

2012.05.11
今日は5月11日・・・。9.11と3.11以降、何となく「11日」の日を意識しますが、今朝の雲ひとつない真っ青な「大海」の空を見た時、何もかもが美しく変化しつつあるのだと、心から感じることが出来ました。それにしても、本当に今朝の空は凄かった。素晴らしかった。太陽の光も強く、強烈でした。確かに何かが変わりつつあることを、ずっと心の中で感じてはいたけれど、それが「良い方向へ変わっている」ということをリアルに実感できたのは、今朝が初めてかもしれません。玄関のドアを開けて、空を見上げた時(ドラえもんの)「どこでもドア」で、どこか違う場所に来たのかと勘違いするほどの景色でした。
美しい風景とは、どこか遠くの有名な観光地や景勝地にあるのではなく、多分(このように)ゴク身近な場所に、「すでに」在るのかもしれません。そのことに気づくことがさえ出来れば、私たちは「今すでに幸福の中にある」自分自身に気づくことが出来ます。現在、世の中で起きている事は、確かに「大変な事」ばかりですが、その中においても「美しいもの」「幸せなこと」「ありがたいこと」を見出して、そのことに感謝することさえ出来れば、きっとその瞬間からまわりの景色が変わるのでしょう。結局のところ、原因は外側(社会、政治、他人)ではなく、内側(自分自身)にあったのだと、解ります。それに気づくことが、「大変」を終わらせる(遠回りのようで)近道かもしれません。毎月の1日と11日は、自分自身の内面を見つめる日にしようと感じました。
私は、毎月1日は、地元の氏神様(地元で工事がある時は、地鎮祭でお世話に成っております)へお参りに行きます。1日の午前中に行き、鳥居の下で一礼をして、参道の端を歩き、本堂に向かって手を合わせます。特にお願い事はしません。ただ感謝の気持ちを伝えるだけです。日々、生きているから味わえる(艱難辛苦も含めた)素晴らしい体験を「させていただいている」ことに感謝するだけです。こう思えれば、周りの風景が光り輝くと信じているからです。そして、今朝の空がやって来ました。丸二の「感謝」の理念は、多分間違っていないと思います。
さて「地元の工事」に触れましたが、おかげさまで、これから地元(吉祥寺周辺)で10現場以上の新築工事が順次着工いたします。これはなかなか無いことで、本当にお客様に感謝です(誠にありがとうございます)。また増改築(リフォーム)工事も、過去最高だった昨年のペースを超えて進行中です。このことも、地元の氏神様へ御礼いたします。そして、さらに自分自身が光り輝けるよう、日々最善を生きて行きたいと思います。
2012.05.07
今年のゴールデンウィークは、突然の豪雨や竜巻によって、各地に被害が出ました。気象の変化は人間には止められなので、被害を小さくする以外に対策の道はありません。5月は「金環日食」もあり、天体の配置が特殊な状態になるので、継続して注意が必要とのことです。また日本の原発が完全停止状態になりましたが、今の季節に置いては、特段の不便は無いようです。これから夏の電力使用量が上がる季節に入ってどうなるか。でも、この機会を逃さず、原発全廃への道を進みたいものです。
世界では、フランスのサルコジ大統領が敗れましたが、アメリカのオバマ大統領も苦戦中のようです。いろいろなことが変化していく時期になって来ました。ただ変化自体は良いことですが、今のような無意識での変化には危険性があります。まわりの状況に左右されず、自分自身の「中身」を変えることで、変化していかなければなりません。外側からの圧力によって(無意識に)変化させられるか、内側から(意識的に)変化するか。この2つの道しかないようです。となれば、当然、自分自身の内側を「自発的に」変えていく道を選びたいですね。今ほど、内面の強さが試される時はありません。内面性が人間の真の資産と成る時代です。最後はそれしか残らないのですから・・・。
ゴールデンウィークは特別どこにも行きませんでしたが、愛犬「じんべえ」と何度か井の頭公園を散歩しました。瑞々しい緑がとてもキレイで、青空も天高く、自然界がさらに一層、浄化されたような気がしました。そして、「何もかもがより良くなって来ている」という不思議な感覚を覚えました。つまり、意識的に生きて行くのであれば、今の世の中はとても素晴らしい状況に映り、逆に、まわりの状況に対応していくだけでは、とても厳しいものになると言う事です。
同じ環境や状況にいても、見える(感じる)世界が二通りに分かれて来たのではないか。何か小説のような非現実的な表現ですが(何となく)そのような感覚を覚えるのです。被害を小さくするには、被害の及ばぬ場所に行けば良い。でもそれは物理的な場所のことではなく、何か意識の置き所のような気がします。それが、具体的に一人ひとりの人生の分水嶺に成って来る予感がします。
休み中、子どもといくつかのTVドラマを見ましたが、もう完全に破綻状態ですね。造り手側から「恥」という概念が失われてしまったのか。あるドラマが、視聴率が低く、打ち切りに成るかもしれないそうですが、おそらく今後のTVドラマはすべて同じような状態に成ると思います。報道番組も本当の事を伝えられず、危機を危機と認識させてくれず、本来の目的を果たせていません。多くの人は「眠っている」状態で生きているようなものです。目を覚まして、自分自身を見つめて、内面を変えるべく最善を尽くして生きて行けば、こんなに楽しくて面白い時は無いのに。もったいない、もったいない。いろいろな事象を見ながら、あらためて気づきます。本当に私たちは幸せなんだと。
2012.04.20
暑い日と寒い日が交互にやって来たり、4月なのに熱中症が起きたり、何となく最近は異質な空気感というものを感じます。京都祇園の自動車事故をはじめ、人の精神に起因するカタストロフも多くなり、世の中全体が何か「異界」へ移動中というような肌触りを感じます。政治の世界も、何もかもが「具体性」を喪失していて、政治家一人ひとりの目も泳ぎ、何をどうしていいか分からないようなフワフワした印象を受けます。つまり、確固たる軸あるいは方向性が分からなくなってしまい、壊れたナビを茫然と見つめながら、ただ何となく(ソソワ、イライラ、オドオドして)アクセルを踏んでいるような毎日ではないかと感じます。TVニュースも、遂に、大切な事が何かが分からなくなってしまい、撮れた映像を流すことで時間を埋めています。多くの人々が、考えることを諦めてしまったかのようです。
でもこれは、誰か特定の個人の問題では無く、超時代変革の過渡期としてのある種の症状なのかもしれません。本当はもっと思考しなければいけないのに、あえて目を向けない、考えない。できるだけ目を閉じ、耳を塞ぎ、口を閉ざし、知らないふりをして歩き続ける。本当は何か大きな「コト」が起きているのに、何も変わっていないから大丈夫と、自分自身を信じ込ませながら、今日を昨日と同じように(漠然と)生きている。でも、実際の意識の深い部分で、「世界は異界に入った」ことを感じているのに・・・。
早く目を覚まして、まわりを見て、自分の顔を鏡で見て、ハッと気づくこと。そして、この「異界」を抜けた先にある新しい世界をよく考え、想定し、それに向けて今すぐ準備すること。それが一番大事な事のように思います。「異界」を通過することを恐れる必要は無いと思いますし、あらゆることは時間と共に変化し、時間と共に終わります。本当に大切なのは、次の世界です。次の世界には、原発は有るのか無いのか。自分の居場所は有るのか無いのか。明るい希望は有るのか無いのか・・・。本当は何となく、分かっているはずです。
「異界」に居る間は、まだチャンスです。次の時代を知る努力をして、仕事や日常の中で、その「方向性」を目的地として、「ナビ」を再セットすることです。その道は、今の時代にはまだ合わない道かもしれません。逆にマイナスに成る(難しい、遠回りの)道かもしれません。でも、次の時代を正しく想定(設定)すれば、その道を選ばずにはいられないのです。クリーンエネルギーへの転換もそうですし、農業や林業の再生もそうです。今は厳しくても、やらなければならないことがある。そこへ取り組むラストチャンスが今ではないでしょうか。あの「3.11」で目を覚まさないと・・・(もう一年も経ってしましました)。そのような全体的な危機感を、一人ひとりが持ち、自分自身の中身を変えることで、次の時代に備える。それが2012年を中心とした超時代変革の意味だと思います。地球環境を破壊する仕組みを変える。一人ひとりの人間性を高める社会に変える。資本主義経済から自然主義経済へ変える。日常を変える。食生活を変える。心を変える。そして、建築を変える。
来るべき自然主義(精神主義)の時代における建築の在り様を考え、丸二は約15年を掛けて、あらゆる準備をしてきています。命綱の建築、増改リフォーム、健康エコ、コーポラティブ、森造り・・・。でもまだまだです。私たち一人ひとりの人間性が本物に成らない限り、まだまだです。それでも、次の時代は「よく」見えています。そして、その方向通りに進んでいます。時代も急激に変わり出しました。私たちには夢と共に安心感があります。「異界」を超えるために必要なのは、この「夢」と「安心感」です。
確固たる軸あるいは方向性を持つことさえできれば、今ほどワクワクした時代は無いでしょう。その軸(方向性)の根源は、「生かされていることへの感謝」です。そして自分自身の中身を(自力で)変えることです。決して、外側や他人を変えることではありません。そこが1つの「分水嶺」です。私たちは、日々生き生きとしながら、計画通りの道を行きます。本当に面白い時代に成りました。私たちは、「自然の恩恵への感謝」が、次の時代の根源的テーマだと考えています。そして、そこをナビの目的地としてセットしています。今は細いデコボコ道ですが、だんだん舗装された大通りに成るでしょう。これが次の時代への「王道」です。
2012.04.04
昨日は(全国的に)「記録的」な暴風雨が吹き、大荒れの天気でした。交通機関にも影響が出て、地震以外の自然界の脅威を、改めて感じることと成りました。今後もこのような暴風、強風、竜巻等が多発すると言われています。地震、火災、水害、放射線に加えて、「風」に対する防災意識も必要に成ってきました。このような「記録的」な出来事が加速度的に増えて行くのが、これからの時代だと思います。よって、正しい時代認識(認識力)を持つことが重要です。建築の分野も、「災害」と向き合う視点を抜きには考えられません。「生命を守る」「健康を守る」「心を守る」ことが求められて来たと思います。
また今日は、昨日と打って変わって、春らしい陽気です。昨年の春は、震災直後の混乱の中で、とても「春らしさ」を感じられる余裕はありませんでしたが、今年は少し遅めの「春」をゆっくり、気持ち良く味わえそうです。いろいろな出来事がある世の中ですが、自分自身の心はいつも暖かく、穏やかな「春」でいたいものですね。でも、そのためには、「今」という時代に対する正しい「認識」を持たなくてはなりません。つまり、外側の物事をいくら変えても、自分自身の中身が変わらない限り、何も「変わらない」時代になったということです。目の前に在る状況を変えたくても、自分自身の中身(本質)を変えない限り、どこへ行っても、何をしても、その状況に追いかけられるだけです。
だからこそ、今、目の前に在る壁や困難を、感謝の心で(その場、その場で)ひとつひとつ(強い気持ちで)乗り越えて行くこと。あるいは受け入れて行くこと。決心して行くこと。そして、その環境の中で、自分自身に出来る限りの「最善」を尽くすこと。そうすれば(逆に)きっと思いがけない御褒美が待っていると思います。東日本大震災に対しても、日本人は、真正面からこの問題に取り組み、日本の新たな時代を創造する機会にしなければなりません。このような「認識力」の差が、今後の未来の大きな差に成るような気がします。
「認識力」が付いてくると、あらゆることを前向きに(良き出来事として)捉えられるようになって来ます。状況や現象に感謝できるように成ります。もっと進むと、ワクワクしてきます。つまり、外側の事柄は単なる現象(=幻想)に過ぎず、内側にある自分自身の「心」こそが実体(=現実)と分かり、不安や恐れが無くなります。その上で、外側の現象を包み込めるだけの容量(度量)が生まれ、問題や困難を解決すること自体が楽しく成るのです。あるいは解決「できない」状況が面白く成るのです。なぜならば、私たちはそのような「経験」を求めて生きているからです(現象としての「結果」だけでは無く)。そこに気が付くことが、真の「認識力」だと思います。
「認識力」が無いと、自分自身の乗り越えるべき課題を先送りにする行動を繰り返すばかりで、いずれはその「延滞金」に追いかけられます。時々、小さな地震が起きた方が良いように、人間にも時々、悪いことや嫌なことが起きた方が良いと思います。それを先送りしたり、誰かに取り除いてもらったりせずに、ひとつひとつを(小さなうちに)前向きに乗り越えて行く。人生は、すべての人に「認識力」を持たせるべく、様々な出来事を起こすのでしょう。しかもそれは「苦労」という形でやってきます。嫌ですが、仕方が無いのですね。
それでも、戦争を味わった世代に比べれば、私たちは何と幸福なことか・・・。苦労と言っても、命を取られるわけではありません。しかも多くのものは「時間」が解決してくれます。このような正しい認識を持つことが出来れば、「今」という幸福な時代を生かされていることへの「感謝」が、自然に湧いてきます。現在の日本の状況も、新しい日本を造るために必要な「経験」を与えるという意味において、「愛」に満ちていると感じます。だから一人ひとりが、それぞれの立ち位置にて、辛抱して、感謝して、最善を生きること。そうすれば、全体も個人も、「さいわい」と成る日がやってくると思います。
「認識力」の時代が始まっています。それさえあれば、いつも心の中はポカポカ暖かく、穏やかな「春」です。今年の桜はどうでしょうか。今の時代に「日本」に生きていることだけでも、黄金の幸福を手にしているに等しいです。そのような感謝の気持ちで、今年も美しい桜を味わいたいと思います。本当にワクワクする、今日この頃です。
2012.03.26
音楽家の坂本龍一さんが代表理事を務める森林保全団体「モア・トゥリーズ」が、丸二と連携している「加子母森林組合」を、「モア・トゥリーズの森」に認定いたしました。
写真は、岐阜県加子母地域の山中の「モア・トゥリーズの森」を視察する坂本龍一さん(中央)と岐阜県知事(右)と加子母森林組合・内木組合長(左)です(23日午後2時56分、中津川市加子母)。
「モア・トゥリーズ」の記事
岐阜新聞
YAHOOニュース
加子母の山中にある「丸二の森」の隣に、「モア・トゥリーズの森」の看板も立ち、いよいよ「美しい森づくり」の全国的なモデルになって行くと思います。丸二は、加子母森林組合さんと農商工連携認定事業を行っており、「加子母ひのきの産直エコ住宅」や「加子母森林エコツアー」等の取り組みを続けているところです。
加子母は、「伊勢神宮(式年遷宮)」の御用材の山としても有名で、強度の高い、見事な「神宮ひのき」の産地です。丸二は、この「加子母ひのき」の立派な有効利用材を、都会の「健康エコ住宅」に活用しています。今回、世界の坂本龍一さんが「加子母」を認定したことで、「加子母ひのき」が全国区となり、日本の森を守る運動もさらに拡大するのではと、心からワクワクしています。とても嬉しいニュースです。
2012.03.24
今、日本の政治が向かっている方向は、「増税」「原発推進」「対米従属(TPP)」という3本柱のようです。そこには常に「復興のため」「社会保障のため」「温暖化対策のため」「電力確保のため」「景気回復のため」「防衛のため」という「枕詞」が付いています。多くの国民は「それなら仕方ないか」という気持ちのようです。でも何か、巧妙な「すり替え」があるようにも感じられます。国民は、等しく誰もが、「復興」「社会保障」「温暖化対策」「電力確保」「景気回復」「防衛」を心の底から「純粋に」待ち望んでいます。よって「そのために」と言われれば、それを素直に、純粋に、信じる道を選びます。
でもその「大前提」は、国民の「純粋性」に対して、政治家も同様の(あるいはそれ以上の)「純粋性」を「有している」ということです。私たちは(時に)疑念を持ちます。「政府は本当に国民のことを考えているのだろうか」「実は別の理由があるのではないか」「何か大事な情報を隠しているのではないか」「本当はもっと良い選択肢があるのに、自分の立場や地位を守る方を優先しているのではないか」と。日本の国民は本当に純粋です。世界中どこを探しても、日本人ほど純粋な国民はいないと思います。時にこのような疑念を抱きつつも、心の底流においては、「まさか、そんなことはしないだろう」と固く信じています。
もっと大きな視点で見ると、今の日本の政治には、「日本を良くしない(してはいけない)」という明確な意志が働いているようにも感じます(多分、無意識の総意として)。クラスの中で、本当は一番優秀で、人柄が良くて、リーダーシップもあるのに、突出すると「番長たち」からの「いじめ」に遭う。それを心底恐れている一人の生徒こそが、今の日本の姿のように映ります。とにかく目立たないこと、わざと弱いフリをすること、一番にならないこと。それが生きていくための唯一の術なのです。
そのような(広い)意味において、日本の政治家も「純粋」なのでしょう。否、日本にはそもそも「政治」自体が存在していなかったのかもしれません。自国を「より良く(強く)しよう」とする強烈な意志の無い政治など、「政治」では無いからです。同時にそのような「無政治」のおかげで、今の日本が在るとも言えます。すべては必然必要です。でも、これからはどうでしょうか。日本の未来のみならず、世界(地球文明)の未来を考えた時、そろそろ本物のリーダーが出て行かなければ成りません。心から「純粋」な気持ちで、世界平和を実現しようとする人物が「クラス(世界)」をまとめて行くべき「時」が来たと思います。
国も、国民も、日本の持っている「圧倒的な力(資質、歴史、技術、国民性」」を信じて、もう「いじめ」を恐れずに、「世界をまとめよう」と決意するべき「時」が来たのではないかと思います。現状に息詰まった時は、あえて視点を切り替えて、物事を俯瞰することが大切です。日本(自分)のことばかり考えているから、埒が明かないのです。思い切って、世界(他者)のことも考えるべきです。そうそれば、(相対的に)小さな国内問題など、一気に方向性が見えて来るのではないでしょうか。政治は「ぐるっと」変わって行きます。
日本の政治家は、本質的には(他国に比べれば)素晴らしい「純粋性」を持っていると感じます(「目立たないことが日本のため」と信じているという面において)。でも、これからは「世界をまとめる」という勇気を持って、意識を180°変えて行かなければなりません。それはイコール「責任」を持つと言うことです。番長も、生徒会長も、校長も、社長も、「長」と付いた者は、自らの「生命」を担保としての重大な「責任」を持っています。それを恐れるのは、分かります。でも、今後の世界をリードして行けるだけの責任を持てる国(国民)は、どこを探しても、「日本」しか無いのではないでしょうか。その決意を持って、「日本をより良く(強く)していく」戦略に方向転換し、その上で世界(他者)のことも考えて行けば、自ずと「増税」「原発推進」「対米従属(TPP)」等の政策にも変化が生じて来ると思います。今の日本の最大の矛盾点は、国民は「より良く成ろう」と懸命に努力しているのに対し、国は「より良く成らないように」と懸命に努力していることです。ここを突破することです。
そうすれば国民の意識も変わり、結果として、日本も世界も「より良い方向へ」変わって行くと思います。それだけのことが出来るのが、日本だと思います。この日本の力の原点は、人々の「純粋性」であり「和の精神」ではないでしょうか。日本が主導する世界を考えると、とてもワクワクして来ます。現在のような「戦争経済」や「競争社会」ではなく、きっと「自然との共生」「人々を幸福にする技術」「世界平和」「貧富の差の解消」「クリーンエネルギー」「東洋医学(予防医学)」「清浄な街づくり」「和、助け合いの精神(人格形成)」「農業、林業の再生」・・・いろいろなイメージが生まれてきます。
このような大きな方向性(ビジョン)を共有することが出来れば、当面の厳しさは簡単に乗り越えられると思います。そこが日本人の凄いところです。昨年の3.11は、「勇気を持って、動け。なぜ、動かないのだ」と言う、自然界からの啓示だったのではないでしょうか。なぜ日本だったのか・・・。私たちは、早く気づくべきだと思います。
2012.03.22
2012年も「春」が近づいて来ました。人間社会は、日々いろいろなことがあって、右往左往の様相が続いていますが、自然界の方と言えば、淡々とある一定の法則に従って、地球の自転と公転を(予定通り)運行しています。仮に何か違和感を覚えれば、少し揺さぶって、本来の適正な状態へ戻す。その繰り返し(サイクル)の中で、宇宙も地球も、私たちの生活も、時間と共に進化発展して行くのでしょう。この「揺さぶり」こそが、地震活動、異常気象、資本主義の終焉として現象化されています。つまり私たち人間は、自然界に違和感を覚えさせないような生き方をして行けば良いのですが、そのような高度な人間社会を創造するのには、もっと多くの時間と経験が必要なのかもしれません。
私たちは、過去から現在に至るまで多くの「違和感」を積み重ね、その結果としての「揺さぶり」を素直に受け入れ、良き未来社会への橋渡しをしなければなりません。今生きている人類は、そのような同様の使命感を持つ同志です。だから、もう対立するのを止めて、自分たちだけの「利」は脇へ置いて、共に力を合わせ、このような歴史的大転換期を乗り越えて行くべきです。それを先送りしては、もっともっと大きな「揺さぶり」が、未来に発生してしまいます。子どもたちや孫たちの「良き未来」を創造するには、今「一気に」上書き修正する以外、道は無いと思います。
その修正のための共通理念こそが、「自然の恩恵に感謝する」意識ではないかと感じます。「自然」とは森羅万象、万物すべてを含んだ意味合いです。私たちは、生かされている存在です。そのことを(もっと)理性的かつ現実的に理解して、感謝しなければなりません。「生かされている」ことへの感謝の気持ちが生まれれば、もう(今日)生きていること自体が「幸福」と成るのですから、(その上)さらに何かに「依存する」こと自体が不要(無意味)と成り、(むしろ)逆効果とさえ気づくことが出来ます。なぜなら、「依存」=「生かされていることへの否定・反発」だからです。
「生かされていること」に素直に感謝して、(思い通りに行かない)日常を幸福な気持ちで過す。自然界や人に対して怒ったり、恨んだり、比較したり、愚痴や不平不満を言わない。常に前向きな意識で、前向きな言葉を使う。これらは全て、理に適っていると思います。このように「自然の恩恵に感謝する」という考え方を基礎として、人々が良心的な生活や良心的な経済活動をコツコツと実践して行けば、きっと景気も良く成ると思います。戦争や自然災害も減って行くと思います。そのようなことへの気づきを得られる時代が、「今」です。それだけでも幸福なことではないでしょうか。
丸二の経営理念の中に、「自然との総和に徹し、自然の恩恵に感謝できる会社造りを目指す」という一文があります。私たちも、一人ひとりが「感謝の心」を持つことによって、本当の「良き建築」を造ることができると考えています。おかげさまで良き社員さんに恵まれて、一歩一歩ですが、人間性の高い組織に成長して来ていると感じます。それが社長として、最高にうれしいことです。
2012.03.20
社長業15年目に入りましたが、昨年3.11以降の大きな「うねり(のようなモノ)」の感覚は初めてです。「変化」というよりも、むしろ「上書き」という方が合っているような気がします。全部、過去のことはキレイに消去されてしまい、まったく新しい「情報」に入れ替わるというイメージです。今までの常識が通用しなくなる時代がもうすぐやって来るのでしょう。このようにして、世の中が「リセット」されて、私たちも自然に「リセット」できます。だから、(先のブログに書いた通り)今が苦しい人ほど、懸命に生き続けようとする限り、「さいわい」に成るのだと、あらためて思います。
宮澤賢治には今の時代を生きて欲しかったと思います。もしこのような「うねり」の時代の人であれば、間違いなく「超さいわい」の人生を体験出来たはずだからです。でも、宇宙創生の時間軸から見れば、100年や200年位の差など、ほんの僅かな誤差レベルでしかありません。だから私たちは、「さいわい」なのです。「今」という時代に、ピンポイントで生まれて来た訳ですから。多分、ゴルフのホールインワンを100回連続で達成したほどの確率ではないでしょうか。この宇宙や自然界の成り立ち、法則、規律、真理を知った上で、身ひとつで「上書き」の瞬間を体験していく。そのために、私たちは「今」をワクワク生きているのです。
建築の世界も、何か違う発想が求められているような気がしてなりません。東北の復興に関しても、今までと同じ発想の街づくりや建築様式では、結局同じことの繰り返しに成るように思います。今後は、(地球規模的に)災害が巨大化してくると予測されています。「3.11の地震で大丈夫だったから、もう安心」と言う訳には行きません。人々の「生命と心を守る」役割としての住居という発想への「重心移動」が、いよいよ加速して行くでしょう。毎週のように、地震が起きる時代がすでに来ているからです。
そのような視点で、建設業の行く末を見て行くと、なかなか興味深いと思います。丸二も現在、おかげさまで昨年以降、お客様からの依頼件数が非常に増え始め、今まで以上に、鉄筋コンクリート造、高強度の伊勢神宮御遷宮ひのき(加子母ひのき)住宅、鉄筋コンクリート造+木造のハイブリット(混構造)住宅、コンクリート住宅の外断熱仕様、鉄筋コンクリート造の賃貸併用住宅、古い木造住宅の建て替え、耐震改修、老朽化した部分の修繕や補修等が多い状況が続いています。いよいよ新しい時代への備えという意識が、動き出したのでしょう。
これからは「生命を守る」がキーワードに成ると思います。それは、文字通り「命」を守るという面に加えて、「心」を守るという面もあります。それには、新しい時代に相応しい「人間性」を持つということ以外に無いと思います。自らの良心に従って生き、安易に何か(他者)に依存すること無く、本当の真実を知ることによって「自力」を付けること。今まで良心的に生きて来た人や会社が、いよいよ「さいわい」に成る「上書き」が始まります。
2012.03.17
地震が多いです。ここ数日は千葉県沖のようです。3.11以降、日本列島全体が活動期に入ったらしく、今後は全国的に地震や火山への注意が重要と思います。3.11の時もそうでしたが、何か想像もつかないような事が起きた時、人間は何を優先するかと言うと、やはり「家族」のことです。もちろん自衛隊、警察、消防、役所の方々、政治家、あるいは経営者等は、そうは言っていられません。「家族」を二の次にせざるを得ない立場というものがあるからです。でも、家族の「前に」という意識を持つという意味において、やはり「家族」が軸に成るのです。
数年来、丸二は岐阜県加子母(かしも)の加子母森林組合様と一緒に、国産ひのきの家造りへの取り組みを続けています。国(経済産業省&農林水産省)の認定事業というバックボーンをいただき、林業と建設会社が「直接」つながるという全国的に稀なシステムを構築して、現在様々な展開を進めているところです。
加子母地域とは、岐阜県の一番東側にあり、下呂温泉のすぐ南に位置しています。歴史的に東濃ひのきの産地として有名で、特に加子母の「神宮備林」は、約200年前から伊勢神宮の「御遷宮」の御用材として使われている(言わば)「宮内庁御用達」の山と成っています。その加子母の山とのご縁が出来たことに、私たちは心から感謝しております。
さて、その加子母森林組合ですが、SGEC「緑の循環」による「森林認証」を受けており、国際基準の極めてハイレベルな「森林管理」を行っています。その確かな品質管理による「認証材」は、どこの山でも取れる材木とは違います。強度も高く、色も独特なピンク色で、香りも良い。加子母の人々は古来から山を愛し、伝統を守り、和の精神で、心を込めて見事な「神宮ひのき」を育てています。
加子母森林組合には、「美林萬世之不滅(びりんばんせいこれをたやさず)」という山づくりの理念があります。何世代にも渡って、山を美しく守り続けていくという思いが、そこには込められています。その具体的な形として、「四世代複層林」への取り組みがあります。四世代複層林とは、10年生、40年生、70年生、100年生などの、四世代の木を、同じ場所に混在させて、一緒に育てて行くやり方です。一般的には、ひとつの場所に一斉に苗を植えて、同じ年齢(大きさ、高さ)の木をまとめて育てて行くのが普通です(その方が効率的で、楽なのでしょう)。そしてある時期になって一斉に伐採し、裸になった山にまた苗を植えます。その繰り返しです。
でもそのような方法ですと、山の状態は常に一定せず、風景や森の生態系にも偏り(不自然)が生じます。その結果、持続可能な美しい森からは程遠い、荒れた山になってしまいます。それに対して加子母森林組合は、全国で最も早く「四世代複層林」への挑戦を開始しました。後に林野庁がそれに続きました。すべては「美林萬世之不滅」の理念から発祥したことです。
同じ場所で、10年生、40年生、70年生、100年生の木々を育てる。大きく成った木から順に、一本一本が伐採されて行くのですが、森全体の風景や生態系はまったく変わらない(不変)・・・。まるで「方丈記」の「行く川の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず」と同じ世界です。そのようにして美しい森の調和は持続し、経済活動としての「山づくり」も子孫へと継承されて行きます。
まるで、「家族」のようです。おじいちゃん、おばあちゃん、お父さん、お母さん、子どもたち、孫たち。みんなが一緒(同じ場所)に暮らし、家系が継がれていく。それが一番自然なことであり、一番美しいこと。その「家系の形」が(永遠に)先々の子孫まで遺されて行く。私たちが提唱している「加子母スタイル」とは、いにしえの大和(ヤマト)の時代から存在し続けていた、本当の「家族の在り様(スタイル)」へのオマージュとして創造されたのです。
加子母森林組合の内木組合長は、いつもこう言います。「加子母の木は『育った』のではない。『育てた』のだ」と。そこには、トテツモナイほどの、森や木への深い「愛」が内在しています。「親(母)が子を育てる」という人類普遍の営みの原点が、今、加子母の山で静かに息づいている。その瞑想的にも思えるほどの感動の波が、加子母の森には響き渡っています。そしてこの普遍的とも言える自然界の大きな仕組みを、「家(=家族)の在り様」に置き換えた時、私たちが造る「加子母ひのきの家」の価値は、21世紀という新たな時間軸の中で、確かな重心を持ち得るのだろうと信じます。
尾張の時代から山を守る伝統をつなげ、最も日本人的な「和」の精神を継承している加子母という土地には、とても不思議な力があるのでしょう。それが「宮内庁御用達」の「ひのき」を産出している根源的な理由だと感じます。森を守り、家族を守り、そして土地(街、地域、コミュニティ)を守る「思想」の原点を、私たちは加子母に見たのです。その全てを貫く理念こそが、「美林萬世之不滅」であり、そのまばゆい光こそが、2013年(来年)の伊勢神宮「御遷宮」へとつながります。
加子母スタイルは、「日本の未来形」の雛型となるでしょう。これから加子母の名は、日本全国へ広まると思います。日本の文化、家族の原点、住む人を「育てる」家の代名詞として。「母」と「子」の名を持つ、古代大和(ヤマト)の文明の力は、必ず3.11以後の日本を「育てて」行くと思います。私たちは、その大きな流れの中で、感謝の心と使命感とワクワク!を感じています。
2012.03.15
最近、女性芸能人の洗脳問題がワイドショーを賑わせていましたが、今はあらゆるところに(無意識に)人を管理・コントロールする作為が満ちているような気がします。TV、CM、映画、音楽、新聞、ネット・・・。結局、今の時代を造り上げたのは、私たちの総意だったのですが、その総意も「何となく」のイメージで構築(誘導)されているものであり、本当に「分かった」上での総意ではないと感じられます。女性芸能人のことを、とやかく言えません。
日本は先進国の中で、異常に自殺が多い国です。これは確かに問題であり、改善すべき重要課題です。でも、内閣府が「〇〇対策強化月間」「〇〇予防週間」として大々的に謳えば謳うほど、余計に「〇〇」は拡大・増加していくものです。人が意識を向けたもの、言葉として発したもの、文章化したものは、増加・拡大・実現化する法則(特性)があるからです。人の心の無意識(潜在意識)とは凄いもので、それを見たり、聞いたりすればするほど、その現実を引き寄せます。
だからもし対策をするのであれば、例えば「元気いっぱい月間」「こころの安心月間」「大丈夫だよ週間」「生きようね週間」等の良き言葉に変換して行う方が良いと思います。「戦争反対」では、逆に戦争が拡大するからです。このように私たちは、あらゆる「情報」に気を付けていかなければなりません。もしかしたら毎日、無駄な情報あるいは作為を持った(意図的な)情報を(無意識に)受信しているかもしれません。それによって誤った人生を選択しているかもしれないのです。
その情報が、正しい(善意の)情報かどうかを見極めるのには、先ず自らが本物の感性を持つ以外にありません。そのためには、物の道理を理解することです。まわり道のように見えますが、それが王道です。自然界の様相から学び、物事の摂理を理解して、自らの生き方を創造していく。決して外側のもの(人)に依存しない。そうすれば、変な情報や変な人は離れて行き、真実のみと向き合えるようになると思います。「自分自身」に成ること。それが偽物情報(人間)から身を守る最善の方法だと思います。
ところで、先程の「元気いっぱい月間」に関してですが、人は誰でもトコトン落ち込む時があるものです。それを避けたいがために、何かに「依存」することはあるでしょう(その女性芸能人のように)。でも、よく考えてみると、そもそも人間は、様々な経験(艱難辛苦も含めて)を味わいたくて、生まれて来たのではないでしょうか(私はそう感じています)。だから、それを上手に避けてしまったら、いったい何のための人生なのか・・・意味が分からなくなってしまいます。
私たちは、うまく(難を)避けている人々のことを「成功者」「幸福者」と呼びます。でも、果たして本当にそうなのでしょうか・・・。苦しい時は、素直に落ち込み、嬉しい時は素直に喜ぶ。その状況に(良い意味で)どっぷりと浸かりながら(味わいながら)何かを掴もうと、もがく。本当は、そのような体験を「したくて」「したくて」生きているのかもしれません。
祭りに来たのに、踊らずに帰る。それを後悔して、また祭りに来て、また踊らずに帰る。その繰り返し。人生とは艱難辛苦のお祭り事ではないでしょうか。思い切って、輪(環、和)の中に入り、どっぷりと味わってしまった者の勝ち。そのように考えられれば、「〇〇対策強化月間」などはもはや不要で、むしろ悩みながら前へ進んでいる(踊っている)人々こそが、真の成功者であるという真実が見えてきます。
発想の転換ですね。こういう考え方、私は好きです。もちろん私も、たまには落ち込みます。でもそこに、あまり深刻さはありません。実は内心、ワクワクしている時もあります。なぜかと言うと、そういう時は、ビーチボーイズの「ペットサウンズ」を思い出すからです。意味が分からないとは思いますが、ビーチボーイズの大黒柱であるブライアン・ウィルソンが、極度の精神的破綻状態に落ち入った時、後に「金字塔」と呼ばれることになるアルバム「ペットサウンズ」を生み出したことを知っているからです。
もし、彼が上手に(うまく)人生を歩んでいたら、「ペットサウンズ」は生まれず、それに対抗して作られたビートルズの名盤「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」も生まれなかったでしょう。「ペットサウンズ」というアルバムの名前は、メンバーから「こんなクダラナイ音楽は犬にでも食わせとけ!」と罵られたことから付けられたそうです。何て、悲しいことでしょう・・・。でも、その「クダラナイ音楽」のおかげで、今の彼らの名声が在るのです。そしてあのベートーヴェンも、耳が聞こえなくなり、あまりにも生きていくことが苦しくなり、ついに遺書を書きました(ハイリゲンシュタットの遺書)。でもそこを懸命に乗り越えた「後に」、「英雄」「運命」「田園」「第9」が誕生していくのです。
苦しい時が来たら、ワクワクしながら「後に〇〇と呼ばれる」何かを創造しましょう。きっと誰にでも出来ることです。決して、何か(誰か)に依存して、そのビッグ・チャンスを逃してはいけません。悩んでいる人こそ、真の成功者だからです。