社長ブログ

未知への挑戦

今回の大震災の発生以降、さすがに好きなクラシック音楽をゆっくり聞く心境にはなれませんでした。それでもTVで繰り返し流れる「エー・シー」の音が少々気に障るようになり、(感謝と祈りの思いを込めて)いくつかのCDを手に取りました。ところが、どうもベートーヴェン、ブラームス、ワーグナー等の重厚長大で感情移入の濃いものはダメで、バッハやモーツァルトのような天上的な音楽がすっと入って来ました。このようなことはクラシック音楽のみならず、あらゆるジャンル・分野で起こってくるように思います。本当に必要なもの、良質なものが見えてきます。被災地の方々が、ゆっくりと音楽に耳を傾けられる日が来ることを、心から祈ってます。
さて、今回の大震災以降、計画停電や節電が行われていますが、気が付いたのは、街(繁華街や施設内)の照明が少々暗くなっても、全く支障が無いということです。逆に落ち着いた雰囲気で、仮に電力が回復しても、このままでいいのではと感じます。このような街の風景・・・そういえば、ヨーロッパに行った時のことを思い出します。
向こうはいつでもこのくらいでした(もっと暗いかもしれません)。お店も開いているのかどうか分からない感じで、騒々しいBGMもありません。温かい電球色の明かりの中で、ゆっくりした時間が流れています。街の電気を少なくして、節電ができ、人の心が温まるのなら、それはそれでいいのではと思います。そのようにして原発からも撤退です(原発なしでも十分まかなえるという話も聞きます)。
他にも・・・。電気が無いと動かない電気式のものより、機械式で動かせるものの方が役に立つ。電車や車より自転車がいい。家で家族と過す時間の大切さ。水や空気のありがたみ。一方、今後も長期的に被災地の方々を支援するためには、首都東京が元気になって、経済的に活性化していくことも重要です。とは言え、今までのようなやり方ではダメ。となると・・・これからは、全く新しい生活スタイルに移行しながら、持続可能な経済活動を創造していかなくてはなりません。本日公示された東京都知事選にて、このような視点が入って来るのかどうかも見て行きたいと思います。そして、未知への挑戦を期待します。

医・職・十

今回の大震災を経験し、私たちの価値観は大きく変わりました。とにかく生きていくこと。もうそれ以上の幸福はない・・・。今ここに、生かして頂いていることに、心から感謝いたします。そして、生きるために必要な「衣・食・住」の産業に関わらせていただいていることに、強い誇りを感じます。と同時に、もう一つの「イ・ショク・ジュウ」=「医・職・十」の大切さを、ひしひしと感じているところです。
この「医・職・十」は、いま思いついた当て字ですが、最初の「医」はまさに医療(医学)に従事する方々のことであり、今現場で数多くの被災者を救っているお医者さん、看護婦さん、スタッフの方々をはじめ、病院・医薬品・健康医学・代替医療・東洋医学・福祉等に関わるプロフェッショナルの方々のことです。この存在無しに、人々の命を救うことは出来ません。
次の「職」とは、職業的使命感を持ち、その責任を自らの命に代えてでも全うしようとする真の英雄たちのことです。今回の福島原子力発電所の復旧には、自衛隊、消防、東京電力等の方々が、まさに命を掛けて取り組んでいます。その勇気、その職業的使命感は、私たち日本人の誇りです。本当に頭が下がる思いと感謝の思いでいっぱいです(ありがとうございます)。一方、我が国の政治家たちは、この期に及んでも、責任のなすり合いをしている模様です。
最後の「十」は、ちょっと無理な当て字なので、うまく説明できないのですが、つまり心、精神、あるいは信仰的な部分です。誰の心にもある祈りの心。ぜひ無事でいて欲しいと祈る心。(残念ながら)お亡くなりになられた方々のご冥福を祈る心。できるだけ被害が大きくならないように祈る心。これからの人生が明るく元気で希望に満ちたものになるよう祈る心・・・。
「ジュウ」という音に合いそうなのが「十」(=キリストの十字架、あるいは日本という文字の中に隠れている十字架)でしたので、この文字にしてみましたが、(図らずも)多くの日本人が持っている(宗教ではなく)「見えない力」を信じる心を表現しているような気がしました。いま全ての人に必要なのは「心の支え」です。それは祈りと行動という両面で導かれるものと思います。
さて話は変わって、プロ野球の開幕時期をめぐってのドタバタがありましたが、私は個人的には(あえて極端に言うと)、プロ野球自体を中止にした方が良いと思ってます。資本主義的な競争社会がもたらした今回の大災害を見て、もう競争(=戦い)の時代は終わったと思いましたし、そうであるならば「戦い」で稼ぐプロ・スポーツ業界の役割もここで終わったのではないかと感じます。
人々の潜在意識の中にある「戦い」や「競争」への欲求の代替えの場として、プロ・スポーツ業界は発展しました。そして、贔屓の選手(チーム)が勝つことによって、日頃のストレスを発散していたと思います。でも、もうそのような(心の)代替え戦争は不要になると思います。今後は、スポーツは一般の人々が、あくまでゲームとして楽しみながら(お金を稼ぐためでなく)健康維持や自己成長を図る本来の目的に回帰していくものと思います。だから高校野球は、(もしいろいろな環境が整えば)開催しても良いと思います。
また八百長問題で混乱している大相撲は、(どちらかと言うと)そもそも勝ち負けを争う競技という見方よりも、その競技自体を一種の文化として鑑賞している面があると思います。あくまで興行であり、むしろ文化・芸術・舞台鑑賞に近い感じがします。だから本来、勝敗は二の次で、そういう下地があったから、お互いの「リハーサル」があったのかもしれませんね。大相撲は日本の文化として、今後も残って欲しいと思います。何しろお相撲さんが近くにいると、何となく安心します。ホッとします。笑顔が生まれます。それに力持ちです。これは、とても大切なことだと思います。
天皇陛下が今回の震災について、国民に対する温かいメッセージを出されました。平時の時は何も感じないのですが、いよいよこのような国難が迫って来た時、皇室の存在(心の支え)は非常に大きいものだと感じます。(仮に)どんなに政府の対応が悪くても、「日本には皇室がある」という事実が(もちろん無意識ではありますが)日本人の見えない「柱」になっているように思います。絶対に大丈夫と信じられる根拠、「心の柱」があるように思います。

新しい建築文化へ

今から思うと、いろいろな前兆があったのかもしれません。3月4日、茨城県鹿嶋市の下津海岸に、約50頭のイルカが打ち上げられましたが、これはもしかしたら今回の地震と関係していたと思います。また、地震の前日(10日)には、空に変わった細長い雲が浮かんでいて、自分なりに「龍みたいだな」と思った記憶があります。空はよく見上げているので、時々そういうことはあります。ただ、それを地震と結びつけることまではできず、人間の智慧も能力も、自然の力にはかないません。
それでも、今もこうして命をいただいて、日々修練をさせていただけることに、心から感謝したいと思います。日本だけでなく世界(地球)も含めての大転換が始まったことは、もう目に見える形となって、理解しました。その中で命をいただいている者としての使命は、一人ひとりが自分自身の心を洗い、明るく元気に、一歩を踏み出すことだと思います。資本主義的な競争主義がもたらした社会の結果が、今このような形で出たわけですので、もうこれからは東北地方のみならず、全国、全世界で「復興」「改革」の始まりです。
今、生かされている私たちは、そのような意識を持って、日々の生活や仕事に向き合い、常に明るい考え方で、小さな改革を始めることだと思います。先ずは人心改革。自分自身の心を洗い、思いやり、優しさ、互助の精神で生きる。そうすれば、また神風が吹くかもしれません。アインシュタインが「人類は日本という国をあることに感謝するだろう」という内容のメッセージを残しましたが、まさに今、それが始まったと感じます。自らが先ず大きな痛手を負いながら、そこから美しい助け合いの精神と素晴らしい技術で復興を遂げ、さらにはまったく新しい文明を造りあげていく(であろう)日本の姿を見て、全世界は驚嘆し、きっと後に続くはずです。その中では、私たち(&私たちの子どもの世代)一人ひとりが主役です。
そして建築業は、どのような時代になっても無くなりません。「衣食住」は人間にとって必要不可欠なものだからです。すべての人が(あらゆる意味で)安心して住むことができる住環境を整備して行くことに、丸二は全力を挙げて取り組んでいきたいと思います。その鍵は、「ルネス(逆梁)工法」「外断熱工法」「パワー・コンクリート工法」を取り入れた「鉄筋コンクリート造り」であり、非常に強度が高く美しい色合いの伊勢神宮(式年遷宮)の御用材「加子母ヒノキ」や健康壁材「ダイアトーマス」です。これらの工法や素材を徹底して生かし、新しい建築文化を築いていきたいと思います。

前進あるのみ

福島原発の状況がなかなか改善せず、放射能の濃度が高くなってきたとのことです。実際どのようなことが現場で起きているのか・・・テレビやニュースだけでは、よく分かりません。もうここまで来たら、正しい(分かりやすい)情報を出して、早く行動することだと思います。必要以上の過度で大げさな表現はもちろんダメですが、正確な事実と対処方を出して、あとは国民の理性的な判断に委ねるしかありません。日本人の大勢は、大丈夫だと思います。
今日、いくつかの工事中の現場をまわりましたが、街も駅も本当に静かで、ひっそりとしています。計画停電や交通の不安定さもあると思いますが、今は一人ひとりが落ち着いて、いろいろと考えながら、状況に応じた立ち振る舞いをしているように感じます。テレビのニュースキャスターたちの過度な説明や評論をちゃんと差し引いて(聞いて)、冷静に事態を見届けていると思います。
後は、多少の不便さや今までとは全く違う生活習慣(あるいは健康管理)に慣れながら、共に新しい社会を造ることだと思います。先ずは、原発を無くすことです。計画停電によって「原発が止まると大変だ」という印象を持ったのは事実です。でも、だからと言って「やっぱり原発は必要だ」とは(絶対に)なりません。二度の原爆を受けた日本が、三度目の今度こそは、本当に安心・安全な社会、国家、世界を造るためのリーダーとなるべきです。その資格を持っているのは日本しかありません。
そう考えれば、これからやるべきことはいっぱいあります。テレビやニュースの情報に振り回されることなく、もっと自然で本質的なことに視点をおいて、安心して、世の中に役立つ取り組みを積み重ねて行くことだと思います。丸二としても、「家具の転倒防止」から「耐震補強」等の今後に備えた対策、加子母ヒノキの健康エコ住宅(&リフォーム)、「地震・津波・強風・電磁波・放射能」等に強い鉄筋コンクリート住宅・マンション・コーポラティブハウスの強化。このような時だからこそ、勇気と元気を持って、人々の安心・安全のために、前進あるのみ。そういう精神力さえあれば、全ての物事は解決していくと思います。東北地方の被災された方々に負けないように、がんばります。

東北地方太平洋沖地震

昨日(3.11)の大地震(東北地方太平洋沖地震)では、大変多くの方々が被害に遭われ、とても心配な状況です。余震も続いており、少しでも早く安全な状態になることを祈ります。丸二の方は、おかげさまで無事で、現在お客様の状況に合わせて対応中です(幸い、大きな被害や事故も無く、心から感謝しています)。ただ、社員のご家族、知人、友人が東北地方におられるので、そこはまだ気掛かりです。
昨日の地震発生時は、私はちょうど東京駅の地下街にいました。地下ですので、本来は揺れが小さいはずなのですが、もう荒れた海に浮かぶ船に乗っているかのようにすごい横揺れがして、それが異常に長く続いたので、これは大変な地震だと感じました。上階はもうダメかもしれないと思いましたが、幸い建物は大丈夫で、少し安心しました。
外へ出ると大変多くの人がいて、右往左往していました。電車も当然ストップですし、携帯もつながりませんし、どうしたらよいか分かりません。とにかく会社に戻るため、たまたま目の前に来たタクシーに乗って、約4時間半ほど掛けて、夜の8時頃会社に辿り着きました。今思うと、なぜタクシーを拾えたのかが不思議なくらいです。
ただ、あれだけ大きな揺れだったのにも関わらず、東京では建物自体が倒壊するなどの被害があまり無かったのは不幸中の幸いであり、また建築のある程度の水準を知ることが出来ました。もちろん、この何十倍もの地震が来たら分かりませんが、日本の建築はしっかりしていると思います。
震源地が東北、宮城沖と聞き、仙台や岩手、気仙沼が大変だと分かり、もの凄い津波があったことを知り、そして福島の原発、その次は長野で地震と状況がどんどん変化しています。とにかく、被災された方々が一刻も早く救助されることを心から祈ります。私たちが、どうしたらお役に立てるのかは分かりませんが、今は祈ることと、お客様からのご依頼に応えて行くことに集中していくのみです。
命のありがたさを感じます。生かされていることを実感します。ありがとう御座位ます。

祈り、復興

福島原発のトラブル等の影響で、電力不足が深刻となり、本日から計画停電が始まりました。今現在、まだ実施はされてはいませんが、いずれにしても節電に協力していかなければならないと思います。昔は時々停電があって、ロウソクの火で過した記憶があります。それは何か特別な事故や災害があったからではなく、(今から思うと)のんびりとした日常のことでした。
でも今回は違います。とにかく国民みんなで協力しなくてはなりません。テレビの映像を見て、あのような状況に直面した人たちの恐怖、苦しみ、悲しみ、怒りがどれほどのものだったのかを思うと、胸が苦しくなります。だから、もし節電でお役に立てるのであれば、祈る気持ちで、節電をさせていただきたいと思います。
原発の事故についても、非常に危機感を覚えます。しかしながら一番危険な目にあっているのは、今まさに現場で働いている方々だと思います。一体どのような気持ちで、このような非常事態に向き合っているのでしょう。家族の方々はどのような心境なのでしょうか。それは、家でテレビを見ていられる私たちの想像を遥かに超えているような気がします。本当に、ありがとうございます。
そのような方々がいて、国も地域も社会も守られている。そのような当たり前のことに、今まさに気付かされます。多くの亡くなられた方々のご冥福を心から祈り、その方々のためにも、今こそ「日本」がひとつ(和の精神)となって、共に復興に向かって行きたいと思います。その中で、私たち建築業の役割も大きいものになると思います。

大黒柱、心柱

丸二は、国の農商工連携事業の認定を受けて、岐阜県加子母のヒノキ材の活用を行い、林業の再生と森を守ることへの取り組みを続けています。加子母のヒノキは、伊勢神宮の社殿に使われる御神木として有名で、宮内庁は、伊勢神宮のための御用材を伐り出す山として、その一帯を「御杣山(みそまやま)」と呼んでいます。そのようなこともあり、最近、伊勢神宮のことに関心を持つようになりました。
(有名な)20年ごとに社殿を移動する「式年遷宮」(次は2013年)のために、御杣山である加子母の山では、「御杣始祭(裏木曽伐採式)」が行われ、素晴らしいヒノキの大木を伐られます。その御神木は、まず伊勢まで運ばれて、「おか曳き(陸路)」で、外宮へ届けられます。同じく御杣山の反対側(長野県上松町)から伐り出された御神木は、五十鈴川を「川曳き」で運ばれ、内宮へ届きます。加子母の木は、外宮の御神体を納める御樋代と使われると共に、内宮と外宮の社殿建築にも使用されます。
また、伊勢神宮の内宮は、「天照太御神(太陽神)」が祀られていて、外宮は「豊受太御神(「衣食住の神)」が祀られていますが、一説では「豊受太御神」=「国常立太御神(始源神・根源神・元神)」とのことで、外宮の位置付けは実は相当高いようです。外宮の御神体を納める御樋代と使われている加子母のヒノキは、そういう意味で、とても重要な役割を担っていると思います。
その内宮・外宮の2つの社殿の床下には、「心御柱(心柱)」が縦に埋まっているそうです。これは誰も見ることが出来ないらしく、実際のものは分からないのですが、いずれにしても、式年遷宮ごとに新しく、加子母ヒノキが使われているはずです。この「心柱」は、五重塔などが有名で、どういう訳か宙ぶらりんで浮いているものが多く、一体どのような意味で、あるいはどのようにして建てられたかは謎になっています。日本の古代建築には「心柱」があり、宙ぶらりんのもの、地中に埋まっているもの等、いろいろあります。一般的には、家の中心点にある「大黒柱」であり、全体を支えている柱です。
伊勢神宮の「心御柱(心柱)」は、長さが約五尺ほどで、一部は埋まっているそうです。柱と言いながら、実際の社殿には接触してなく、構造上の柱ではありません。この「心御柱(心柱)」の意味については、いろいろな説があり、非常に奥が深いので、もう少し勉強してみたいと思います。とにかく、加子母のヒノキが思った以上に大変なものであることが解って来ました。
そういえば、最近の住宅では「大黒柱」という存在が消えてしまったような気がします。いろいろな新しい工法が入ってきて、構造設計も時代と共に変わり、柱で持たせる工法から、壁・パネルで持たせる工法が普及してきたからでしょうか・・・。柱という存在自体がだんだん希薄になって来たようです。でも、日本の古来からの軸組工法では、「柱」「梁」が主役です。家の中心にある太い柱が「大黒柱(心柱)」です。
この「大黒柱(心柱)」は、確かに構造的(物理的に)にも重要な柱ではありますが、五重塔や伊勢神宮の社殿の心柱の設置状況を見ると、必ずしもそれだけの役割でなく、何か精神的な意味合いがあったような気がします。外来の建築工法が多くなり、家から柱が無くなり、「大黒柱」が消えている。それは、単に工法の移り変わりと言うことだけでなく、日本の家から(精神的な意味での)「大黒柱」も失われているという見方もできると思います。
例えば、昨今の、家族の中での父親(=大黒柱)の地位の低下は、もしかしたら「大黒柱」の減少とリンクしているのかもしれません。それは結局、家庭の崩壊を生み、教育、経済、政治の現状へも及んでいる可能性があります。もっと言えば、私たち一人ひとりの心の中にあるべき確かなる芯(心柱)の弱体化にも影響していると思います。多くの政治家に「心柱」、つまりポリシーとかビジョン、理念が欠如していることにも繋がっているとさえ感じます。
最近のCMで気になっているのは、お父さんが犬の(あの有名な)CMです。このCMの制作者は、一体どのような意図・目的も持って、日本の父親たちの地位を低下させようとしているのだろうかと、いつも考えます。CM自体はコミカルで、楽しいものですが、見ている人の潜在意識は、「父親=犬=自分より下」と捉えるでしょう。とても怖い気がします。
私たち一人ひとりの心に中に、確かなる「心柱」を立てたいと思います。私も、子どもの頃は「柱」のある家で育ちました。だから、丸二も、伊勢神宮の御用材の「心柱」のある家を建てていきたいと思います。伊勢神宮の社殿の床下に静かに埋まっている神聖なる加子母ヒノキの心柱のことを思うと、そのような使命感が生まれてきます。

清濁併せ呑む

外務大臣が政治とお金の問題で辞任しました。ずっと政治の世界を見ていて思うのは、「(結局)人の事は言えないな」ということです。そもそも完璧な人間などいませんから、人のことを(必要以上に)とやかく言うのは良くないなと。つまり、それは巡り巡って(必ずいつか)自分自身に返ってくるからです。
人(相手)に何かを与えれば(いつか)与えられるし、人(相手)を責めれば(いつか)責められる。この時間差攻撃がなかなか分からないので、私たちはついついその場の感情や状況のみで、不適切な態度を取ってしまいます。でも、本当に自分自身を護るには、人(相手)を尊重し、自分自身の心の中にマイナスの言葉や感情を置かないことと自戒しなければなりません。
そういう視点で、世間の事象を見て見ると、それなりの学習ができます。政治とお金の問題にしても、多くの政治家の方々が、それなりの問題を抱えていることくらい国民は知っています。清廉潔白だけで諸外国と渡り合えないことくらい知っています。「清濁併せ呑むこと」が必要だと感じています。
結局、その根源は「感謝」だと思います。清きものへの感謝だけでなく、濁ったものへの感謝もある。その両方を持ち合わせながらも、「私自身」は清き道を行けるよう、最大限の努力をする。それでも人間だから、完璧はない。だから人も自分も許しながら、共に成長していくしかありません。そんな感謝の連鎖が生まれてきたら、政治も経済も、すべて良い方向へ向かうように思います。
私たちは「ありがとう御座位ます」という感謝の心を大切にしています。それは、単に人間関係だけでなく、自然の恩恵に感謝することを意味しています。つまり、私たち一人ひとりは、この自然界の中で生かされている側であるわけで、生かして頂いていることに感謝しなくてはなりません。
逆に自然界から見れば、私たち人間一人ひとりは、当然たくさんの濁った部分を持っています。それにも関わらず、自然界は私たちに対して、公平に空気や大地を(無償で)与えてくださっています。もし自然界が「清濁併せ呑むこと」を止めてしまったら大変です。だから私たちは、人の事をどうこう言う前に、自分自身を磨いていく努力をしていかなければなりません。それが結局、真の社会貢献につながるものと信じます。

競争から共生へ

中東を舞台にして、各国の政治体制が急激に変化し始めています。石油産油国の情勢が不安定になると、先進国の経済に大きな影響が及んで来るでしょうし、また戦争が起こるかもしれないとい不安感も出て来ます。こうなってくると、世界中を見渡してみて、本当に物質的にも精神的にも「安心・安全」な国はどこかと云うと、やはり日本ということになると思います。
もちろん、財政問題や昨今の政治情勢、景気がなかなか上向かない状況は問題ですし、本当に早く手を打っていかなければ大変だと思います。それでも、中東のように独裁者が数十年に渡って政権を支配し続けるようなこともなく、首相がすぐに代わっても、日々の日常生活に(生命に関わるような)大きなダメージが生じないということを見ると、逆説的ではありますが、日本という国(=日本の国民性)は、世界一ではないかと強く感じます。
今、中国人が一番欲しいものは「メイド・イン・ジャパン」の製品だそうです(わざわざ日本に来て、たくさん買って帰ります)。政治的な意味で、様々な感情論はあるのでしょうが、いざ自分の事となると、人間は正直なもので「日本が一番安心」となります。日本の土地もどんどん買っているようです。
だから、そういう現実を私たちももっと自覚をして、世界の精神的なリーダーになっていくことが必要ではないでしょうか。経済的にも、政治的にも、今の日本はちょっと弱い感じがしますが、国民一人ひとりの精神性や文化、潜在能力は、世界中の人々から見ると、(信じられないほど)黄金のように光り輝いているはずです。
昨今、日本の政治に対する信頼が薄らいでいますが、これはむしろチャンスと捉えたいと思います。つまり、これからは国に依存するのではなく、それぞれが日本の良さを見つけ、そこを伸ばし、新しいライフスタイルや文化、(企業であれば)商品を提案し、それによって、世界の人々へ夢や希望や温かさを広げて行くことだと思います。
そのような方向性をみんなで(意識して)共有することだけでも、大きな力になると思います。お互いがお互いを中傷し合うのをやめて、良いところを見出していく。そして日本は、世界で一番早く「競争から共生へ」に移行した国になるべきだと思います。
中東の若者たちが、「生命を掛けて」毎日を戦っている時に、日本では、若い有名スポーツ選手が「お金を掛けて」戦っています。そして、試合に勝って何千万稼いだとか、年棒がいくらになったとかやってます。でももう、そういう事はやめて(せめて小さなニュースにしてもらって)、もっと人々の生活、人生そのものをより良くする(実体のある)出来事や事柄にフォーカスして行くべきと思います。それが出来るのは日本だけです。日本人の特性として、「利他の心」というものがあります。自分以外の人への思いやり、気遣い、温かさ。そして感謝の心・・・これが一番の黄金だと思います。

自然な情報

最近、情報の質や中身について考えさせられます。エジプトの独裁政権が崩壊したのも、これはインターネット上の真実を伝える情報に拠るところが大きかったようです。また「フェイスブック」というインターネット上で急成長しているコミュニティサイトは、すべて実名公開とのことで、今までの「2ちゃんねる」や「ミクシィ」等の匿名の世界とは明らかに異なる次元のものです。
一方、テレビを見ていると、どこの局の情報番組も同様の内容ばかりで、真実性が希薄になって来たように感じます。娯楽番組も、同じタレントさんや芸人さん同士が役回りを変えているだけで、国民に何か有益な情報なり時間なり希望なりを提供しようとする使命感、志を感じさせるものが少なくなりました。
ドラマの方も、殺人や事件やイジメのオンパレードのようで、お茶の間(=日常生活)の中に普通に「血」「戦い」「悲しみ」の想念を広げています。これは多分、恐いことだと思います。
大相撲の八百長問題にしても、ある政治家にしても、ある芸能人にしても、確かに「悪は悪だ」という見方はあるのですが、一方自分自身を振り返ってみると、「それではお前は、全て善で生きているのか」と問われれば、誰もが「(自信を持って)はい」とは言えないことも事実です。
そもそも、報道されていること自体が「本当にそうなのか」と思うこともあります。テレビや新聞の情報は、どうしても信じてしまいがちですが、何かとても情緒的過ぎ、感情的過ぎで、本当の真実を伝えていないケースも多いように感じます。
いずれにしても、他人を平気で裁く風潮と言いますか、そのような「謙虚さ」を失っていくような状況は、日本が古来から持っている「和」の精神から言うと、ちょっと残念な気持ちがします。
エジプトのようなことは、国民一人ひとりが確かに影響を受けていて、それに対する抗議や反応は当然のことと思います。でも、仮にある有名人が、何か個人的に不味いことをしたからと言って、それはその人の周りの特定少数の中だけの問題で、私たちには直接関係の無いことです。それにも関わらず、国民全体が裁判官になってしまう。
自分自身が直接的に被害や迷惑を被ったのなら、それは良いのですが、自分は何も具体的な影響を受けていないのに、必要以上に批判したり、裁く。こういう風潮は、ちょっと怖いなと云う気がします。むしろ、自分の中にも同じような種類の問題・課題があるかもしれないと、反省したり、気付く事の方が大切のような気がします。
つまり、全く関係のない(無意味な)情報だけが世の中を駆け巡っていて、その関係の無い情報で一喜一憂し(感情を動かされ)、結果的に何も得ていない。なお且つ、自分自身で考えるという機能も低下する。これが「今」の社会全体の問題のように感じます。
今後は、出来るだけフィルターを通さずに、物事を自然に近い状態で(あるいは自然そのものから)見たり聞いたりして、自分の物差しで捉えることが大切なのでしょう。そういう意味で、自分の目が一番、あるいはインターネット等の、できるだけ自然の状態に近い情報が良いのかもしれません。時代が大きく動いている時ですので、本当の真実を見極める感性を持って、人生や経営に取り組んで行きたいと思います。