない」と思う(私も含めて)大多数の人々の心中でも、常に何かに対する攻撃心やエゴの意識、ネガティブな心が存在しています。もしこのような多数の人間の心の状態と自然界の動きとが同調(共鳴)しているとするならば、私たちの心を澄み渡らせることで、自然界も澄み渡り、穏やかな気象が享受されるとの計算が成り立ちます。
私たちの心とは、要するに一人ひとりの「私の心」の総和です。つまり私たち一人ひとりにできることは、(他人ではなく)私(=自分自身)の心の状態を澄み渡らせることしかありません。此処に日本人固有の精神性(情緒)が鍵になって来ると思います。私は、日本人一人ひとりの心の総和こそが、これからの世界(地球)を変えて行けるものと信じています。日本は、20世紀においては「技術」で世界をリードしましたが、21世紀においては「良心(情緒)」で世界をリードして行くと思います。けれども実際には、日本人の心も汚染が進んでおり、日本人として恥ずかしい出来事も(日々)多々起きています。けれども今!こうして!何か大きな時代の変化を感ずる中で、日本人本来の心の発動(振動)が成され始める予感もします。
ラグビーワールドカップで、日本がアイルランドに勝ちました。本当に素晴らしい試合でした。日本チームには多くの外国出身の選手もいますが、私には、純粋かつ完璧な日本人チームに映りました。チーム全員が日本人の精神を宿していると感じました。肉体的、フィジカル面で日本人は決して優位ではないはずですが、精神の力で前進できることを教えられました。これから日本人も外国人も一緒になって、お互いの強みを生かしながら、世界を澄み渡らせる道を行けるものと思います。その先導役として、日本人の心、情緒、和の文化が鍵になるでしょう。そして私たち丸二も、この被災の時代の中で、地域の安全基地への道をひたすら歩んで行きたいと思います。地域の方々、お客様を、良き建築で守って参ります。ありがとうございます。

遠い空から

今の世の中の流れは、非常に複雑怪奇で、正しい読み取りが難しく成って来たように感じます。インターネットやSNS等の普及で、昔よりも大量の情報を取得できるように成ったのに、結局中身がよく分からない。枝葉末節ばかりで、根っ子(本当のこと)が分からない。国会やTV番組でも、枝葉末節のみが取り沙汰されるだけで、一向に根本的な真因に行き着かない。情報過多によって、(逆に)日替わりの新しい枝(事件・事故)へと飛び回るばかりで、深く地下(真実)へと深耕する力が分散しているのかも知れません。木を見て森を見ずの状態に陥っていると感じます。
令和の日本にとって、最優先は(あらゆる意味で)国民の生命(安全)を守ることであり、その基盤の上での「財政再建」や「社会保障」だと思います。日本の政府や官僚は、基本的には(確かに色々な不祥事やミスもありますが・・・他国に比べれば)真面目に国民の生命を思い、諸外国との厳しい駆け引きを継続していると思います。私たち一般の国民には、本当に起きている事実(根本)は分かりませんし、当然明かせないことも多いはずです。それらを含めての全体性、あらゆる森羅万象(マクロ)の視点から、(世間の風潮のみを対象とせず)正しい判断を下して行って欲しいと思います。
また、今、人の命も自分の命も粗末にする事件が多いです。自分自身が造ったものでない生命(=預かりもの)を、自分勝手に傷つけるのは、最大の罪と思います。天からいただいた生命、天からいただいた肉体を(自ら)大事に(思いやりをもって)育てて行くことが、自分のことも、人のことも、共に大事にして行く道ではないかと思います。今の自分の目の前の世界だけ(ミクロ)の視点から離れ、「生きているのではなく、生かされている」という遠い空から(マクロ)の視点へと切り替えることが出来れば、不思議と状況は変わって行くと思います。
遠くから俯瞰する視点で物事を捉えることが出来れば、行くべき正しい道が見えて来ます。そしてその道を日々1mmの前進で、只々、懸命に歩むのみ。時間も掛かるし、遠回りかも知れない。けれども黙ってその道を行く経験こそが、人生最大の収穫と成ると信じます。それにしても・・・自分の人生なのに「自分の未来は分からない」とは不思議なものです。だから面白いし、楽しい。夢もある。まるで映画の様ですね。私たちも、常に大きな視点で物事を見て、素晴らしい未来へ向かって、今日も1mmの前進を続けて行きたいと思います。
※エルネスト・ブロッホ「祈り」/ソル・ガベッタ(チェロ)
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アルゼンチン生まれの女流チェリスト、ソル・ガベッタのCDを聞き、初めて、エルネスト・ブロッホという作曲家を知りました。ブロッホは1880年にスイスで生まれたユダヤ人で、ユダヤ教の典礼音楽や、ユダヤ人の民俗音楽を取り入れた音楽を多く作曲しています。このCDでは「ユダヤ人の生活から」の第1曲「祈り」、第2曲「哀願」、第3曲「ユダヤの歌」他が演奏されていましたが、とても素晴らしく、深く感動しました。ユダヤと日本は古来より不思議な縁で結ばれているとよく聞きますが、この曲を聴くと、確かに時空を超えた懐かしさ、遥か遠い古代の風を感じます。これからブロッホの他の曲も聴いてみようと思います。

明るく観る力

あと少しで平成の世が終わります。昭和64年1月7日、昭和天皇が崩御された時、私は前職の(兜町の)証券会社で入社3年目の新米営業社員でした。昭和という巨大な時代から平成という未知の時代が始まる改元の瞬間を、株式市場のど真ん中で体感できたことは貴重な経験だったと思います。その瞬間全てが静(鎮)まり返り、無限に続く程の長い静粛な時を刻みつつも事態は粛々と動き、時代は完璧に(当たり前のように)移行しました。その改元の運行は、正に天の意思の如く全くもって自然体でした。
このようにして、私にとっての平成は、日々の株式市場の喧騒が一時停止した後、僅かな静寂の時を経て、再び何事も無かったかの様に始まったのです。けれども今思うと、その僅かな静寂の時の背後では、昭和天皇から平成天皇へ、強烈なる「平和への覚悟」が引き継がれたのではないかと想像できます。私たちはそのおかげをもって、戦争の無い平和な30年間を享受できたのではないだろうか・・・と。只々、感謝の30年でした。
平成時代では、阪神淡路大震災や東日本大震災等をはじめとする大規模な自然災害が日本各地に発生しましたが、私たち日本人一人ひとりに出来ることは、自然の恩恵に感謝する意識を強く持ち、日々の経済活動や生活習慣を変えていくことしか無いと思います。これこそが令和の道と思います。令和という言葉からは、「天(自然界)の秩序(道理)との調和」を感じます。典拠が万葉集とのこともあり、日本古来の精神文化への回帰も予感されます。西洋文明に感化された時代から、再びの大和の良心を復興させることで、天地は鎮まり、大きな和の時代に成ると信じて・・・。
そして今、世界各国の情勢は(経済面でも治安面でも)悪化しています。けれども日本だけは(確かに同じく厳しい状況下ではありますが)、本年の改元(令和元年)、来年の東京オリンピック開催、2024年の紙幣デザイン刷新等、なぜか大きな祝典事が重なり、明るい気持ちが(梅の花のように)膨らみつつあるのも事実です。此処に何か特別な意味が在ると感じます。要するに、目に映る風景を明るく観る力が大切な世の中になって来たのではないだろうか・・・。
仮に、時代が西洋的な物質文明から東洋的(日本的)な精神文明へ移行(あるいは回帰)するのであれば、令和の世とは、心の力が全てを凌駕する時代に成ると想像できます。自身の五感で感じられる全てのものを、明るく観ることのできる人に成れれば、全てが変わるのではないか。目を覚(冷)まし、頭を冷やし、天(自然界)に生かされている自分自身に気づき(思い出し)感謝すること。明るく観る力の総和で、国も社会も会社も家族も、きっとみんなが良く成るはずです。あと少しで令和の世が始まります。きっと素晴らしい時代に成ると思います。
※バッハ:管弦楽組曲全曲(サヴァール指揮/ル・コンセール・デ・ナシオン)
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クラシック音楽の中で、私がお気に入りの作曲家は、ヴィヴァルディ、ヘンデル、バッハ、ハイドン、モーツァルト、ベートーヴェン、ワーグナー、ブルックナー、マーラーですが、特にバッハの音楽には畏敬の念(神聖な感覚)を強く感じます。つまり生身の人間が(努力して)造った音楽という気がしないからです。まるで、元々自然界に存在している微細な音の粒子たちが(ある一定の秩序の元で)自発的に様々な配列で並び替えをしている様子を描いた絵画の様なのです。音の一粒一粒が妖精のように(楽しく自由に)宙を舞う姿を、バッハは心の目で観て、只音符として書き留めただけなのかも知れません。バッハの音楽は全て素晴らしいのですが、最近聞いたCDでは、スペインのヴィオラ・ダ・ガンバ奏者であるサヴァールの指揮する「管弦楽組曲」にとても感銘を受けました。もうバッハの時代に迷い込んでしまい、ワクワクしながら最新曲を聞いている様な感覚なのです。今年のゴールデンウィークは、たくさんバッハを聞いて、令和時代の幕開けとしたいと思っています。

星を継ぐもの

テレビ東京の朝のビジネス番組「モーニングサテライト」の中に、経営者の愛読書を紹介する「リーダーの栞」というコーナーがあります。先日は、世界で最も先進的なプラネタリウム投影装置を開発している大平技研という会社の社長さんでした。私自身、プラネタリウムには久しく行ってないので、なかなかイメージが湧かないのですが、とにかく本物の夜空が出現する程の最高の技術とのことで、ギネスにも登録されているそうです。その技術開発者でもある社長の愛読書が、英国の作家ジェイムズ・P・ホーガンの「星を継ぐもの」でした。
SF小説の金字塔と言われている「星を継ぐもの」は、私自身、昨年読んだばかりだったので、とても印象に残っています。所謂冒険活劇的なSF小説ではなく、星や人類のルーツを探求する知的好奇心を刺激するものでした。夜、月や星を見ると、宇宙創成へのロマンと人類や自らの生命のルーツに思いを馳せますが、プラネタリウムの開発も(きっと)星や宇宙への強烈な憧れや探求心が為せる業なのでしょう。科学技術の日進月歩の発達は、人々の日々の生活を便利にしたり、人の心を癒したり、新たな経済を生み出したりと、人類の進化向上に大いに寄与しています。
けれども一方、科学技術は時に(意図せず)人の生命や自然界を傷つけてしまうこともあります。原子力発電や地球環境の汚染(温暖化等)もその中の一部でしょう。それまで(自らも)恩恵に預かりながら、事が起きれば、突如非難に転ずる理不尽さに、科学技術者たちは悩みを深めていると推察します。けれども時は進み、地球規模で様々な障害が発生しつつある今、科学の進歩(あるいは経済の発展)と自然界の正常化との折り合いを付けて行くべき時代に入って来たのは事実だと思います。
美しい夜空、たなびく雲、眩しい朝日、輝く夕陽、気持ちの良い風・・・普通の日々の中で感じられる素晴らしい自然の恩恵のひとつひとつを、私たち人間は決して忘れてはいけない。全ては宇宙創成からの創造物であり、人間が造ったものは何ひとつ無いのだから・・・。夜空の星を見ても、「星を継ぐもの」を読んでも、只そこに在るのは、宇宙や自然界への畏敬の念のみです。その「畏敬の念」こそが、これからの科学技術をより素晴らしい道へと案内してくれると信じています。
※ジェイムズ・P・ホーガン著 「星を継ぐもの」
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