


2011.08.08
8月に入り、また厳しい暑さが戻って来ました。この刺すような日差しは、(間違いなく)年々強くなってきていると感じます。また、今年の夏は蝉(セミ)少ないらしく、いよいよ地球的規模の環境破壊の波が、私たちの日常にまで入り込んできたようです。福島の原発事故以前から、このような環境破壊は始まっていた訳ですから、何もかもを放射線だけの責任にするのは違うのでしょう。私たちは環境や生命を犠牲にしながら、経済性と利便性を優先させて、今の社会・世の中を成り立たせていたのですから。今の事態は、私たち人類全体が、共に考えて、解決に向けて行動する大きな機会であると思います。
大切なことは、そのことを後ろ向きに捉えるのではなく、前向きに、明るく、ワクワクすることと捉え、皆が一致団結して、協力していくことではないでしょうか。今回の東日本大震災は、そのことを教えてくれたと思います。だから、いつか世界中の人々は、日本と東北の人々への感謝と尊敬の念を表明すると思います。その時を信じて、私たち日本人は、一人ひとりが、新しい社会造りに向けて貢献して行くべきなのでしょう。この時代に、日本人として生まれたことに、心から感謝して。
一般的に大災害の後は、「復興景気」というものが付いてくるのが通常ですが、果たして今回どうなるのか・・・わかりません。今までと同じような発想で、経済復興を行おうとしても、また同じような結果が起きるように思います(もっと大きな被害となって)。そんなに甘いものでは無いように感じるのです。だから、もう「復興景気」は無いと思い、それぞれの業界や会社、個人は、今までとは全く違う、新しい仕事の仕方や生き方を始めていくべきなのでしょう。
現在、日本の政治が大混迷の最中にありますが、これも何かの働きで、また同じようなやり方で乗り切ろうとする力を抑えているのかもしれないとさえ感じます。もっと別のやり方で、もっと新しいやり方で、もっと人間も動植物も自然界も同時に幸福になれる方法を探して、それが見つかるまで、私たちは「待った」を掛けられているのかもしれません。
そうなると、今出来ることはただひとつ。自分たち(個人)ができること(小さなこと)を試し、その新しい道への「雛型」を(日常の中に)見つけることです。新しい社会の仕組みをつくるのには相当な時間が掛かりますが、自分の生活や日常を変えるのは、本日只今すぐにできます。一人ひとりが新しい社会や世の中に相応しい生き方、考え方、仕事の仕方に挑戦していくことだと思います。しかもワクワクしながら。仮に、そのことが多少の軋轢や問題を生じたとしても、次の世の中に必要と成る取り組みを止めてはいけません。必ずある時点で、物事はひっくり返り、良い結果が出て来ると信じます。その方がずっと楽しいことです。今のやり方は、いずれにせよ早晩終わるのですから。
このような一人ひとりの小さな取り組み(雛型)が、少しずつ重なり合って、だんだんと家族や街、そして地域や国家、地球へと拡大していくと思います。最近の選挙の投票率を見ても、もう国民の心は政治から離れているのが歴然と分かります。親離れならぬ、「国(政治)離れ」でしょうか。もう国民は大人になりました。あとは、責任ある個人一人ひとりの小さな雛型造りです。例えば、「道にゴミを捨てない」「人の悪口を言わない」「朝早く起きる」「鳥の声を聞く」「雲を見る」「ありがとうと言う(思う)」「けんかはしない」「テレビを見るのは必要最小限度にする」「よいことは無料で教える」・・・何でも良いと思います。そのようなことを出来るのが、日本人だと思います。
建築・住宅の分野においては、「生命を守る」という面と「ホッとする」という面が大切だと考えています。これから大自然界の調律は、まだまだ続いて行くと考えられますので、地震、火災、液状化、津波、放射線、土砂崩れ、台風、豪雨、豪雪の外側からの災害エネルギーに耐えうる強い住環境が必要です。また、住まいの中での健康性も重要です。自然素材、結露対策、あるいは鬼門の扱い等、様々な視点で、住む人の心と体を守ることです。同時に、このような時代の中で、人々の意識は「絆」「愛」「温かみ」へと向かいます。それはとても自然な事です。外の世界が厳しいが故に、住まいの中が「ホッとする」空間である必要があります。家族が集まるリビング、趣味の部屋、快適な空気環境や色彩環境。このような柔らかさも大切です。
人々の生命を守ること。人々の心を守ること。日本の森を守ること。全て、建築業でできることです。私たちは、次の時代が待望する「新しい建築」の雛型造りに全力をあげています。まだまだ小さな力ですが、この時代に生かされている建設会社として、ワクワクして取り組んでいます。
2011.07.21
丸二・加子母森林組合の農商工連携事業を通じて、当社の企業理念に関わる様々な思いが、日々生み出されています。「木」は日本の建築の原点ですので、「木」を思い、「木」を使わせていただくことによって、今後の建築の方向性も見えてくるように感じています。そのような背景の中、今現在、加子母の森から伝わって来ているものを、思うがままに文章にしてみました(ひと月ほど前に書いたものです)。タイトルは「加子母の森からのメッセージ」です。
私たちは、木造住宅、鉄筋コンクリート住宅、マンション、コーポラティブハウス、リフォーム等のすべての建築において、(適材適所に)加子母の木を使わせていただき、(広い意味の)武蔵野の地にて、住む人を守ることのできる住環境を創造していきたいと思います。
少々、長い文章ですが、ぜひお読みいただき、伊勢神宮の御用材である「加子母ヒノキ」の力を感じていただければ幸いです。そして、もしお時間が許せば、ぜひ「加子母森林ツアー」にもご参加ください。このツアーは、決して当社の営業活動のためではなく、できるだけ多くの(東京、関東の)方々に、加子母の木の素晴らしさ、日本の山や林業の現状、そして森を守ることへの参加意識を理解していただくものです。どうぞ、よろしくお願いいたします。
加子母の森からのメッセージ
東日本大震災へ
2011年3月11日に発生した東日本大震災の映像が、今だに脳裏から離れません。巨大な津波によって町が消えていく様を見ながら、なす術も無く、ただ大自然の脅威の前に立ち尽くすのみ。多くの人々が生命を落とし、被災され、家族を失い、職を無くし、3か月経った今でも、暗闇の中、放射線の恐怖と対峙しています。それでも東北は、善良な精神で助け合い、地域の力で、ゆるやかに復興へ向けて動き始めています。温かい希望の光が、ほんのりと灯り始めています。5月の末に被災地を目にした時、何故かそのように感じました。
印象的だったのは、東北の美しい自然の山々や空が、あたかも何事も無かったかのように、静かに見護っているような気がしたことです。近い未来、東北は再び光り輝くでしょう。今までよりも、もっと明るく元気に美しく。そして私たちは、被災された方々へ、深い感謝の念を捧げます。日本の「道」を示したいただいたことに・・・。世界の「道」を示していただいたことに・・・。そのようにして私たちは、東日本大震災を、いつまでも想い続けていきたいと思います。
道への気づき
「エコ」や「地球に優しい」等の耳触りの良い言葉の裏側にある本音は、「エゴ」「利益」「我(だけ)良し」でした。日本人のみならず世界中の人々が、自分たちだけの幸福を、追い続けた結果として、今まさに大自然界による調律が始まり、地球規模の天変地異が起こり始めました。それは物質面、精神面の両方をひっくり返すほどのものとなり、今後の私たちの生活、仕事、人生、生命を大いに脅かすことになると思います。先ずは、そのような厳しい現実を直視し、今後起こるであろうあらゆることを想定し、かつ防災意識を持ち、その上で、できるだけ大難が起こらないように生きて行くことだと思います。
具体的には、あらゆる物事への「感謝」の想いを持つこと、つまり、この大自然界の存在に感謝し、生かしていただいていることに「ありがとうございます」と言うことができる感性を持つことだと思います。その意識のもとで、森を護る、自然を護る、地球を護ることへの具体的な行動を示して行く。多くの人々がそのような意識に目覚め、当面の厳しさを覚悟の上で、前向きに、元気に、ワクワクして、この超難局を乗り越えて行くことだと思います。
まさにこの時、私たちが「加子母の森」とのご縁をいただき、日本の森を護ること(林業再生)に参画することができたのは、まさに奇跡的なことであり、それは単なる今後のビジネス展開だけのことではなく、「3.11以後の世界」を生き抜くための、強力な「御守り」と成りつつあります。それは、私たちだけでなく、世界全体にとっての「御守り」にも成ると感じます。
今回の震災が日本で発生した結果、日本(=東北)の人々の人間性を世界が賞賛しました。それは、今後も地球上で起こるであろう有事の際、きっと良き模範と雛型と成り、人々の団結を助けます。また、福島第一原発の事故の影響が、ドイツ、イタリア等の先進各国の「脱原発」を実現させました。そして、神聖なる日本の水資源を、諸外国からの買収から守護しました。同時に、未だ日本列島に残存する各地の原発が、外国からの攻撃を抑止する力を持ちました。かくて、日本は護られ、日本が光り輝くことで、これからの世界も護られると思います。
世界で最も善良なる東北の人々の生命をかけた犠牲は、今後の大自然界の調律を、最小限に食い止め、きっと世界の人々を救うのでしょう。だからこそ、今生かしていただいている私たちは、そのことに感謝し、(残念ながら)犠牲になられた方々に対する「約束」を果たさなくてはなりません。私たちは運が良いのです。「加子母の森」とのご縁があるのです。私たちは、このような想いと実践を東京から発信していかなければなりません。そして建設業の使命である<命綱の建築>を造り、経営使命<丸二は、建築業を通じて、人々の生命を護ることをミッションとする>を果たして行きます。丸二の道は「加子母の森」との出会いによって、より深く確かなものに成りつつあります。
日本の木、加子母のヒノキ
日本人にとって、木は特別なものです。木は、豊かな森林資源であると同時に、そこには特別な精神性が含まれていると感じます。例えば、日本では神様の数を「一柱」「二柱」と数えます。それは、古来から「木には神霊が宿る」と信じられて来たからです。つまり、日本の木の家は、それ自体が「神聖な場」であると言えます。大黒柱(心柱)は、人々の生活を護ります。そう考えると、外材・軽量鉄骨等の住宅・ハウスは、実はまったく別物な家と成ります(効率的・経済的ですが・・・)。
これからの時代、潜在的に求められて来るのは「神聖な場」「護られている場」としての家と成るでしょう。流行り言葉で言うと、「パワースポット」としての家造りです。つまり家自体が、住む人を癒し、救い、包み込み、力を与える。このような捉え方が可能なのは、おそらく日本だけだと思います。そのような意味で日本の木の家は、日本にしかない「天からの贈り物」だと思います。
この神聖なる日本の木々を、心から大切に育て、護る人々がいます。そのような人々が、心を込めて生産した木々こそ、本物ではないでしょうか。ですから、その木々を「使わせていただく」という感謝の意識が大切です。山には精霊がいて、私たちは見られていると感じます。加子母はとても幻想的な雰囲気がありますので、きっと何か特別な山ではないかと思います。
その一つの証明として、加子母ヒノキを、伊勢神宮の御用材として、国が指定しているということがあります。もちろん、強度・色・香り等の素晴らしさや、自然乾燥・森林認証等の管理技術の水準の高さもありますが、伊勢神宮の御用材として、日本中のたくさんのヒノキの産地の中から、唯一選ばれたのには、それなりの理由があると思います、伊勢神宮は20年毎に遷宮を行い、社殿を建て替えることで有名です(式年遷宮)。次回は、いよいよ2013年です。混沌とした世相も反映して、今回の式年遷宮は、日本はもちろん世界からも注目される大きな祭事になるでしょう。日本の大黒柱である伊勢神宮が新たな時代を切り開くことは、地球の未来へも大きな影響を与えるでしょう。その新社殿に使われる木こそ、加子母の森の、神宮美林から伐り出されたヒノキなのです。
ここから始まると思います。一本の木を大切にする精神性があって、初めて日本全体の森が守られると思います。伐採は、生命をいただく特別な行為なので、適切な量とバランスが必要です。間伐によって、森に光が入り、動植物が育ち、森が再生します。さらに植林を行い、四世代複層林の実現を目指します(加子母森林組合の<美林萬世之不滅>)。このように、木や森を大切にする姿勢を商工業者、使用者が共有することが重要です。それがあって、農商工連携事業は成り立つのです。私たちには、森の経済を成り立たせるために、一本500円でしか売れない直径14㎝未満の間伐材を、一本1,000円で(高く)買わせていただきます。本プロジェクトは、そのような精神性と経済性を両立させることを、最優先の目的としています。
伊勢神宮と心柱
丸二は、国の農商工連携事業の認定を受けて、岐阜県加子母のヒノキ材の活用を行い、林業の再生と森を護ることへの取り組みを続けています。加子母のヒノキは、伊勢神宮の社殿に使われる御神木として有名で、宮内庁は、伊勢神宮のための御用材を伐り出す山として、その一帯を「御杣山(みそまやま)」と呼んでいます。
(有名な)20年ごとに社殿を移動する「式年遷宮」(次は2013年)のために、御杣山である加子母の山では、「御杣始祭(裏木曽伐採式)」が行われ、素晴らしいヒノキの大木を伐られます。その御神木は、まず伊勢まで運ばれて、「おか曳き(陸路)」で、外宮へ届けられます。同じく御杣山の反対側(長野県上松町)から伐り出された御神木は、五十鈴川を「川曳き」で運ばれ、内宮へ届きます。加子母の木は、外宮の御神体を納める御樋代と使われると共に、内宮と外宮の社殿建築にも使用されます。
また、伊勢神宮の内宮は、「天照太御神(太陽神)」が祀られていて、外宮は「豊受太御神(「衣食住の神)」が祀られていますが、一説では「豊受太御神」=「国常立太御神(始源神・根源神・元神)」とのことで、外宮の位置付けは実は相当高いようです。外宮の御神体を納める御樋代と使われている加子母のヒノキは、そういう意味で、とても重要な役割を担っていると思います。
その内宮・外宮の2つの社殿の床下には、「心御柱(心柱)」が縦に埋まっているそうです。これは誰も見ることが出来ないらしく、実際のものは分からないのですが、いずれにしても、式年遷宮ごとに新しく、加子母ヒノキが使われているはずです。この「心柱」は、五重塔などが有名で、どういう訳か宙ぶらりんで浮いているものが多く、一体どのような意味で、あるいはどのようにして建てられたかは謎になっています。日本の古代建築には「心柱」があり、宙ぶらりんのものや地中に埋まっているもの等、いろいろあります。一般的には、家の中心点にある「大黒柱」であり、全体を支えている柱です。
伊勢神宮の「心御柱(心柱)」は、長さが約五尺ほどで、一部は埋まっているそうです。柱と言いながら、実際の社殿には接触してなく、構造上の柱ではありません。この「心御柱(心柱)」の意味については、いろいろな説があり、非常に奥が深いので、もう少し勉強してみたいと思います。とにかく、加子母のヒノキが思った以上に大変なものであることが解って来ました。
そういえば、最近の住宅では「大黒柱」という存在が消えてしまったような気がします。いろいろな新しい工法が入ってきて、構造設計も時代と共に変わり、柱で持たせる工法から、壁・パネルで持たせる工法が普及してきたからでしょうか・・・。柱という存在自体がだんだん希薄になって来たようです。でも、日本の古来からの軸組工法では、「柱」「梁」が主役です。家の中心にある太い柱が「大黒柱(心柱)」です。
この「大黒柱(心柱)」は、確かに構造的(物理的に)にも重要な柱ではありますが、五重塔や伊勢神宮の社殿の心柱の設置状況を見ると、必ずしもそれだけの役割でなく、何か精神的な意味合いがあったような気がします。外来の建築工法が多くなり、家から柱が無くなり、「大黒柱」が消えている。それは、単に工法の移り変わりと言うことだけでなく、日本の家から(精神的な意味での)「大黒柱」も失われているという見方もできると思います。
例えば、昨今の、家族の中での父親(=大黒柱)の地位の低下は、もしかしたら「大黒柱」の減少とリンクしているのかもしれません。それは結局、家庭の崩壊を生み、教育、経済、政治の現状へも及んでいる可能性があります。もっと言えば、私たち一人ひとりの心の中にあるべき確かなる芯(心柱)の弱体化にも影響していると思います。多くの政治家に「心柱」、つまり、ポリシーとかビジョン、理念が欠如していることも繋がっているとさえ感じます。
私たち一人ひとりの心に中に、確かなる「心柱」を立てたいと思います。私も、子どもの頃は「柱」のある家で育ちました。だから、私たちも、伊勢神宮の御用材の「心柱」のある家を建てていきたいと思います。伊勢神宮の社殿の床下に埋まっている神聖なる加子母ヒノキの心柱のことを思うと、そう思わざるを得ないのです。
加子母の森へ
加子母ヒノキは、日本人の心の寄り代です。私たちは、加子母ヒノキが、都会の多くの家々に息づくことを夢見ています。それは必ず、日本人の魂の力を呼び起こすことに成ると信じるからです。そして、これが私たちにできる日本復興のビジョンなのです。・・・さあ、加子母の森へ行きませんか。
2011.07.11
先日の土曜日、中学時代の同級生のお誘いで、上野の水上野外音楽堂で行われたアマチュアバンドのコンサートに行きました。とにかく猛暑で、しかも屋外で、バンドの方々も必死でしたが、自分たちの好きなことに(一生懸命)取り組んでいる姿が爽快で、見ている方もかなり楽しませていただきました。まず自分がワクワクすることが、何事にも増して大切な事なのだと、実感です。
その日は、そのまま吉祥寺に戻って飲み会。場所は、同じく同級生がやっている素敵なお店「Mojo Cafe」です。「Mojo Cafe」は、吉祥寺のサンロード(西友のちょっと先の2階)にあって、オーナーのこだわりで「良質な音楽の提供」がコンセプトの、小さいけれど、とても温かい雰囲気のカフェです(オレンジ色の壁とカッコイイ音響システムが印象的)。それでも、初めての人でも(一人でも)入りやすく、お店の中も明るいし、もちろん料理も美味しいので、ぜひお試しください。ここのオーナーも、本当に好きなこと、やりたかったことに挑戦しているので、とてもハッピーですね。
さて、翌日の日曜日は、米国(サンフランシスコ)からのお客様(妻と娘の友人で、お母さんと13歳の娘さん)が来られて、一日一緒に吉祥寺界隈で遊びました。先ずは「ジブリ博物館」。ここは、正式オープン前の関係者向けプレ・オープンの際に行った切りで、とても久しぶりでしたが、日曜日ということもあり大変な混雑で、あらためてジブリ人気の底力を感じました。13歳のアメリカ娘ちゃんも、ジブリは大好きとのことで、とてもはしゃいでいました。
その後は、吉祥寺をブラブラして(買い物したり、吉祥寺美術館に行ったり)、夕食は、友人がオーナー・シェフの中華(四川)料理の「まつひろ」に行きました。ここの中華は、吉祥寺でもトップクラスではないかと思います。いつも美味しいものを食べさせていただけるので、外国からのお客様が来られた時は、必ず利用させていただいてます。駅から少し歩くのですが、逆に隠れ屋的な雰囲気があり、しかも良いものを出しますので、今後も楽しみですね。オーナーのこだわりが本当のお店の価値だと、いつも気づかされます。
それにしても原発事故の影響で、海外からの観光客が激減しているような中にも関わらず、このように日本に来ていただけるというのは、とてもありがたく、嬉しいことです。ちなみにクラシック音楽界では、今回の放射線被害の影響で、多くの来日公演がキャンセルとなったということで、社団法人日本クラシック音楽事業協会は、国を通じて東京電力に賠償を求めたそうです。その売り上げ被害総額は46億円を超えるとのこと。とても大きな被害です。でも、(斜陽の方向にある)クラシック音楽界を実際に支えているのは日本のクラシック・ファンであるのに、海外の有名アーティストの方々が、こういう時に簡単にキャンセルしてしまうのも、何か残念な気がします。やはり「ビジネスライク」ということなのでしょうか。
ところがそういう状況にも関わらず、あえて来日し東日本大震災チャリティー・コンサートとして「ベートーヴェン:第9交響曲」を振った指揮者がいます。インド出身のズービン・メータです。開催日は4月10日ですから、まだ震災後一か月で国内もまだまだ混乱の最中の時です。メータはちょうど3月11日にも日本にいて、大震災を経験したそうです。そのようなこともあったからだとは思いますが、インド出身という、日本人の心に近いものを持っていたからでは、とも感じます。
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そのメータの来日コンサートは大変感動的だったそうですが、その後、ミュンヘンでも地元の有力オーケストラを集めて、再度日本ののためにチャリティーコンサートを開催してくれました。その時のライブCDが、上記です。今まで様々な第9の演奏(CD)を聴いて来ましたが、これは本当に素晴らしいです。ベートーヴェンの不屈の精神、日本人の和の心、そしてブッダを生んだインドの精神性がうまくブレンドして、力強く、日本人の魂と共振しているように感じることができます。
これからは、自分自身の中に(意識に、あるいは腹に)抑えきれないほどの志を持ち、その実現に向かって、「生き生きと」生きて行く人々の時代になるような気がします。私も、その一員に入りたいと思います。
2011.06.27
この土日の二日間、恒例の「第7回:加子母森林ツアー」に行って来ました。今回の参加者は19名で、いつものように和気あいあいとした時間を過すことができました。一番心配だったのが天候でしたが、このツアーは、今まで(台風の予報が出ていても)不思議と雨にあったことがなく、きっと今回も大丈夫だろうと思ってました。
ところが、中津川インターチェンジを降り、加子母に近づくにつれて、空が急に暗くなり、真っ黒い雨雲が空を覆い始め、とうとう猛烈な雨が降り始めました。もしこのまま雨が強く降り続けると、森林ツアーの目玉の「ヒノキの伐採」も見られませんので大変です。でも、実は心の中では「予定通り。大丈夫」と思ってました。
と言うのも、加子母に入る直前に、空に大きな「龍神様」が現れたからです(もちろん、雲の形がそう見えただけですが)。龍神は「最強運」を意味しますので、今回のツアー参加者&関係者は、全員きっと良い運気をいただけたのではないかと思います。これは超ラッキー!ですね。でも実は、龍神様は「雨」でお出迎えすると言われています。ですので、これはきっと雨が降るなと思いました。案の定、加子母に入ると激しい大雨となりました。
ところが加子母のモクモクセンターに着いて、その後プレカット工場へ着くころには、風が出てきて、雲が消え、快晴となり、後は全く雨と合うことは有りませんでした。夜中にまた数回の豪雨と雷がありましたが、翌朝にはパッと晴れました。龍神様は、雨(=浄化)で出迎えて、その後は天気にしてくださると言われています。今回は二日間、まさに「予定通り」、龍神様に見護っていただいたのだと感じました(ありがとうございます)。
でも、なぜ、龍神様のお出迎えをいただけたのか・・・。それはきっと、私たち(加子母森林組合さんと丸二)の取り組みが、森を大切にして、森を優先させて、森を護ることに繋がると、見ていただいているからではないでしょうか。今の利益を追求するのではなく、森(=大自然)と人々の暮らしを護るための、本当に小さな一歩としての本事業を、森や山たちが応援してくれているような気がしました。その道のりは、確かに相当長くなると思いますが、「大丈夫。うまく行くから、続けなさい」というメッセージではないかと・・・。私たちは、常に自然界への感謝と謙虚の心を忘れずに、ただただ続けていこうと思います。
さて、今回のツアーでは、2つの初登場がありました。一つは、カエルさんです。加子母森林組合の内木組合長様が、朝、山で見つけたカエルさんを(みんなに見せるために)捕まえておいてくれたのです。とても大きなカエルさんで、みんなもビックリ。でも、五歳の勇敢な少年は、平気で触ってました。さすがですね。その後、カエルさんは山へピョンピョンと帰っていきました。
そしてもう一つは、水です。小さな美しい渓流を流れる加子母の水を、(内木さんがご用意していただいた)ペットボトルで取り、みんなで飲みました。とても優しくて、まろやかで、冷たくて、本当に美味しかったです(生き返りましたね!)。加子母ヒノキの強度が強く、色も美しいピンクで、なおかつ伊勢神宮の御用材となる理由は、もしかしたら、この加子母の豊富な水資源にあるのかもしれません。この大自然の恩寵は、本当に護って行かなければならないと感じました。
本ツアーは、今後もいろいろな方々(建築をお考えの方、木や山や自然が好きな方、環境にご関心のある方、ちょっと自然の空気を吸いに行きたい方、美味しいものを食べたい方、ヒノキの香りが好きな方、伊勢神宮が好きな方、設計士の方、下呂温泉に行きたい方、身近な社員のご家族や友人知人の方・・・)のご参加をお待ちしています。その中で、少しでも山のこと、木のことを知っていただければ幸いです。今回のご参加の皆様、誠にありがとうございました。
2011.06.12
今回の大震災直後、この日本の巨大地震によって、地球の自転速度がわずかに増した可能性があると、米航空宇宙局(NASA)が発表していました。地震によってプレート(岩盤)が動き、地球内部の質量分布が変わったことで自転速度が増し、1日の長さが100万分の1.6秒短くなったということです。他に、地軸が十数センチ傾いたという報告もありました。また最近、作家の村上春樹氏がスペインでスピーチした際も、この自転速度の変化に言及しつつ、原発(核)の反対を唱えていました。ドイツはすでに「脱原発」を決めています。
今回の東日本大震災によって、日本列島のみならず地球規模の巨大な地殻変動が起こり、天体の運行に影響を与えたことは事実のようです。1日の時間が短くなるというような、全く信じがたい出来事が今まさに起きている。このことを私たちは良く理解し、これからの大変革に備えなければなりません。
3.11以前の常識やルールはもう通用せず、全く新しい仕組みによって世の中が動き始めたと思って良いのでしょう。おそらく10年以上前から、そのような変換は始まっていたのかもしれません。ただ私たちは、なかなか気づくことが出来なかった・・・。でも、今からでも良く物事を見聞きし、最善を尽くすことしかありません。
先週の金曜日には、今年で2年目となりました「農商工連携人材育成事業」が開講し、十数人の受講者の皆様が集まりました。このような志、意志のある方々がどんどん増えてきているということに、新しい時代への息吹を感じます。まだまだ道のりは遠いですが、自然を守るために、林業を復活させるために、神宮ヒノキの家を広めるために、様々な取り組みを進めて行きたいと思います。来週からは、加子母の山で体験学習等が始まります。
さて、このような大変革の中で、一番大切なことは「気持ちの持ち様」ではないかと思います。今を「大変」と捉えるか、「チャンス」と捉えるかで、全く生き方も、精神状態も変わって来ると感じます。当然私たちは、今を「超ウルトラ大チャンス」と見ていますので、現実を直視しつつも、ワクワクした感覚の中にあります。建築の世界も、きっと様変わりするはずです。面白いことが起きる予感がします。
個人としては、「素直」「情熱」「感謝」を大切にして行こうと意識しています。起きていることを否定的に考えず、何事も肯定的に捉え、素直に受け入れ、素直に動いて行こう。夢をもって、情熱をもって、自らを信じて行こう。今、生かしていただいていることに、心から感謝しよう。以上の3つのことを忘れなければ、新しい世の中の仕組みに、きちんと入ることができると思います。大変革とは一度全てがバラバラになることですから、(今まで苦労してきた)あらゆる人々にも同様のチャンスが巡って来ると思います。ここを逃さず、一気に良い流れに乗る為にも、「素直」「情熱」「感謝」で行こうと思います。
情熱と言えば、5月下旬に、日本人の指揮者の佐渡裕さんがベルリン・フィルを指揮したというのがニュースになり、その特集番組(TBS)を見ることが出来ました。日本人の指揮者でベルリン・フィルを振ることができたのは小澤征爾氏と佐渡氏だけだと思います。何しろ、天下のベルリン・フィルですから、指揮台に立つこと自体が奇跡的なことで、なお且つ世界トップレベルのオーケストラ楽団員から評価されたとなれば、最高の賛辞ということです。佐渡さんは子どもの頃の作文で「ベルリン・フィルを指揮する」と書いていたそうです。イチロー選手や松坂選手と同様に、ついに夢が実現したのです。その情熱と諦めない精神から、勇気をいただきました。
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ベルリン・フィルを指揮するということは、今ももちろん大変なことですが、かつてのカラヤン時代のベルリン・フィルの時は、もっと違う意味で大変だったようです。ベルリン・フィル首席指揮者だったカラヤンは、自分以上の指揮者を指揮台に立たせることを異常に嫌ったようです。同時代のもう一人の超有名な指揮者バーンスタインが、ベルリン・フィルと共演できたのは、実はたったの1度だけ。その時に演奏した「マーラー:交響曲第9番」は、今でも語り草となるような超名演となりましたが、それを聞いたカラヤンは、二度とバーンスタインをベルリン・フィルの指揮台に立たせませんでした。まあ、何と言うか、心が狭いと言うか、器が小さいと言うか・・・。でも、それほどまでにして、守るべきは「ベルリン・フィルの指揮者」という勲章・名誉だったのではないかと思います。
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その指揮台に今、再び日本人(佐渡さんは、実はバーンスタインの弟子です)が立つことが出来ました。このような現象は、きっと今後ますます世界へ波及して行くと思います。「東日本大震災」と言う大きな災害を最初に引き受けた日本が、良き見本を示し、世界へ日本の力を伝播していくために。そのような大きな流れを掴むことで、私たちの乗っている船は、(今の)荒波を超えながらも、必ず穏やかな大海原へ出て行くと思います。それを素直に信じる力こそが、最大の財産だと思います。
2011.06.07
先々週末、(農商工連携事業の打ち合わせ等のために)仙台に行った際、宮城県の被災地を目にしました。特別なボランティア活動ではないため、そこへ行くこと自体「申し訳ない・・・」という思いもありましたが、今は行って良かったと思っています。「3.11」が現実のことで、その復興には全日本人の(いろいろな意味での)力が必要だと、あらためて感じられたからです。と同時に、東北の美しさや荘厳さを(ほんの一部でしかありませんが)知ることができました。
小雨の中、仙台から石巻~津山~南三陸町とまわりました。被災地の写真も撮りましたが、このブログに出すのは止めようと思いました(代わりに、移動中に撮った、風景の写真を一枚、アップしました)。もう、そのような段階は過ぎ、東北は復興に向かっていると感じたからです。それは(国や東電が早急に行うべき)具体的な復旧・復興対策という意味ではなく、写真からは伝わりにくい、その土地(場)から発せられていた(ある種の)「空気感」からでした。
最後まで津波警報をアナウンスし続けた女性をはじめとする(この土地の)善良な方々の魂が、生き残ることのできた方々を温かく見守っているような気がしたのです。豊かな自然や山々、雲たちも「大丈夫」と話しかけているように感じました。でも現実は厳しい日々が当面続くものと思われます。私たち全日本人は「いま」「ここで」、祈りと共に、日々最善を生き、復興を応援していくことです。
この流れは、日本から世界へと拡大していくのでしょう。チリで火山が爆発したそうですが、今後は世界的(地球規模的)に多くの自然災害が発生する可能性があると言われています。太陽活動との関連性も判って来ました。地球の資源の枯渇も大きな影響を及ぼしているようです。日本の東北の復興を見事に行うことで、世界がそれに続くようにしていきたいと念願します。
2011.05.24
数日前の新聞で、ベトナムの国会議員選挙に、経済界から過去最多の約100人が立候補したとありました。結果はまだ分かりませんが、国政とビジネス界が一体となって、これから国家的プロジェクトを推進して行くようです。何か元気と活気があって、素晴らしいなあと感じました。
政治とはまさに国家経営ですので、このように事業家、経営者、ビジネスマンが、どんどん議員になっていくのは、とても良いことだと思います。逆に日本の場合は、経済界から政治家へ入る例が少なく、先の東京都知事選挙ではワタミの会長が立候補をしましたが、大差で落選をしています。どうしてもTVで人気のあるタレント、評論家、作家たちの方が強いのでしょう。力のある優秀な経営者がいても、一般に馴染みがなければ、なかなか当選できないですし、仮に議員になっても、トップには行けないのでしょう。そういう土壌では、日本の政治はなかなか変われないような気がします。
東日本大震災のような巨大な危機が発生した時、もし経営感覚に優れた人物が政権内にいたら、もっとスピーディーかつ最適な対応を行い、国民と全世界に対して、魂のメッセージを(日々)発信し続けたと思います。結果的に被害も最小となり、東北の方々に向けられた賛辞と同様の評価を、日本政府も得ることができたと思います。大難を小難に、あるいは好機にまで転換することができたかもしれません。
これで3回目の核による被害を受けた日本が、まさに世界の先頭に立って、脱原発と共生の社会を目指し、新たな経済の仕組みを構築し、さらにV字回復を達成する。そういう好機にできたかもしれません。しかしながら現実は、緊急に止めた浜岡原発もいずれは再開するらしいですし、結局、脱原発ではなく原発維持ということで、これは本当に不思議な気がします。安全なら「絶対に安全」と示して欲しいですし、そうでなければ誰もが原発の無い社会を望むのは自然だと思います。仮に10年、あるいは20年掛かっても良いから、明るいビジョンを示すことが必要ではないでしょうか。
今、震災の影響もあり、政府のみならず、企業も個人も、明るいビジョンを示すことが難しくなってきています。先行き不透明で、先々のことが心配で、どのような方向へ行くべきか・・・多くの企業や個人は迷っています。迷う以前に、やる気を失っているような感じです。ベトナムのような元気や活気があれば、何とかなるのでしょうが、節電と自粛ムードの中では、心もうつむき加減です。
でも、このような混沌とした、先が見えない時こそ、本当にたくさんのチャンスが眠っていると思います。戦後はもっと厳しくて苦しくて大変だったと思います。それでも日本は大復興を遂げました。チャンスをものにしたからです。だから今回も(確かに次元の違う危機ではありますが)千年に一度の大きなチャンスの中にいることは確実です。
私たちも、東日本大震災の発生から2ヵ月後の5月の連休明けに、<ゴールド・プラン>と名付けた(約15頁にわたる)経営ビジョンを(社内で)発表し、「丸二は、建築業を通じて、人々の生命を護ることをミッションとする」という経営使命を掲げ、これからの全く新しい時代の夜明けの前に、元気に歩き始めました。まだ暗いから良いのです。でも、間違いなく太陽が昇る方向へ向かって歩いています。あと少しで、鳥のさえずりが聞こえ、空が徐々に明るくなり、黄金の太陽が昇って来るでしょう。これからは建築が人々を護る時代です。私たちが20余年かけて磨いてきた技術と経験が実る時です。もう丸二は、どんどん歩き始めています。
そして個人的にも、(震災直後は、あのような大変な状況の映像を繰り返し見ることで、随分ナイーブになってしまいましたが・・・)徐々にとてもクリアーな意識となり、一気に<ゴールド・プラン>をつくり上げることができました。つい先日も、朝、会社に行くために家の門から出た時、目の前の道路に、三羽の鳩が正三角形に並んでいました。それがあまりにも綺麗な配置(並び方)で、きちっと整列して待っていてくれたかのようでした(勝手にそう思っただけかもしれませんが・・・)。そして三羽の鳩さんは、一斉に飛び立って行きました。何かとても縁起が良いなと、嬉しくなりました。
でもそれだけでなく、その7~8分後、コンビニでペットボトルの水を買って、会社のそばの道まで来た時、また!(もちろん違う鳩さんだと思いますが・・・)三羽の鳩さんが、今度は正三角形の編隊を組んで、私の頭上を(正面から後ろに向かって)、航空ショーのように上昇して行ったのです。まさかさっきの鳩さんではないだろう!とは思いましたが、家の前と会社の前で、二度も「いい気分」にさせていただいた鳩さんに、心から感謝をいたしました。
ただそれだけのことですが、でもすべての事象は、何かを暗示していると思いますので、私なりに良き出来事として、自分の心の中に刻みました。それが元気の源にもなります。現象は、時間差で起きて来るもので、先に感謝をしておけば、後で出来事(良い事)が起きます。だから、先に「いい気分」になっておこうと思いました。そうすると、きっと後から良き事が起きてくると思います。だから、今からワクワクです。今は、一人ひとりが精神的に元気になることが大事。まわりからの評価ではなく、自分自身を信じることだと思います。
2011.05.18
本日は、第6回「風水生活セミナー」を開催させていただき、(おかげさまで)今までで最も多くのお客様にご来場いただきました(ご参加いただいた皆様、誠にありがとうございました!)。このようなセミナー企画を行っても、なかなか人が集まらないことの方が多いのですが、本セミナーは、回を重ねるごとに(少しずつですが)良い気が集まって来ているようです。
本日のセミナーの中でも触れられたのですが、人が集まるところが「人気」と成り、「財気」と成ります。しかも、このような大震災の後にも関わらずです。時代の流れが3.11以降、確かに変わったような気がします。私たちは、そのような新しい時代を先回りして、今まで様々な準備をしてきましたが、ここでやっと「世のため、人のため」にお役立ちできる環境が整ってきたようです。今後も本セミナーを軸に、「加子母森林ツアー」や現場見学会等のイベントを開催していきますので、ぜひご参加ください。
さて、今のような現状に対して、一体どのような心構えや意識が大切なのか、いろいろと考えます。最近は本屋さんを歩くと、ブッダ(釈迦)に関する本がたくさん並んでいます。しかも宗教・精神世界のコーナーだけでなく、一般の新刊書の目立つ所にも、平積みで置いてあります。このような状況は、ちょっと前では考えられませんでした。もうすぐ手塚治虫の映画「ブッダ」も公開されるようです。
何もブッダだけではなく、伊勢神宮に関する本の出版も増え、実際の参拝客も増えているそうです。いろいろな宗教関係やスピリチュアル系の本もたくさんありますが、ごく普通の人々が、ごく普通に「ブッダ」の本を買って読む時代になったという意味では、大きな心の変革が(静かに)進行していると感じます。
もちろん、実際の本の中身が真実なのかどうかの判断は出来ません。でも、人々が何か目に見えない心の拠り所を求めていることは確かですし、それはとても素晴らしいことだと思います。今、目に見える世界がどんどん悪くなっているせいもあり、人々の意識は内面(無意識の世界)へ向かい始めているのではないでしょうか。
これからも大きな地震やその他の災害が増えると思われます。それに備えて、私たちは出来る限りのことを懸命にやっていく以外ありません。それでも日々の生活のことや先々のことに対する不安・恐れは消えないでしょう。精神的な面で、いかに自分自身の心をコントロールするかが、生きる上でとても重大なテーマになって来たのです。それに立ち向かうには、まず自身の住環境を安全にすることです。自分が住んでいる家、住宅を物理的、身体的、精神(脳科学)的に安全にすることです。
まず物理的には、耐震対策(工法、補強)、鉄筋コンクリート建築(ルネス工法、パワー・コンクリート工法)、強度の高い「加子母ヒノキ」等の活用で、可能と成ります。身体的には、外断熱工法(結露、ダニ、カビの防止)、建築医学(天然素材)等の活用で、精神(脳科学)的には、風水環境科学(立地、間取り、色、レイアウト、デザイン等)の活用で、かなりの対応が出来ます。
このように、出来る限りの対策をしておけば、自分の外側の世界は万全です。後は、内側(心)です。そこは、まさに人それぞれですので、「これだ」と決めつけることは難しいものですが、少なくとも「感謝」の心が大事であると云うことは分かります。今のような状況に感謝できるかどうか・・・ここを問われているように感じます。
今は「人心改革」の時代。人々が自らの意識を見つめ、入れ替え、感謝の心を取り戻す時。同時に、まわりの環境(特に住環境)も見直す時。この両面が重なり合って、安全・安心な日々を送ることが可能になると思います。私たちは、その住環境の部分に対して、一生懸命お客様のお役に立って行きたいと思います。
2011.05.08
今回の震災による大津波の被害を受けた地区の中で、 「此処(ここ)より下に家を建てるな」という石碑の教訓を守った集落があり、実際に津波の被害を受けなかったことが伝えられています。明治、昭和の三陸大津波によって2度の壊滅的な被害を受けた宮古市重茂の姉吉地区にその石碑はあり、結果的に11世帯約30人の集落を守ることになりました。津波は先人の教え通り、石碑より海側で止まったとのことです。
古き先人からの教えが、こうして今、人々の生命を救うことになるとは、まさに時空を超えた(目には見えない)救出劇だったと思います。本当に正しいことや、大切なことは、なかなか「その時」は分からないものです。今こうして事が起こり、はじめてその意味を理解します。おそらく、このような石碑は別の場所にもあったのかもしれません。先人(御先祖)たちの(子孫やこの地への)深い愛情を、感謝の心で、受け止めた・・・。そのような素直な心が、未来の自分自身や子孫を救うのかもしれません。
ところで、今の私たちは、子孫たちへ何か「石碑」を残しているでしょうか。自分たちの子どもや孫の世代、そしてもっと先の子孫たちへ、大切な石碑、メッセージ、贈り物を用意できているのでしょうか。先日、首相が浜岡原発の停止を(中部電力へ)要請しましたが、その他の日本全国の原発はそのまま維持のようです。原発の危険性については、様々な意見があり、実際のところは一般人ではよく分かりません。でも、福島の状況を目にした以上、原発の全廃への流れが国民の(本当の)総意ではないかと思います。
未来の人々を救う「石碑」を建てることが、いまを生きる私たちの世代の役割だと思います(原発は、その中で特に重要な問題だと思います)。日本の森が荒れ始めていること、今後も多くの災害が起こる可能性が高いこと、まったく新しい世の中の仕組みをつくる必要があること・・・他にもたくさんの課題が残っています。困ったことは、それらの全てに対する方向性(柱)が、未だ立っていないことです。ひとつひとつの課題をクリアーするには、本当に長い年月が必要です。よって、全てを解決することはできないでしょう。でも、せめて「このような世の中にしていくべき」という正しい方向性だけでも立ちあげておけば、次代への立派な「石碑」になると思います。
私たち(丸二)は、「いつまでも家族、子孫の生命を護り続けられる建築」を、謂わば「石碑」の代わりとして、地域に建てていこうと思います。これからも、自然災害は(全国的、地球規模的に)増えるようです。そのような厳しい自然環境の中で、住む人の安全、安心を第一に、その上に快適さ、豊かさを求めて、いまできることを懸命に進めて行きます。そのような「命綱の建築」は、これからの時代に向けての大きな方向性となり、多くの人々にとっての拠り所にもなると思います。建築とは、その土地の「柱」であり、住む人の心の「柱」であり、人々の精神とリンクします。だから私たちは、建築で良き社会を築いて行くことができると、信じています。
2011.05.06
先日、(私と娘たちが卒園した)地元の幼稚園の園長先生が亡くなられ、昨日(教会式の)「前夜祭」に参列させていただきました。神父様がお話されていましたが、八十八歳という御歳で亡くなられた方の前夜祭としては、とても多くの方々がお集まりになったとのことで、教会は満席状態でした。祭式は教会式でしたので、オルガンの演奏、讃美歌、神父様のお話や祈りの言葉があり、最後には献花をいたしました。とても温かく、穏やかで、厳かな会でした。
園長先生には、私(姉たちも)もお世話になり、そして娘たちもお世話になりましたので、もう四十年来のお付き合いになります。本当に長い間、ありがとうございました。人間の成長にとって、幼少の頃の教育、経験、思い出はとても大切なものだと思います。私はとても弱くて、幼稚園ではよく泣いていました。それでも、幼稚園の日々の記憶は、今でも色鮮やかに、温かい温度で、体中に蘇って来ます。それもきっと、園長先生の持つ優しさのおかげだったのだと、今、感じます。
昨日の神父様のお話の中で、「幼稚園での教育は、記憶に残らないから良いのだ」という主旨の言葉がありました。なるほど、と思いました。大人になってからの教育や経験は、それなりに記憶に残り、誰から何を教わったのかも覚えています。それ故に、恩師に対する感謝の気持ちも持ち得ます。ところが、まだ幼少の頃のことは、本人自体がほとんど覚えていないのが普通です。誰から何を教わったのかも記憶には残ってないでしょう。だから、その恩を感じることも無いのかもしれません。
けれども、その人の心(潜在意識)は、すべてを覚えているはずです。小さな時、親から離れ、友達と触れ合う初めての共同生活で、本当にその後の人生を左右するほどの「何か」を身に付けたはずです。そしてそれは、大人になってからも確かに存在している。ただ、本人はその源泉を覚えていないだけのことです。そこには、目には見えない、存在を感じさせない、ある種の力を感じます。それは、目に見える、存在を感じさせるものよりも強いものです。
私たちは、きっと園長先生や幼稚園から「何か」を得たのだと思います。それは、今の自分自身を構成している心や体のどこかで「作動」しているはずです。感謝されることを期待しない「ただ与えるだけの愛」に生命をかける方々のおかげで、人間は一人ひとり、大人になって行く。四十年という長い歳月を経て、その御恩への感謝を献花に託すことができました。両親、恩師、そして御先祖の皆々様方。私たちは、その方々からの無償の愛のおかげで、生かしていただいている・・・。
さて世の中の方は、東電社長のお詫び、焼肉店社長のお詫び等、人間の生命に関わる重大事故を通じて、様々な人間模様が浮き彫りにされています。被災者の方々、被害者の方々、そして被害を出した側の責任者。お互いが地獄の苦しみの中にいるのではないかと思います。もう二度とこのようなことが起きない社会にしたいと、心から思います。多分きっと、世の中の仕組みがどこかで間違ってしまい、その仕組みの中で多くの人々が迷い、苦しんでいるように感じます。
2011年は、これから全く新しい社会を築き上げることを、皆が決心する年になると思います。それは「見返りを求めない精神」が基軸になると思います。名も残らないし、記憶や記録にも残らないけど、(何かできることを)やってみる・・・。園長先生の前夜祭は、小さくとも、大きな出来事でした。必ず良き時代への「前夜祭」にしてみせます。