社長ブログ

3.11から一年

東日本大震災から一年が経ちました。今日の2時46分、心の中で、黙祷を捧げたいと思います。あの日から始まった恐怖は、誰の心からも未だ消し去ることはできないと思いますが、それでも「時間」を重ねる中で、前へ、前へと進んで行かなければなりません。この一年、被災された方々をめぐる様々な物語をお聞きしながら、多くの国民は(心の中で手を合わせながら)被災地の復興を祈って来たと思います。それでも、なかなか物事は順調に進んでいません。
私たちは、何か根本的なことを喪失しているような気がします。それは、「基礎から」造り直すという視点です。必要な部分補修と並行して、本質的な「建て替え」計画を創造しているかどうかということです。そのような意味で、この一年間は、「空白の一年」だったのではないでしょうか。
被災され、命を落とされた多くの方々に対して、私たちが出来ることは、日本を良き国、良き社会に建て直すこと以外にありません。このような自然界からの明確な意志を受けた以上、日本も世界も、早急に21世紀のグランドビジョンを打ち出さなければならないと思います。もう一年も経ったのですから・・・。
今までの時代は、自然を破壊しながら、人間のエゴを優先させてきました。その結果、確かに物質的な豊かさを享受できました。私たちも、そのおかげで便利で快適な社会生活が出来ています(これは感謝すべきことです)。でもその一方、自然界へ多大なダメージを与えてきたことも事実であり、同時に、良心的な人や良心的な会社が苦しむ経済システムを造り上げてしまいました(これが最大の負の遺産です)。
そして、このような20世紀の「負」の部分を引き摺ったまま21世紀は始まり、善良なる東北の地において、「3.11」が発生しました。私たちは、そこに気が付かなければなりません。今出来る部分的な対処を懸命に続けながらも、より根本的、より本質的、正しい道理に基づいた「本当の」価値観による世の中づくりを開始しなければなりません。
その実践者は、もう政府や大企業ではなくて、「個人」だと思います。個人の意識だと思います。一人ひとりが、これからどのような世の中を造るべきかを考えて、そのイメージの中で、出来ること(小さなこと)をやっていく。一見、まわり道の様ですが、実は最も早く、確かだと思います。その流れは、仲間同士やインターネットで広がり、最後は(逆に)国の形を形成していくと思います。
国造りが「個人」の集合意識でできる時代になりました。3.11から一年という今、未来へ向けての良きイメージを持ち、共に良き社会を創造していきましょう。

強き思い

大学時代、映画研究会で大変お世話になった(1つ上の)先輩が、最近とても大きな仕事(岡田将生&榮倉奈々主演の「アントキノイノチ」や、高良健吾&鈴木杏主演の「軽蔑」等の映画本編の撮影)をされているのを知り、(勝手に)感激に浸っています。私が映画研究会(映研)の入ったのも、部活の勧誘ブースで、その先輩から「コッポラが好きなのか。お前はいいヤツだ」と言われたのがきっかけで、そのまま先輩の撮る映画のチームで大学生活を送りました。それはとても充実した、未知の体験が満載の、まさに「ファンタジー」でした。
その経験の中で、(今から考えてみると)とても多くのことを学ぶことができたと感じています。映画造りとは、先ず自分の「思い」を持ち、それを具体的に考え(イメージ化して)、シナリオ化(文章化)し、それを仲間に伝えて、人を集め、お金を集め、資機材を調達し、小道具や衣装も集め、絵コンテを書き、ロケハン(撮影場所探し)をし、撮影スケジュールを決め、スタッフとキャストとの(徹夜の)打ち合わせを重ね、クランクインし、撮影現場の全てを仕切り、その場その場で(OKかNGの)判断(即断即決)をし、チームの人たちへの気配りをしながら撮影を進め、その後はフィルムの編集、録音、音楽入れ、時には撮り直しをし、やっとの思いで作品を完成させ、それから上映会を開き(観客を集め)、いろいろな賛否を受け、喜んだり、落ち込んだりして、また次の作品構想へ行く・・・。
学生時代の8mmの自主映画ですので、もちろんそこから収入が得られる訳ではなく、すべて持ち出しです。それでも、これだけの事を「やりたい!」という思いの強さは、半端ではありませんでした。先輩は、そのまま映画の世界へ入り、現在プロとして大活躍しています。あぁ、やはり「思い」の強さなんだなぁ・・・とつくづく思います。強く信じて、どんなに苦しくても、やりたいことをやり続けていけば、必ず道は開ける。仮に、人から良い評価が得られない時があっても、造りたいものを造った者の勝ち。創造するエネルギーは、それほどまでに強いものです。
きっと先輩の夢は、もっともっと「上」にあると思います。私も陰ながら応援をさせていただきながら、先輩の後に付いて、建設業で「思い」の創造を遂げて行こうと思います。また、これからの時代は、「これをやりたい!」という強い意識を持った人同士が連携をして、様々な創造活動や事業・ビジネスを進めて行く形へ変化していくのではないかと思います。映画造りなどは、その最たるもので、先ず一人の思いから始まり、そのプロジェクトごとに共感する仲間を集めて、完成させる。その後メンバーは、またそれぞれ別のプロジェクトに散って行く。その繰り返し。
これからの事業活動も、おそらくそのような方向へ行くと考えられます。まさに一人ひとりが「個人事業主」となる時代です。それは、実際に本当の「個人事業主」になるという意味ではなく、一人ひとりが「個人事業主」的な「意識」をもつという意味です。会社という組織の中にいても、自らが「個人事業主」的な「意識」を持って、仕事に当たるという意味です。
企業内でも、実際のフリーでも、この「個人事業主」的な「意識」を持って、自分自身の役割を「自ら」創造し、能動的に、ワクワクしながら、その責任を果たして行く。まわりから「一緒にやろうよ」と声が掛かるような仕事をしていく。それがチーム(会社や仲間)への貢献となります。今までは、フリーは不安定、組織は安定でしたが、これからは(どこに所属していようと)フリー的意識が安定、依存的意識が不安定になるのでしょう。私の先輩は時代を見据えて、最先端の生き方をしていると思います。「思い」を持って創造して行くことほど、強く、安定したものは無いからです。
映画「アントキノイノチ」と「軽蔑」・・・そう言えば、まだ見てませんでした。DVDかスカパーで、すぐ見たいと思います。

待つ

もうすぐ3.11から一年です。あの日から、日本と世界は大きく変わり始めました。否、変わり始めたのは、実際にはもっと前からのことで(1995年の阪神淡路大震災からとも言われています)、誰の目から見てもはっきり分かる形となったのが3.11だったと思います。これからの大きな変化を避けることは、誰にもできないのでしょう。ならば、できるだけ早く、自ら変化していく方が、一番の安全策のような気がします(先手必勝)。生き方や考え方を変えたり、会社の経営方針を変えたり、生活習慣を変えたり・・・。
でも、それらを早めに始めると、周りとの激しいギャップが生じるので、実は大変なことです。成果や結果にもなかなか付いてきません。むしろ、何もしないより苦しくなります。でも後からやってくる時代の大波に飲まれるのに比べれば、とても軽い苦労で終わるでしょう(それは、後になってから分かることですが・・・)。このように、大難を小難に変えるには、逆に自ら急いで「難」「苦労」「難しい道」「まわり道」へ向かうことだと思います。だから、今すでに、前向きに生きながらも(=変化しながらも)苦労をしている人(会社)は、その先陣を切っているとも言えます。誰よりも早く、次の新しい時代へ一番乗りです。
例えば、スーパーのレジで、辛抱強く待てない人がいます。隣のレジの方が早そうだと思えば、列を変わり、またその隣へと変わり、結局最初に並んでいたレジにいれば良かったということになります。このような時代の大掛かりな変化の時は、道を決めて、最善を尽くして、辛抱強く「待つ」以外にありません。道とは、「今」の時代の道ではなく、「次」の時代の道です。だから、次の時代が来るまでは、厳しい道(なかなか進まないレジ)です。でも、その道を行く決心をして、その上で出来ることをやって、あとは信じて待つ。そうすれば、他のレジが突然閉鎖され、自分の並んでいるレジだけが一気に開かれる時がやって来ます。このような精神的なタフさを試されているのが「今」ではないでしょうか。
「次」の時代とは、本当に世のため、人のため、自然のために成る生き方や、商品や、サービスを創造していく時代だと思います。それらに(本気で)挑戦している人(会社)は、まだまだ世に出ていない状況だと思いますが、そろそろ水平線に顔を出してくるのではないでしょうか。そのような期待が出てきました。3.11によって、多くの人々が気づき、(なかなか開かない)次の時代へのレジへ並ぶ様になれば、日本の再生は早くなると思います。そんなに多くの人が並んでいれば、店長さんも慌てて、そのレジに多くのスタッフさんを投入するでしょうから。

幸運な機会

3月1日も元旦と同じように、「地震」で開始しました。新しい時代の始まりは、このように地球エネルギーの増大化を伴って、日々進行して行くと思います。昨年の3.11で終わりではなく、それは1つの象徴であって、今後はあらゆる領域において、「逆転現象」が起きて来るのでしょう。よって、私たちは「今」の現状を決して甘く見てはいけないと思います。気象も経済も政治も、もう3.11以前には戻らず、まったく別の、新しいステージへ進化して行くはずです。そしてそれは、(結局のところ)人々の「精神」の問題へと行き着くと思います。
先日、武蔵野市子ども協会様の「北町保育園」の地鎮祭を挙行させていただきました。風が強い日でしたが、燦々とした太陽の光を受けながら、良き式典となりました。これからの時代の「宝」は、何と言っても子どもたちです。世界的には人口が激増しているわけですが、日本は逆に少子化です。それは、世界の人口増による地球の負担を少しでも軽減すべく、日本が率先して犠牲を払っているかのようにさえ見えます。でも、それほどの精神性の高い日本の子どもたちだからこそ、新しい世界の中心となり、佳き世を創造して欲しいのです。日本の子どもたちは、世界の「宝」です。北町保育園の子どもたちが、健やかにかつ強く成長できるよう、心を込めて造ってまいります。
今後の気象の大変化も、私たちの想像を超えたものになるでしょう。もちろん、できるだけ小難に抑えたいのですが、自然だけは人間がコントロールできるものではありません。そのような意味で、これからは安全な住宅の確保が、あらゆるものに優先して来ると思います。保育園を新しく、強い建物にするということは、単なる建て替えという意味だけでは無く、世の中全体の「建て替え」作業とリンクするのです。人々の生命を守ることへの投資は、新しい時代を築くための最低限のインフラです。あらゆる街や地域で、できるだけ強固な建築構造を実現していくことが必要と感じます。
これから世界は、(このように)外面的には「緊張」へ向かうでしょう。毎日のように意外な出来事が起こり、過去の経験則では対応できない局面が連続するかもしれません。でも、内面的にはどうでしょうか。古い仕組みが壊れると言うことは、皆が同条件に並ぶチャンスが来たとも言えます。固定観念を捨てる良いチャンスです。今、「断捨離」が流行っていますが、これから始まるのはまさに世界の断捨離です。古い物を捨てて、しがらみを断って、固定観念から離れて行く・・・それを全世界の全人類が「同時に」やる時代が来たのです。これは本当にスゴイ「祭り」のようなものです。これで世界が一気に、綺麗で清浄な場に「逆転」するかもしれません。
だから今が「陰の極」です。夜明け前が一番暗いと言います。そのように捉えて、明るく、前向きに、「信じて」生活をして行けば、(仮に時間が掛かっても)良くなるに決まっています。現状を甘く見てはいけないですが、深刻に、あるいは悲観的になってはいけません。これから始まる変革ほど、上昇角度の大きいものは無いかもしれないのです。しかも皆が平等に、千載一遇のチャンスを手にしたのです。だから結局、一人ひとりの精神性が鍵となります。自分自身の心が、明るく、前向きに、ワクワクしているか。逆に不安で、恐くて、信じられないか。そのような「自身」の内面の状態を(今、騒がれている女性芸能人のように)「他人」に依存するのではなく、自らの努力で身につけること・・・それが試されているように思います。
素直に、感謝の心を持って、最善を生きること。今私たちは、そのような「内面」を勝ち取ることのできる「幸運」な機会を手にしていると思います。私たち丸二の社員も、まだまだ未熟ですが、そのような人間性を目指しながら、毎日の仕事に励んでいます。仕事ほど人間性が磨かれるものは無いですし、「人間性」ほど貴重な価値(財産)はありません。建設業は、本当に(精神的にも肉体的にも)厳しい仕事である分、人間が磨かれます。いつの時代も「建設」無くして、文明は興きません。丸二は、新しい世の建設作業のつもりで、日々お客様の建物を(ありがとうございますの心で)造っています。

強く!

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天皇陛下の手術が無事に終わり、とても良かったです。日本が有事になると、必ず天皇陛下は身を捨てて、国民を守ろうとされます。それはいつも(24時間365日)国民の幸福を思っているからでしょう。昨年の3.11以降も、たびたび被災地へ足を運ばれ、被災された方々をお見舞いし、東北の地への鎮魂の願いを捧げていらっしゃいました。そのご心労が今回の手術になったとすれば、本当に、只々ありがたいと、感謝せずにはいられません。このような国を思う力があって、日本と言う国は、様々な困難を乗り越えられたのだと思います。
私たちは、もっと他者への思いを「強く」持たなければならないのでしょう。自分の事と同様に、他者への思いやりを「強く」持つことで、廻り廻って、自分自身に返って来ると思います。つくづく残念なのは、今、ギリシャ発の欧州危機がいよいよ差し迫った状態になってきましたが、日本はギリシャを助けられなかったのか・・・ということです。日本の財政赤字の問題は確かにありますが、諸外国との比較から言えば、(最近の超円高が示すように)日本は(相対的に)世界一であることは間違いないと思います。
もう世界の通貨の中で、信用できるのは「円」しかないと思います。ユーロも米ドルも、本当にどうなるか分かりません。そうとなれば、もっと円を供給し、世の中に安心安全な通貨を流通させることで、国内と世界の経済の「血流」を良くすれば、自ずと日本経済も健康体となり、税収も上がり、国の財政も改善できると思います。今の状態で増税をして、さらに経済の流れを止めてしまうと、いよいよ動脈硬化になってしまうのではないでしょうか。
円が強いということは、私たち日本人も強く在らねばならないということ。その責任が大きくなってきたということ。だからこそ、リスクを持って、事を動かすことのできるリーダーが必要です。私たち一人ひとりが、そのような強い意志を持って、良きチームワークを組んで、この現状を打破していかなければなりません。テレビで天皇陛下のお姿を見ると、「サイレント・パワー(静かなるカリスマ)」を感じます(以前、こういうタイトルの本を読みました)。静かに、物凄いことをしている。日本人の強さはここに生きていると思います。
※田園交響曲
昨年の3.11以降、被災地のことを思う時、心の中ではベートーヴェンの「田園交響曲」が響きます。東北の美しい風景、田園、自然、踊り。そして巨大な嵐がやって来て、人々を襲いますが、それもだんだんと遠ざかり、次第に静まり、また長閑で平和な時がやって来る。田園交響曲の最終楽章は「感謝」がテーマです。いつかきっと、共に喜びと感謝を心から感じられる時が来ますように・・・。クレンペラー指揮ベルリンフィルの演奏は、人間業を超えた自然界の強い意志を感じさせるものです。いま私たちは、大自然の叡智から、大切な何かを学んでいるようです。

良心宇宙

昨日、録画していた映画「光の旅人 K-PAX」を観ました。自らを宇宙人と名乗る男と精神科医とのお話ですが、最終的に本当の宇宙人だったのかどうかの答えはありませんでした。でも私は、この人物(=人間)の中へ、宇宙人の魂が入った(ウォークインした)のではないかと勝手に想像しました。この人物には、極めて凄惨な事件によって愛する家族を失った過去があり、その結果自らの命を絶つ状況に至ったのですが、その瞬間、別次元のある意識が彼の中へと入り込み(ウォークインし)、内側から彼を救い、最後はそれを見届けて去って行ったのではないかと。
もちろん映画ですので、非現実的なドラマです。でも、人間が創り上げるあらゆる事象(物語も含めて)には、何かしらの比喩が含まれているとも思います(意識的であれ、無意識的であれ)。宇宙人がいるかいないかは別にしても、誰もが等しく保有する「良心」という世界は存在すると思います。それは、無限の広がりを持った宇宙空間のようなもので、誰の心の中にも、その無限の「良心宇宙」へアクセスできる端末が在るのではないかと。でも、そのアクセス機能の性能が、人(生き方や経験)によって様々なのかもしれないと。
人間は、(時に)この「良心宇宙」との通信を遮断してしまい、糸の切れた凧のような人生を歩んでしまいます。それでも、この「良心宇宙」は、全ての人間に対し、平等に存在していると思います。映画では、その回線を回復する存在として、未知なる生命体を描いていましたが、実際の私たちの世界では、それは「自分自身」でやらなければならないことです(そこが厳しいところです)。
誰の心にもある「良心世界」をいつも意識し、その回線を切らさず、その「良心世界」の情報に耳を傾けて生きて行くことが、21世紀の生き方のように思えてなりません。昨日、別の録画番組で「坂本龍一×岩井俊二」の対談を観ましたが、今の世の中は本当におかしくなって来たということを、もう誰もが理解していることが分かりました。笑ってしまうくらい、どうしようも無いと。
坂本龍一氏は、「モア・トゥリーズ」という森を守る素晴らしい運動をされていて、私たちも心から共鳴し、勉強をさせていただいております。そのような高い意識や志を持つ方々のお話をお聞きすると、結局は、人としての良心の問題ではないかと気づかされます。今までは、この「良心宇宙」の声を無視しても、うまくいった(成功した)時代だったのかもしれません。でも、これからはそうはいかない。本当に「良心宇宙」との通信を行い、その声に誠実に耳を傾けていかない限り、人や社会、国家は、無くなってしまう。映画のような助っ人は、実際は来ないのだから。
そう考えた時に、この時代の大変革の意味がよく見えてきます。とてもシンプルなことで、私たち一人ひとりが日常(生活、仕事)の中で、良心に従って生きること。ただそれだけではないのかと。そこを試されているのではないのかと。その一人ひとりの良心の総和によって、良き世は生まれる。建築も同様で、建設作業に関わる一人ひとりの思いによって、良き建築が生まれるのだから。
これは、宮澤賢治の有名な言葉「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」へも通じます。一人ひとりの良心の粒が全体を造り上げ、その結果として、良き社会が生まれ、個人の幸福へと戻って来る。一人ひとりの「良心宇宙」との交信は、世の中(全体)をより良くすることで、個人をより良くする形へと、変容していくものなのでしょう。
これからは決して難しい時代ではなく、極めて簡単な時代に成るということのようです。国も政治家も、そして私たちも、よりシンプルに「良心宇宙」との回線をより強固にリフォームしていくことです。そうすれば、自ずと様々な問題は解決していくのでしょう。よって、(映画のような)宇宙人は、既に一人ひとりの心の中に「在り」、毎日、一生懸命に「良心宇宙」との回線を直してくれているのかもしれません。そう考えるだけで、何となくワクワクしますね。

ワクワクの振動

2012年の1月が終わりました。今年は元旦に地震があり、それ以降も小さな揺れを感じます。辰年の年に、龍の形をした日本列島が、昨年来からの大振動を繰り返しているように思えて仕方ありません。それはとても怖いことでもありますが、日本(世界)がこの大難を乗り越えるために必要な経験なのかもしれません。もう国や政府に頼る意識は完全に失われました。多分、それは幸いなことなのでしょう。個人個人の中に「自分自身が本物になっていく以外に道は無い」という決心覚悟が生まれてきたのだから・・・。
その個人の力の結集によって、日本(世界)は新たな時代へ入って行くと思います。その流れの中で、私たちは「生きる」ことを通じて、自分自身を成長させていく。個人の成長と世界の変革が、同時にリンクする貴重な時代に生まれてきたという実感があります。今生きている人たちは皆チャレンジャーだと思います。
そうとなれば、素直に挑戦をしていきましょう。混沌は無限のチャンスに満ちています。価値観も変わり、システムも変わります。むしろ現状維持の方がリスクかもしれません。過去の固定観念を捨てて、新しい次元へ向かって行くために、自分自身の可能性を信じて挑戦をしていくこと。これからはそういう意識で生きて行く時代だと思います。そのためにも自分自身の「良心」を信じて、信じて、信じ切ること。もうそれだけだと思います。
このように考えてみると、何かワクワクしてきます。今までの時代の旧態依然とした常識とかルールを覆すチャンスが来たからです。日本列島の振動を、自らのワクワクの振動に変換し、かつ増幅することができれば、これからの時代をとても面白く生きていけそうです。その変換装置は、「信念」だと思います。「今この時代に生き(生かされ)、多様な経験ができ、良心がぐんぐん大きくなり、心から嬉しい」と信じられる、「信念」です。信念は「新年」で、新たなスタート。2012年を、良き一年にしていきたいと思います。

想像し、創造する。

年が明けて10日が過ぎ、世間も平常運転になって来ました。元旦に地震があって、ちょっとドキッとしましたが(私は外にいて、全く気が付きませんでした)、まずは穏やかな滑り出しのようです。それでも社会全体を覆う様々な事象については、なかなか思うように前へ進まず、とりあえずの対策のままで、何とか表面を維持しているように見えます。「変えよう」とするアクセルと「変えたくない」とするブレーキの両方を踏んでいる状態ですので、どちらにも進んでいないように見えますが、今後はアクセルの力の方が増して行くのは必然です。そのようにして2012年は進んで行くと思います。
「変える」というのは、本当に大きなエネルギーが必要ですし、もちろん恐い気持ちもあります。でも、やはり何かしらの「動き」を出さない限り、事態は良くなりません。事態が動けば、今までの安定均衡が崩れるので、当然さまざまな問題も平行して起きて来ます。それでも、速度を落とさずに進んでさえ行けば、必ず次の段階の(新しい)安定均衡の道へと出るのでしょう。
2012年は、昨年の3.11以後、この「動き」が加速していく年になると思います。だから、日本も、自分自身も、あえて不安定(逆境)な状況の中に積極的に飛び込み、でこぼこ道を行く必要があると思います。今まで走っていた(安全だと思っていた)道の先では、大きな崖崩れが起きているからです。だから、もうすでに、でこぼこ道(苦難道)に入っている人は、逆に早く(新しい)綺麗な道に出るのかもしれません。そう信じていけば、そう成ると思います。何が幸いするか、分からないのだから、「いま」に感謝をして、前へ向かってアクセルを踏み続ける。日本はきっと、最高の道に行けると思います。
さて今年は辰年(昇龍)です。辰年は(過去の平均から)最も株価が上昇する年と言われていますが、前回の2000年の時は下がりましたので、今は別の形で「昇龍」現象は起きて来るのだと思います。多分、一人ひとりの意識が高まる(上昇)というような形ではないでしょうか。それは、経済的な面と(すぐには)結びつかないため、「良くなった」と感じることが出来ないかもしれませんが、後で振りかえると「あぁ、良い一年だったんだなぁ」と成るような気がしてなりません。
ここは、人によって差が出て来るのかもしれません。置かれた状況(環境)に全く関係なく、「何だか分からないけど楽しい、面白い、ワクワクする」と言う人と、「何だか分からないけど不安、心配、恐い」と言う人とに。ここがポイントではないでしょうか。「楽しい、面白い、ワクワク」の人は、きっともうすぐ良い道に出られるのだと思います。「不安、心配、恐い」の人は、なかなか悪路から抜け出せないのだと思います。自分自身の「良心(太陽)」に従って、「自力」で生きて行く腹を決めれば、自動運転装置に切り替わって、良き道へ向かわせてくれるような気がします。「依存からの脱却」が今年のテーマだと考え、「自分自身」を生きて行こうと思います。
話は変わりますが、先のブログで、指揮者のフルトヴェングラーのことを書きましたが、この人の音楽の特徴に、極端な「速度の変化」というものがあります。普通はインテンポ(一定のテンポ)で演奏するところを、フルトヴェングラーは、リタルダンド(だんだん遅くする)や、アッチェレランド(だんだん速くする)等をして、音楽に感情(意識)を投入していきます。これは「譜面通りでないからダメ」のような意見も確かにあるのですが、聞いていて、とても自然で、人間的で、心から音楽に感情移入することが出来ます。どんどん減速(リタルダンド)することによって、その後の音楽から、最高の喜びや歓喜、感情の爆発が生まれるのです。
インテンポ(一定のテンポ)で淡々と(ただ安全に)生きて行くよりも、時には減速して、止まってしまうようなことが起きたことによって、その後の人生が爆発するという面があるように思います。楽譜とは、作曲家の頭の中(天から受信?)にあるものを、便宜的に紙に書き写したもので、頭に思い浮かんだものの「全て」ではないはずです。楽譜に書き留められなかったものまでを想像して、「創造」するのが、指揮者の仕事だとすると、「ただ譜面通りやれば良い」というのは、何か違うような気がします。
実は建築も同様で、図面は、(作曲家である)設計者の頭の中にある建物の姿を、便宜的に平面に書き写したもので、その全てを表現できているわけではありません。(指揮者である)現場監督が、その図面から、建物の全てを想像して、実際に「創造」するのです。図面通りは当たり前で、その上に、感情(意識)を投入していくものです。だから、現場監督は、人間性で決まるのです。その建物の全てを、住む人の気持ちになって考え、お客様にとっての「最良」とは何かを想像し、「創造」するのです。これは人間性の発露、そのものではないでしょうか。
私は、施工管理技術者(現場監督/指揮者)という仕事を、心より尊敬します。音楽も建築も、指揮者(現場監督)と聞く人(お施主様)で成り立つものです。その創造作業の中に、書かれているもの以上の「何か」を想像し、「創造」することができるのは、特別な仕事だと思います。そして、自分の人生を指揮するのは、自分自身です。ただ無意識にレ-ルの上を行くのではなく、本当の自分自分の姿を想像し、「創造」することが大切だと思います。外側の世界に依存し、外側の世界に合わせるだけで、自分自身を生きていないことこそが、本当の不幸ではないかと思います。幸福とは、自分自身を生き切ることだと思います。だから「幸福は今、ここにある」と言うのは、本当のことだと思います。
今、日本を含めて世界は、大胆なリタルダンド(減速)の最中にいます。でも、その先には大胆なアッチェレランド(加速)が待っています。これは、私たちが本当の喜びを最大限に感じられるようにするための、大自然の大いなる計らいかもしれません。共に、良き未来を想像し、「創造」して行きましょう。

昇龍

丸二は今日から仕事始めですが、これから一年間の年次計画発表会を行いますので、通常業務は明日(6日)からとなります。何卒よろしくお願いいたします。
さて、今年は一体どのような年になるのでしょうか。否、どのような年になるかと言うよりも、どのような年にするのかの方が大事ですね。全ては一人ひとりの心の持ち様ですので、「良き一年にする」と決め、信じて行動すれば、「良き一年に成る」と思います。私自身の場合は、今年は辰年で「年男」ですので、昇龍のごとく、全ての人々と一緒に、明るく元気で幸福な一年にして行こうと決めています。だから、今からワクワクです。
大変化は、決して危機では無く、大チャンスだと思います。そのように捉えられれば、今の世の中の状況は、素晴らしい可能性に満ちた環境にあると考えます。そこへ向けての挑戦(チャレンジ)ですね。百年に一度か、千年に一度かは分かりませんが、2012年は千載一遇のチャンス(龍)が眠っている年に成ると思います。その(全ての人の心の中に在る)龍を目覚めさせるために、自分自身の良心に従って、前向きな気持ちで、最善を生きることだと思います。
本当に面白い時代に成りました。あらためて、本物の「衣食住」の時代が来たように感じます。人や自然が共に仲良く暮らして行ける、よりシンプルで、より健康で、より自然な状態が生まれて来るのではないかと期待します。互助の精神、自給自足の暮らし、和の文化・・・。不要なものがドンドン削除され、本当に必要なもの(十分なもの)しか残らない時代へ。時間は掛かると思いますが、この変化の意義は大きいと思います。建築の分野においても、大いなる貢献が出来そうです。今年もよろしくお願いいたします。

お正月

今年のお正月は、家でのんびりでした。大晦日も、いつもはテレビを見ながら過すことが多いのですが、今年はほとんど何も見ずに、静かに年を越しました。お正月番組も箱根駅伝の往路だけ。東洋大学の柏原君の自己ベスト更新は本当に素晴らしかった。他の選手たちも、みんな最善を尽くしたのでしょう。自分自身の持っている力をフルに出し切り、自己成長を遂げて行くことこそが人生なのだと、あらためて感じます。今年からは、もう他者との競争の時代ではなく、自分自身の成長へフォーカスです。何のために生まれて来たのか、それは自分自身をより高めて行くためなのだから、いろいろな経験をして、それをクリアーしていくことが真の喜びになってくると思います。多分、そのような時代へ変わって行くのでしょう。
さて、この年末年始は、何冊かの本といくつかのCDを買い、それらを楽しみました。本に関して言うと、経済系にしても、精神世界系にしても、これからの世界の命運は日本が握っているということにおいて、一致していたように感じます。私もそう思います。責任重大ですね。でも、日本人はきっとやると思います。2012年は、かなりの大変化が起きそうですが、日本人の本当の力を世界に示すには、良い年です。それは、日本人一人ひとりの精神性の発露(思い出すこと)によって起きるのではないかと想像します。普通の人たちの素晴らしい人間性が、日本の、否、世界の宝に成ると。今からワクワクします。
CDの方は、とても収穫でした。クラシックを聞き始めた頃、一番好きになった指揮者であるドイツのフルトヴェングラーのCD を数枚買ったのですが、これが本当に良かった。フルトヴェングラーという名前を知っている人は少ないと思いますが、クラシックの世界では、最高峰(神)の存在です。もちろん、昔の人ですし、ナチスドイツの時代ですので、録音も古く、当然全てモノラルです。それにも関わらず、亡くなった1954年から60年近く経った今でも、多くのCDが発売され、たくさん売れています。
そのCDのほとんどが、音質を改善するために、新たなマスターテープを発見したり、リマスタリングをしたり、状態の良いアナログレコードからの復元盤等、血と汗と涙の結晶のようなもので、それくらい、少しでも良いからフルトヴェングラーの生の演奏に近いものを体験したいという、多くのクラシックファンの願いが存在しているということです。同じ曲でも、演奏日が違う録音が発見されれば、大騒ぎとなります。現代では、このような演奏家は、クラシック以外のジャンルでも、そうはいないでしょう。
フルトヴェングラーは、ドイツのベルリンフィルの指揮者でした。戦争が始まり、ナチスの支配下から多くの芸術家たちが国外へ亡命して行きましたが、フルトヴェングラーは、最後まで残り、戦火の下で、ベルリンフィルを振り続けました。当然、ヒトラーの前での演奏会もあり、亡命した人たちは、「ナチスに協力した人物」として、激しく非難しました。でも彼は、ナチスを批判しながら、ドイツ音楽を護り、善良なドイツ民衆へ(苦しい時だからこそ)良き音楽を聞かせるために、そのような中傷にも負けず、やり遂げたのです。
今回買ったCDの中に、戦争が終わり、戦後初めてのベルリンフィル演奏会の初日(1947年5月25日)の実況録音があります(フルトヴェングラー・コンプリートRIAS レコーディングス)。曲はベートーヴェンの田園と運命です。私は3日後の27日の録音(運命)を、クラシックが好きになった頃、CDで聞いて、もう本当に感動してしまい、今でも大切にしています。でも、今回CDで聞いたのは、その公演の初日、つまり戦後初めて、ベルリンフィルの音が鳴った瞬間の記録です。しかも、その音の状態がとても素晴らしく、驚くような音質で、生でフルトヴェングラーを体験できたかのような気持ちになりました。
志を持って、命を懸けて、最善を生きる。その感動は、60年経っても、100年経っても、色褪せるどころか、むしろより高まっています。戦争が終わって、念願の平和が来て、中断していた演奏会が再開される。その時の、民衆の喜びの気持ちとは、一体どれほどのものだったでしょうか。それは、この音を聞けば、もう言葉は不要です。
一方、紅白歌合戦で歌われている曲の中で、60年後も100年後も、愛され続けるものがどれくらいあるでしょうか・・・。ちょっと心配です。芸術とは、今のセールスとは、別の次元で創造されるべきものです。仮にその時、理解されなくても、後世へ何かを残すことができたら、それも成功ではないかと思います。結局のところ、自分「自身」を信じて、創造していくことが、本当の幸福のような気がします。
今年も一年、いろいろな良き経験ができそうです。とてもワクワクします。