

2013.08.06
長岡花火を見に行った前の週、宮崎駿監督の最新作「風立ちぬ」を観ましたが、この映画も戦争を描いていました。ゼロ戦の開発者である堀越二郎の人生と、堀辰雄の小説「風立ちぬ」を融合させた物語であり、(同時に)主人公の夢と現実を融合させた物語でもありました。主人公は飛行機に憧れ、飛行機の設計技術者に成りました。けれども自身の開発した素晴らしい飛行機は、「ゼロ戦」と呼ばれるように成り、戦争のために使われました。それでも主人公は、飛行機の開発に全てを懸けました。敵に勝つために。味方を守るために。愛する妻との生活のために。夢の実現のために。
ここに在る苦悩と葛藤は、爆弾と花火の物語と同様の構造です。創造する側と利用する側との間にある、どうしても埋まらない溝がそこには存在します。けれども創造する側は、そのような矛盾を遥かに超えた次元で、創造をし続けるのです。いつかきっと本当の使い方が分かる人間が出て来ると信じて・・・。
この映画の中の堀越二郎に悲壮感が無いのは、そのようなマクロな世界観を持っていたからでは無いでしょうか。二郎の見る夢の中で、尊敬するイタリア人飛行機製作者のカプローニと対話をし、普通の人々が様々な美しい飛行機に乗って楽しんでいる情景が出て来ますが、これは決して現実逃避では無く、いつか必ずやって来るであろう飛行機の未来図でした。だからこそ、普通の人々が飛行機に乗って楽しめる「今」という未来が実現したのです。
不治の病(結核)に冒されていた妻・菜穂子は、先に亡くなってしまいます。そして、残された二郎に向けて「生きて」と伝えます。二人の出会いを結びつけたのは「風」でした。風は空気の抵抗です。飛行機も空気という抵抗があって飛ぶことが出来ます。全ての愛も創造も、矛盾(抵抗、葛藤)の世界から飛び立つのです。その矛盾を受け入れる器の大きさが、次の時代を築く。困難と葛藤の中だからこそ、生きる意味と価値がある。それらを追求する行為の中にこそ「美」が宿る。
宮崎駿監督が、本作品の製作に入り、冒頭の「関東大震災」のシーンに取り掛かった直後、あの東日本大震災が発生したそうです。その前の作品である「崖の上のポニョ」では、すでに巨大津波と水没する街を描いていました。未来を予知する力が数々の作品を造らせているのではないか。このような厳しい現実世界に身を置きながら、今の自分自身に出来ることを懸命にやり続ける。仮にそこに大いなる矛盾や葛藤が含まれていても、その先にある未来図を信じて前へ進む。多くの人間が立ち止まっても、自分だけは前へ進む。そういう「矛盾の海」を泳ぎ切った先にしか、葛藤を超えられる場所は無いのだから。本映画は、そのような作者の心象風景を強く感じます。そして私も、その考えに大いに賛同したいと思います。
ちなみに「ゼロ戦」という名前の由来は、「ゼロ戦」が採用された昭和15年(1940年)が<皇紀2600年>に当たったからだそうです。下二桁が「00」ですので「零式」という名称になりました。「皇紀」とは、神武天皇の生まれた時を元年とする日本皇室の年数です。西暦に相当する日本の歴でした。そのような国家100年の節目の年に、世界最強と言われた「ゼロ戦」が生まれたのです。その後戦争には負けましたが、技術大国日本が誕生しました。
人生も仕事も国家も、常に矛盾と葛藤の連続です。多くの人間は、「それはおかしい」として、傍観者(批判者)の側に立とうとします。けれども本物の人間は、その矛盾や葛藤の中にあえて身を置いて、その先にある理想を信じながら、懸命に追求し続けます。風と共に消えて行った妻の最後の言葉「生きて」は、風の先の世界が「見えた」妻からの報告だったのではないでしょうか。「大丈夫。安心して、生きて。」と。矛盾と向き合い、矛盾を乗り越えながら、懸命に今を生き切る人間の未来は100%明るい。
2013.08.05
8月3日の土曜日に念願の<長岡花火>に行って来ました。昨年、大林宣彦監督の「この空の花~長岡花火物語」を観て以来、ずっと思い続けていたのですが、ちょうど3日のスケジュールが空き、前日に(急に)思い立って(妻を誘って)長岡へ・・・。長岡花火は年々観客数が増加しており、今年も過去最高のようです。きっと土曜日に当たったこともあるのでしょう。長岡花火は、観光用ではなく、あの長岡空襲で亡くなった方々への追悼と復興への祈りの祭事なので、毎年(空襲を受けた日の)8月1日から3日と決まっており、曜日は関係ありません。また私のように映画「この空の花」を観て、足を運び始めた人も多いでしょう。東日本大震災の復興への祈りも重なって、日本全体の復興のシンボルに成長しています。
花火が始まる前に、長岡市長さんからのご挨拶がありましたが、そのお話のほとんどが・・・戦争、長岡空襲、中越地震、東日本大震災、そして映画「この空の花」についてで、所謂普通のイベントの開会挨拶とは随分趣きが異なりました。ちょうど当日は(東日本大震災のガレキの受け入れにより深い絆が生まれた)岩手県大槌町の小学生16人も来ており、一緒に長岡花火を鑑賞したそうです。このようにして、復興への思いはつながっています。
また花火を観る前に、長岡駅の近くにある「長岡戦災記念館」に行きました。映画の中で、松雪泰子が訪れた場所です。昭和20年8月1日の午後10時30分、B29による焼夷弾爆撃が始まりました。この空襲により1,480人の尊い生命が失われました。映画では、母親の背中で亡くなった、1歳半の女の子が主人公でしたが、それも実話です。その子は、B29の音が聞こえると「ブン、ブン」と言っていたそうです。記念館には、長岡空襲に関わるものが多数展示されていました。決して大きな資料館ではありませんが、「長岡空襲を忘れない」という市民の思いがいっぱい詰まっている場所でした。
でもなぜ新潟でなく、長岡だったのか。それは新潟が「原爆投下予定地」だったからだそうです。そのため、新潟より小さい長岡の方に、先ず焼夷弾爆撃を行い、その後新潟へ原爆を落とす予定でした。もし広島、長崎の後も戦争が続いていたら、新潟にも原爆が落とされていたのです。歴史の事実の重さを感じました。
それから信濃川まで歩く途中、「平和の森公園」にも寄りました。ここも映画の舞台になった場所です。そこにある「平和像」は、長岡空襲で亡くなった1,480名の中にいた280名あまりの学童の霊を慰めるために設置されたものです。これを見た時、先日行った沖縄の「ひめゆりの塔」を思い出しました。子どもたちはなぜ死ななければならなかったのか。なぜ大人たちが起こした戦争の犠牲に成らなければならなかったのか。「平和の森公園」は、多くの人が亡くなった柿川に面しています。柿川は、今は小さくて穏やかな川です。でもあの日の柿川は、真っ赤に燃えていたそうです。私たちは、今の「穏やかな川」しか知りません・・・。沖縄、長岡、戦火に見舞われた土地を見ながら、もう一度、戦争と平和について真剣に考えてみようと思いました。
花火会場となる信濃川の土手に向かいました。もう大変多くの人々が歩いていました。土手に上がって誘導のままに歩いて、うまい具合に芝生の良い場所に座れました。途中で(芝生に敷く)シートを買うために、土手に近い場所のスーパーに寄ったら、もう怒涛の込み具合で、20列くらいあるレジに長蛇の列で、シート1枚買うのに30分以上も掛かりました。それくらいの混雑なのに、何となく人々の動きは整然としていて、静かで、落ち着いていました。
花火大会は、毎年2発の「白菊」から始まります。1発目は、長岡空襲の犠牲者への追悼。2発目は、真珠湾攻撃の犠牲者への追悼。いろいろな理由があるにせよ、両者に対する追悼ができる国が日本です。そして今年は、もう1発(計3発)の「白菊」が上がりました。今年の夏の豪雨により、長岡をはじめとする日本各地の水害で命を落とされた方々への追悼の為です。この「白菊」打ち上げの前、(花火会場では)今回の水害で亡くなった方々への「黙祷」を行いました。単なる観光用のイベントじゃない・・・。本当にそうでした。
花火の素晴らしさは言葉では表せません。観ている瞬間も素晴らしかったですが、むしろ終わってからの方が、感動の波が押し寄せて来ます。確か映画でも「花火がキレイなのは、夜が暗いから。花火が消えた後の夜には、心の明かりが燈る」という様な言葉がありました。その意味がやっと分かりました。関東地域では打ち上げが禁止されているという直径90cm、重さ300kgの「正三尺玉」も上がり、その巨大な大きさと音には驚きました。私たち人間は、この技術を戦争に使ったのですね。これを戦争に使ったら、どういうことに成るのか。私たち人間は、そのような「想像力」を奪われてしまったのでしょう。「長岡花火」を描いた山下清の言葉「みんなが爆弾なんかつくらないで、きれいな花火ばかりつくっていたら、きっと戦争なんておきなかったんだな」は、世界中の人々への戒めと成りました。
長岡花火のクライマックスは「フェニックス花火」です。これは2004年に起きた新潟県中越大地震からの復興のために、市民が一丸と成って打ち上げた壮大な花火で、おそらく世界でも類を見ない規模と美しさを誇ります。私たちの観覧ポイントがちょうど「フェニックス」の正面でしたので、ビデオの撮影も大変でした。つまり、この「フェニックス」は、横一列に並んだ約10カ所くらいの地点から、同時に同じ花火が打ち上げられるもので、目の前の空がすべて花火で埋め尽くされてしまったのです。しかも同じタイミングで同じ花火が、きれいに横一列で同時に咲くので、本当に圧巻。タイミングがズレないだけでも素晴らしく、まるでシンクロナイズトスイミングの演技の様な「美」がありました。音楽は平原綾香の「ジュピター」で、花火で感動して涙が出る経験は初めてでした。この「フェニックス」の力で、中越地震からの復興は進み、今や東日本大震災の復興のシンボルにも成りました。
そして、その後の花火「この空の花」もとても良かった。映画の公開を機に、昨年から打ち上げられることに成ったものです。久石譲作曲のテーマ音楽に乗って、たくさんのキレイな花火が上がりました。小さな可愛い花火がたくさんたくさん重なり合って、まるで小さな花々が次々と咲いているようで、とても美しかったなぁ。きっと、あの空襲で亡くなったたくさんの子どもたちへの祈りと「また生まれて来てね」という願いの様な気がしました。
花火の技術も時代と共に進化しているようで、今や打ち上げ装置はIT技術が駆使されています。すでにプログラミングされた通りに打ち上がる仕組みなので、先程の「フェニックス」等も数秒の狂いも無く、見事な一致ができるのでしょう。日本の花火技術は、花火師とITテクノロジーの融合によって、世界でNO1です。この技術を「花火」に使える幸せを、私たちは心の底からかみしめなければなりません。そして子どもたちの未来のために、それを守り続けて行こう。大人たちの大切な使命として。
そして花火大会(約2時間)が終り、駅まで歩きました。本当に多くの人々が、あちらこちらから出て来て、駅に向かいます。花火会場はもちろん、途中の道でも、きちんと誘導員さんがいて、親切に整理してくれました。長岡駅の手前からは、駅へ入るための誘導(順路)もあり、数万人(?)の行列を、多くの警察官や駅員さんが穏やかに誘導し、みんなもゆっくりとですが、何事もなく、静かに駅へ吸い込まれて行きました。毎年の事とは言え、このような誘導管理の素晴らしさには驚きましたし、花火見物客のマナーの良さと落ち着きは、先の東日本大震災で見せた日本人と驚くべき資質と重なって、とても嬉しく誇りに感じました。多分きっと<長岡花火>の願いと祈りが、みんな心の中のどこかで生きているのではないかと想像しました。もう戦争はやめよう。平和を築いて行こう。戦争や地震で亡くなった方々への追悼と感謝の思いを持ち続けよう。絶対にいつまでも忘れない。みんなで仲良くして行くから・・・。終わってから、心の明かりが燈る花火。これからの日本と世界について、また考えてみようと思いました。
2013.07.30
今年の1月に公開されたアン・リー監督の映画「ライフ・オブ・パイ/トラと漂流した227日」をDVDで鑑賞しました。本当は映画館で観たかったのですが、つい見逃してしまい、やっとです。この映画はアカデミー監督賞や撮影賞等を受賞した、映像の美しい冒険映画として話題に成りました。でもそれは違いました。この作品は決して単なる「冒険映画」などでは無く、「人間の持つ根源的な本能」と「宗教を超えた真の神、大自然」を描いた、人類の深層部分に迫る一大叙事詩だったのです。
物語は、動物園の動物たちを連れてインドからカナダへ(貨物船に乗って)移住しようとする家族が、大嵐で船が難破し、家族の中で唯一生き残った少年が救命ボートで(227日間)漂流するというものです。そのボートには、獰猛な虎も乗っていました。よって少年と虎のサバイバル(冒険)が本映画の主題と成りました。映画の内容や結末については、詳しくは書けませんが、ただ、懸命に生きようとする人間のことを、神(あるいは太陽)は間違いなく見守っている。善悪を超えた「視点」で、その人の「全て」を包み込んでいる。厳しさも優しさも、同時に与えている。人間はそのような「航海」の中で、激しく葛藤しながらも、「生きようとする」ことで、生かされ、救われる。
この映画に登場する虎はほぼ全てCGで作られています。あまりにも現実離れした美しいシーンも連続します。それは、ただ単に映像的な技術を駆使したいが為ではなく、人間にとっての現実とは(事実を超えた)脳内に宿る「思考の世界」だからかもしれません。そして最後は、全てを受け入れ、「事実」に回帰し、人間は遂に葛藤から脱出します。映画の中で、「人生とは手放すこと」と語られますが、一体何を手放すのでしょうか。それは、自己の善悪を認め、正当化する自分自身(自我)を捨てることでしょうか。そこから湧き上がる涙こそが、人生の真の成果物なのでしょうか。
神から見たら人間なんて(当然)未熟者でしょう。善も悪も持っています。そして「生きる」とはまさに熾烈な葛藤の連続です。でもこの「葛藤」の中にこそ、生きる意味があり、目的があるのではないか。この映画の主人公の少年の名前はパイ(π)と言います。円周率(3.14・・・)ですね。ですので、割り切れません。でもその永遠に「割り切れない(=葛藤)」中で、「葛藤を乗り越えよう」「懸命に生きよう」とする行為こそが最も美しく、最も尊いのかもしれません。この映画の美しさは、人工的です。それは思考の世界の映像化だからです。懸命に生きようとする人間の「心」を映像に転写したものです。だから、これは冒険映画ではありません。誰の心の中にも宿る、美しい良心の映像化だと思います。
以上、「ライフ・オブ・パイ/トラと漂流した227日」の印象を書きました。結局全ての人間の人生も、自分自身の(たった一人の)航海なのだと思います。その航海の最中で、様々な困難や葛藤が起きます。その経験=人生ならば、その困難や葛藤を(自ら)抱きしめてあげれば良い。どんなに酷い嵐も時間が経てば(必ず)終わります。そして穏やかな海が現れ、優しい太陽が顔を出します。その繰り返しです。大嵐(極限状態)の中で、「私は懸命に生き切る」と心に決めること。そうそれば、「恐怖」は(振り返らずに)去って行き、「勇気」と化して(自身の中で)生き続けるのでしょう。
さて、映画には(どうも)2種類あるようです。1つは、(その物語世界の中で)現実に起こる事(目に見える事実)だけを追う手法。これはリアリズムやリアリティを大事にするものです。もう1つは、登場人物の夢や思考の世界までを「現実」として捉える手法。あるいは「作り物」である事を隠さない手法。つまり「嘘か真か」の境界線が曖昧なものです。一般的な映画やドラマのほとんどは、前者です。それが一番分かりやすいからです。でも時々、後者の作品も生まれます。
例えば英国の映画監督、デビット・リンチの作品の多くは後者に属します。それは主人公の脳内にある思考(幻想、理想)までを当然の事実として描きますので、現実との乖離が起こります。よって非常に難解な映画に成ります。でもそこが面白いところでもあります。私の好きな「マルホランド・ドライブ」などは、何回見ても様々な解釈が生まれます。映画全編で映しだされていた物語とは全く違う本当の物語(事実)が(後に)分かるからです。その事実の物語を全く「描いていない」にも関わらずです。そして「ライフ・オブ・パイ」も、こちら側の映画に属します。これも「精神」と「思考」の物語だったからです。
翻って私たちの人生はどうでしょうか。多分きっと、起きた事実に対する「感情(思考)」までを現実のものとして含めていないでしょうか。起きたことは単なる事実であって、本当は「中立」のはずなのに、その事実に対する様々な「観念」を加えて、自分だけの(偏った)現実社会を造りあげています。要は起きたことにレッテルを貼っているのです。起きたことはただの「事」に過ぎないのに。起きたことを素直に(無色透明に)受け止め、感謝し、その対応(=方法論)を淡々と進めて行く。それこそが「懸命に生きる」ための究極の武器かも知れません。パイ(π)は「生命の危機」あるいは「虎」との葛藤に、素直に、正直に、真剣に向き合い、極限状態を乗り越えました。目の前で起きている事実の「本質」だけと向き合い、受け入れたからでしょう。
私たちは、何かが起こると、その事実に対していろいろなレッテルを貼ります。それは良いことだ。それは悪いことだと。そのような評論家的発想から抜け出したところに本当の答えはあるのかもしれません。大切な事は、「良い」「悪い」の自己評価(色付け)では無く、どこにいようが、何が起ころうが、常に「最善を生きる」「懸命に生きる」「良き人生を歩む」「課題を解決する」という「力の方向性」を持つことでは無いでしょうか。今は大量の情報を手に入れることが出来る時代です。でも、それらに振り回されるのではなく、「今」「目の前で」自分自身に起きている現実にこそ意識を集中する。多分きっと、本当の答えはそこにしかないのかもしれません。パイ(π)のような極限状態に陥ると、人間は不思議(不可能)な力を発揮します。それは、目の前の巨大な現実だけと対峙せざるを得ないからでしょう。本当に必要な情報は、実はすでに自分自身の中に膨大にあるのではないでしょうか。
仕事は人生の一部です。仕事は、自分自身の中に在る本当の力(情報)を呼び起こすのに最適です。何もパイ(π)のような極限状態を味わう必要はありません(味わいたく無いですよね)。日々の仕事や生活の中に在る困難と向き合い、乗り越えて行く経験の蓄積こそが、自らの人生を形成して行きます。だから、仕事とは「自分自身を成長させる為のもの」であり、会社とは「社員の人格形成の場」であると思うのです。「π」は決して割り切れませんが、(割り切れるまで)永遠に続きます。私たちの人生も同じです。
2013.07.25
先日行われた参議院選挙の前に、日銀は景気判断を上方修正し、「緩やかに回復しつつある」と発表しました。アベノミクスに対する世間の評価は「賛否両論」あります。「長引くデフレが終わりホッとした」「景気が良く成って来た」という人もいますし、「未だ景気回復の実感は無い」「物価が上がって来た」「消費増税は困る」「原発反対」という人も多いです。ただ(仮に一時的にせよ)「デフレから脱却することができた(ようだ)」という点においては、まだ日本は守られていると感じます。もし未だデフレ圧力が継続していたならば、国全体がさらに収縮していて、景気回復の実感の「有無」さえ言い合える状況では無かったと思います。
よって問題はこれからです。景気回復が日本全体に行き渡っているわけではありません。今回の「穏やかな回復」も、「異次元の金融緩和」というある種の「投薬効果」によるもので、未だ本質的な「治癒」に成っているわけでもありません。(今後は、逆に)インフレに対する懸念も生まれて来るでしょう。要は、先ずは「生命」を救うことはできたが、本当に元通りの「健康体」に成れるのかどうかだと思います。
今回の参議院選挙は(やはり低い投票率でしたが)、当面の景気回復を優先させた結果ではないでしょうか。世界的にはまだデフレ状態が続いていますので、日本が今すぐ急激なインフレに成る可能性は少ないでしょうし、(自民党が単独過半数に届かなかったので)憲法改正論議も多少は遠のく可能性もあり、やはり国民の期待である「景気回復」に一点集中すべきと思います。「みんな」が好況を実感できる状態を早く造ること。そのためには、消費増税の判断や行政改革も含めて、たくさんの課題が残っています。
私が今後の日本に期待しているのは「観光立国」というテーマです。今朝の日経新聞に、2013年上期の訪日外国人客数が過去最高(495万5千人)と成り、年間1,000万人の政府目標に近づいて来たとありました。日本の強みは、「技術力」と「国民性」にあると思っていますが、もう1つ「観光立国」という希望も残っています。富士山や伊勢神宮を始めとする(西洋にも他のアジアにも無い)今現在も光輝いている聖地があります。皇居もそうかもしれません。そして大自然の山々。数々の文化的な遺産。減少しつつありますが「里山」や「古里」も、まだまだ多く残っています。いずれも、世界中のどの地域とも違う、穏やかで、優しくて、思いやりにあふれた風景です。
高度成長の流れに乗って、私たちは日本の原風景を壊して来ました。それは、先ずは経済成長を優先させた結果からでしょう。でもそのおかげで、私たちは現在とても便利で快適な暮らしを享受しています。よって過去を否定する意味は無いと思います。けれどもこれからは(経済成長のためにも)日本の風景を再生(新生)し、世界中の人々が日本へ足を運び、日本を体験し、日本人と触れ合い、日本を尊敬することを望みます。結果的に日本全体の経済成長にも結びつくはずです。同時に農業や林業の再生にも連動するでしょう。そうです、「観光立国」という視点を置くことで、日本の持っている強みを生かしながら、経済成長と自然再生を同時に手に入れるのです。日本は、それだけの巨大なポテンシャルを持っているはずです。
経済成長は時に下降することがあります。けれども大自然は決して変わらない価値を持ち続けます。先週末、沖縄へ行って来ましたが、鉄筋コンクリート住宅も木造住宅も、同じような「赤瓦」の屋根がとても印象的でした。沖縄の歴史や文化を象徴する赤瓦の家やマンションを観ると、これも1つの美しい風景と感じます。日本の場合、観光地は良いのですが、それ以外の普通の街並みに美しさが無く、諸外国の街並みから劣って見えます。要は「観光立国」にするとは、決して観光地を開発するだけでは無く、普通の街、普通の里を美しくすることでもあります。
そういう意味で、建築の新たな役割も生まれて来るでしょう。確かに1軒1軒の家は、個人の財産であり、他人には無関係です。けれども外観は、それ自体が公共の財産であり、街の価値を大きく左右します。日本中を美しくするために、みんなで(長い時間を掛けて)取組むのです。世界一の技術力(ハード&ソフト)で世界の繁栄に貢献し、日本人固有の親切な国民性で人々を救い、美しく光る国土で世界中の人々を感動させ、そして癒す。結局それは日本全体の経済を刺激するでしょうし、日本人一人ひとりの人間性をも成長させるでしょう。そして世界から尊敬され、喜ばれる国に成ると思います。
時間を掛けて改革する力こそが本物だと思います。一本の木が育つのに40年以上掛かります。ひとつの森を再生するのに100年以上掛かります。自分が生きている間には結果は出ません。けれども過去を生きた先人たちは、未来の子ども達のために、そのような地道な努力をして来たのです。沖縄の広大な「平和祈念公園」に行き、戦争で生命を落とされた多くの方々の墓碑を見つめた時、平和を築くのには長大な時間が掛かるのだと感じました。だからこそ一歩一歩平和を実現して行かなければならない。現代を生きる私たちは、そろそろ原点に戻って、自然を愛し、先祖に感謝し、未来への土産を造る時が来たのでは無いでしょうか。そのような意識が生まれた時、日本は本当の「健康体」と成って、生かされるのではないかと思います。
PS.大好きな映画、「この空の花~長岡花火物語」の大林宣彦監督が、次回作の撮影をすでに撮り終えたそうです。今度の映画「野のなななのか」は、北海道の芦別が舞台です。東日本大震災から2年。日本の古里と日本人の心を再生する、きっときっと素敵な映画に成るでしょう。ちなみに今回の映画も、「この空の花」同様に、戦争秘話を扱っているようです。いま公開中の宮崎駿監督の「風立ちぬ」も、ゼロ戦の開発者の物語です。今こそ過去の戦争を思い出し、亡くなられた方々を追悼して、戦争の無い平和な世界を実現する時なのでしょう。ちなみに私の父(会長)の古里は、芦別のすぐ隣の滝川です。何か縁を感じます。大林監督の芦別映画、今からとても楽しみです。
2013.07.10
今月は参議院選挙です。けれどもきっと投票率は低く成るのでしょう。先日の東京都議選挙も非常に低い投票率でした。組織政党にとっては、投票率が低いことがプラス効果に成りますので、なかなか投票率を上げるためのシステムは進みません。ただ今回からインターネットでの選挙活動が解禁と成りましたので、多少の期待は持っています。どこが勝つか負けるか以前の問題として、最低でも60%以上(理想は70%以上)の有権者が参加する選挙が行われて欲しいと思います。その結果が国民の総意に成ると思いますし、国民の期待でもあり、ある意味においては国民の責任にも成ります。国の未来を決めるのは、やはり国民です。マスコミやメディアが正しい情報を提供し、その上で有権者が正しい判断を行う。その連続によって、国の未来は定まって行くのでしょう。
最近、またDVDでギリシャのアンゲロプロス監督の映画を2本観ました。「シテール島への船出」と「エレニの旅」です。共にギリシャの戦争と内戦の歴史の中で懸命に生きた人々を描いた作品です。「霧の中の風景」同様に、とても美しい映像と長回しの撮影手法が、その時代を生きた人々の内面にゆっくりと侵入して行きます。物語としては(もちろん)悲劇なのですが、そこには「悲劇」を俯瞰する「ある種の視線」が内在しているように感じます。それは決して「冷めた」視線では無く、あくまで「覚めた」視線です。かつてギリシャ人が体験した、過酷な道程(旅)を俯瞰する「眼」です。その眼を画面に「入れる」ためには(どうしても)とても広くてとても長い「絵」が必要だったのかもしれません。通常の人間の生理では受け付けられない程の「距離」と「時間」が無ければ、その「眼」は画面に収まり切らなかったのではないかと。
「エレニの旅」では(屋外セットで)川沿いの荒野に1つの村を実際に造り、映画の終盤では、その村を全て水没させます。もちろんCGではありません。商業映画に成るはずの無い1本の作品のために、これだけのコストと労力を費やすアンゲロプロフ監督とは、一体何者なのか。少なくとも、自国の歴史を俯瞰しつつ、新しい時代を切り拓こうとする「志」は本物だったのではないでしょうか。残念ながら、昨年交通事故で亡くなってしまいましたが、残された作品は永遠に生き続けるでしょう。まだ未見の作品がありますので、今後も探して、観て行きたいと思います。
そしてギリシャは(現在も)財政的に厳しい状態が続いています。もちろん世界全体もそのように成っています。政治、経済、環境、社会・・・あらゆる物事が曲がり角に来ているのは間違いないでしょう。日本も同様に、今回の選挙結果によって今後の大きな方向性が決まります。同時に、私たちの経済活動の流れもさらに見えて来ます。確かに楽観は禁物ですが、新しい流れが生まれて来たという意味においては、「変化」は大歓迎です。日本は様々な困難と遭遇するたびに強く成って来ました。今回の「困難」はかつて無い程の「飛躍」を生み出す可能性があると思います。建設業界においても、「スクラップ&ビルド」の流れが下降し始め、「保守&修繕」へ変わって行くでしょう。今はアベノミクス効果で(一見)建設投資が回復しているように見えますが、大きな流れにおいては「保守&修繕」に向かうはずです。ここを見誤ると、また同じ時代を繰り返し、いつまでも抜け出せない罠に陥ります。
目先のミクロの動きだけに捉われず、長期のマクロな動きも感じなければならない。予測しなければならない。視界に入れなければならない。アンゲロプロス監督の映画のように、「とても広くてとても長い」視座を持つこと。そういう視点で経営を行い、仕事を行い、生活を行い、選挙を行う。私たちは、少し物事を「とても狭くてとても短く」見過ぎていたのかもしれません。もう少し「引き絵」で観て、俯瞰しなくてはならなかったのに。そのような高くて遠い視点(ビジョン)を持って、あらゆる意志決定をして行く時代に成ったと思います。最終的は自分自身を俯瞰すること。つまり、自身の良心と向き合うこと。そこにしか本当の答えは無いのかもしれません。
2013.07.09
先日の良き日、お祝い事が2つありました。お昼は、当社が施工させていただいたお寺様(分院)の落慶式で、法要と食事会にご招待をいただき、会社への感謝状と工事所長へのご祝儀を頂戴いたしました。そこで工事所長に対するお褒めの言葉もいただきました。(当社の施工範囲外の)隣接する墓地の建設作業にも(汗を流して)協力をしてくれてとても助かった。本当にありがとうと。ご近隣とも調和して、多くの関係者から喜ばれたことは、とても素晴らしい成果でした。お客様、ご近隣の皆様、そして社員さん、協力業者さん、本当にありがとうございました。
夜は個人住宅の上棟祝いでした。お施主様が美味しいお寿司屋や手料理やワインをご用意いただき、大工さんと一緒に、楽しい会食に成りました。終わった後も、お施主様から「こうして皆さんと一緒に食事をしながら、いろいろな話ができて、本当に良かった。こういう場を作ってくれて本当にありがとう」とおっしゃっていただきました。こちらこそ、このような会席をご用意いただき、心から感謝しています。最後の完成に向けて、誠心誠意努めてまいります。
さて、その上棟祝いの際、あるエピソードがありました。お施主様が新築の家の屋根裏に貼り付ける為の「木の板」を持って来ました。その板には、あるお寺さんにお願いしてたくさんの文字が書かれていました。日蓮宗のお寺なので、「南無妙法蓮華経」等のいろいろなお経が書かれています。そのお寺とのご縁ですが、お施主様のあるお知り合いの方が(ある晩)夢を見たそうです。その夢は、「龍神の社」をどこそこのお寺に建てなさいというお告げだったそうです。夢を見た方は、そのお寺を探して行き、夢の話をしました。そうしたところ、お寺の住職から「あなたのことを○○○年、お待ちしていました」と言われ、そのお寺は「龍神の社」を建てました。そのようなお話を(そのお知り合いから)聞いて、お施主様もそのお寺とのご縁が出来たそうです。「木の板」は、加子母の木です(当社から加子母さんにお願いしました)。つまり加子母の木に、「龍神」とご縁のあるお寺さんがお経を書いた訳です。
さて話は6月末に行われた「第12回:加子母森林ツアー(25名参加)」に飛びます。ツアー当日は(台風の後で)2日間とも「快晴」の予報でした。その予報通り、加子母到着まで本当に素晴らしい天気でした。ところが加子母に着き、みんなが建物に入ったとたんに、突然の大雨が降って来ました。みんなもびっくりしながら、「大変だ」と思って窓の外を見ていました。ところが、山へ行く時間に成った瞬間、ピタッと雨は止み、先ほどまでの快晴に戻りました。以降、全行程が終了するまで、素晴らしい天気のままでした。ツアーには(上棟祝いをされた)お施主様も参加されていました。
私はその時、「ああ、龍神様だ」と感じていました。龍神様が喜んでお出迎えする時には、必ず「ひと雨」降らせると聞いていたからです。確かに今までも数回そのようなことがありました。だから突然の大雨が来た時も「龍神様、ありがとうございます」と思い、「すぐ止むから大丈夫」と安心していた訳です。
実はこの時、でもなぜ今回のツアーに龍神様が出て来られたのだろうと思っていました。こんなにピンポイントでの大雨のご挨拶をいただいたのは初めてだったからです。そこで先ほどの「木の板」の話です。加子母の木に龍神様と縁あるお寺の文字が書かれました。その本人であるお施主様が加子母に(初めて)着いた瞬間、大雨が来ました。つまり、加子母の龍神様が(龍神様と縁あるお施主様への)歓迎の挨拶をされたのではないだろうか。上棟祝いの席で、お施主様から龍神と木の板の話をお聞きし、やっとつながったのです。
もう1つ、変なことがありました。ツアー2日目の早朝、お施主様のコテージのドアを誰かが「トントン」と叩いたそうです。お施主様は、私だと思って「どうぞ~」と声を掛けました。けれども返事が無いので、ドアを開けて外を見たら、まわりには誰もいなかったそうです。もちろん私も、早朝にお施主様のコテージには行ってません。「変だね」って言う話で終わってました。でも、よく考えてみたら、「龍神様だっだのか・・・」と感じます。伊勢神宮の御用材の山、加子母ではこのような不思議な事が起こるのかもしれない・・・と、ちょっと嬉しい気分に成りました。
ついでに、もう1つの不思議な話題です。今、「奇跡のリンゴ」という映画が公開されています(阿部サダオ、菅野美穂主演)。これは「絶対に不可能」と言われて来たリンゴの「無農薬栽培」に遂に成功した(青森県中津軽郡の農家の)木村秋則さんの実話です。木村秋則さんの「奇跡のリンゴ」のお話はとても有名で、たくさん本も出て、またNHKの「プロフェッショナル~仕事の流儀」にも紹介されて、その後の農業の変革にも結びついています。
けれども、この実話が映画に成ったと聞いた時、「本当かな」「大丈夫かな」と感じたのです。なぜかと言うと、この「奇跡のリンゴ」の物語の背景にある真実まで描けるのだろうかと。否、描いて大丈夫なのかと。この木村秋則さんの無農薬リンゴに関する本が(数冊)出た時、私も2冊ほど読みました。自然農法と木村秋則さんの苦闘の人生に興味を持ったからです。
1つ目の本は、まさに木村秋則さんの壮絶な人生を(ライターさんが)綴ったドキュメントでした。10年にわたって挑戦し続けた「リンゴの無農薬栽培」が上手く行かず、お金も1円も無く成り、命を断とうとロープを持って夜の山に行きます。そこで果実を実らせた1本の樹を見つけ、遂に答えを見つけます。そのような命を掛けた感動の物語でした。
でも私がより感銘を受けたのは、もう1冊の本でした(タイトルは忘れました)。これは(確か)木村秋則さん自身が書いた本です。そこに書かれていた事実こそが、「映画にできるのかな」と思った内容でした。つまり、この「無農薬リンゴ」の物語には、「見えない世界」が関与していたのです。木村秋則さんは、「龍(!)」に会っています。「UFO(!)」に乗っています。「宇宙人(!)」に会っています。「無農薬のリンゴ」は、そのような目には見えない存在からの応援があって、実現しています。そう「本人」が語っていたのです。
こう聞いただけで「眉つば」と思う人が多いでしょう。でも、もしそうであるならば、あえてそんな「ウソ」を言う必要があるでしょうか。「自分の努力で」と言えば良いのに・・・。不可能を可能にするには、きっと何かしらの「目には見えない力」が(間違い無く)関与していると思います。それが、具体的な形で「目に見える」人もいるのでしょう(木村秋則さんのように)。でも「目に見えないから、応援されていない」と言う訳ではありません。私たちもきっと、懸命に(何かに)取り組んでいる最中、必ず「見えない力」に応援されているはずです。
でも「見える」ことが重要なのでは無いと思います。むしろ「見えてしまう」ことによって、その「奇異さ」に心を奪われてしまい、堕落して行く人もいます(多くの霊能者のように)。ですから、見えなくても良いのだと思います。けれども「見えないけれど、きっと何か(誰か)が応援してくれている」と信じることは大切だと思います。木村秋則さんの場合は、あまりにも極限状態に陥ったため、「見えてしまった」のだと思います。そして龍や宇宙人が「応援者」として物質化したのではないでしょうか(想像です)。
私たちは、今この瞬間も「目には見えない存在」に守られ、応援されているような気がします。それは木村秋則さんだけでなく、全ての人間がそうです。見えなくても良い。感じること。信じること。そして感謝すること。だって、陰で応援してくれている存在がもし本当にいるならば、その相手から「応援してくれてありがとう」と言われたら、嬉しいじゃないですか。嬉しければ、もっともっと応援したくなるはずです。だから結局、「感謝」が自分自身を救うのではないかと思います。
その後、私はこの映画を観ました。とても素晴らしい映画でした。感動しました。もちろん、龍もUFOも出て来ませんでした。でも、そういう映らない存在を感じることは出来ました。多くの成功者が、後に成って「実はあの時・・・」と、不思議な話をすることが多いです。その時は、「頭がおかしく成った」と思われてしまうので、あえて言わないだけなのでしょう。日本も今は厳しい状況の中に在りますが、でもきっと何か「目には見えない存在」に守られているのではないかと感じます。それは、私たち日本人の人間性の総和が、その力を呼んでいるのではないでしょうか。その力からもっともっと応援をいただくために、私たちはもっともっと人間性を磨かなければならないと思います。そして、もっともっと感謝しなければならない。丸二の経営理念の根幹は「感謝」です。そして私たちは、住む人を「応援」する建築を造り続けたいと思います。
2013.07.08
最近、イタリアのオペラ作曲家ヴェルディの「レクイエム」をよく聴いています。ヴェルディはワーグナーと同年生まれで、今年が生誕200年に当たるのですが、私は今までヴェルディをほとんど聴いたことがありませんでした。特に理由はありませんが、ドイツオペラのワーグナーが好きでしたので、何となくイタリアオペラに関心が無かったのでしょう。クラシック音楽もまだまだ奥が深くて広いですね。ヴェルディの「レクイエム」は、タルコフスキーの映画「ノスタルジア」の冒頭に使われていて、その数分間だけで魅せられたのです。その後いくつかのCDを聴いて、とても好きに成りました。
「レクイエム」と言うと、モーツァルトとフォーレ、そしてこのヴェルディが有名ですが(3大レクイエム)、それぞれ全くタイプも雰囲気も違い、個性的です。中でもヴェルディのものはオペラ的な壮麗さと美しい旋律に溢れていて、約80分間と長丁場ですが、とても感動的な音楽に成っています。「レクイエム」とは「鎮魂」という意味ですので、死者に対する祈りの音楽です。けれどもそこには変な暗さは無く、むしろ希望の光を感じます。日本的な言葉で言うと、「先祖供養」なのかもしれません。日本では「レクイエム」に相当するような音楽やミサは無いと思いますが、例えば毎日、仏壇に線香をあげて、御先祖様を「思う」行為はあります。
日本の場合は(このような家の中の日常生活の中に)先を生きた家族を思い、感謝を伝える文化が生き続けています。その祈りと感謝は、1つの大きな力と成って、今の日本を支えているのかもしれません。今、私たちが生かされているのは、御先祖様がいたからですね。日本人の素晴らしさとは、このような御先祖様や大自然への感謝の心が(ごく当り前の様に)体中に染みついていることではないでしょうか。そのような基礎があるから、西洋の「レクイエム」に対しても、ごく自然に共鳴できるのだと思います。だから毎朝、仏壇に(感謝の心を込めて)線香をあげながら、「日本人って素晴らしいなぁ」と感じるのです。
けれども、先祖を「思う」とは、決して暗くて悲しいことではありません。今の自分自身のルーツへの感謝であり、「見えない世界」への(日々の)ご挨拶のようなものです。例えば、富士山が世界遺産に登録されましたが、富士山を「単なる山」としてしか見ない日本人はいないでしょう。明らかに「何かが在る」と感じているはずです。「霊山」としての富士山を(心の眼で)観ているからです。太陽もそうでしょう。美しい朝日や夕日を観ると、自然に手を合わせる自分自身がいます。目には見えないけれど、きっとそこには何かが在る。その最も身近な存在こそが御先祖様であり、その「見えない世界」へのご挨拶こそが、毎朝仏壇に線香をあげることだと思います。その時の心の様相は、とても明るく、爽やかで、清々しいものです。
ところで富士山が世界遺産と成り、今後は登山客が増えて行くようですが、私自身としては、所謂「霊山」に(人間が)軽々しく足を踏み入れて良いのだろうかと考えてしまいます。誰もが「何か在る」と思う山は、きっと「霊山」であり、そこは神聖な場所のはずです。決して汚しては成らない場所です。観光気分で多くの人間が足を踏み入れて行くことを、富士山自身が望んでいるのだろうか。ふと、そんなふうに感じるのです。例えば、ある程度の金額の入山料を取るなどして、山の管理を徹底することが大事だと思います。それが日本人「らしさ」のような気がします。「見えない世界」を信じて、畏れ、敬意をはらえる日本人として。
けれども最近は、仏壇や神棚を置く家が少なく成ったようです。それでも住宅のプランニングの際には、仏壇を置くスペースについてのご相談をいただくことも多いです。目に見えない世界を意識する人は、確かに少なく成ったけれども、決してその文化が失われたわけではありません。あの東日本大震災の追悼の願いと祈りは、きっときっと、自分自身のルーツに対する供養へと結びつくでしょう。そして、かつての素晴らしい日本文化を復興させる時が来るに違いありません。
かつて、日本の家には大黒柱と仏間がありました。日本人にとって、家とは「生活」そのものであり、生活とは「感謝」そのものだったと思います。今の家族と過去の家族への感謝の心が、実は大きな「大黒柱」と成って、家系を支えていたはずです。その(一人一人、一家一家の)感謝の「総和」が、国を支えていたはずです。今の日本、確かに財政は厳しいですし、景気も悪く、問題も山積しています。けれども、世界を見回してみて、日本ほど「安心できる国」は無いはずです。結局、最終的には国民性です。「感謝」と「和」でまとまる日本が最強です。「目に見えない世界」への感謝の心を醸造していたのが「先祖供養」という行為であり、「家」という場ではなかったか。イタリア人のヴェルディの「レクイエム」から、随分話が飛躍してしまいましたが、やはり日本は素晴らしいと言うことです。
2013.06.10
昨日は地域の家族会で、「スパリゾート・ハワイアンズ」に行って来ました。現在の名前は格好良いですが、昔は「常磐ハワイアンセンター」と言って、行ったことは無いけれど、誰もが知っている地方のレジャー施設でした。ここは、かつて炭鉱の村として栄えていましたが、時代の波の中で閉鎖に追い込まれ、人々は働く職場を失いました。そのような危機的状況の中、この村を再生しようと女性たちが立ち上がり、村を「常夏の楽園」にし始めました。今まで炭鉱の村で働いていた普通の女性たちが、ハワイのフラダンスを練習し始め、村の人々の反発に合いながらも、遂に「常磐ハワイアンセンター」の初日を迎えるという波乱万丈の実話は、映画「フラガール」で感動的に描かれています(松雪泰子、蒼井優主演)。
以前、この映画を見た時に感じたのは、会社を「炭鉱業」から(全く畑違いの)「ハワイアンセンター」に変えてしまった(炭鉱会社の)経営者の突飛な発想力でした。未だに炭鉱業にしがみつこうとする村の人々からの猛反発を受けながら、「でもこれしか無いんだ」という思いを持って、東京からフラダンスの先生を呼び寄せ、「フラガール」のチームを造り上げて行く。人間は、とことん追い込まれると、誰もが想像も付かないような発想が降りて来るのかもしれません。「こんなに寒い田舎の炭鉱の村で、何でフラダンスなんだ。全く関係が無いじゃないか。一体誰が見に来るんだ」という声こそが「常識」です。でも「それは本当にそうなのか」と自問自答しながら、「常識を疑ってみる」ことも重要です。常識を超えたところに本当の答えがあるかもしれないからです。
そのような歴史を経て、「スパリゾートハワイアンズ」は規模も立派に大きく成り、昨日もたくさんの来場者で一杯でした。お目当ての「フラガールショー」も満席の立ち見状態で、映画を見た時の興奮が蘇って来ました。約50年前に建てられた大型ドーム状のプール施設も立派に建っていて、事業の息の長さを感じさせます。周りを見れば、長閑な山や自然ばかりで、「この場所によく・・・」と素直な印象でした。
2年前の3月11日のあの大震災に時の対応は、とても素晴らしかったそうです(お客様全員を宿泊させ、食べ物も提供。ライフラインは全く止まらず。月曜日にお客様をバスで東京に送った)。それから全面再開まで約一年間。そういう困難を乗り越えられたのは、過去の経験があったからではないでしょうか。私も3.11以降、初めて福島に行きました。あの福島第一原発の事故で被害を受けた南相馬市まであと少しのところ。とても空がきれいで美しく、風も爽やかで気持ちが良かった。それに日射しが明るくキラキラしていて、まるで本当のハワイにいるかのような一日でした。
どのように変化しているのかは分かりませんが、明らかに太陽の日射しや自然の風景が変わり始めているような気がします。きっと良き人々のいる場所や地域は、キラキラと光り輝いているのかもしれません。いろいろなことが試されている時代です。困難に直面したら(決して常識に囚われず)純粋な思いと自然な発想で、「自問自答」を繰り返す。それはきっと良心との対話です。そしてキラキラとしたアイデアが降りて来る。そう信じて、前を向く。あの時のフラガール達の様に。
2013.05.28
大阪のマンションの一室で母と子の遺体が見つかったという記事を見ました。28歳の母親と3歳の小さな息子の胃袋には、何も無かったとのことです。室内にはメモがあり、「子供にもっといいものを食べさせたかった」とありました。この飽食の時代の都会の片隅で、食べるものが無く死にゆく人がいる。この厳しい現実と向き合いながら、人間の本当の幸せとは何かをまた考えます。
最近、川北義則氏の「孤独が一流の男をつくる」という本を読みました。「孤独死」とは言うが、全ての人間の死は「孤独死」である。死ぬ時は皆ひとりである。一流の男は孤独である。「私は仲間を持っている」とは、極めて陳腐な言葉である。若者よ、「ひとり」を恐れるな・・・このような内容の本で、なかなか面白かった。確かに人は「ひとり」で死んで行きます。この母親も(もしかしたら)死ぬ瞬間まで子供を思いながら、(ひとり)幸福な気持ちで亡くなったのかもしれません。
「孤独」とは、単なる「ひとり」のことではなく、実は自分自身の「良心」と向き合った状態のことではないかと思います。まわりに仲間がいることで心が満たされたとしても、それは半分の充足です。まだ半分があるのです。それは自分自身の「良心」と共に生きる時間です。それが「ひとり」の時間です。今、ひとりの状態を恐れる若者が多いそうです。いつも誰かといないと不安になったり、一人でいるところを見られるのを恐れたり、スマホやネットに依存したり・・・。でもそれは、一番大切なものを喪失しているのです。人間はそもそも「ひとり」であることと、「ひとり」とは「良心(最強の友)」と一緒であるということを知らないのです。
川北氏の本では、他にも面白いエピソードがありました。ロック歌手の矢沢永吉さんが事業に失敗して多額の負債を背負った時、「ひとり」に成った。その時、「人生は映画だ。人間は何度も生まれ変わる。ならば、今回のキャスティングを楽しく演じてやろう」と思い直したそうです。そして負債を完済しました。さて、実は私も全く同じ考え方をしていました。人生は(自分が主役の)映画です。だから今回与えられた役を思う存分、演じて、味わってみよう。これからどのようなストーリーに成って、どのようなラストに成るのかは皆目見当が付かないけれど、脚本を書いたのは自分自身なんだから、ただ安心して行けば良い。懸命に演じれば、アカデミー賞も夢ではないぞ!と。
人それぞれの人生は、人それぞれにとって必要な物語になっているはずです。だから、他人から「良い映画だった」とか「ダメな映画だった」と言われる筋合いのものではありません。どういう物語を生きたかというよりも、どう演じたかの方が大切だと思います。だからアカデミー賞をもらえるくらい、その役を演じ切れば良いと思います。大阪の母子にとっての映画がどのような物語だったかは分かりませんが、でももし懸命に生きたのであれば、きっとアカデミー賞を取ったのだと思います。
ところでこの本では、今後の「ひとり」人生を楽しむために、「シェアハウス」と「コーポラティブハウス」に住むことを推奨していました。「ひとり」として人生を楽しみながら、オリジナルのコミュニティに参加することで、お互いの「ひとり」を尊重し合って行く社会です。結局、「ひとり」を大切にするということは、相手の「ひとり」を尊重することであり、それこそが真のコミュニティではないかと思います。丸二が、13年前から取り組んでいる「コーポラティブハウス」が、このような形で評価されて来たのであれば、とても嬉しい限りです。建築も人生の中でとても大きな位置を占めるものですので、これからも良き建築を造って行きたいと思います。それも私の映画の物語です。
2013.05.27
映画「旅芸人の記録」で有名な(ギリシャの)テオ・アンゲロプロス監督の「霧の中の風景」をDVDで鑑賞しました。父親に会いに、ギリシャからドイツへと旅をする姉弟の物語です。実はアンゲロプロス監督の作品はこれが初めてで、約4時間の大作「旅芸人の記録」も未見なので、特別な先入観も無く、素直に観ることが出来たと思います。この監督の特徴は「長回し」と言われています。確かに「霧の中の風景」でも、ワンカットがとても長く、移動しながら360度を映し出すシーンもあり、とても斬新的で面白く感じました。けれども、それは単なる手法と言うよりも、時空の移ろいや儚さを強烈に見せつけるものであり、この作品の本質と連動するものであると理解しました。
まだ12歳の姉と5歳の弟の厳しい旅の物語。未だ会ったことの無い父を求めてドイツへ旅立ちます。旅の冒頭で、「父はいない」と知らされるのですが、それでも旅を続ける二人。その二人が最後に辿りついた場所はいったいどこなのでしょうか・・・。実は、その答えを暗示する象徴として、「一本の木」が出現します。これは(以前、本ブログで紹介した)タルコフスキーの「サクリファイス」とも(偶然にも)符合します。霧の向こう側の一本の木。この二人の姉弟は、父親に会えたのか。ドイツに着いたのか。否、すでにこの世にはいないのか。いずれにしても、「一本の木」への収束こそが、この作品の結論でした。
でも、なぜ「木」なのでしょうか。森林国家である日本の場合は、木や森には精霊が宿るとし、森羅万象への信仰心(自然信仰)が国民の心の深い部分に在ります。神様の数え方も、「一柱、二柱」と、木(柱)で表現しています。昨日(5月26日)は、鳥取県で「全国植樹祭」が行われ、天皇皇后両陛下が植樹をされていました。NHKの生中継を観ながら、あらためて感じたことは、「日本は森林の国であり、森林に守られている。森林は人々の生活を支え、自然界の循環システムとして機能し、目には見えない神聖な力を宿している」ということです。天皇皇后両陛下が、土を手にして(けっこう苦労しながら)植樹されている姿を観て、この木(森)に対する祈りの積み重ねが、日本と言う国を築いているのだと、静かな感動を覚えました。
西洋人にとっての「木」とは、おそらく「希望」ではないかと思います。西洋文明が1つの大きな終焉を迎えようとしている今、未来への希望の象徴としての「木」が在るとすれば、それは、木に宿る「目には見えない力」への期待ではないかと感じるのです。物質的な発展を遂げた西洋文明が終わりを告げる時に、目には見えない「何か」を手にしたいと願う。その象徴として「木」が出現しているのではないかと。ならば、古来から「木」に対して、特別な思いを抱き、目には見えない「何か」を感じて祈り、畏れ、感謝してきた民族である日本とは一体何か。毎年、天皇が「植樹祭」を行う国とは一体何か。西洋の映画「サクリファイス」に続いて「霧の中の風景」でも、「一本の木」が希望の象徴として現れている以上、私たち日本人は、もう少し考えた方が良いのではないでしょうか。私たちが思っている以上に、世界は(潜在的に)日本に向いているのかもしれません。
映画「霧の中の風景」は二人の姉弟の旅を、決して甘くは捉えません。相当厳しい現実を突き付けます。涙と感動のロードムービーではありません。けれども、それでも二人は、美しい雪の中を、冷たい雨の中を、ただひたすら前へ向かって歩いて行きます。「父がいない」と聞かされても、厳しい目の前の現実を乗り越えながら、前へ進みます。つまりゴールへの執着から、プロセス(経験)に生きるのです。それ故に、二人は<本当の>ゴールに到着したのでしょう。とても美しい(最後の)霧の中の風景が忘れられません。