社長ブログ

創立59周年とノーベル賞

昨日10月8日、おかげさまで丸二は創立59周年を迎えることができました。これもひとえに全てのお客様、地域の皆様、協力会社様のおかげと、心より感謝申し上げます。来年は創立60周年で、人間で言えば還暦です。還暦とは、干支(十干十二支)が一巡し、起算点となった年の干支に戻ること。つまり「生まれ変わり」「新たなスタート」の時ですね。60年前と今とでは、全く時代が変わりました。私たちは、次の60年を始めるにあたり、新築工事とリフォーム工事の「両輪経営」という新たな「型」を造り、さらにお客様とのご縁を大切にして、地域社会に貢献してまいります。今後とも、何卒よろしくお願いいたします。
さて、今年は2012年。いろいろな意味で転換ポイントです。今年中に来年以降への明るい展望を持って年を越すこと出来るかどうかが、私たちにとって(否、人類にとって)最も重要なことだと感じています。それは、決して大げさなことではなく、これからの個人の人生、会社の業績、国の方向性、地球環境の行く末を大きく左右すると思うからです。その一番の焦点ポイントは、一人ひとりの「心の持ち様」ではないでしょうか。今私たちが本当に必要としているのは、意識の力だと思います。前向きで、ワクワクしながら、何事にも感謝して生きる。物事のマイナス面ばかりに目を向けず、プラス面にフォーカスする。お互いが認め合う。協力し合う。応援し合う。たったそれだけのことですが、そこには無限の力が宿ると思います。
もう技術論では無くなったのではないでしょうか。テクニックで改善しても、また元に戻る。他者に依存しても、また元に戻る。この堂々巡り。今私たちが気づくべきは、一番頼りになる存在は(実は)自分自身の中に在るということです。誰よりも自分自身を知っていて、愛していて、応援してくれている存在。24時間決して忘れずに、常に助け続けてくれている存在。それが「良心」です。自分自身の胸に中に「良心さん」が居てくれる。こんなにありがたいことはありません。だから、何があっても、「私は一人」では無く、「私は二人」です。
世界中の人たちが、孤独を克服し、お互いを認め合い、助け合う社会。その方向へ一気に流れ込むのが、これからの時代の潮流だと思います。そういう時代の流れに乗るには、自分自身の良心と仲良く成ることだと思います。そのようにして毎日を生きている限り、人生も、仕事も、社会も、きっと良い方向へ行くでしょう。政治も、その流れを汲むことによって、きっと変化していくと思います。政治は、私たち一人ひとりの心の鏡。政治を変えるには、私たちの心の総和を変えなければ無理です。だから、時代を変えるには、心を変えること。それはとっても時間が掛かることです。でも、この2012年で気づくことができれば、来年には明るい兆しが出て来るかもしれません。そういう楽しみが、これからは一杯あります。
それに、今年のノーベル生理学・医学賞を、日本人の山中伸弥教授が受賞いたしました(おめでとうございます)。iPS細胞を初めて作製した功績が認められたとのことです。これは失われた身体機能を回復できる技術なので、今後医療に応用できれば、多くの人々が苦しみから救われるのでしょう。このようにして、人々の幸福のために全人生を捧げる人がいて、それを素直に認める人々がいる。素晴らしい本物の技術とは、このような「良心の交流」によって初めて、成し遂げられるのでしょう。だから・・・日本の時代が来ると思います。
来年は伊勢神宮の御遷宮の年であり、丸二の60周年の年です。良き2013年と成る予感が日に日に増している今日この頃です。

共認の時代へ

10月に入り、少しずつ秋の気配を感じられるように成りました。それでも日中の日射しはまだ強く、残暑の厳しさが残ります。中国の暴動やオスプレイの配備や原発建設の再開など、様々な恐怖心を抱いた今年の夏でしたが、あらためて振り返って思い浮かんだのは、意外や「大丈夫」という言葉でした。
消費税をどんどん上げなければならない程、国の財政状態は悪化しているはずなのに、TVでは毎日呑気なお笑い番組を流し続け、都会の街は多くの人で賑わっています。何か景気浮揚策へ舵を切れば、国内にあるお金がどんどん出て来そうな気すらします。また、中国であのような暴動騒ぎが起きても、日本国内で中国人のお店を襲う日本人は一人もいません。そしてコンビニでは、あいかわらず毎日大量のお弁当が廃棄されていて、国家破綻を目の前にした国とは思えない落ち着き様です。このような情景は、食糧そのものが無い国にとっては、まさに楽園ではないでしょうか。そもそも日本の財政破綻論は本当なのだろうか・・・。消費増税は必要なのだろうか・・・。
新しいスマホに飛び付き、ダイエットをしなければならないほど栄養を摂っている。その上こんなに円高なので、輸入コストが大幅に削減できて、海外の資源を物凄く安く買えている。円高で輸出産業が厳しいという固定観念がありますが、実際日本の輸出産業はGDPの10%程度しかないようで、すでに日本は内需国に成っています。であれば円高は日本にとって神風ですね。さらに加えて、この夏を終えてハッキリ分かったのは、「原発は無くても大丈夫」という事実です。この現実と官邸前デモのような市民の声が、いよいよ本当の事を明らかにさせる原動力になっていきそうです。
このように見てみると、どう考えても、破綻寸前の国家には見えません。日本が破綻する時は、全世界は既に終わっているではないでしょうか。なので、私たち日本人は、強い心で、真実を見極めて、もっと明るくやって行かなければなりません。それは今まで通りで良いと言う意味では決して無く、昨年の東日本大震災によって、私たち日本人が気づいた(思い出した)新しい「共認の時代」への移行が前提です。
ある本に「もし(何か事を成すにあたって)大きな困難や苦労が生じなければ、あなたは天から見放されたと思いなさい」とありました。普通、困難や苦労が無い方が、天に守られていると感じるのですが、実はその反対で、困難や苦労が起きないと物事は成就(完成)しない。つまり、困難や苦労が起きない時は、それは間違っている証拠だから止めなさいと。変な話のようですが、確かにそうだと思います。
日本は今、大きな困難と苦労の中にいます。でも、それを決して暗く考えることは無いと思います。この困難と苦労が生じていることは、事が成就する証拠でもあるので、それに感謝して、信じて、あきらめずに打開していけば良い。今、国内でも毎日様々な事件や自殺が起きています。でももし、困難と苦労が天から愛されている証拠と認識できれば、自ずと心の状態は変わり、きっと必ず、時間と共に事態は変化して行くはずです。明日を信じて生きて行けるはずです。
今こそ、私たちは、世界中で最も安心で安全で豊かな日本に生きていることに感謝して、「共認の時代」へ動き始める時です。それは、誰かに支配される社会ではなく、自分自身と仲間で創造していく豊かな社会です。お互いがお互いを認め合い、助け合い、期待に応え合う社会。本当(真実)のことを探求し、それに則った最善の人生を歩み始める社会。それが最高の充足感と成る時代。
3.11で私たち日本人は大切なことを学びました。その傷跡は大きいですが、犠牲と成った多くの方々と今でも苦労されている方々と一緒に、「共に生きる」意識で、時代を変えて行きたいと思います。その間、一時的な混乱が起こると思いますが、「それが故に」、日本は大丈夫と分かります。いよいよこの難局を、みんなと力を合わせて、楽々と乗り切って行く日本の姿が見えて来るでしょう。そういう予感がしませんか。私たちこそが主人公。その実感が味わえるまで、一人ひとりが自分自身を信じて、大切にしていくことだと思います。

「日本」への回帰

尖閣諸島をめぐる中国との緊迫した状況が続いていますが、中国に進出している日本の多くの企業にとって、このような事態は想定内だったのでしょうか。それとも想定外だったのでしょうか。政府と経済界は、共に先を読みながら、戦略を共有していたのでしょうか。今回のような大規模なデモ(暴動)がいつ起きても不思議でない状況と知らなかったのでしょうか。尖閣諸島をめぐる様々な問題の中で、今まさに、日本企業の中国進出の是非が問われ始めたと感じます。
先日のTVでは、かつて松下電器の松下幸之助氏が(鄧小平氏に頼まれて、中国の近代化のために)中国に工場を建設し、中国の経済発展に寄与してきた歴史を紹介していました。でも、そのパナソニックの工場が、今回の暴動で攻撃されています。日本人の感覚では理解できないことです。でも、それが中国という国の現実。今、中国の技術開発はどんどん進み、中国の大手家電メーカーの「ハイアール」社は、すでに白物家電で世界シェア第1位だそうです。日本の三洋電機からの事業譲渡が力に成っているようです。
これから中国とどのように向き合っていくのか。米国との従属関係をどのように改善していくのか。国民の生活をどのように護っていくのか。経済をどのように復活させていくのか。エネルギー問題をどのように修正していくのか。日本政府の役割は、かつて無いほどの難題に向き合わなければいけません。そして、日本の取るべき道筋が世界全体に大きな影響を及ぼすことに成ると思います。米国、ロシア、中国、北朝鮮、EU、中東・・・その全ての問題の扇の要の位置に「日本」が在ると思います。でも、その日本とは、日本政府の意味ではなく、日本の歴史であり、技術力であり、国民性(人間性)であり、四季ある国土であり、自然信仰の心・・・つまり、「日本人」という意味です。東日本大震災によって目覚めた日本人の力によって、世界の未来を変えて行かなければなりません。
日本の政府は「近いうち」にきっと再編されるのでしょう。でも、私たちが目指すべきは、政府・政治の「改心」を強く求めつつ、一人ひとりが日本人としての自覚を持って、先ず自分自身のこと、自分の身の回りの事を正しい方向へ持って行くことです。その総和が「日本」と成り、世界の要を変えて行く。中国もかつては老子がいた国。だから中国にもきっと何かが起こり、「改心」の機会が来るはずです。日本はその先駆けとして、先ず自分自身を見直し、自国を見直すところから始めなければなりません。経済も、もう一度、内側(国内)に立ち戻り、内需中心に回帰です。中国や米国に頼らずに、先ず、自国内で、日本人同士で、経済が成り立つ基礎を造ることです。その先、世界が日本を求めて来た時、あらためて出直しすれば良い。先ずは己の立て直し、ですね。
日本には鎖国の歴史があります。国内の資源、農産物、林業、技術、工場、新エネルギーで十分、豊かな社会は築けるはずです。日本が海外から引くことで、むしろ困るのは世界の方です。よって、結局日本は、海外へ出て行くことになるでしょう。今よりも主導権を持って。今回の中国の騒乱を機に、日本は「日本」へ回帰ですね。やっと、私たちの国がどんなに豊かで幸福で見事なものかが分かるように成って来ました。これから、本当の「日本」再建が始まるでしょう。

東松島市の取り組み(NHKスペシャル)

昨夜のNHKスペシャルで、東日本大震災への復興予算の使い方に、様々な問題が生じていることが分かりました。本来、被災地の復興のために全国民の負担によって復興予算は成り立っているはずなのですが、実際は被災地以外の様々な事業に充てられている現状が見えてきました。同時に、被災地で苦しんでいる方々や事業者へは、予算が足らないという理由で、ほとんど回って来ていない。なるほど、だから復興は遅々として進まないのか・・・。
被災地の中でも、予算の使い方に差が出てきており、例えば、瓦礫の撤去費用については、宮城県東松島市では、瓦礫の分別の徹底や撤去工事の細かい管理によって、他の地域よりも遥かに小額で、撤去作業を行っています。その考え方の基礎は、「全国のみなさまからのお金だから、大事に使わなければ」というものでした。東松島市では、以前の大きな地震の際に得た教訓として、瓦礫処理は必ず分別をするという意識があったそうです。今回の東日本大震災から、私たちは本当に大きなことを学んでいますが、東松島市のように、その教訓をきちんと今後に生かせるのでしょうか・・・。
それぞれの場所、それぞれの段階、それぞれの立場の中で、物事の捉え方1つで、状況はこうも違います。この期に及んで、予算の取り合いもあるのでしょう。でも本当のことが見えてくれば、人々の意識は変わり、きっと恥ずかしくない行動が始まるはずです(特に武士道の国、日本は)。今、私たちが一番求めるべきことは、誰かを責めることや、他国を攻めることではなく、事実、真実、本当の事をできる限り明らかにし、その上で、協力して改善していくことではないでしょうか。お互いが許し合って、前へ進む。国家間においても、もう攻め合いは止めて、共通の問題に取り組む時が来たと思います。
その共通の問題とは、「対自然」です。自然界の厳しい猛威は、ますます地球規模で拡大していくと思われます。東日本大震災以降も、世界で大きな地震や自然災害が多発しています。もう国同士でゴタゴタしている場合ではありません。一緒に協力して、根源的な問題を改善しない限り、地球自体がおかしくなってしまいます。この地球あっての世界です。国です。個人です。いま、その大元が悲鳴を上げています。攻め合いの時代は終わり、許し合いの時代に成って欲しいと思います。その時こそ、世界で唯一の被爆国であり、今回の東日本大震災を経験した日本が先頭に立つ時です。
東松島市のような意識と取り組みこそが、最も尊く、世界を平和に導く雛型ではないでしょうか。多分、被災地の中では、もっともっとたくさんの良き雛型が生まれているはずです。そこから世界は何かを学んでいかなければなりません。番組の中で、被災地で訪問診療を行っている医師がつぶやいていました。「田舎は忘れられている・・・」と。もうタイムリミットは来ています。意識を変える時が来ています。

心の大維新

政府による南海トラフ地震の被害想定が発表され、にわかに緊迫感が走りました。実際に発生するかどうかは(もちろん)誰にも分からないことですが、起きた場合を想定して、できる限りの準備と心構えは必要でしょう。これは日本のみならず、世界のあらゆる地域も同様です。現在の地球上では、様々な形で多くの自然災害が起きています。この流れを簡単に止めることはもう難しいと思います。であるならば、防災意識を持って、毎日を生きるしかありません。仮に、安全な場所に暮らしていたとしても、たまたま行った場所で災害に遭う可能性もあります。最後は、自分自身を信じて、毎日を明るく生きて行くことだと感じます。
このような地震・津波の想定がある以上、「無」原発への道は急ぐべきだと思います。それでも間に合わなかった場合に備えて、放射線の中で生きてゆける体質造りも必要のようです。原発のみならず宇宙線(放射線)の量も増えているらしいので、人間にとってどのような栄養素が必要なのかを考えていかないといけません。いずれにしても人間の体には小食が良いようです。最近、若い人の中でも、1日1食の人が増えているようです。経済至上主義の中で、毎日たくさんの食事を摂る生活習慣が推奨され、その結果、成人病が増え、ダイエットにお金を掛けています。今こそ私たちは、本当のことを知って、生活そのものを見つめ直していくべきだと思います。
地震にしても、原発にしても、病気にしても、全て「生命」に直結する問題です。人生は「生命」あってのものなのに、私たちは「生命」を犠牲にして、経済を優先して来ました。この「本末転倒」状態から早く目覚めることが、東日本大震災で犠牲と成った多くの方々に対する本当の追悼だと思います。とは言うものの、社会の仕組みが変わらない以上、その流れを変えることは難しい。でも、意識を変えることはできます。一人ひとりが意識を変えれば、きっと大きな力と成って、新しい時代が始まると思います。外側の状況に主導権を渡さずに、自分自身の良心を信じて、淡々と毎日を生きて行くこと。内面の力が一番の資産に成る時代が始まりました。まさに「心の大維新」の始まりです。静かなる革命です。

復興、古里、祈りのひのき

今日は地鎮祭でした。会社から歩いて15分、西荻窪の駅近く。燦々とした太陽の光の下で、神事を行わせていただきました。今まで住んでいた住まいが解体され、これから新たな建物が造られる。その一瞬の束の間の間、数十年振りに、その土地は太陽の光をたっぷりと浴びます。とても神聖なる時間。そして地鎮祭が行われ、土地が浄化され、また新しい社が建ち、住む人々を末長く護ってゆく。日本の建築文化の象徴である地鎮祭には、何か特別な意味があるように思います。神仏を信じる人も、信じない人も、みんな地鎮祭を行い、ホッとされます。日本人の心の中に、「お天道様が見ているから」という良心は生き続けているようです。建設業に身を置くことで、日々このような神事に触れられていることは、まさに幸せだと思います。
神仏と言えば、いよいよ来年(2013年)は、伊勢神宮の御遷宮です。遷宮とは、20年毎に社殿を建て替える伊勢神宮(正式には「神宮」)の特異なシステムです。遷宮のための木材(ひのき)は、裏木曽加子母の神宮備林から伐り出されます。日本全国の山や森の中から、加子母地域が選ばれたわけです。加子母ひのきは、日本人の心の原点(古里)とも言える「神宮」の社と成り、20年毎に解体された社殿の木材は、他の神社で再利用させます。つまり、加子母ひのきは、「神宮」経由で、日本各地へ広まっていると言う事に成ります。
丸二が加子母森林組合様と共に志していることは、神宮社殿のための加子母ひのきを、一般の住宅にも使わせていただき、特に都会の暮らしの中に、「日本人の心の古里」を復興させようと言うことです。同時に、間伐によって、山に光を入れ、日本の森の生態系を復興させることです。今、日本は全ての面において「復興」が必要な時です。このお盆は、戦争のことを考えました。「戦後史の正体」という本を読み始めました。スカパーでは2本の映画を見ました。「一枚のハガキ」と「日輪の遺産」、共に戦時の物語です。これらの映画を見て、真実はもっと悲惨だっただろうと思いつつ、今の時代の幸福さが身に沁みて分かります。それなのに今の日本は、今の私たちは・・・。
毎週金曜日に行われている官邸前の集会では、参加者によって(自然発生的に)「ふるさと」が歌われているそうです。古里・・・。古里には森や川や田園があり、神社とお祭りがあった。草花が美しく咲き、昆虫が住む。現代の都会の中に(物理的に)「古里」を造ることは難しいですが、心の古里を造ることは可能です。加子母の神宮ひのきは、日本の古里の匂いを運んで来てくれます。強くて不思議なピンク色をした加子母ひのきは、やはり何か特別な「柱」なのではないか。そのようにして、私たちは、ほんの少しずつですが、加子母の匂いを都会に運んでいます。
さて、ある方から教えていただいたのですが、米国International Journal of Health Servicesの2011年12月号に掲載された記事に、「米国において推定14,000人が、日本で発生した福島原発事故から14週間以内に放射性降下物によって死亡。死亡者数はさらに増加し、米国ではすでに2万2千人以上が福島による放射能被爆によって死亡している」と発表されたそうです。本当なら大変なことです。
今、何かを変えなければ成らない時。では、どう変えるべきなのか。そこに明確な指針を出せる人間などいないでしょう。人間業で成せる程度の問題を遥かに超えて来てしまったのだから。だからこそ、「お天道様が見ているから」という精神文化の在る日本なのだと思います。お天道様とは良心、自分の胸の中で燦々と輝いている良心。その良心の声を聞いて、一人ひとりがお天道様に恥ずかしくない生き方をする。その連鎖が、きっと大変革のうねりを造り出すと思います。これが「祈り」の力だと思います。いよいよ、日の本、日本の真価が問われる時が来たと思います。私たちも、「志」を持って、1mmの前進を続けます。「祈りのひのき」の匂いを運び続けます。

ロンドンオリンピックが終わり・・・

ロンドンオリンピックが終わりました。文明の中心が「西洋」から「東洋」へ移行する最後の年(2012年)に、西洋文明の中心地だった英国ロンドンに、聖火が灯り、そして消えました。
次の(文明の)中心地と成る(はずの)日本は、メダルをたくさん取るか、まったく取らないかのどちらかだと思っていましたが、結局メダル数は史上最多で、金メダルが少ないという結果と成り、当たったような、外れたような、いかにも日本らしい終わり方でした。
でもメダル数が最多という意味では、日本に大きな流れが来ているということだと思います。メダル数が増えれば、おのずと(今後は)金メダルも増えていくでしょう。たぶん基礎力ができてきたのだと思います。あとは、男性陣の問題ですね。日本男子の精神的弱体化は、スポーツのみならず、すでに政治や経済にも影響が出ていると思います。おそらくこの流れは変わらないと感じます。
別の見方をすると、勝負事への執着心が減少して来たという面もあるかもしれません。それは良いことなのか、悪いことなのか、分かりませんが、「金」は少ないけど、そこそこの成績は出せるぞという具合で、その辺に落ち着いたのかもしれません。日本をめぐる国際問題がいろいろとある中で、目立たず、突出せず、でも力はあるという存在感を、日本らしく表現しているようで、そう思えばなかなか面白い結果だったと思います。
もう血眼に成って、金メダルを取ろうとは思わない。結果よりも精神性。取ろうと思えば取れるけど、それより大事なものがある。何かそのような(目に見えない)意志があるようにも感じます。男子柔道の選手たちは、残念ながら金メダルを取れませんでしたが、日本発祥の武道がこれだけ世界的スポーツに成った証拠だと思えば、良き事のようにも感じます。人口の少ない日本がこれだけの結果を出していること自体、素晴らしいことです。今回の<メダル(実力)は多いが、「金」(名誉)が少ない>と言う特異な現象は、次の東洋的な文明社会へのヒントに成ると思います。
私は、(実は)オリンピックをそんなには見ていませんでした。大体は、ニュースで結果を知りました。オリンピックに賭ける自国の選手を応援する気持ちはもちろんありますが、それは特別な思いではなく、毎日の日常の中で一生懸命に働いている(生きている)世界中の普通の人々への思いと何ら変わりません。人よりも0.001秒早く走ることと同様に、(一人のある職人が)今日の仕事を昨日より丁寧にやることは、とても尊いことです。実際に他者の生活(衣食住)を助けているのであれば、比較しがたい程の尊さです。
オリンピックは、(逆に)大切な事を忘れさせます。そこで走ったり、泳いだりしている人たちだけが素晴らしいのではなく、「今」の「自分自身」こそが最高に素晴らしいということを、忘れさせてしまいます。オリンピックの恐さは、そこにあります。自分の外側に凄い人がいる。自分はダメだ。あの人のようにがんばらなきゃいけない。束の間の感動の後にやってくるこの無力感は、自分自身の素晴らしさを封印してしまいます。それは、「素晴らしいものは外側にある」という幻想(錯覚)に過ぎません。
本当に素晴らしいのは、「今」「ここで」、懸命に生きている「自分自身」ではないでしょうか。それは他の誰とも比較しようの無い、完全な尊さです。オリンピック中継も高校野球中継も大事ですが、でも同様に素晴らしいものが世の中にはたくさんあります。例えば、日々の日常の生活(衣食住)をより良くすることを懸命にしている人がいます。東北の復興に努力している人がいます。二度と戦争が起きないように戦争体験を語っている人がいます。暑い中、現場で働いている人がいます。生きるためにセールスをしている人がいます。頭を下げて、謝罪している人がいます。新しいアイデアを考えている人がいます。道端の空き缶を拾っている人がいます。仏壇に線香を立てている人がいます。みんな、みんな、毎日が金メダルです。
西洋文明は名誉依存。東洋文明は精神自立、実際に人の役に立つ実力があれば良い。そこには比較や競争の文字は無い。多分きっと(何となくですが)そんな風にして、時代が流れて行きそうな気がします。今現在の世界中の国々の防衛予算をまとめて現金にして、世界中の人々全員に配ったら、一人当たり数億円に成ると聞きました。考え方さえ変えれば、みんなが豊かに成れる時代が必ずやって来るのです。みんなが人の役に立つ仕事をして、そして分け合えば、世の中はきっと良く成って、全員に金メダル!!

現場は心の鏡

先週末は、三鷹市井の頭にて、加子母ひのき住宅と戸建貸家の地鎮祭を執り行いました。また昨日は、吉祥寺本町にて、木造住宅の上棟祝いを行いました。おかげさまで、吉祥寺を中心とした地元(武蔵野、三鷹、杉並地域)で、現在14棟の新築工事が動いています(他の地域においても、工事中・設計中・着工準備中等を含めて8棟程あります)。これもお客様並びに地域の方々のおかげと、心より感謝申し上げます。9月の情報誌「ニコニコ通信」では、現在進行中の現場をご紹介いたしますので、ぜひその折には、丸二の現場を見てください。
丸二には、「現場は心の鏡」と言う合言葉があります。現場は、そこで仕事をする人々の心が「鏡」のように映し出されるからです。工事を行う人々の心がキレイであれば、現場も自ずとキレイに成ります。そして良き建築が完成します。私は、約20年前にこの業界に入りましたが、その時感じたこの印象は今でも変わりません。プロでなくても、何となく分かるものです。ただ現場は毎日姿を変えて行く生き物です。常に整然とした状態を維持することは難しく、なかなか整理整頓に時間を割くことはできません。だからこそ、だからこそ・・・懸命にキレイに「する」のです。
仮に工事中であっても、お客様の大切な建物(財産)の上に、ゴミ1つ置きたくない。職人さんが気持ち良く仕事ができるように、いつも整理整頓しておきたい。土地の神様に叱られないように、場内を清潔で清浄な場にしておきたい。こういう思いの数々があって、現場は生命を持ち始めるのでしょう。結果、現場をキレイにすることで、人の心も磨かれるのです。自分の心が現場に映るのであれば、逆に現場を磨けば、自分の心も磨かれる・・・。建設業は、まさに「心磨き」の産業、「人造り」の産業です。
今、日本の経済が(相当)おかしく成って来ています。多分きっと、バランスを崩してしまったから。つまり「野良(のら)仕事」が無く成って来たから。きっとそうだと思います。田畑で農業を営む人、山で木を伐る人、街で建物を造る人。みんなみんな、こんなにも暑いのに、毎日外で一生懸命に仕事をしています。昔はこういう仕事が「本当の仕事」だった。でも、それがだんだん便利な世の中に成って来て、虚業が増えて来て、ボタン1つで稼げるようになった。そして、世界の経済はおかしくなった。
今こそ、バランスを整える時です。リーマンショック以降、建設業界から人が少なく成りました。それでも世界が続く限り、人間がいる限り、建設業は(絶対に)無く成りません。それは衣食住(=生命)と直結する「実業」だからです。震災復興のための人も必要です。これから農業や林業を含めて、自然の中で仕事をする人々の時代が、「再来」するはずです。それは、経済を建て直し、人の心を建て直し、時代の流れを変える力に成ると思います。私たちは、地域の小さな建設会社ですが、微力ながらも、そのような志を持って、この変革の時代を生きて行こうと思います。

変化の兆し

ロンドンオリンピックが開幕しました。今のところ日本勢は(サッカー以外は)苦戦中のようですが、各国各選手の全員が金メダルを目指している訳ですので、なかなか大変なことだと思います。選手一人ひとりにとって、悔いの無いオリンピックに成れば良いなと思います。それにしてもTVを見ると、オリンピックをはじめ、高校野球、プロ野球、お笑い、ドラマ、食べ歩き、クイズと、あいかわらず日本の平和は続いているように見えます。でも実際にはその裏側で、官邸前で反原発の大規模なデモが行われています。
今、日本も世界も、本当に世の中の構造を転換しなければ成らない時に来ています。昨年の東日本大震災では、約2万人もの尊い生命が失われました。その亡くなった方々に対する本当の追悼は、世の中を立て直して行くことではないでしょうか。あの震災を経験して、私たち日本人は皆そのように思い、そのように動き始めたはずです。でも1年が過ぎ、また夏が来て、日本も世界も、また元に戻りつつあるように感じます。
例えば、原発の問題にしても、家庭用の「クリーン・エネルギー」を開発し、政策的に普及させれば、問題の大部分は解決するはずです。すでに太陽光発電も商品化されています。いずれもっと良いものも出て来るでしょう。電力会社に頼らずに、自前でクリーンエネルギーを持てば、自ずと原発依存は無く成り、デモも不要と成り、環境破壊も減少します。そういう方向へ舵を切っていれば、今頃は、世の中全体に「変化」の兆しが見えていたでしょう。原発が無くても大丈夫な状態を「創る」ことを(素直に)目指せば良かったのに。
福島原発の事故が「人災だった」という結論が出ても、電気料金は値上がりをし、原発は再稼働し、結局3.11以前と何も変わっていない。変わったのは、国民一人ひとりが節電意識を持ったこと。これは素晴らしい成果だと思います。でも、政策的には実は何も無く、3.11への追悼は、未だ果たされていない。本当に申し訳ないと言う気持ちが、そこにはあります。
そのような中で迎えたロンドンオリンピック。日本人の大健闘を心から応援しますが、仮に負けても潔く、仮に勝っても謙虚に・・・そのような日本人の精神性に(こそ)期待します。それは、私たちが(そして世界が)昨年、東北の人々から学んだはずのものです。昨日の柔道の試合で、審判による判定が覆り、日本人選手が勝った試合がありました。日本としては嬉しいことですが、相手の韓国としては悲しいことです。その両方を包み込める日本人に成りたいと思うのです。
その判定の結果を受けて、NHKの女性アナウンサーが、思わず(いかにも軽いノリで)「良かった~!勝ちは勝ち!」などと喜んでいましたが、ついにNHKは、負けた側(弱き者)への思いやりを忘れてしまったようです。冷徹なまでに公平さを貫く、かつてのNHKの「美」はそこには無い。日本という国は、風景だけではなく、人の心の美しい国です。それを昨年、私たちはついに思い出したはずなのに・・・。
このようにして、今年の日本の夏は始まりました。そしてどのようにして終わるのでしょうか。変化の兆しに期待します。

「無」原発

民主党が割れました。根本的な部分が違うのですから、その方が双方にとって自然体でしょう。考え方が違うのは良いことですし、それ故別れるのも良いことです。信念を貫くことは美しく、主張を変えることは勇気です。よって「どちらを善とし、どちらを悪とするか」という短絡的(マスコミ的)な視点では無く、先ず「自分自身の考え方」を思考する方が先決ではないでしょうか。つまり、増税は必要なのか、原発は再稼働すべきなのか。もし自分が小さな国の王様だとしたら、どのような政治を行うだろうか。増税をするだろうか。原発を再稼働するだろうか。常にそのような問いを持って、自身の考え(軸)を持つことだと思います。
つまり、そのような大事な問いを、TV画面上の政治家に投影(丸投げ)するのではなく、先ず自身自身の「良心」に投影し、思考し、その答えと適合する政策を掲げた政治家に票を入れれば良いのです。日頃の政治家の動向情報などは全く不要です。判断を誤ります。例えば、約束を守ろうとする側が、守らない側から「造反」と言われているような情報を耳にすると、判断に狂いが生じるということです。そういうフィルターを全部無しにしないと、本当に良い政治は生まれないかもしれません。
TVが無い時代は、ほとんど情報が無く、政治家の顔写真くらいしか知らなかったと思います。それでも国民は、今よりも本質を掴んでいたのではないでしょうか。仮に、会ってみたら嫌な奴だったと成っても、案外その人は良い政治をしていたという面もあります。現在は、ほとんどが作られた情報に成っているので、その対抗軸として、ツィッターやフェイスブックが真実を伝える役割を担っています。本当は、適度で正直な情報さえ流れていれば、ここまでITに頼らなくても良かったのに・・・。
ところで、ここ数カ月にわたり、官邸前で反原発デモが行われていますが、29日には約20万人が集まったそうです。日本のマスメディアもいよいよ無視し続けることが出来なくなったのでしょう。このような民衆の潜在的な意志が表面化してくると、困る人や組織がたくさん出て来ます。そこから生まれる対立も、ある種の戦争ですので、最終的には(どちらが優勢に成ろうとも)不幸な一面を残すはずです。人の心を力で変えるのは不可能です。民主主義と言っても、実際は力の世界なので、完全に分かりあえる日が来ることも無く、<やったらやられる>の繰り返しが続きます。このような悪循環から抜け出すには、やはり自らの思考の世界を変え、オリジナルの世界観を造るしかないと感じます。
人間は常に対立性を持って生きています。プロ野球でも、ワールドカップでも、政治でも、必ず敵と味方を作り、どちら側かに付きます。相手側は悪で、こちら側は善。内容や中身よりも、そのような外観で判断します。「反〇〇」という手段です。外観にはレッテルを貼ることができます。ボトルに実際の中身とは違うラベルを貼れば、人々はラベルの方を信用します。そのようにして戦いを制します。そしてまた、次の戦いが始まります。いつまで経っても終わりません。
そのような外側の様相に振り回されず、自らの思考の世界を変えて、美しい内観を造る方が実は早くて、本物で、誰とも戦わない(争わない)唯一の道だと気づきます。結果的に、多くの人々がそうなれば、外観にも変化が出て来るのでしょう。外側で起きている問題を解決するには、外側に打って出るのではなく、内側で造る方が良いのかも知れません。そのような一人ひとりの小さな努力の積み重ねが、つながり合い、めぐりめぐって、外側を(ごく自然に)変えることに成ると信じます。
以前、本ブログで紹介した映画「この空の花 長岡花火物語」は、ツィッターで広まり、尻上がりに観客数が増え続け、今や大変な反響を呼び起こしています。本当に良い(正しい)情報が出にくい世の中において、ツィッターが見事な成果を上げている一例でしょう。今回の官邸前の反原発デモも、ツィッターの力が大きかったようです。この映画を監督した大林宣彦監督は、「私は映像作家だから、映画を創る。デモには行かない。反原発ではない。無原発だ」という話をしていました。納得です。
なるほど、「無」原発か・・・。「反」原発は、(今現在)原発に関わる人々を苦しめます(現実問題として)。でも、これからの方向性として、原発の無い国造りへの道は、国民の(潜在的な)総意と言えます。「無」原発という言葉には、「共に無くそう」「無くなっても、皆が幸せに成れる社会の仕組みを造ろう」と言う、前向きで、協調の響きが在ります。対立ではなく、共に考えて行く。だから私は、無原発、無戦争(平和)、少税金、全体幸福、自然との総和を理想としたい・・・。この混乱の時代は、必ず協調、調和、総和への前奏曲に成ります。