社長ブログ

揺さぶり

増税法案が衆議院を通過しました。国家財政が<極めて厳しい>という大義名分の<力>によって、国民の心の中に「それなら仕方が無い・・・」という消極的な同意が生まれたからでしょう。「増税する前に、支出を見直す努力をします」という言葉を信じて、国民は民主党に政権を委ねたと思うのですが、遂にそれは果たされませんでした。国は、国民との約束に「造反」したのです。
ならば、自民党政権のままで良かったのか。震災への対応も、もっと素早く的確だったのかもしれません。でも、国民との約束を反故しなくてはならないほど、国家財政が悪化していたのであれば、その根本的な原因は自民党時代にあったとも言えます。
あるいは、国民が知る由もない、何か強烈な圧力(のようなもの)が存在していて、仮に誰がリーダーに成ろうとも、その圧力から逃れられない「何か」が存在しているのかもしれません。それは、自分の身を守るためであり、国民の身を守るためであり。結局のところ、本当のことは良く分からないのです。だから、結果や、報道や、目に見える部分だけを見て、その是非を判断することは非常に難しい。ただ、そのようなトテツモナイ圧力によって、正しい考え方や本物の技術が、叩かれたり、無視されたり、葬り去られているのは確かなようです。
きっと多分、皆それぞれの立場の中で、懸命なのだと思います。<良心の呵責>に悩まされながら、今を生きて行くことに必死な人、組織も多いと思います。そう言う意味で、世の中全体の総和のバランスは(不思議と)保たれているように感じます。つまり、今が苦しい人は「さいわい」に成るということです。良心に応援されて、いずれ必ずバランスが取れて、「さいわい」な方向へ向かって行くはずです。
逆に<良心の呵責>に追いかけられながら、「我れ良し」で上手くやっている人や組織は、いずれバランスを崩して行くでしょう。そのような、世の中全体のバランスを調整する時が来たのではないでしょうか。そのために、世の中が大きく揺れ始めると思います。揺れて、振動して、一旦ガタガタに成って、不調和(デコボコ)が調和(平ら)へと成ります。そのような大きな振動が、すでに至る所で起きています。
地震もそうかもしれません。政治も経済も全てがもっと大きく振動していくと思います。でも最大の振動は、実は自分自身の心の中で、起き始めると思います。その揺れの大きさに、慌てたり、動揺したりするかもしれません。急にどこかへ逃げたくなるかも知れません。でも、大切なのは「いま」「ここ」です。
どこへ行っても同じことです。今、この場所で、調和が取れない限り、永久に何も変わりません。よって、これからの混迷(大振動)の時代に最も必要な事は、自分自身を信じて、いま、ここで、そのままで、強く成ることだと思います。そう成れば、増税も悩みも、関係無く成ります。世の中の事象を超えた自分自身に成れれば、外側で何が起きても大丈夫だからです。これから起きる最大の振動エネルギーは、私たち一人ひとりの心の中で起きて来ると思います。
だから、とても貴重な時代を生きていると思います。自分自身の中身が変わり、強く成ると、まわりの事象もガラっと変わって来ます。今、同じ場所にいながら「さいわい」に成れるのです。こんなウルトラCが出来る面白い時代が、<今>だと思います。何があっても慌てず、騒がず、落ち着いて、自分を信じて、「いま」「ここで」最善を尽くすことに集中です。
今までは、環境を変えれば、気持ちや運気が変わると、信じていました。でも、時代は変わってきたようです。どこへ行っても、自身の内面を変えない限り、何も変わらない。また同じ悩みが(むしろ)加速度を増して追いかけて来るだけです。そのような根本的な<意識改革>を、自然界が私たちに迫ってきたのではないでしょうか。
最近、子どもの頃に見て<心を揺さぶられた>いくつかの映画を、DVDで鑑賞し始めました。当時、何回も映画館に通って見た作品は、やはり今でも感動します。必ずしも名作で無いものもありますが、自分自身を揺さぶってくれるものであれば、私にとって、それは素晴らしい映画です。その感動の原点は、(不思議と)今の仕事や人生のどこかにつながっているような気がします。さらには、仕事や人生に対する新たなヒントも(たくさん)生まれて来そうです。自分自身の心を振動させることで、自らのアイデンティティを再発見し、感動的な仕事と人生を創造する。揺さぶりは「さいわい」です。

子どもたちの未来

消費税問題、原発再稼働、円高、株安、復興、防衛、防災、環境、教育、福祉、生活保護問題・・・。複合的に絡み合った糸を解いて辿っていくと、一体どこに行き着くのだろう・・・。1つ1つへの対処療法も大事ですが、同時に、全ての根本原因を探り当て、その根っ子を正すことが本線だと思います。その根っ子を見つけるための1つのキーワードとして、「子どもたちの未来」があると思います。未来の子どもたちが、安心して生活できる社会システム。無税国家。みんなが心豊かに付加価値を創造し、シェアし合える経済の仕組み。地球や自然に感謝して、大切にする意識。お互いに助け合う心。戦争の無い社会。安全でクリーンなエネルギー開発。病気の無い人生。精神や認識力を高める教育・・・。
全部、現在の社会システムの「反対側」に有るものです。同時に、「3.11」で気づかされた(突き付けられた)課題でもあります。大人たちは、現在のシステムを変えることに抵抗します。でも、変えなければ、未来の子どもたちが苦しみます。そのジレンマに悩み、もがき苦しむことが(ある意味)最も正しい生き方のような気もします。未来の子どもたちについて、悩み苦しんでいる人こそが本物ではないでしょうか。もし、そのような「真の」悩み苦しみを抱えている人がリーダーであるならば、それは幸福なことだと思います。
さて、先日ブログで紹介した映画「この空の花 長岡花火物語」を日曜日の夜に、今度は妻と二人で(有楽町スバル座へ)観に行きました(本当は子ども達にも見せたかったのですが、みんないろいろと予定があって・・・)。妻も感動してくれたようで、とても良かったです。最近、(公開中に)2回以上見に行った映画はあまり無く、久しぶりですね(昔は何度も見に行きました)。映画の内容については前回書いた通りですが、2回目はさらに深く、深く、震えるような感動を味わいました。監督自身も「8回見て解った」とのことで、今後の映画史の中でも、きっと稀有な存在として語り継がれていく作品に成ると感じます。
戦争や災害の悲惨さを深刻に表現した映画(芸術)は数多くあると思いますが、爽やかな風のような肌触りで、感謝と追悼の祈りを追体験できた作品はあまり無いと思います。そこには、戦争や震災で亡くなった方々からの(むしろ)明るい「声」が聞こえて来ます。モーツァルトの音楽を「悲しみは疾走する。涙は追いつかない」とよく表現しますが、この物語は「涙は疾走する。悲しみは追いつかない」と成りそうです。理屈では無く、涙しかない。でもその涙は、悲しみを超えて「祈り」へと昇華されている。このような映画を世界中の人が見たら、きっと多分、戦争は終わるかもしれないと、ほんの僅かな希望の光を感じます。
さて映画の中で、「平和は子どもたち自身がつくるもの」と有りましたが、本当にそうだと思います。戦争の無い平和な社会をつくるために、今の子どもたちは、過去から学び、新しい未来を創造しなければなりません。そこには、きっと大きな決断を伴うでしょう。でも、今の若者たちは、「仲間」「友人」「チーム」「和」を最も大切にしていると聞きます。もし本当にそうであるならば、大丈夫です。大人たちの中にも、子どもたちの未来を優先する人々が、きっと出て来るはずです。大人も子どもも、何かを超える力を与えられて、「今」を生きています。だから、期待できます。希望が持てます。日本も世界も大丈夫。みんな(過去を生きた)先人達のおかげです。深く、深く、感謝です。

金環日食

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今朝の「金環日食」、見ることが出来ました。多くの人が空を、太陽を、月を見上げていました。そのような風景に接して、昔の人は(もっと、きっと)毎日このようにして空を見上げていたのだろうなあ、と感じました。太陽と地球の間に月が入り、一直線に成った瞬間、もしかしたら何かが変わったのかもしれませんね。あらためて太陽と月に感謝です。
※携帯で撮ったので、日食の状態までは写りませんでしたが、なぜか写真の上部に小さく(もう1つ)太陽が写っていて、それだと日食しているのが分かります。面白いですね。

この空の花 長岡花火物語

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大林宣彦監督の最新作「この空の花 長岡花火物語」を見て、久しぶりに映画について書きたくなった。最もこの作品を「映画」だと言い切れるのかどうかは分かりません。セミ・ドキュメンタリーという説明ですが、そういう域を遥かに超えている気がします。普通ではありません。しかも新潟県長岡市の(いわゆる)町おこし的な地域のローカル映画であるはずなのに、そんな小さな枠組み(常識やイメージ)などを全てぶち壊し、大胆かつ刺激的な大林流の超ワンダーランドに仕上げながらも、「果たしてこれ以上に長岡花火物語を伝える手立てがあったのだろうか」と思えるくらい、本質を突いた爽快感がありました。何だろう、これはいったい・・・。
あの戦争で長岡は大変な空襲にあったそうです。多くの市民が犠牲となり、その追悼のために始まったのが長岡花火。それは中越地震を乗り越えて、東日本大震災の復興とも重なり合い、今や平和への「祈り」のシンボルと成りました。長岡花火は、米軍から大空襲を受けた8月1日に、毎年上げられます。土日に合わせたりはしません。なぜか・・・。それは「観光用」では無いからだそうです。「追悼」「祈り」そして「復興」へ。ひとつの里が、いつまでも「その日」のことを「決して」忘れずに、先人を供養し、追悼し、感謝を捧げている。このように、永遠に「未来へ」つなげていく無形の「思い」こそが、本当の意味での「平和」なのではないかと、あらためて気づかされます。外側に向けて、何かを訴える(運動する)のではなく、自らの内側に向けて、「供養」「祈り」「感謝」を「思う」ことで、長岡の人々は戦後60年以上を掛けて、日本の平和を「実現」して来たことを、知りました。
この映画では、戊辰戦争でこの里が焼けた時に支援された「米百俵」を、未来の子ども達のために(国漢学校創設に)使った小林虎三郎の精神も紹介されています。これも、やはり「未来のため」でした。有名な画家、山下清も長岡を訪れて、「長岡の花火」を描いています(このエピソードも映画に出て来ます)。山下清画伯は「世界中の爆弾を花火に変えて打ち上げたら、世界から戦争が無くなるのにな」と言ったそうです。そうか、だから花火なのか。戦争も花火も同じ音(爆発音)がします。同じものを「善」に使うのも人間、「悪」に使うのも人間。そのモノ自体は善でも悪でも無く、それを「どのような心」で使うのか・・・結局、人間性の問題なのです。原爆や原発も、それを扱う「人間」の問題なのです。映画では、花火の音を聞いて、空襲を思い出し、恐怖する人も出て来ます。一方、現代の私たちは、花火を見て、空襲を思い出したりはしません。なんと平和なことか・・・。ありがたいことか・・・。多分それは・・・長年「供養」「祈り」「感謝」を思い続けてきた「誰か」のおかげなのでしょう。
いつまた戦争が起こるかは分かりません。二度の起きないとも限りません。それなのに今の私たちは、あまりにも能天気です。この「無知さが故の」怠惰なる姿勢は、いずれまた「次の戦争」を生み出すことでしょう。危機を想定すれば危機を回避できますが、危機を想定しなければ、危機を回避できません。私たちは「3.11」で、そう学んだはずです。この映画の中心軸は、不思議な女子高生が台本を書いた「まだ戦争には間に合う」という劇です。まだ戦争には間に合う???・・・もう戦争は終わったのに・・・はっとしました。そうではないのです。これは過去からのメッセージ、いや忠告、いや警告です。二度と起こしてはいけない戦争が、また起こるかもしれない。だから「次の」戦争にまだ「間に合う」と言っているのです。寒気がしました。私たちは、60年以上前の戦争を「思い出し」、そこへ向けての「供養」「祈り」「感謝」を捧げることで、次の戦争を起こさないようにしなければならないのです。だから「まだ間に合う」。過去の先人達は、自らの生命を犠牲にして、未来の人々を救おうとされました。自分が苦しいのに、痛いのに、熱いのに、恐いのに、寂しいのに、悔しいのに・・・未来の「知らない」子どもたちのために、何かを残そうとされました。そのことへの「感謝」を、私たちは忘れてないだろうか・・・。
去年、東日本大震災が起きました。2万人もの多くの犠牲者の方々も、同じように「未来へのメッセージ」を残してくださいました。だから、そのことを「忘れずに」祈り、感謝して、平和を実現して行きたいと思います。日本は原爆、大空襲、大震災、原発事故等を経て、その度に、「未来へのメッセージ」をつなげ続けています。でも、もうそろそろ「応え」を出さないといけません。「まだ間に合う」けど、もう最後のチャンスです。それは、一人ひとりが「意識を変えること」しかないと思います。原発事故以来、節電で、夜の明るさが暗くなりました。映画の中でもありましたが、昔の人は「その方が落ち着く」。また、映画の(劇中劇の中の)セリフでも、「神様も、夜はこれくらいの明るさで暮らしなさいと言っている」とありました。いま私たちは多くのシグナルをいただいています。政治や経済、資本主義、みんなもう変わります。でも、絶対に「良い」方向に変わるのです。意識さえ変えれば・・・。
この映画の主人公は、不思議な女子高生で「花」という名前です。いつも一輪車に乗っています。多分、時空を超えた存在です。「時空を超えた存在」が現れる「ご当地映画」などは、普通はありません。映像も(必ずしも予算たっぷりでは無いことが判るような)合成やアニメーションも多用され、テンポも早く、かつ上映時間は160分(2時間40分)。きっと「変な映画」と思う人も多いことでしょう。でも、そのような危険を冒してまで、この風変わりな作品を、70歳を超えた一人の人間が造り出したことに対し、私は素直に感動しました。私たちは今、戦争を含めた数々の危機や混乱、大変革の前に立っています。でも、「まだ間に合う」。意識を変えて、本質を知る努力をし、すべてを見直し、やり直すこと。日々1mmでも良いから、前進していくこと。そう、この映画の全編を流れるエネルギーは「前進」です。良き未来への前進を、始めて行こうと感じました。

青空

今日は5月11日・・・。9.11と3.11以降、何となく「11日」の日を意識しますが、今朝の雲ひとつない真っ青な「大海」の空を見た時、何もかもが美しく変化しつつあるのだと、心から感じることが出来ました。それにしても、本当に今朝の空は凄かった。素晴らしかった。太陽の光も強く、強烈でした。確かに何かが変わりつつあることを、ずっと心の中で感じてはいたけれど、それが「良い方向へ変わっている」ということをリアルに実感できたのは、今朝が初めてかもしれません。玄関のドアを開けて、空を見上げた時(ドラえもんの)「どこでもドア」で、どこか違う場所に来たのかと勘違いするほどの景色でした。
美しい風景とは、どこか遠くの有名な観光地や景勝地にあるのではなく、多分(このように)ゴク身近な場所に、「すでに」在るのかもしれません。そのことに気づくことがさえ出来れば、私たちは「今すでに幸福の中にある」自分自身に気づくことが出来ます。現在、世の中で起きている事は、確かに「大変な事」ばかりですが、その中においても「美しいもの」「幸せなこと」「ありがたいこと」を見出して、そのことに感謝することさえ出来れば、きっとその瞬間からまわりの景色が変わるのでしょう。結局のところ、原因は外側(社会、政治、他人)ではなく、内側(自分自身)にあったのだと、解ります。それに気づくことが、「大変」を終わらせる(遠回りのようで)近道かもしれません。毎月の1日と11日は、自分自身の内面を見つめる日にしようと感じました。
私は、毎月1日は、地元の氏神様(地元で工事がある時は、地鎮祭でお世話に成っております)へお参りに行きます。1日の午前中に行き、鳥居の下で一礼をして、参道の端を歩き、本堂に向かって手を合わせます。特にお願い事はしません。ただ感謝の気持ちを伝えるだけです。日々、生きているから味わえる(艱難辛苦も含めた)素晴らしい体験を「させていただいている」ことに感謝するだけです。こう思えれば、周りの風景が光り輝くと信じているからです。そして、今朝の空がやって来ました。丸二の「感謝」の理念は、多分間違っていないと思います。
さて「地元の工事」に触れましたが、おかげさまで、これから地元(吉祥寺周辺)で10現場以上の新築工事が順次着工いたします。これはなかなか無いことで、本当にお客様に感謝です(誠にありがとうございます)。また増改築(リフォーム)工事も、過去最高だった昨年のペースを超えて進行中です。このことも、地元の氏神様へ御礼いたします。そして、さらに自分自身が光り輝けるよう、日々最善を生きて行きたいと思います。

内面の時代

今年のゴールデンウィークは、突然の豪雨や竜巻によって、各地に被害が出ました。気象の変化は人間には止められなので、被害を小さくする以外に対策の道はありません。5月は「金環日食」もあり、天体の配置が特殊な状態になるので、継続して注意が必要とのことです。また日本の原発が完全停止状態になりましたが、今の季節に置いては、特段の不便は無いようです。これから夏の電力使用量が上がる季節に入ってどうなるか。でも、この機会を逃さず、原発全廃への道を進みたいものです。
世界では、フランスのサルコジ大統領が敗れましたが、アメリカのオバマ大統領も苦戦中のようです。いろいろなことが変化していく時期になって来ました。ただ変化自体は良いことですが、今のような無意識での変化には危険性があります。まわりの状況に左右されず、自分自身の「中身」を変えることで、変化していかなければなりません。外側からの圧力によって(無意識に)変化させられるか、内側から(意識的に)変化するか。この2つの道しかないようです。となれば、当然、自分自身の内側を「自発的に」変えていく道を選びたいですね。今ほど、内面の強さが試される時はありません。内面性が人間の真の資産と成る時代です。最後はそれしか残らないのですから・・・。
ゴールデンウィークは特別どこにも行きませんでしたが、愛犬「じんべえ」と何度か井の頭公園を散歩しました。瑞々しい緑がとてもキレイで、青空も天高く、自然界がさらに一層、浄化されたような気がしました。そして、「何もかもがより良くなって来ている」という不思議な感覚を覚えました。つまり、意識的に生きて行くのであれば、今の世の中はとても素晴らしい状況に映り、逆に、まわりの状況に対応していくだけでは、とても厳しいものになると言う事です。
同じ環境や状況にいても、見える(感じる)世界が二通りに分かれて来たのではないか。何か小説のような非現実的な表現ですが(何となく)そのような感覚を覚えるのです。被害を小さくするには、被害の及ばぬ場所に行けば良い。でもそれは物理的な場所のことではなく、何か意識の置き所のような気がします。それが、具体的に一人ひとりの人生の分水嶺に成って来る予感がします。
休み中、子どもといくつかのTVドラマを見ましたが、もう完全に破綻状態ですね。造り手側から「恥」という概念が失われてしまったのか。あるドラマが、視聴率が低く、打ち切りに成るかもしれないそうですが、おそらく今後のTVドラマはすべて同じような状態に成ると思います。報道番組も本当の事を伝えられず、危機を危機と認識させてくれず、本来の目的を果たせていません。多くの人は「眠っている」状態で生きているようなものです。目を覚まして、自分自身を見つめて、内面を変えるべく最善を尽くして生きて行けば、こんなに楽しくて面白い時は無いのに。もったいない、もったいない。いろいろな事象を見ながら、あらためて気づきます。本当に私たちは幸せなんだと。

異界から次の時代へ

暑い日と寒い日が交互にやって来たり、4月なのに熱中症が起きたり、何となく最近は異質な空気感というものを感じます。京都祇園の自動車事故をはじめ、人の精神に起因するカタストロフも多くなり、世の中全体が何か「異界」へ移動中というような肌触りを感じます。政治の世界も、何もかもが「具体性」を喪失していて、政治家一人ひとりの目も泳ぎ、何をどうしていいか分からないようなフワフワした印象を受けます。つまり、確固たる軸あるいは方向性が分からなくなってしまい、壊れたナビを茫然と見つめながら、ただ何となく(ソソワ、イライラ、オドオドして)アクセルを踏んでいるような毎日ではないかと感じます。TVニュースも、遂に、大切な事が何かが分からなくなってしまい、撮れた映像を流すことで時間を埋めています。多くの人々が、考えることを諦めてしまったかのようです。
でもこれは、誰か特定の個人の問題では無く、超時代変革の過渡期としてのある種の症状なのかもしれません。本当はもっと思考しなければいけないのに、あえて目を向けない、考えない。できるだけ目を閉じ、耳を塞ぎ、口を閉ざし、知らないふりをして歩き続ける。本当は何か大きな「コト」が起きているのに、何も変わっていないから大丈夫と、自分自身を信じ込ませながら、今日を昨日と同じように(漠然と)生きている。でも、実際の意識の深い部分で、「世界は異界に入った」ことを感じているのに・・・。
早く目を覚まして、まわりを見て、自分の顔を鏡で見て、ハッと気づくこと。そして、この「異界」を抜けた先にある新しい世界をよく考え、想定し、それに向けて今すぐ準備すること。それが一番大事な事のように思います。「異界」を通過することを恐れる必要は無いと思いますし、あらゆることは時間と共に変化し、時間と共に終わります。本当に大切なのは、次の世界です。次の世界には、原発は有るのか無いのか。自分の居場所は有るのか無いのか。明るい希望は有るのか無いのか・・・。本当は何となく、分かっているはずです。
「異界」に居る間は、まだチャンスです。次の時代を知る努力をして、仕事や日常の中で、その「方向性」を目的地として、「ナビ」を再セットすることです。その道は、今の時代にはまだ合わない道かもしれません。逆にマイナスに成る(難しい、遠回りの)道かもしれません。でも、次の時代を正しく想定(設定)すれば、その道を選ばずにはいられないのです。クリーンエネルギーへの転換もそうですし、農業や林業の再生もそうです。今は厳しくても、やらなければならないことがある。そこへ取り組むラストチャンスが今ではないでしょうか。あの「3.11」で目を覚まさないと・・・(もう一年も経ってしましました)。そのような全体的な危機感を、一人ひとりが持ち、自分自身の中身を変えることで、次の時代に備える。それが2012年を中心とした超時代変革の意味だと思います。地球環境を破壊する仕組みを変える。一人ひとりの人間性を高める社会に変える。資本主義経済から自然主義経済へ変える。日常を変える。食生活を変える。心を変える。そして、建築を変える。
来るべき自然主義(精神主義)の時代における建築の在り様を考え、丸二は約15年を掛けて、あらゆる準備をしてきています。命綱の建築、増改リフォーム、健康エコ、コーポラティブ、森造り・・・。でもまだまだです。私たち一人ひとりの人間性が本物に成らない限り、まだまだです。それでも、次の時代は「よく」見えています。そして、その方向通りに進んでいます。時代も急激に変わり出しました。私たちには夢と共に安心感があります。「異界」を超えるために必要なのは、この「夢」と「安心感」です。
確固たる軸あるいは方向性を持つことさえできれば、今ほどワクワクした時代は無いでしょう。その軸(方向性)の根源は、「生かされていることへの感謝」です。そして自分自身の中身を(自力で)変えることです。決して、外側や他人を変えることではありません。そこが1つの「分水嶺」です。私たちは、日々生き生きとしながら、計画通りの道を行きます。本当に面白い時代に成りました。私たちは、「自然の恩恵への感謝」が、次の時代の根源的テーマだと考えています。そして、そこをナビの目的地としてセットしています。今は細いデコボコ道ですが、だんだん舗装された大通りに成るでしょう。これが次の時代への「王道」です。

認識力の時代

昨日は(全国的に)「記録的」な暴風雨が吹き、大荒れの天気でした。交通機関にも影響が出て、地震以外の自然界の脅威を、改めて感じることと成りました。今後もこのような暴風、強風、竜巻等が多発すると言われています。地震、火災、水害、放射線に加えて、「風」に対する防災意識も必要に成ってきました。このような「記録的」な出来事が加速度的に増えて行くのが、これからの時代だと思います。よって、正しい時代認識(認識力)を持つことが重要です。建築の分野も、「災害」と向き合う視点を抜きには考えられません。「生命を守る」「健康を守る」「心を守る」ことが求められて来たと思います。
また今日は、昨日と打って変わって、春らしい陽気です。昨年の春は、震災直後の混乱の中で、とても「春らしさ」を感じられる余裕はありませんでしたが、今年は少し遅めの「春」をゆっくり、気持ち良く味わえそうです。いろいろな出来事がある世の中ですが、自分自身の心はいつも暖かく、穏やかな「春」でいたいものですね。でも、そのためには、「今」という時代に対する正しい「認識」を持たなくてはなりません。つまり、外側の物事をいくら変えても、自分自身の中身が変わらない限り、何も「変わらない」時代になったということです。目の前に在る状況を変えたくても、自分自身の中身(本質)を変えない限り、どこへ行っても、何をしても、その状況に追いかけられるだけです。
だからこそ、今、目の前に在る壁や困難を、感謝の心で(その場、その場で)ひとつひとつ(強い気持ちで)乗り越えて行くこと。あるいは受け入れて行くこと。決心して行くこと。そして、その環境の中で、自分自身に出来る限りの「最善」を尽くすこと。そうすれば(逆に)きっと思いがけない御褒美が待っていると思います。東日本大震災に対しても、日本人は、真正面からこの問題に取り組み、日本の新たな時代を創造する機会にしなければなりません。このような「認識力」の差が、今後の未来の大きな差に成るような気がします。
「認識力」が付いてくると、あらゆることを前向きに(良き出来事として)捉えられるようになって来ます。状況や現象に感謝できるように成ります。もっと進むと、ワクワクしてきます。つまり、外側の事柄は単なる現象(=幻想)に過ぎず、内側にある自分自身の「心」こそが実体(=現実)と分かり、不安や恐れが無くなります。その上で、外側の現象を包み込めるだけの容量(度量)が生まれ、問題や困難を解決すること自体が楽しく成るのです。あるいは解決「できない」状況が面白く成るのです。なぜならば、私たちはそのような「経験」を求めて生きているからです(現象としての「結果」だけでは無く)。そこに気が付くことが、真の「認識力」だと思います。
「認識力」が無いと、自分自身の乗り越えるべき課題を先送りにする行動を繰り返すばかりで、いずれはその「延滞金」に追いかけられます。時々、小さな地震が起きた方が良いように、人間にも時々、悪いことや嫌なことが起きた方が良いと思います。それを先送りしたり、誰かに取り除いてもらったりせずに、ひとつひとつを(小さなうちに)前向きに乗り越えて行く。人生は、すべての人に「認識力」を持たせるべく、様々な出来事を起こすのでしょう。しかもそれは「苦労」という形でやってきます。嫌ですが、仕方が無いのですね。
それでも、戦争を味わった世代に比べれば、私たちは何と幸福なことか・・・。苦労と言っても、命を取られるわけではありません。しかも多くのものは「時間」が解決してくれます。このような正しい認識を持つことが出来れば、「今」という幸福な時代を生かされていることへの「感謝」が、自然に湧いてきます。現在の日本の状況も、新しい日本を造るために必要な「経験」を与えるという意味において、「愛」に満ちていると感じます。だから一人ひとりが、それぞれの立ち位置にて、辛抱して、感謝して、最善を生きること。そうすれば、全体も個人も、「さいわい」と成る日がやってくると思います。
「認識力」の時代が始まっています。それさえあれば、いつも心の中はポカポカ暖かく、穏やかな「春」です。今年の桜はどうでしょうか。今の時代に「日本」に生きていることだけでも、黄金の幸福を手にしているに等しいです。そのような感謝の気持ちで、今年も美しい桜を味わいたいと思います。本当にワクワクする、今日この頃です。

坂本龍一さんが加子母森林組合と連携

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音楽家の坂本龍一さんが代表理事を務める森林保全団体「モア・トゥリーズ」が、丸二と連携している「加子母森林組合」を、「モア・トゥリーズの森」に認定いたしました。
写真は、岐阜県加子母地域の山中の「モア・トゥリーズの森」を視察する坂本龍一さん(中央)と岐阜県知事(右)と加子母森林組合・内木組合長(左)です(23日午後2時56分、中津川市加子母)。
「モア・トゥリーズ」の記事
岐阜新聞
YAHOOニュース
加子母の山中にある「丸二の森」の隣に、「モア・トゥリーズの森」の看板も立ち、いよいよ「美しい森づくり」の全国的なモデルになって行くと思います。丸二は、加子母森林組合さんと農商工連携認定事業を行っており、「加子母ひのきの産直エコ住宅」や「加子母森林エコツアー」等の取り組みを続けているところです。
加子母は、「伊勢神宮(式年遷宮)」の御用材の山としても有名で、強度の高い、見事な「神宮ひのき」の産地です。丸二は、この「加子母ひのき」の立派な有効利用材を、都会の「健康エコ住宅」に活用しています。今回、世界の坂本龍一さんが「加子母」を認定したことで、「加子母ひのき」が全国区となり、日本の森を守る運動もさらに拡大するのではと、心からワクワクしています。とても嬉しいニュースです。

純粋性について

今、日本の政治が向かっている方向は、「増税」「原発推進」「対米従属(TPP)」という3本柱のようです。そこには常に「復興のため」「社会保障のため」「温暖化対策のため」「電力確保のため」「景気回復のため」「防衛のため」という「枕詞」が付いています。多くの国民は「それなら仕方ないか」という気持ちのようです。でも何か、巧妙な「すり替え」があるようにも感じられます。国民は、等しく誰もが、「復興」「社会保障」「温暖化対策」「電力確保」「景気回復」「防衛」を心の底から「純粋に」待ち望んでいます。よって「そのために」と言われれば、それを素直に、純粋に、信じる道を選びます。
でもその「大前提」は、国民の「純粋性」に対して、政治家も同様の(あるいはそれ以上の)「純粋性」を「有している」ということです。私たちは(時に)疑念を持ちます。「政府は本当に国民のことを考えているのだろうか」「実は別の理由があるのではないか」「何か大事な情報を隠しているのではないか」「本当はもっと良い選択肢があるのに、自分の立場や地位を守る方を優先しているのではないか」と。日本の国民は本当に純粋です。世界中どこを探しても、日本人ほど純粋な国民はいないと思います。時にこのような疑念を抱きつつも、心の底流においては、「まさか、そんなことはしないだろう」と固く信じています。
もっと大きな視点で見ると、今の日本の政治には、「日本を良くしない(してはいけない)」という明確な意志が働いているようにも感じます(多分、無意識の総意として)。クラスの中で、本当は一番優秀で、人柄が良くて、リーダーシップもあるのに、突出すると「番長たち」からの「いじめ」に遭う。それを心底恐れている一人の生徒こそが、今の日本の姿のように映ります。とにかく目立たないこと、わざと弱いフリをすること、一番にならないこと。それが生きていくための唯一の術なのです。
そのような(広い)意味において、日本の政治家も「純粋」なのでしょう。否、日本にはそもそも「政治」自体が存在していなかったのかもしれません。自国を「より良く(強く)しよう」とする強烈な意志の無い政治など、「政治」では無いからです。同時にそのような「無政治」のおかげで、今の日本が在るとも言えます。すべては必然必要です。でも、これからはどうでしょうか。日本の未来のみならず、世界(地球文明)の未来を考えた時、そろそろ本物のリーダーが出て行かなければ成りません。心から「純粋」な気持ちで、世界平和を実現しようとする人物が「クラス(世界)」をまとめて行くべき「時」が来たと思います。
国も、国民も、日本の持っている「圧倒的な力(資質、歴史、技術、国民性」」を信じて、もう「いじめ」を恐れずに、「世界をまとめよう」と決意するべき「時」が来たのではないかと思います。現状に息詰まった時は、あえて視点を切り替えて、物事を俯瞰することが大切です。日本(自分)のことばかり考えているから、埒が明かないのです。思い切って、世界(他者)のことも考えるべきです。そうそれば、(相対的に)小さな国内問題など、一気に方向性が見えて来るのではないでしょうか。政治は「ぐるっと」変わって行きます。
日本の政治家は、本質的には(他国に比べれば)素晴らしい「純粋性」を持っていると感じます(「目立たないことが日本のため」と信じているという面において)。でも、これからは「世界をまとめる」という勇気を持って、意識を180°変えて行かなければなりません。それはイコール「責任」を持つと言うことです。番長も、生徒会長も、校長も、社長も、「長」と付いた者は、自らの「生命」を担保としての重大な「責任」を持っています。それを恐れるのは、分かります。でも、今後の世界をリードして行けるだけの責任を持てる国(国民)は、どこを探しても、「日本」しか無いのではないでしょうか。その決意を持って、「日本をより良く(強く)していく」戦略に方向転換し、その上で世界(他者)のことも考えて行けば、自ずと「増税」「原発推進」「対米従属(TPP)」等の政策にも変化が生じて来ると思います。今の日本の最大の矛盾点は、国民は「より良く成ろう」と懸命に努力しているのに対し、国は「より良く成らないように」と懸命に努力していることです。ここを突破することです。
そうすれば国民の意識も変わり、結果として、日本も世界も「より良い方向へ」変わって行くと思います。それだけのことが出来るのが、日本だと思います。この日本の力の原点は、人々の「純粋性」であり「和の精神」ではないでしょうか。日本が主導する世界を考えると、とてもワクワクして来ます。現在のような「戦争経済」や「競争社会」ではなく、きっと「自然との共生」「人々を幸福にする技術」「世界平和」「貧富の差の解消」「クリーンエネルギー」「東洋医学(予防医学)」「清浄な街づくり」「和、助け合いの精神(人格形成)」「農業、林業の再生」・・・いろいろなイメージが生まれてきます。
このような大きな方向性(ビジョン)を共有することが出来れば、当面の厳しさは簡単に乗り越えられると思います。そこが日本人の凄いところです。昨年の3.11は、「勇気を持って、動け。なぜ、動かないのだ」と言う、自然界からの啓示だったのではないでしょうか。なぜ日本だったのか・・・。私たちは、早く気づくべきだと思います。