


2010.03.01
バンクーバー・オリンピックが、もうすぐ閉会です。日本もなかなか金メダルには届かず、惜しい試合が多かったですね。でも、参加した選手たちにとって、楽しく有意義な経験であったのならば、それが一番良いことではないでしょうか。見ている側としては、つい日本の代表という意識で過度な応援をしてしまいますが、本人にとっては、ただ自分の力量を試す(あるいは発表する)ための一番大きな大会ということでしかなく、結果に対する評価は、本人やコーチ等の関係者だけの問題だと思います。まわりが誉めたり、非難する筋合いは、そもそも無いわけです。
根本的な問いは、スポーツで優劣を競うということが、本当に良いことなのかどうかということです。スポーツは、自分自身の健康や体力づくり、楽しみのためにあるので、そもそも他人と比較してどうこう言うものではありません。ただ、一生懸命続けていくためのひとつの糧として、あるいは勉強の場として、または同士や仲間をつくる場として、さまざまな大会があり、その大会を盛り上げるために、「順位を決めよう」というゲーム感覚を取り入れたのではないでしょうか。今は、そのお楽しみゲームの方が目的になってしまった・・・。例えは全く違いますが、何かのパーティーを開催する時に、場を盛り上げるためにビンゴゲームがあります。つまり、そのビンゴゲームに必死になっている状態が、今のオリンピックという感じです(ちょっと極端な表現ですが・・・)。つまり、滑稽なのです。
誰が一等賞を引こうと、そこで自身の最高のパフォーマンスを発表でき、本人がそのことに喜びを感じられれば、それでいいのではないかと思います。そして、(どこの国の選手であろうと)その素晴らしい姿を見て、私たち自身も、自分の生きている世界の中で、最高のパフォーマンスを実現しようと思うのです。特定の誰かや特定の国が勝つように必死に応援することは、その他の国が負けることを一心に願うことであり、世界の全体調和の精神性としては、最も乖離しているように感じます。順位付けは盛り上げるための一種のゲーム。真の目的は、世界の素晴らしい美とスポーツの競演です。
私が一番危惧するのは、世界の最高の選手たちが、「金メダルを取らなくてはいけない」という強迫観念に陥ってしまうことです。もし、取れなかった際に陥る・・・過度な責任感や虚無感。もし、取れた際に陥る・・・相手を倒してしまった罪悪感や人々から受ける妬み。このような思いを抱えたまま、その後の人生を幸福に生きていけるのだろうか・・・。自分の最高のパフォーマンスをして、たまたま結果的に金メダルを取ったとしても、その喜びは対戦相手があってのことで、共に得たもの。そのような、最後は人間としての意識の持ちようが問われているような気がします。
だから、メダルを取って狂喜乱舞する姿は、異様な風景と映ります。金メダルをいただいて、(逆に)申し訳ない位の気持ちが本当かもしれません。反省は、メダルの色では無く、自身のパフォーマンスの中身だけのはずです。それも本人だけの問題で、まわりには関係の無いことです。浅田真央選手が悔しがったのは、順位では無く、自身のフリーの演技の中身だったと思います。それが、選手の本当の気持ちだと思います。実は、うちの妻は、オリンピック等の戦いの場面は見たくないといって、すぐTVを消してしまいます。多分、そういう感性の方が、正しいのかもしれません(私は、やっぱり見てしまいますが・・・)。
2010.02.28
政治とお金の問題やマニュフェストとの乖離等により、民主党の勢いも徐々に落ちてきたようです。国民の期待に応えるというのは、本当に並大抵なことでは無いのでしょう。私は、日本の政治家の多くが、(与野党問わず)高い志を持って、日本を何とかしようとしていると、固く信じています。そのような過程の中で、多少の問題が起きたとしても、それほど気になりません。それよりも、もっと大きなことに取り組んで欲しいからです。しかしながら、その大きなことに、実際に取り組めているかと言うと、現実はどうもそうでもなさそうです。何かきっと、壁があるのでしょう。もしかしたら、それは(意外と単純に・・・)「世代」という壁かもしれません。
今の国会議員の定数を削減して、参議院も無くして、かつ政治家の年齢制限または任期制限を設けたら、どうなるのか・・・。例えば、国会議員に立候補できるのは原則50歳未満とする(世襲も禁止)。ただ一部、地方自治の経験者(市議、市長、知事等)のための特別枠(年齢制限は無し)を設けて、それは2期(8年)あるいは3期(12年)までとする。企業団体献金は廃止し、広くインターネット等で個人から献金できるシステムに変える。仮に、このようなシステムになると、特定の企業団体からの影響を受けずに、若い人たちが生き生きと政治を行うことができるようになり、また地方自治の経験豊富なベテラン政治家たちの、プロとしての経験を国政に生かすこともできます。
こうなれば、国政における権力構造は弱まり、若い人がもっと自由に大きなことに取り組めるのではないでしょうか。もちろん、それによって政治が甘くなったり、軽くなったりしてはいけません。そこは、私たち国民が、厳しい目でチェックをしていきます。そして50歳を過ぎて引退した大物政治家たちは、政治塾を開校して、ガンガン若い政治家たちを指導・教育し、立派に育てていくのです。仮に、その塾生が立派な政治家になれば、その塾は評価を受け、入塾希望者も増えるでしょう。そのような状態になれば、国政はもっとダイナミックかつオープンになり、本当のリーダーシップが生まれて来ると思います。
このような改革をやれば、意外と面白いのではと思います。面白い政治によって、様々な問題が解決し、国が良くなっていく喜び、世界が良くなっていく喜び、地球が良くなっていく喜びを味わいものです。日本人の精神性があれば、きっと大丈夫です。
2010.02.24
丸二の経営理念は「感謝」ですが、感謝の気持ちを表した有名なクラシック音楽が、実はあります。ベートーヴェン作曲:交響曲第6番「田園」の終楽章(第5楽章)です。田園交響楽は、ベートーヴェンが書いた9つの交響曲の中でも、最も穏やかで牧歌的気分に満ちた名曲です。その終楽章は「牧人の歌~嵐のあとの喜ばしい感謝に満ちた気分」という副題のとおり、第4楽章の「雷雨、嵐」が去った後の感謝と喜びの田園風景を歌ったものです。
もちろん全曲素晴らしいのですが、特にこの「感謝の歌」は、詩も無く、管弦楽だけなのに、本当に感謝と喜びの気持ちが、聴く人の心に歌のように響いてくるのです。多分、ベートーヴェンの他の楽曲と比べると、やや単調な楽章ですが、素晴らしい演奏で聴くと、とても感動しますし、涙が出そうになります(逆に、演奏がいまいちだと、厭きやすいですが・・・)。
耳が聞こえなくなり、とうとう死を覚悟し、遺書まで書いたベートーヴェンにとって、森や田園に木霊する音たちは、もはや心の中でしか響いていなかったはずです。その音たちを、今、ここにあるかのように、ひとつひとつ優しく積み上げて、感謝の気持ちの大聖堂に築き上げたことは、常人では不可能だったと思います。そういう背景を思いつつ聴くと、また感慨深いものです。
さて、その「素晴らしい演奏」ですが、私が好きなのはこの2枚です。
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ベートーヴェン:交響曲第5番『運命』、第6番『田園』、他 ベーム指揮ウィーン・フィル(1977年 東京ライヴ)
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ベートーヴェン:交響曲第6番『田園』、ワーグナー:『ワルキューレの騎行』、他 ムラヴィンスキー指揮レニングラード・フィル(1979年 東京ライヴ)
偶然にもこの2枚、共に1970年代後半の東京ライヴです。ベーム指揮ウィーン・フィルという伝統的ドイツ・オーストリアの温かく美しい響きと、旧ソ連のムラヴィンスキー指揮レニングラード・フィルという厳格で強固な響き・・・この全く相反する名演が、ほぼ同時期にわが日本で鳴っていたのです。それだけでも何か不思議なものを感じます。
実は、他のCDでも、東京公演のライヴがたくさんあって、しかもとても素晴らしい演奏が数多く残っています。これは一体どういうことなのでしょうか・・・。少なくともプロですから、演奏を間違うことは無い訳ですし、「特別、名演にしなくてもいいや・・・明日もやるし・・・」などと考えてもおかしくないと思います。それなのに、日本まで来て、最高の演奏をするというのは・・・。
それはきっと・・・日本人の意識の高さ、感性の良さ、真摯な姿勢、歓迎の精神、おもてなしの心、思いやり・・・そんなものに触れたことによって、大いなる感謝の思いが高まり、結果的に一世一代の名演を生み出したのではないかと思うのです。一方、すべての文明の起源(源流)は日本にあるという説もあるようですから、世界の芸術家達は、日本という国の存在を(無意識に・・・)神聖な場所として捉えているのかもしれません。ただ単に、チケットが高く売れるからという理由ではないような気がします。
これで、日本と感謝の歌が結びつきましたが、日本には「ありがとう」という素敵な言葉があります。今、確かに日本は苦しんでいるように見えますが、この日本独自の精神性を呼び戻しさえすれば、すぐに世界に感謝される存在になれると思います。経済から解き放たれているアーティスト達の純粋な目には、もう見えているはずです。さらに良い時代になります。田園交響楽の聴きながら、そんなことを思いました。
2010.02.15
今回のトヨタのリコール問題を通じて知ったのは、今の車のブレーキ・システムが複雑な電子制御によるものだということです。足で踏み込むという物理的な動作が、そのままタイヤを止める力になっているというのは思い込みで、実は複雑なプログラミングによって、ブレーキが作動しているんですね。
私は、車の電気化には賛成ですし、ハイブリッドなどのような中間的なものでなく、本格的な電気自動車が早く世に出て欲しいと思っていますが、エンジン(動力)以外の機械的なメカニック部分は、できるだけ単純な方がいいですね。その方が、運転をしていて、音や振動や効き具合から異常が感じられますし、何となく安心感があります。すべて電子制御になってしまうと、そういう感覚が無くなり、修理もできにくくなり、何かの誤作動や電気製品からの電磁波等の影響で、突然狂うことも考えられ、ちょっと怖いです。
デジタル化の波に乗って、人々の生活を快適にするために、昨今さまざまな商品開発が行われていますが、今後はデジタルとアナログの両方の良さ、あるいは電子式と機械式の両方の良さを、うまく統合していく必要があると思います。建築は、そういう意味では、アナログ的であり、現場で人が手造りで建設していくものです。姉歯問題のようなことも、本来、現場で鉄筋の本数や太さを見て、アナログ感覚で、「おや?」と思うはずです。そういう意味で、太古の時代から継承されている建築は、極めて単純明快で、最も安心・安全な技術体系ではないかと思います。
これから電子化が行くところまで行くと、その後はむしろ、このような人力によるアナログ的な製造工程、アナログ的な商品に価値が移っていくのではないでしょうか。造る人によって違う商品。絵も、芸術も、建築も、みんなそうですね。現在の街の店頭に並んでいる商品は、みんな1ミクロンの誤差も無い、全く同じものです。そういうモノは、そういうモノとしての価値がありますが、そうではないモノも同時に、必要なのです。
だから、建築も、プレハブ式の精密な組み立て物よりも、現場で職人たちが気持ちを込めて造る方が良いいのです。絶対に他には無い建物が生まれます。今の時代、夏は猛暑、冬は極寒の中で、コツコツとものづくりが出来る人は極めて希少です。そのような人たちの温かい心が、有機的に、建物に宿ります。建物にも生命があるからです。だから、無機的な組み立てではなく、人の手によるアナログな建築を大事にしてもらいたいと思います。それが、新しい文化の創造です。
2010.02.13
なかなか本題に入らず、ずるずる時間ばかりが過ぎていく日本の政治状況を見ていると、政治家全体のリーダーシップの欠如を感じます。また、「政治とお金」という問題を常に生み出している根源は、そもそも私たち人間(=国民)誰もが持っている「金銭欲」に起因するわけですから、永遠に終わらない性格のものなのかもしれません。すべて、陰と陽の世界ですから・・・。
大事なことは、その「私欲」を「公欲」にまで昇華・発展させることであり、そのような意味で、政治の世界では「大欲」の人物が必要だと思います。それが本当に「私欲」でなく「公欲」だったのかどうかは、いつか歴史が証明してくれるでしょう。だから、真実の解明は、時間(=自然)の流れに任せて、今はとにかく、この難局を乗り越えるために、お互いの長所と強みを連携させて、具体的に動いていくことだと思います。
そう考えると、最近のマスコミ報道には、何か陰湿なものを感じます。小沢さん、朝青龍等に対する報道を見ても、客観性を失っているように感じます。もちろん、いろいろな問題については、しっかり追及していくべきですし、どんどん批判していくべきです。しかしながら、その前提として、「私たち人間がやること、完璧は無いし、自分だって少なからずそうかもしれない・・・」という、自らを省みるという作業も同時に必要ではないかと思うのです。
一般の人々が厳しくモノを言うのは当然ですが、「人の行為を世間に公表する」ことを「職業」としている報道人の場合は、それではいけないと思います。そこには、「職業的な良識(良心)」が必要になるはずです。つまり・・・何か、うまくは言えないけれども・・・そこには人間的な何かが必要なのです。その上で、きっちりと事実・真実を追及し、正すものを正し、批判すべきものを批判していく・・・。
その「人間的な何か・・・」が損なわれ始めたから、学校でいじめが増えているのか・・・。大人が、自分の事は棚に上げて、人を(必要以上に)攻撃しているから、子どもが真似をし始めたのか・・・。いろいろと考えさせられます。
2010.02.04
今朝、大学時代の友人から、「松下幸之助の言葉」がメールで送られてきました。私のブログを想起させる内容だったからという理由で・・・。とても嬉しく思いながらも、まだまだ至らない自分自身に気づく良い機会となりました。
その言葉は・・・
「企業は社会の公器~一般に、企業の目的は利益の追求にあると言われる。たしかに利益は健全な事業経営を行なう上で欠かすことができない。しかし、それ自体が究極の目的かというと、そうではない。根本はその事業を通じて共同生活の向上をはかることであって、その根本の使命を遂行していく上で利益が大切になってくるのである。そういう意味で、事業経営は本質的には私の事ではなく、公事であり、企業は社会の公器なのである。だから、たとえ個人の企業であろうと、私の立場で考えるのでなく、常に共同生活にプラスになるかマイナスになるかという観点からものを考え、判断しなければならないと思うのである。」
会社は誰のものか・・・。この問いは、常に頭の中にあります。いま、トヨタがリコール問題で大変な状況になっていますが、まさに企業が「公」のものであることの証明を、突きつけられているように感じます。大企業であろうと中小企業であろうと、社会に対する責任は同様であり、重いものです。自社の考え方や仕事の中身によって、お客様や社会、関係者の生活や人生に多大な影響を与える以上、企業は「私」だけのものではないと理解できます。
もっと言えば、企業は「私」あるいは「公」をも超えて、もっと大きな視点としての、「大自然」から与えられたものではないかという認識も出てきます。社会(お客様)を幸せにするために、そして社員を幸せにするために与えられた器として・・・。とすれば、会社は社長のものでは無く、「大自然」の所有物。その大きな「大自然」から会社をお借りしている・・・つまり「させていただいている」という認識に立てば、きっと経営のあり様も変わってくるに違いありません。これからの時代の、不景気を吹き飛ばすヒントが、ここにあるように感じます。今日は、友人のメールに感謝しながら、「公器」としての会社、「大自然」に生かされている会社を考え、さらにもっと認識を変えていこうと自覚しました。
2010.01.23
ハイチの大地震、大寒波、JALの倒産、小沢氏と検察(マスコミ)の問題等・・・今年も1月にして、世界中で、日本で、さまざまな出来事が起きています。きっとこれらは、今年以降の大きな時代の方向性を示すものだと思います。地球環境の変化に伴う災害や異常気象の発生、大企業やブランド企業の衰退、そして「権力・支配」からの脱却です。このようなプロセスを経て、世の中は、「自然との共生」「人々の暮らしと生活を優先」「互助、助け合いの社会」「観光、第一次産業への回帰」「心の教育」「持続可能な社会」へと進んでいくと思います。多分、とても素晴らしい社会だと思います。
住まい、建築も、単なる物理的な「モノ」としてではなく、家族の<健康・安全・幸福>を積極的に創造する、ある種の「装置」としての場(住環境)に変化していくのではないかと考えます。何と言っても、次の時代は<医・食・住>ですから。医療(医学)、食事、住宅に対する考え方、常識、価値観が一変するのが、真の21世紀です。世界中の人たちの<医・食・住>が整えば、戦争も無くなり、競争も無くなり、安心と安全の時代が訪れます。それだけの技術も、素材も、すでに揃っています。あとは、今年から始まる大変革の流れに身を任すだけ。時代は今、そのようなゴールに向かって、着々と動いていると思います。
だから、今の時代を生きる人間として、一番大事にしたいのは、「良い方向に流れている」という自覚と、それに対する「感謝」だと思います。最近、「ありがとう」という言葉を積極的に使う人や企業が増えています。今は不況で、不景気で、大変な世の中なのですが、それでも、「ありがとう」の気持ちを大切にする人々が、身の回りに増えているのは確かな事実です。また、心のあり様や精神性について、自らの信条を語る人も増えています。実際、そういうことを人に言うのは恥ずかしいことですし、変に思われそうなので、なかなか口にすることは少ないですが、確かに、精神性を大切にしている人々が増えています。
実は、私たち一人ひとりの精神性や人間性が高まらない限り、世界が<医・食・住>で満たされることは無いのでしょうから、ゆえに、今の変革の大根本、大前提は、「人心改革」なのだと思います。不況や大地震も、この「人心改革」が終わると同時に、終了するのかもしれんません。だから・・・(自分ではない)誰かが変わることを期待するのではなく、「私」が変わることが早道なのでしょう。丸二も、「感謝」を大切な信条として、社員一人ひとりの心の成長を目指しています。これはもう、「1mmの前進」で、ほとんど目に見えません。でも、目に見えない世界にこそ、本物があると思います。
2010.01.12
JALが会社更正法を申請し、再建を始めることになりました。「日の丸」を象徴する大企業の破綻は、これからの社会の大転換を暗示するようで、何かとても緊張感と言いますか、気持ちが引き締まる思いがします。トヨタ自動車の米国におけるリコール問題も、かなり大きなことになっているようで、日本を象徴する多くの企業が、これから様々な壁にぶつかっていくことが予想されます。そうなると、その大企業を取り巻く協力企業や下請会社(中小企業)にも大きな影響が出てくるのは必至です。この難局を乗り越えるのには、自らがマーケット(エンドユーザー)とつながるしか道は無いのかもしれません。自社が持っている独自の技術やサービスを、特定少数の(大きな)発注者だけに頼るのではなく、不特定多数の市場において、ひとつひとつ信用を数多く積み重ねていくこと。この地道な開拓精神が大切だと思います。
それにしても、表向きは静かですが、社会の地殻変動はどんどん進んできるように感じます。そういう意味での緊張感は日増しに高まってきていますが、それは同時に「いよいよ出番が近づいてきた」というシグナルでもあり、ワクワクとした高揚感でもあります。変革の時は、夢と志と(心の)準備さえあれば、誰もが世の中のお役に立てると思います。私たちは、幸い、夢を持って、志を抱き、地道な準備を続けて来ましたので、変革の風が強く吹けば吹くほど、帆を張って、前へ進むことが出来ます。丸二は、建築という分野において、次の社会で貢献できる会社として、この変化の激しい環境を楽しく進んでいきたいと思います。
尚、赤松農相が、林業の活性化のために、学校や自治体の庁舎など公共建築で、国産材の使用を義務付ける法案を通常国会に提出する考えを発表しました。今、国内の木材自給率は24%で、今後10年間で50%まで引き上げる方針ですから、本腰を入れないといけません。その目的は、当然、林業の活性化が第一ですが、やはり日本の森を守るということが、より抽象的な概念として存在しています。それは、(もっと言うと)地球を守ることにもつながります。つまり、これからの林業や農業は、地球を守る役割を担うわけで、私たちは、そういう大きな夢や志への協力を、ぜひさせていただきたいと、心から願っているわけです。
さて、寒く乾燥した1月で、雪も多く、寒波もやって来そうです。このように、気象にも地殻変動の波が来ているようですので、地震対策や火災予防等の準備も必要ですね。今一度、さまざまなことに対する点検と確認をしていきたいと思います。
2010.01.07
年が明けて一週間が過ぎましたが、とても寒いお正月でした。日本海側では雪が続き、山では遭難事故が多発、また海外でも大寒波の影響で多くの凍死者が出ているなど、温暖化と寒冷化の二極化が進んでいるような気がします。このような極端な天候の変化は、恐らく今後もさらに拡大しながら続いていくと思われますので、今までの常識に捉われず、万全の準備や対策が必要になってくるでしょう。
また、政治や経済の動きも急で、突然の財務大臣の交代もあり、景気の先行きも未だ不透明です。ただ、昨年末に政府から出された「新成長戦略」を読むと、これから始まる新時代へのビジョン・方向性が明確に判ります。その中で柱となるのは、「環境」「健康」「観光」の3つだと感じます(新3Kですね)。この3つの分野を成長させることによって、環境と経済の両方が成り立ち、持続可能な社会造りができると思います。
私は、この方向性は絶対に間違っていないと思います。現在のような、「競争」「戦争」「格差」から富を生み出す時代から、「環境」「健康」「観光」から富を生み出す時代への大変化の始まり・・・これは、総ての人にとって、国にとって、地球にとって、とても良心的で温かいものになるのではないでしょうか。
ですので、現在の混沌とした状況からできるだけ早く脱出し、この3つのキーワードに添った運動や取り組み、ビジネスを推し進めることが、いま最も重要なことだと思います。それも、お題目としての「エコ」や商売のための「エコ」ではなく、もっと本質的かつ根本的な解決を目指したものです。自動車や家電にしても、「エコカー減税」や「エコポイント」等で、取り急ぎの売上を増やすことばかりではなく、本当に無公害の自動車や家電を世に出すことに全力を挙げて欲しいと思います。
もちろん、建築の分野でも同様で、早期に(鉄筋コンクリート造の)外断熱工法の普及や、建築の原点である天然木造住宅への回帰も急務です。このように、それぞれの業界や企業や個人が、本当に「新成長戦略」に則った行動をしていくことさえできれば、自ずと道は開けてくるでしょう。現在の「混沌」は、旧時代と新時代の間に架かったブリッジの上で起こる必然であり、当たり前のことです。そのような現象に目を奪われず、このブリッジを渡りきった先にある新時代において、真に社会に貢献できる人や会社になるべく、今から準備をしていくことの方が重要ではないでしょか。
昨夜、NHKで、スケートの荒川静香さんの特集をやっていて、面白くて、最後まで見てしまいましたが、荒川選手が得意の「イナバウアー」は、何か特殊な練習をして完成させたものでは無く、毎日少しずつ努力しているうちに出来上がってしまったという話をしていました。本物を造りあげるのは、本当に日々の小さな努力の積み重ねだと思いますし、短期間でパッとできるようなものでは無いと、あらためて確信しました。
丸二は、本当に長い時間を掛けて、さまざまな取り組みを継続しています。本当に小さなことの繰り返しや改善ばかりですが、これが徐々に本物に近づいているという実感があります。これらが本物になった時、次の新時代においても、社会に貢献できる会社として存在させていただけると思います。「環境」「健康」「観光」という方向性に向けて、これからも小さな努力を積み重ねて行きたいと思います。
2010.01.01
新年、明けましておめでとうございます。本年も何卒よろしくお願い申し上げます。
大晦日の夜はとても冷えましたが、日中に吹いた風のおかげで雲が飛んで行き、夜空には小さな星たちがたくさん浮かんでいました。そして、その中央(真上)には、まるで強い発光体のような満月が輝いていました。元旦に満月とは、とても縁起がいいと思い、そのまま夜空を見上げながら、2010年1月1日午前0時を迎えました。その少し前までは、紅白歌合戦を少しだけ見ていました。
今回の紅白で素晴らしかったのは、ゲストで来日した、スーザン・ボイルさんです。歌がその人の人生と一体化する時、何かが降りてくる様な気配を感じる・・・スーザン・ボイルさんの歌を聴きながら、確かにそのようなものはあるのだろうと考えました。他にも、数人の若い女性歌手に、同じようなものを感じました。今回は、「歌の力、無限大」というキャッチコピーがテーマになっていましたが、丸二には「無限大(∞)の感謝の力」という言葉があります。偶然ですが、いい偶然です。
そのまま夜中に、氏神様をお参りしました。とても人出が多く、今の時勢を実感いたします。2010年・・・21世紀に入って10年目の年のスタートです。今年も丸二は、「無限大(∞)の感謝の力」で、お客様、地域社会、自然環境と総和してまいりますので、何卒よろしくお願いいたします。ありがとうございます。