社長ブログ

生きることと理念の大切さ

行方不明となっていたJR北海道の社長が、遺体で見つかりました。JR北海道は、今年に入ってJR石勝線のトンネル内での脱線・炎上事故や、運転士の居眠り運転等のトラブルがあり、様々な問題が生じていたところです。残されていた遺書から見て、その責任の重さを苦にしたのかもしれません。また身近な所では、地元を走るJR中央線の人身事故も、頻繁に起こっています。昔は電車の時刻と言えば、時報と同じくらい正確というのが当たり前でしたが、今では遅れる前提で、乗る電車を考えなくてはなりません。この変化は(よく考えてみると)相当なことではないかと感じます。
自らの「生」をあきらめる人がいます。それでも「生きて」いかなければならない。生きること自体が、最善の道だと思うからです。生きて特別な経験をすることが、生きる目的であるとすれば、必ずその経験の先には、安心感と喜びがやって来るに違いありません。そこまで辛抱して待つことも、きっと大きな経験に成るでしょう。時間という概念には、本当に凄い力があると思います。これからは、災害から家族を守ることと、困難から自らの心を守ることが、人生の最優先課題になると思います。「絶対にあきらめない」という信念だけが、真の御守りに成る・・・。今は、魂を鍛えていくには持ってこいの時代です。
一方、少子化とは言いながらも、今日も日本のどこかで新しい命が誕生しています。とても素晴らしいことです。このような時代に生まれて来る生命、特に2011年生まれの子ども達は、きっと何か特別な使命を持って、やって来たようにも感じます。新しい日本、新しい世紀を建設するために、これから日本中でたくさんの新しい生命が生まれて来るでしょう。もしかしたら、これで少子化問題は終わるかもしれません。2011年生まれの子ども達は、将来、「あの年に生まれた」日本人として、大きく社会を変えて行くと、心から期待しています。
さて、このブログを書いている今、台風15号が本州に上陸しつつあります。和歌山や名古屋では、すでに昨日から被害が出ています。今年の台風は勢力が強く、速度が遅いので、日本列島に大きな傷跡を残しています。ところで野田首相は、松下政経塾出身の初の総理大臣と成りましたが、首相就任と同時に、台風12号が(師である)松下幸之助氏の故郷和歌山を襲い、さらに今も台風15号が迫っているところです。これは単なる偶然でしょうか・・・。松下幸之助氏は「無税国家」を目指しました。ところが、門下生である野田首相は、その教えに反し「増税国家」を目指しています。自然界は、(きっと)政府に何かを言いたいのだと感じます。
今のような経済環境で増税すると、(誰が考えても)景気はさらに後退し、税収は(結果的に)減るのですから、今はまさに、21世紀に相応しい新経済成長のビジョンを指し示すことの方が最大の仕事だと考えます。それがあって、復興、財政、雇用、環境、エネルギー、医療、年金、防災、外交、防衛、食糧問題、少子化問題、公務員改革、地方分権等が有機的に動き出すはずです。これから日本は一体何で立国するのか・・・観光立国なのか、自然エネルギー立国なのか、第6次産業立国なのか、超ハイテク立国なのか、物流立国なのか、文化芸術立国なのか、武士道立国なのか・・・。日本中の叡智を集めて、そこを見つけることです。それが戦略です。増税などは(単なる)戦術です。政治家とは戦略(理念・目的・目標・使命・夢・志)を語る者です。今の政治家は戦術(手段・手法・ハウツー)しか頭に無いのでしょうか・・・。
その後の報道で、東京電力は、福島第一原発の事故の発生直後、現場から全面撤退(退散)する、つまり逃げるつもりだったことが判りました(東電側は否定)。もし本当に戦略(=使命)を持った企業であるならば、そのような話自体が出てこないと思います。放射線による被害が、未だ収束するどころか、ますます拡大し、数え切れないほど多くの人々の人生を狂わせてしまった責任は、本当に計り知れないほどの重みです。でも、もう過去は変えられないので、東電は全社をあげて、誠意をもって賠償に当たって行くべきなのでしょう。ところが現実は、まるで請求をさせないが為に作ったかのような、分厚い、「賠償請求手続き書類」が出てきました。これには、被災者の方々のみならず、国民全体も唖然としたと思います。実際、お金で元に戻る訳ではないのですが、せめてものお詫びとして、気持ち良く請求に応じる姿勢だけでも示す必要はあったと思います。電源喪失ならぬ、戦略(=使命、理念)の喪失が、今の状況を生み出していると考えられます。
今ほど、経営理念の重要さを、感じることはありません。企業ですから、当然日々様々な問題やトラブルは発生すると思います。それでも、最後は「経営理念」の存在によって、生かされて行くと思います。大きな会社も小さな会社も、人間同様、純粋に「生きる」ことへの懸命さが重要になって来ました。そのためにも21世紀に相応しい新たな戦略・理念を持って、自らの心と、周囲の人々を、明るく平和な状態に導いていかなければなりません。希望を持って、絶対にあきらめない心を持って。最悪を想定し、最良を楽観して。とうとうそういう時代になったのだ・・・。理念主導型経営を目指している丸二としては、武者震いをしながら、真剣にワクワクしているところです。

最悪を想定し、最良を目指す

ここ最近の新聞広告欄に、海外有名歌劇場の来日オペラ公演の広告が多数掲載されています。実は、そのほとんどの内容が、「(主役の)歌手の来日キャンセルのお知らせ」です。バイエルン国立歌劇場やボローニャ歌劇場といった、とても有力な歌劇場の来日公演なので、歌手陣も超一流の方々ばかり。数万円のチケットを買われた人々も、きっと「その人が出るから」という気持ちだったと思います。
広告によると、「出演者変更によるチケット払い戻しはできません」「全員、突然の急病(病名も記載)」とのことで、また、よっぽどチケットの売れ行きが悪いのか、「お隣の席を無料ご招待します」という、今まで聞いたことも無い様な緊急キャンペーンも出てきました。公演はもう9月の中旬からです。主催者の焦りを感じます。確かに、出演者の交代という事は良くあることです。でも今回のように、ほぼ全員の主役級が、一斉に突然病気になって、来日キャンセルとは前代未聞です。
つまり・・・原発と放射能の問題だと思います。外国から見て、日本は危険な国に映っているということです。今回の原発事故の対応の一部始終を、海外は冷徹な目で見ていたのでしょう。その結果として、「命には代えられない」という現実的な判断を生み出したものと想像します。もっと国として懸命な対応をしていれば、仮に完全な収束がまだ先であっても、「安心感」は随分違っていたと思います。このようにして、今回の原発事故は様々な方面に渡って、想定外の形で、厳しい影響を与えて始めて行くと考えられます。
「最悪を想定し、そうならないように努力する」という危機管理の原理原則を全ての日本人が身に付けて行く必要性があると感じます。私たちは、なかなか悪い状況を想定することが苦手です。起こって欲しくないことをイメージしたくないのです。口にしたくないのです。「縁起でもない」と言われたくないからです。日本は「言霊(ことだま)の国」と言われ、古来より言葉にはエネルギーが有ると信じられて来ました。発した言葉どおりの未来に成ると。だから、良い言葉を発しようと。それは正しいと思います。「ありがとう」「うれしい」「しあわせ」等のプラスの言葉を多く口にするのは大切です。
でもそれと同時に、大切な前提条件も合わせて意識しないといけません。それは、「最悪、こうなるかもしれない。そうなっては困る。そうならないようにしよう。そのためにこうしよう」という危機意識です。その後に続けて「でも、大丈夫。きっとうまくいく。心配することは無い。良かった。ありがとう」と成ります。
今回の津波に関しても、もし最悪を想定する習慣があったら、地震発生直後に10メートル級の津波が観測された時点で、一斉にすべてのTV放送・ラジオ放送等を官邸からの中継に切り替え、東北地方の太平洋岸にいる全国民に対する緊急避難命令の発令を宣言できたかもしれません。それによる様々な問題は起きたでしょう。でも「その責任は私が取る」という人が一人いれば、物事は動くのです。もちろん、それでどれだけの人命が助かったかは分かりません。でも、それほどの巨大な津波が来るのかという危機感はより強く伝播したかもしれません。
これからも、おそらく様々な形で大きな危機がやって来ると思いますので、「最悪を想定する」習慣と、その上で、明るく、絶対に大丈夫と言う安心感を持って、日々の「今」を、前向きに過すことだろうと思います。そうすれば、実際には危機が来なくなるのではと思います(それが一番良いことですから)。
いずれにしても、外国の歌手の方々同様に、自分の生命、家族の生命を最優先にする時代に成りました。人からどう思われようとかまわない。命を脅かすものから家族を守ることが、何よりも大事。それは当然のことなのでしょう。だれも責められません。それはエゴでは無くて、人間の本能として理解していかないといけないと思います。ですから一刻も早く、安全な国、安全な街を取り戻すことに、全力を挙げる姿勢を示すことだと思います。
建築の役割はこれから大きく成りそうです。家族の生命を守る住宅。家族の心を守る住宅。これがこれからの世の中にとって、最も大きな御守りになると思います。丸二が目指している「最良の建築」とは、とてもシンプルなもので、「良い家だね」「良い造りだね」「良い仕事してるね」「良く出来てるね」「カッコ良いね」等の「良」を最もたくさん集められる建築のことです。生命を失う家を建ててはならない。心を失う家を建ててはならない。これからの「最良」は、住む人の生命と心を守る、御守りの建築になると思います。

トイプードルと生命を守る住宅

今年の7月、我が家にトイプードル(男の子)がやって来ました。生後1.5カ月で、とても小さくて可愛いワンちゃんです。それから約1カ月が過ぎて、体重も来た時の倍となり、だんだん男の子らしいワンパクぶりを発揮し始めました。自分自身、犬を飼うのは初めてで、いろいろなことに戸惑うばかり。子どもの頃は、家に柴犬がいましたが、ほとんど母が世話をして、小さな僕たちは、吠えられて逃げるだけ。犬は怖いものでした。
それでも最近は、ペット好きの方が増え、可愛い子犬にも触れる機会もあり、少しずつ抵抗感は無くなっていました。娘から「犬が欲しい」と言われた時も、子犬ならいいかなと思いました。トイプードルは、とても小さくて、可愛くて、元気なワンちゃんです。人気があるのも、よく分かります。毎晩、家に帰ると飛びついてきてくれて、日々の心を癒してくれます。
そうそう、名前は「じんべえ」と言います。とても日本的クラシックな名前ですね(娘が命名しました)。じんべえには、「福の神」という意味もあるらしく、確かに我が家に来てから、家の中が今まで以上に明るくなったような気がします。人間よりも寿命が短い訳ですので、あとどれくらい一緒に過すことが出来るのかは分かりませんが、毎日じんべえと触れ合って、モコモコした毛糸のような体を抱っこして、幸せな人生(犬生?)を送らせてあげたいと思います。
このように、家庭の中に明かりが灯るということは、とても大切なことだと思います。最終的に、幸せとは「安心」だと思いますので、日々の生活の中に笑顔や安らぎが生まれて来るような生き方を見出すことが大事です。一人ひとりの心の中が、笑顔と安らぎで満たされれば、その集合体である家族はもちろん、街、国、地球も、全部笑顔と安らぎで満たされるでしょう。だから国家論も重要ですが、それと同じくらい、一人ひとりの心の在り様も重要ではないでしょうか。
もし、可愛い子犬と暮らすことで、(子犬と一緒に)心の安らぎが生まれるのならば、それも1つの平和運動(への1mmの前進)なのかもしれません。反対運動のデモ行進よりも、自分自身や身近な人々が、心穏やかに安らぎの気持ちを持って、日々を懸命に暮らそうとする努力の方が、より素晴らしく尊いことに感じられます。
今の日本、諸外国と比べても、大規模な反対運動はあまり見当たりません。「反○○」ということよりも、個人個人がそれぞれの「心の平安」を(努力しながらも)日々生み出しているからではないかと感じます。だから日本は凄いのですね。静かな平和革命が、只今進行中ということです。今回の東日本大震災以降も、(これほどの政治的なミスが重なっても)大きな暴動は起きてません。もちろん心の中には強い怒りや葛藤はあるでしょう。でも、それも何とか自らの心の内で納めようと懸命の努力をしていると思います。全国民による静かな平和革命が進行中です。うちのじんべえ君も、その一員になってくれそうです。
さて、野田政権が始まりましたが、増税+官僚主導という考え方が、本当に展開されるのかどうかに注目しています。もしそうであるならば、日本の経済成長をどのようにして実現していくのか、なかなかイメージがつきません。3.11以降の新しい首相の手腕が、これからの日本を大きく左右すると思います。本当に国民のことを優しく、大切に、愛する方向へ行くのか。政治家・官僚・大企業・マスコミを守る方向へ行くのか。あるいは共にハッピーになれるウルトラCを出してくれるのか。あと数カ月で見えて来るのでしょう。
その間、日本を始め世界の各地でも、様々な自然災害は続くと思われます。今までの規模とは全く違う、さらに巨大な災害も起こるかもしれません。それは経済面にも大きな影響を与えることでしょう。国民を守るということは、人々が安心して暮らせる社会を造ることです。経済的な不安や災害の恐怖から国民を守って行く(あるいは必ず守るという姿勢を示す)ことです。結局のところ、これから人々の意識は「家族の生活、生命を守る」という一点に集約されてくるはずです。今までのように浮かれてはいられない、本当に家族の生命を脅かす危険が迫っている、どれをどのように防衛していくか。
これからは、様々なビジネスも「生活、生命を守る」という視点を抜きに存在しないと思います。今回の大型台風で被害にあった町や集落の状況を見ても、いかに「住宅」が人々の生命を守るために存在しているのかが分かります。住宅業界も、豊かな経済成長を背景に、表向きのお化粧だけは上手になりました。安く作ることも上手になりました。でも、住宅の本当の存在価値は、「家族の生命を守る砦」ではないかと思うのです。
私たちは、RC(鉄筋コンクリート)と天然木(お守りヒノキ)の両方の良さを融合して、災害(地震、火災、水害、台風、放射線等)に強く、なおかつ住みやすく、健康的で、心安らかに癒される住宅をご提案しています。大切な家族の生命を守ることが最優先と成る時代が始まり、世の中は混沌とすると思いますが、何が有っても、毎日我が家に家族が帰って来て、安心して笑顔で暮らすことができる場を生み出して行きたい。じんべえ君を抱きながら、そんなことを考える毎日です。
※最近の一枚
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シューベルト/ピアノ・ソナタ第21番
ピアノ/アファナシェフ
最近、ピアノ曲を聴くようになりました。「世界最高のピアニスト」という本の中で紹介されたいくつかのCDを聴いて、なんとなく目覚めたのです。私は、基本的には管弦楽(オーケストラ)の方が好きで、器楽曲や室内楽はあまりよく分かりませんでした。ところが今回、アファナシェフというピアニストの弾くシューベルトを聴いてみて、とても感じるものがありました。
今までシューベルト自体に詳しくなかったので、この曲も初めて聴いたのですが、とても深く、幻想的で、ある種の畏れ(恐れではなく)までをも感じることが出来ました。ピアノ曲は、たた一人の人間が音を出す音楽なので、その人間の全てが現れるようです。試しに他の演奏(ケンプ)を聴いてみたところ、まったく違う、とても普通に素敵でキレイな曲に聞こえました。アファナシェフは、日本の京都が好きで、そこで瞑想をするそうです。今の時代、自分自身の心の奥底を見つめ、本当に自分自身が望んでいることを見出すことが大切だと思います。時にはピアノ曲を聴きながら、心静かに、物思いに耽るのも良いですね。

激震

民主党代表選挙が近く行われそうです。事実上、新首相の選出選挙ですので、国民にとっても非常に重要な事柄のはずですが、もう多くの人々の関心の外にあるように感じます。先の(党の)代表選挙において、小沢さん排除の論理で、菅さんを推した方々が、菅首相の人気が急落するや否や、今度は菅おろしを始め、いよいよ自分にも首相になれるチャンスが来たと見るや、排除した小沢さんを頼りにする。このように、あまり教育上宜しくない姿を見せている以上、日本の政界はさらなる激震に見舞われると思います(それはきっと良いことですが)。
今の日本の政治(システム)にとって、「日本」とは、<国会議員・官僚・大企業・マスコミ>だけを言うのでしょうか。本来主役であるはずの国民は、その勘定から外れているのでしょうか。そう理解すると、様々な物事は辻褄が合います。結局、国の財政を改善するには、国民からの貢物(税金)を増やせば簡単ですし、原発問題にしても復興需要にしても、大企業のご機嫌を損なわないようにするのが先ず第一。国民の健康や生活が危険にさらされても、本体の「日本」が困らなければ、とりあえずは良い。つまり私たち国民は、悲しいかな、「二の次」の存在なのかもしれません。
それでも、世界各国の多くの人々は、「日本」を心から尊敬し、応援し、讃えています。確かに、日本ほど世界から尊敬され、信頼されている国はありません。ここで言う「日本」とは、当然、一般の「国民」一人ひとりのことであると思います。このように歪んだシステムの中に居るにも関わらず、日本と言う国は、なぜ素晴らしい国民性を有しているのでしょうか。
私たち日本人は、自分たちの心の中に在る「良心」を真のリーダー(ビジョン)として、日々の生活に臨んでいるのかもしれません。八百万の神がいると言われる日本ですが、私たちの心の中にも「良心」という存在が在ります。この良心を、自らの生きる指針に置き換えているのが日本人ではないでしょうか。だから、仮に、誰かから置き去りにされたとしても、まったく揺るがない。むしろ、(良心に従って)正しい判断や生き方ができる。その結果が、今回の東日本大震災における東北の方々の姿ではないかと感じます。
津波で流された多額の現金の、その多くが持ち主に戻って来ているそうです。外国では考えられないことです。大地震が起きて、飲食店から飛び出して行った人々が、後になってきちんとお店に戻って来て、お支払いを済ます。これは法律とかルールとかではなく、「良心」の世界だと思います。本当は、政治の世界も国民と一体となって、このような素晴らしい「日本人らしさ」を世界に発信していけば、もっともっと世の中は良い方向へ変わると思います。ただ、今はもう少しの辛抱ですね。それでも、様々な分野で(良い意味での)激震が走ることで、全てが良い方向へ動き出すのではないでしょうか。
昨日、島田紳助さんが芸能界からの引退を表明しましたが、このような激震も、今後あらゆる分野・世界で、(もっと身近なところで)起きて来ると思います。現在の超円高もそうですし、昨日の米国首都で発生した大きな地震もそうです。大切なことは、その激震の意味を正しく捉えて、それを機に、すべてを見直すチャンスに変換することです。
激震が無ければ、物事は変わりません。だから、(厳しいことですが)激震に感謝し、粛々と反応して行くことだと思います。政治の世界も、本当に国民のことを思う方向へ変わって行く絶好のチャンスだと思います。だからここは皆で関心を持って、国の行く末に対する良い意識(イメージ)を持って行きたいものです。そうなれば、日本は大丈夫。もっともっと世界からの尊敬を集めていくはずです。これから数年は、試される時代。自らの良心に聞いて、変革を起こし、チャンスを勝ち取って行きましょう。

山越え

毎月発行している「ニコニコ通信(旧ありがとう通信)」9月号のための挨拶文を、今朝書きました(下記参照)。いつも、その時思い浮かぶことを、素直に書いているつもりですが、何となく毎回同じような内容になってしまいます。それでも結局のところ、常に自分自身の意識の下で繰り広げられている「自然の恩恵への感謝」「私たちは、生かされている」「(次の)新しい時代のための建築を世に出す」「建築業は無くならない永遠性の仕事。尊い仕事」「今を最善で生きる」という考えが、いろいろな形で文字になっているだけです。相変わらずのワンパターンです。
人間一人ひとりの意識は、なかなか変えられるものではないでしょう。ただ、今の時代に生きている(生かされている)ということは、意識の大変化を望んでいるのかもしれません。自分自身をさらに高めたい。もっと気づきたい。このような欲望を持つ生き方にとって、今の日本に「在る」ということは相当な優位性ではないかと思います。これほどの「山」は無いでしょうし、しかも必ず良い結果が出る山です。
私は今47歳です。この山を超えるにはちょうど良い年齢のような気がします。ある程度の過去(歴史)が有り、先々への大いなる未来(夢)もある。変化の意味合いもよく理解できるし、変化を受け入れられる柔軟性もある。過去も現在も未来も肯定できる不思議な位置に居るような気がします。団塊の世代よりも若く、新人類よりも古い。何となく地味で中途半端で自己主張の無い世代。でも、内なる「熱」のようなものを秘めている。
お盆休み中に、NHKのBS番組でエベレスト登頂のドキュメンタリー(3時間)を見ました。これは通常の登山家が登るのではなく、取材陣(カメラマン)が登り、その世界最高峰の山頂からハイビジョンの360度パノラマ映像を撮るためのものです。そこには大変な労力、手順、時間、多くの人々の協力がありましたが、無事に見事、目的を達成しました。生命を賭けた挑戦が、必ずしも全て報われるとは限りません。それでも、結果を恐れずに、今という瞬間(の連続)に感謝し、喜ぶことができたら、それは最終的な(真の)成功へと繋がると思います。そのような心の状態を作るための大舞台(大仕掛)が、今の世界だと思います。
「ニコニコ通信9月号」(挨拶文)
太陽の光が燦々と降り注ぐ暑い夏が終わろうとしています。今年の夏は節電対策の影響もあり、いつもより特別暑かったように感じます。それでもこうして毎日、太陽の光が数秒の狂いも無く、私たちの街を照らしてくれていると思うと、自然界の仕組みの偉大さにただ驚くばかりです。太陽活動が活発になってきたことで、紫外線の強さ、あるいは地震の発生等、私たちの生活にとっては非常に困る事態も起きています。しかしながら、そもそもそういう自然の摂理の中で、私たちは生活をしよう(住もう)と決めたわけですので、そのルールに従っていく以外ありません。毎日、朝が来て、夜が来る。このリズムが四季によって変化する。日本の風土は、交響曲(シンフォニー)の四楽章制に似ています。最近はこの交響曲の演奏が、だんだん強烈になってきたようです。強弱のコントラストも鮮やかに、テンポも早く、ついていけない人も多くなりました。それでも、最後のフィナーレは、感動の大団円を迎えます。そのようにして、また次の時代へ移って行く。このような繰り返しの中で、私たちは自然界の中で生かされている存在なのでしょう。今回の震災から原発事故を通じて、私たちは大きな山を超えようとしています。きっと乗り越えられると思いますし、乗り越えた先の世界は、とても穏やかで、明るい場所のような気がします。人々の生活様式も変わり、意識も変わり、社会も変わって行くのでしょう。建築はどうでしょうか・・・。いかなる時代になっても、「住む」という概念は有り続けます。最後まで有り続けます。とても息の長い、永遠性の仕事です。だから私たちは、遠い未来に向けての建築の有り様を常に考えています。「今だけ」のものではなく「いつまでも」のものだからです。この山を超えた先の世界に、どのような建築が生まれて行くのか、今からとても楽しみです。ありがとうございます。

心で改革

今年の8月は、米国債のデフォルトは回避されたものの、(史上初)米国債の格下げが発表され、世界的にドル売りと株式相場の下落が始まり、そのまま日本はお盆に入りました。お盆休みの間は、比較的静かでしたがが、お盆明け以降どのような動きが出て来るのか、とても興味があります。このまま円高が進むと、日本経済はまた大きな局面を迎えるのでしょう。
それにしても「円高」とは・・・こんなに財政が苦しい日本でも、ドルに比べれば安心ということなのでしょうか。日本の国債は、ほとんどが国内で消化されているので、実質、外国から借りているのではないから、大丈夫と言う見方があります。そうならそれで良いので、増税や消費税アップではなく、大規模な景気対策、復興対策へ全国民のエネルギーを向けて欲しいものです。ただし、今までとは違ったやり方、つまり、人の心や環境が破壊されない、新しい経済の有り方への挑戦として・・・。
もう少し分かりやすく言うと、失業率と自殺が減少することと、今まで世に出なかった技術と農林業に光が当たる道です。そのような芽が、今まさに生まれようとしています。多くの人々が、このままではいけないという問題意識を持ち始めています。イギリスの暴動を見て、若者の気持ちを大切にしていかないといけない、そのためにも失業を無くして行かなければならないと。
また、先進国でありながら、これほどの多くの人々が自ら命を絶つ社会は、どこかおかしい。原発からの脱却も何とか始めなくてはいけない。国内の農業、林業を活性化し、環境を再生し、食糧自給率を高め、山を護り、地方に職を増やす。そのような過程の中で、生きることの素晴らしさ、喜び、感動、感謝を自らの魂に刻むこと。
世界第1位の日本の技術力(ハイテク、バイオ、エネルギー等)はさらに磨き、断トツのトップとなり、その超技術力でイニシアティブを発揮して、世界を平和に、豊かに、幸福にしていく(日本だけが、新技術を平和利用に生かせると思うから。あるいは、平和利用のためにしか売らないという強い信念を持つ)。特に、今まで世に出なかった多くの技術を認め、公開していくこと。そのためには、今現在の「システム」が一度壊れなくてはならない。それが今、起きている現象の数々だと思います。
世の中を平和で幸福にするために、日本は何かを成し遂げなければなりません。それは政治の力では無く、一人ひとりの力の集合のような気がします。ロンドンの暴動の映像を見て、その凄まじさに驚きましたが、どのような状況になろうとも、日本ではあのようなことは起きないと思います。それは、行動力が無いとか、問題意識が少ないとかいう理由では無く、暴力で物事が解決することはあり得ないと、魂レベルで知っているからです。だから、私たちは一人ひとりが心の中で、(日常の中で)何かを成し遂げようとしていると思います。そういう新しい「改革」が始まったのではないでしょうか。
暴動とか、クーデターとか、テロとか、戦争とか、政変とかで、世の中を変えて行く「改革」はもう終わり、日本人は、「人心改革」で世の中を変えようとしているのだと思います。原発反対のデモ行進では無く、風力発電や地熱発電をしている人を見つけて、評価し、応援する。あるいは、被災地のために、自分が出来ること(小さなこと)を見つけて、やってみる。個人個人が、正しい生き方を探求し、実践していく。このようなことの連鎖で、社会を大きく変えられることを証明していきたいと思います。
仕事でもそうです。どのような商売にせよ、お客様の立場に立って、長く信用をいただける仕事をし続けることしかありません。特に建設業は「そこ」です。いつまでもお客様や建物のことを大切にして、誠心誠意の感謝のサービスを継続していく以外に、生き残る道は無いのです。10年後、20年後、30年後、そしてもっと先まで、ずっと建物をお守りしていく。そういう決意を持つこと。これはとても地味な仕事で、なかなか評価を得られにくいことです。それでも、そこが大事と、歯を食いしばってやっていくのが建設業の「心」です。
私たちは、このような心のあり様が、何かを変えると信じています。そして、今の日本にこそ、この「心」が大切だと思います。10年後、20年後、30年後先まで、子どもたち、孫の世代を守っていくという信念です。もっと言えば、世界を守っていくという信念です。日本の力は、まだまだこんなものではありません。もっと可能性を信じて、伸ばして行きたいと思います。あと少しです。

小さな雛型造り

8月に入り、また厳しい暑さが戻って来ました。この刺すような日差しは、(間違いなく)年々強くなってきていると感じます。また、今年の夏は蝉(セミ)少ないらしく、いよいよ地球的規模の環境破壊の波が、私たちの日常にまで入り込んできたようです。福島の原発事故以前から、このような環境破壊は始まっていた訳ですから、何もかもを放射線だけの責任にするのは違うのでしょう。私たちは環境や生命を犠牲にしながら、経済性と利便性を優先させて、今の社会・世の中を成り立たせていたのですから。今の事態は、私たち人類全体が、共に考えて、解決に向けて行動する大きな機会であると思います。
大切なことは、そのことを後ろ向きに捉えるのではなく、前向きに、明るく、ワクワクすることと捉え、皆が一致団結して、協力していくことではないでしょうか。今回の東日本大震災は、そのことを教えてくれたと思います。だから、いつか世界中の人々は、日本と東北の人々への感謝と尊敬の念を表明すると思います。その時を信じて、私たち日本人は、一人ひとりが、新しい社会造りに向けて貢献して行くべきなのでしょう。この時代に、日本人として生まれたことに、心から感謝して。
一般的に大災害の後は、「復興景気」というものが付いてくるのが通常ですが、果たして今回どうなるのか・・・わかりません。今までと同じような発想で、経済復興を行おうとしても、また同じような結果が起きるように思います(もっと大きな被害となって)。そんなに甘いものでは無いように感じるのです。だから、もう「復興景気」は無いと思い、それぞれの業界や会社、個人は、今までとは全く違う、新しい仕事の仕方や生き方を始めていくべきなのでしょう。
現在、日本の政治が大混迷の最中にありますが、これも何かの働きで、また同じようなやり方で乗り切ろうとする力を抑えているのかもしれないとさえ感じます。もっと別のやり方で、もっと新しいやり方で、もっと人間も動植物も自然界も同時に幸福になれる方法を探して、それが見つかるまで、私たちは「待った」を掛けられているのかもしれません。
そうなると、今出来ることはただひとつ。自分たち(個人)ができること(小さなこと)を試し、その新しい道への「雛型」を(日常の中に)見つけることです。新しい社会の仕組みをつくるのには相当な時間が掛かりますが、自分の生活や日常を変えるのは、本日只今すぐにできます。一人ひとりが新しい社会や世の中に相応しい生き方、考え方、仕事の仕方に挑戦していくことだと思います。しかもワクワクしながら。仮に、そのことが多少の軋轢や問題を生じたとしても、次の世の中に必要と成る取り組みを止めてはいけません。必ずある時点で、物事はひっくり返り、良い結果が出て来ると信じます。その方がずっと楽しいことです。今のやり方は、いずれにせよ早晩終わるのですから。
このような一人ひとりの小さな取り組み(雛型)が、少しずつ重なり合って、だんだんと家族や街、そして地域や国家、地球へと拡大していくと思います。最近の選挙の投票率を見ても、もう国民の心は政治から離れているのが歴然と分かります。親離れならぬ、「国(政治)離れ」でしょうか。もう国民は大人になりました。あとは、責任ある個人一人ひとりの小さな雛型造りです。例えば、「道にゴミを捨てない」「人の悪口を言わない」「朝早く起きる」「鳥の声を聞く」「雲を見る」「ありがとうと言う(思う)」「けんかはしない」「テレビを見るのは必要最小限度にする」「よいことは無料で教える」・・・何でも良いと思います。そのようなことを出来るのが、日本人だと思います。
建築・住宅の分野においては、「生命を守る」という面と「ホッとする」という面が大切だと考えています。これから大自然界の調律は、まだまだ続いて行くと考えられますので、地震、火災、液状化、津波、放射線、土砂崩れ、台風、豪雨、豪雪の外側からの災害エネルギーに耐えうる強い住環境が必要です。また、住まいの中での健康性も重要です。自然素材、結露対策、あるいは鬼門の扱い等、様々な視点で、住む人の心と体を守ることです。同時に、このような時代の中で、人々の意識は「絆」「愛」「温かみ」へと向かいます。それはとても自然な事です。外の世界が厳しいが故に、住まいの中が「ホッとする」空間である必要があります。家族が集まるリビング、趣味の部屋、快適な空気環境や色彩環境。このような柔らかさも大切です。
人々の生命を守ること。人々の心を守ること。日本の森を守ること。全て、建築業でできることです。私たちは、次の時代が待望する「新しい建築」の雛型造りに全力をあげています。まだまだ小さな力ですが、この時代に生かされている建設会社として、ワクワクして取り組んでいます。

加子母の森からのメッセージ

丸二・加子母森林組合の農商工連携事業を通じて、当社の企業理念に関わる様々な思いが、日々生み出されています。「木」は日本の建築の原点ですので、「木」を思い、「木」を使わせていただくことによって、今後の建築の方向性も見えてくるように感じています。そのような背景の中、今現在、加子母の森から伝わって来ているものを、思うがままに文章にしてみました(ひと月ほど前に書いたものです)。タイトルは「加子母の森からのメッセージ」です。
私たちは、木造住宅、鉄筋コンクリート住宅、マンション、コーポラティブハウス、リフォーム等のすべての建築において、(適材適所に)加子母の木を使わせていただき、(広い意味の)武蔵野の地にて、住む人を守ることのできる住環境を創造していきたいと思います。
少々、長い文章ですが、ぜひお読みいただき、伊勢神宮の御用材である「加子母ヒノキ」の力を感じていただければ幸いです。そして、もしお時間が許せば、ぜひ「加子母森林ツアー」にもご参加ください。このツアーは、決して当社の営業活動のためではなく、できるだけ多くの(東京、関東の)方々に、加子母の木の素晴らしさ、日本の山や林業の現状、そして森を守ることへの参加意識を理解していただくものです。どうぞ、よろしくお願いいたします。
加子母の森からのメッセージ
東日本大震災へ
2011年3月11日に発生した東日本大震災の映像が、今だに脳裏から離れません。巨大な津波によって町が消えていく様を見ながら、なす術も無く、ただ大自然の脅威の前に立ち尽くすのみ。多くの人々が生命を落とし、被災され、家族を失い、職を無くし、3か月経った今でも、暗闇の中、放射線の恐怖と対峙しています。それでも東北は、善良な精神で助け合い、地域の力で、ゆるやかに復興へ向けて動き始めています。温かい希望の光が、ほんのりと灯り始めています。5月の末に被災地を目にした時、何故かそのように感じました。
印象的だったのは、東北の美しい自然の山々や空が、あたかも何事も無かったかのように、静かに見護っているような気がしたことです。近い未来、東北は再び光り輝くでしょう。今までよりも、もっと明るく元気に美しく。そして私たちは、被災された方々へ、深い感謝の念を捧げます。日本の「道」を示したいただいたことに・・・。世界の「道」を示していただいたことに・・・。そのようにして私たちは、東日本大震災を、いつまでも想い続けていきたいと思います。
道への気づき
「エコ」や「地球に優しい」等の耳触りの良い言葉の裏側にある本音は、「エゴ」「利益」「我(だけ)良し」でした。日本人のみならず世界中の人々が、自分たちだけの幸福を、追い続けた結果として、今まさに大自然界による調律が始まり、地球規模の天変地異が起こり始めました。それは物質面、精神面の両方をひっくり返すほどのものとなり、今後の私たちの生活、仕事、人生、生命を大いに脅かすことになると思います。先ずは、そのような厳しい現実を直視し、今後起こるであろうあらゆることを想定し、かつ防災意識を持ち、その上で、できるだけ大難が起こらないように生きて行くことだと思います。
具体的には、あらゆる物事への「感謝」の想いを持つこと、つまり、この大自然界の存在に感謝し、生かしていただいていることに「ありがとうございます」と言うことができる感性を持つことだと思います。その意識のもとで、森を護る、自然を護る、地球を護ることへの具体的な行動を示して行く。多くの人々がそのような意識に目覚め、当面の厳しさを覚悟の上で、前向きに、元気に、ワクワクして、この超難局を乗り越えて行くことだと思います。
まさにこの時、私たちが「加子母の森」とのご縁をいただき、日本の森を護ること(林業再生)に参画することができたのは、まさに奇跡的なことであり、それは単なる今後のビジネス展開だけのことではなく、「3.11以後の世界」を生き抜くための、強力な「御守り」と成りつつあります。それは、私たちだけでなく、世界全体にとっての「御守り」にも成ると感じます。
今回の震災が日本で発生した結果、日本(=東北)の人々の人間性を世界が賞賛しました。それは、今後も地球上で起こるであろう有事の際、きっと良き模範と雛型と成り、人々の団結を助けます。また、福島第一原発の事故の影響が、ドイツ、イタリア等の先進各国の「脱原発」を実現させました。そして、神聖なる日本の水資源を、諸外国からの買収から守護しました。同時に、未だ日本列島に残存する各地の原発が、外国からの攻撃を抑止する力を持ちました。かくて、日本は護られ、日本が光り輝くことで、これからの世界も護られると思います。
世界で最も善良なる東北の人々の生命をかけた犠牲は、今後の大自然界の調律を、最小限に食い止め、きっと世界の人々を救うのでしょう。だからこそ、今生かしていただいている私たちは、そのことに感謝し、(残念ながら)犠牲になられた方々に対する「約束」を果たさなくてはなりません。私たちは運が良いのです。「加子母の森」とのご縁があるのです。私たちは、このような想いと実践を東京から発信していかなければなりません。そして建設業の使命である<命綱の建築>を造り、経営使命<丸二は、建築業を通じて、人々の生命を護ることをミッションとする>を果たして行きます。丸二の道は「加子母の森」との出会いによって、より深く確かなものに成りつつあります。
日本の木、加子母のヒノキ
日本人にとって、木は特別なものです。木は、豊かな森林資源であると同時に、そこには特別な精神性が含まれていると感じます。例えば、日本では神様の数を「一柱」「二柱」と数えます。それは、古来から「木には神霊が宿る」と信じられて来たからです。つまり、日本の木の家は、それ自体が「神聖な場」であると言えます。大黒柱(心柱)は、人々の生活を護ります。そう考えると、外材・軽量鉄骨等の住宅・ハウスは、実はまったく別物な家と成ります(効率的・経済的ですが・・・)。
これからの時代、潜在的に求められて来るのは「神聖な場」「護られている場」としての家と成るでしょう。流行り言葉で言うと、「パワースポット」としての家造りです。つまり家自体が、住む人を癒し、救い、包み込み、力を与える。このような捉え方が可能なのは、おそらく日本だけだと思います。そのような意味で日本の木の家は、日本にしかない「天からの贈り物」だと思います。
この神聖なる日本の木々を、心から大切に育て、護る人々がいます。そのような人々が、心を込めて生産した木々こそ、本物ではないでしょうか。ですから、その木々を「使わせていただく」という感謝の意識が大切です。山には精霊がいて、私たちは見られていると感じます。加子母はとても幻想的な雰囲気がありますので、きっと何か特別な山ではないかと思います。
その一つの証明として、加子母ヒノキを、伊勢神宮の御用材として、国が指定しているということがあります。もちろん、強度・色・香り等の素晴らしさや、自然乾燥・森林認証等の管理技術の水準の高さもありますが、伊勢神宮の御用材として、日本中のたくさんのヒノキの産地の中から、唯一選ばれたのには、それなりの理由があると思います、伊勢神宮は20年毎に遷宮を行い、社殿を建て替えることで有名です(式年遷宮)。次回は、いよいよ2013年です。混沌とした世相も反映して、今回の式年遷宮は、日本はもちろん世界からも注目される大きな祭事になるでしょう。日本の大黒柱である伊勢神宮が新たな時代を切り開くことは、地球の未来へも大きな影響を与えるでしょう。その新社殿に使われる木こそ、加子母の森の、神宮美林から伐り出されたヒノキなのです。
ここから始まると思います。一本の木を大切にする精神性があって、初めて日本全体の森が守られると思います。伐採は、生命をいただく特別な行為なので、適切な量とバランスが必要です。間伐によって、森に光が入り、動植物が育ち、森が再生します。さらに植林を行い、四世代複層林の実現を目指します(加子母森林組合の<美林萬世之不滅>)。このように、木や森を大切にする姿勢を商工業者、使用者が共有することが重要です。それがあって、農商工連携事業は成り立つのです。私たちには、森の経済を成り立たせるために、一本500円でしか売れない直径14㎝未満の間伐材を、一本1,000円で(高く)買わせていただきます。本プロジェクトは、そのような精神性と経済性を両立させることを、最優先の目的としています。
伊勢神宮と心柱
丸二は、国の農商工連携事業の認定を受けて、岐阜県加子母のヒノキ材の活用を行い、林業の再生と森を護ることへの取り組みを続けています。加子母のヒノキは、伊勢神宮の社殿に使われる御神木として有名で、宮内庁は、伊勢神宮のための御用材を伐り出す山として、その一帯を「御杣山(みそまやま)」と呼んでいます。
(有名な)20年ごとに社殿を移動する「式年遷宮」(次は2013年)のために、御杣山である加子母の山では、「御杣始祭(裏木曽伐採式)」が行われ、素晴らしいヒノキの大木を伐られます。その御神木は、まず伊勢まで運ばれて、「おか曳き(陸路)」で、外宮へ届けられます。同じく御杣山の反対側(長野県上松町)から伐り出された御神木は、五十鈴川を「川曳き」で運ばれ、内宮へ届きます。加子母の木は、外宮の御神体を納める御樋代と使われると共に、内宮と外宮の社殿建築にも使用されます。
また、伊勢神宮の内宮は、「天照太御神(太陽神)」が祀られていて、外宮は「豊受太御神(「衣食住の神)」が祀られていますが、一説では「豊受太御神」=「国常立太御神(始源神・根源神・元神)」とのことで、外宮の位置付けは実は相当高いようです。外宮の御神体を納める御樋代と使われている加子母のヒノキは、そういう意味で、とても重要な役割を担っていると思います。
その内宮・外宮の2つの社殿の床下には、「心御柱(心柱)」が縦に埋まっているそうです。これは誰も見ることが出来ないらしく、実際のものは分からないのですが、いずれにしても、式年遷宮ごとに新しく、加子母ヒノキが使われているはずです。この「心柱」は、五重塔などが有名で、どういう訳か宙ぶらりんで浮いているものが多く、一体どのような意味で、あるいはどのようにして建てられたかは謎になっています。日本の古代建築には「心柱」があり、宙ぶらりんのものや地中に埋まっているもの等、いろいろあります。一般的には、家の中心点にある「大黒柱」であり、全体を支えている柱です。
伊勢神宮の「心御柱(心柱)」は、長さが約五尺ほどで、一部は埋まっているそうです。柱と言いながら、実際の社殿には接触してなく、構造上の柱ではありません。この「心御柱(心柱)」の意味については、いろいろな説があり、非常に奥が深いので、もう少し勉強してみたいと思います。とにかく、加子母のヒノキが思った以上に大変なものであることが解って来ました。
そういえば、最近の住宅では「大黒柱」という存在が消えてしまったような気がします。いろいろな新しい工法が入ってきて、構造設計も時代と共に変わり、柱で持たせる工法から、壁・パネルで持たせる工法が普及してきたからでしょうか・・・。柱という存在自体がだんだん希薄になって来たようです。でも、日本の古来からの軸組工法では、「柱」「梁」が主役です。家の中心にある太い柱が「大黒柱(心柱)」です。
この「大黒柱(心柱)」は、確かに構造的(物理的に)にも重要な柱ではありますが、五重塔や伊勢神宮の社殿の心柱の設置状況を見ると、必ずしもそれだけの役割でなく、何か精神的な意味合いがあったような気がします。外来の建築工法が多くなり、家から柱が無くなり、「大黒柱」が消えている。それは、単に工法の移り変わりと言うことだけでなく、日本の家から(精神的な意味での)「大黒柱」も失われているという見方もできると思います。
例えば、昨今の、家族の中での父親(=大黒柱)の地位の低下は、もしかしたら「大黒柱」の減少とリンクしているのかもしれません。それは結局、家庭の崩壊を生み、教育、経済、政治の現状へも及んでいる可能性があります。もっと言えば、私たち一人ひとりの心の中にあるべき確かなる芯(心柱)の弱体化にも影響していると思います。多くの政治家に「心柱」、つまり、ポリシーとかビジョン、理念が欠如していることも繋がっているとさえ感じます。
私たち一人ひとりの心に中に、確かなる「心柱」を立てたいと思います。私も、子どもの頃は「柱」のある家で育ちました。だから、私たちも、伊勢神宮の御用材の「心柱」のある家を建てていきたいと思います。伊勢神宮の社殿の床下に埋まっている神聖なる加子母ヒノキの心柱のことを思うと、そう思わざるを得ないのです。
加子母の森へ
加子母ヒノキは、日本人の心の寄り代です。私たちは、加子母ヒノキが、都会の多くの家々に息づくことを夢見ています。それは必ず、日本人の魂の力を呼び起こすことに成ると信じるからです。そして、これが私たちにできる日本復興のビジョンなのです。・・・さあ、加子母の森へ行きませんか。

生き生きと生きたい

先日の土曜日、中学時代の同級生のお誘いで、上野の水上野外音楽堂で行われたアマチュアバンドのコンサートに行きました。とにかく猛暑で、しかも屋外で、バンドの方々も必死でしたが、自分たちの好きなことに(一生懸命)取り組んでいる姿が爽快で、見ている方もかなり楽しませていただきました。まず自分がワクワクすることが、何事にも増して大切な事なのだと、実感です。
その日は、そのまま吉祥寺に戻って飲み会。場所は、同じく同級生がやっている素敵なお店「Mojo Cafe」です。「Mojo Cafe」は、吉祥寺のサンロード(西友のちょっと先の2階)にあって、オーナーのこだわりで「良質な音楽の提供」がコンセプトの、小さいけれど、とても温かい雰囲気のカフェです(オレンジ色の壁とカッコイイ音響システムが印象的)。それでも、初めての人でも(一人でも)入りやすく、お店の中も明るいし、もちろん料理も美味しいので、ぜひお試しください。ここのオーナーも、本当に好きなこと、やりたかったことに挑戦しているので、とてもハッピーですね。
さて、翌日の日曜日は、米国(サンフランシスコ)からのお客様(妻と娘の友人で、お母さんと13歳の娘さん)が来られて、一日一緒に吉祥寺界隈で遊びました。先ずは「ジブリ博物館」。ここは、正式オープン前の関係者向けプレ・オープンの際に行った切りで、とても久しぶりでしたが、日曜日ということもあり大変な混雑で、あらためてジブリ人気の底力を感じました。13歳のアメリカ娘ちゃんも、ジブリは大好きとのことで、とてもはしゃいでいました。
その後は、吉祥寺をブラブラして(買い物したり、吉祥寺美術館に行ったり)、夕食は、友人がオーナー・シェフの中華(四川)料理の「まつひろ」に行きました。ここの中華は、吉祥寺でもトップクラスではないかと思います。いつも美味しいものを食べさせていただけるので、外国からのお客様が来られた時は、必ず利用させていただいてます。駅から少し歩くのですが、逆に隠れ屋的な雰囲気があり、しかも良いものを出しますので、今後も楽しみですね。オーナーのこだわりが本当のお店の価値だと、いつも気づかされます。
それにしても原発事故の影響で、海外からの観光客が激減しているような中にも関わらず、このように日本に来ていただけるというのは、とてもありがたく、嬉しいことです。ちなみにクラシック音楽界では、今回の放射線被害の影響で、多くの来日公演がキャンセルとなったということで、社団法人日本クラシック音楽事業協会は、国を通じて東京電力に賠償を求めたそうです。その売り上げ被害総額は46億円を超えるとのこと。とても大きな被害です。でも、(斜陽の方向にある)クラシック音楽界を実際に支えているのは日本のクラシック・ファンであるのに、海外の有名アーティストの方々が、こういう時に簡単にキャンセルしてしまうのも、何か残念な気がします。やはり「ビジネスライク」ということなのでしょうか。
ところがそういう状況にも関わらず、あえて来日し東日本大震災チャリティー・コンサートとして「ベートーヴェン:第9交響曲」を振った指揮者がいます。インド出身のズービン・メータです。開催日は4月10日ですから、まだ震災後一か月で国内もまだまだ混乱の最中の時です。メータはちょうど3月11日にも日本にいて、大震災を経験したそうです。そのようなこともあったからだとは思いますが、インド出身という、日本人の心に近いものを持っていたからでは、とも感じます。
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そのメータの来日コンサートは大変感動的だったそうですが、その後、ミュンヘンでも地元の有力オーケストラを集めて、再度日本ののためにチャリティーコンサートを開催してくれました。その時のライブCDが、上記です。今まで様々な第9の演奏(CD)を聴いて来ましたが、これは本当に素晴らしいです。ベートーヴェンの不屈の精神、日本人の和の心、そしてブッダを生んだインドの精神性がうまくブレンドして、力強く、日本人の魂と共振しているように感じることができます。
これからは、自分自身の中に(意識に、あるいは腹に)抑えきれないほどの志を持ち、その実現に向かって、「生き生きと」生きて行く人々の時代になるような気がします。私も、その一員に入りたいと思います。

加子母森林ツアーと龍神様

この土日の二日間、恒例の「第7回:加子母森林ツアー」に行って来ました。今回の参加者は19名で、いつものように和気あいあいとした時間を過すことができました。一番心配だったのが天候でしたが、このツアーは、今まで(台風の予報が出ていても)不思議と雨にあったことがなく、きっと今回も大丈夫だろうと思ってました。
ところが、中津川インターチェンジを降り、加子母に近づくにつれて、空が急に暗くなり、真っ黒い雨雲が空を覆い始め、とうとう猛烈な雨が降り始めました。もしこのまま雨が強く降り続けると、森林ツアーの目玉の「ヒノキの伐採」も見られませんので大変です。でも、実は心の中では「予定通り。大丈夫」と思ってました。
と言うのも、加子母に入る直前に、空に大きな「龍神様」が現れたからです(もちろん、雲の形がそう見えただけですが)。龍神は「最強運」を意味しますので、今回のツアー参加者&関係者は、全員きっと良い運気をいただけたのではないかと思います。これは超ラッキー!ですね。でも実は、龍神様は「雨」でお出迎えすると言われています。ですので、これはきっと雨が降るなと思いました。案の定、加子母に入ると激しい大雨となりました。
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ところが加子母のモクモクセンターに着いて、その後プレカット工場へ着くころには、風が出てきて、雲が消え、快晴となり、後は全く雨と合うことは有りませんでした。夜中にまた数回の豪雨と雷がありましたが、翌朝にはパッと晴れました。龍神様は、雨(=浄化)で出迎えて、その後は天気にしてくださると言われています。今回は二日間、まさに「予定通り」、龍神様に見護っていただいたのだと感じました(ありがとうございます)。
でも、なぜ、龍神様のお出迎えをいただけたのか・・・。それはきっと、私たち(加子母森林組合さんと丸二)の取り組みが、森を大切にして、森を優先させて、森を護ることに繋がると、見ていただいているからではないでしょうか。今の利益を追求するのではなく、森(=大自然)と人々の暮らしを護るための、本当に小さな一歩としての本事業を、森や山たちが応援してくれているような気がしました。その道のりは、確かに相当長くなると思いますが、「大丈夫。うまく行くから、続けなさい」というメッセージではないかと・・・。私たちは、常に自然界への感謝と謙虚の心を忘れずに、ただただ続けていこうと思います。
さて、今回のツアーでは、2つの初登場がありました。一つは、カエルさんです。加子母森林組合の内木組合長様が、朝、山で見つけたカエルさんを(みんなに見せるために)捕まえておいてくれたのです。とても大きなカエルさんで、みんなもビックリ。でも、五歳の勇敢な少年は、平気で触ってました。さすがですね。その後、カエルさんは山へピョンピョンと帰っていきました。
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そしてもう一つは、水です。小さな美しい渓流を流れる加子母の水を、(内木さんがご用意していただいた)ペットボトルで取り、みんなで飲みました。とても優しくて、まろやかで、冷たくて、本当に美味しかったです(生き返りましたね!)。加子母ヒノキの強度が強く、色も美しいピンクで、なおかつ伊勢神宮の御用材となる理由は、もしかしたら、この加子母の豊富な水資源にあるのかもしれません。この大自然の恩寵は、本当に護って行かなければならないと感じました。
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本ツアーは、今後もいろいろな方々(建築をお考えの方、木や山や自然が好きな方、環境にご関心のある方、ちょっと自然の空気を吸いに行きたい方、美味しいものを食べたい方、ヒノキの香りが好きな方、伊勢神宮が好きな方、設計士の方、下呂温泉に行きたい方、身近な社員のご家族や友人知人の方・・・)のご参加をお待ちしています。その中で、少しでも山のこと、木のことを知っていただければ幸いです。今回のご参加の皆様、誠にありがとうございました。